○最高に「んっ!」ねっ

「うーん……着いた! ポトト、おいで!」

『ルッ!』

「疲れましたー。……死滅神様、ねぎらってください!」

「こら、ユリュ。お嬢様に抱き着く前にせめて体くらい拭きなさい。あと、服も着なさい」


 私たちがかしましく上陸したその場所は、第3層へ続く洞窟の、上層から100㎞地点にあった小さな町。壁をくりぬいて作られた半球状のその場所には宿が数件と、居酒屋さんを始めとするその他、いくつかのお店がある。狭い空間をうまく利用するために、宿は町の外壁をくりぬいて作られているのね。広場になっている場所に並んでいる木製の建物がお店のようだった。

 1人1泊3,000nの宿。数は4人と1匹。本来は個室……つまり1人で1部屋の所を、今回は2人で利用することにした。というのも、そろそろ金銭面に余裕が無くなってきている。大迷宮に来てからというもの、勝手に寄って来る魔物を殺して、その魔石と素材を売って生計を立てていた。けれど、ギードさんを殺すと決めた日から彼の話を聞くことに時間を割いていたこともあって、収入が少なくなっていた。


「大迷宮に潜っているのも私個人の事情。信者さん達の寄付金には手を出せない。本当に、何をするにもお金なのよね。……世知辛い」


 たった1つの魔石灯が照らす客室。ポトトを床に置いてあげて、私は相変わらずの貧しい生活にため息をつく。改めて、殺しでお金が稼げないことを痛感するわね。と、項垂れる私の手を握ってくれる柔らかな手があった。


『スカーレット、落ち込み?』

「ええ、でも大丈夫よ、ティティエさん。心配してくれて、ありがとう」


 安全面を考えて、今回も私の同室はティティエさんだ。そこにポトトを加えて、3人で1泊することになっていた。

 うつむいてばかりじゃ、ダメよね。それに、周りの人を心配させるなんてもってのほか。気を取り直して、私は改めて今日泊まる宿の客室を眺める。これから先、滞在することになる2つの中継地点の宿も同じような造りになっていると、受付のおじさんからは聞いていた。


「部屋の造りは、レストリアの宿と同じね。岩盤の硬い壁。小さな窓と調度品。問題があるとすればやっぱり……」

『ベッド、1つ?』

「そうね。2人で眠るには少し窮屈だけれど、私的には嬉しいかも」

『スカーレット、寂しがり屋』

「ええ! ……だから、その。一緒に眠ってくれると嬉しいわ?」


 ティティエさんは、数日程度なら眠らなくても問題なく行動できてしまう。だからこうしてベッドに誘わないと、ふらりとどこかへ行ってしまったり、椅子や壁に腰掛けて座って眠ったりする癖があった。

 ゆらゆらと青い鱗で覆われた尻尾を2度振って、微笑んでくれるティティエさん。


『分かった』

「ふふっ、良かった! その代わり、というわけじゃないけれど、今日のご飯は期待してもらって良いから」

『ご飯!』


 ご飯という言葉にピンと立ったティティエさんの青い尻尾。その後、すぐに軽やかに右へ左へと振られ始める。ティティエさんは基本的に、料理という物をしない。お腹が空いた時に手近な動物を狩って、焼いて、食べる。そんな簡素な食事が多いから、私やメイドさんが作るあらゆる“料理”に目を輝かせてくれる。その料理が美味しいか不味いかなんて、ティティエさんにとっては些細な事。


 ――あの、まっずいキリゲバ肉ですら美味しいと言ってくれるんだもの。


 恐らく誇張抜きで、食材に味が付いている。ただそれだけで、ティティエさんは美味しいと言って喜んでくれそうだ。


「けれどその前に。まずは水浴びね」


 私の言葉に、喜びで揺れていたティティエさんの尻尾が動きを止めて、ぺたんと地面に下りてしまった。まぁ、ね。私はシャーレイのお腹の中に居たんだもの。いくら水に落ちたからと言って、落ちていない汚れもあるでしょう。ティティエさんだってそうだ。あまり水浴びをする習慣がない……というよりティティエさん自身が水浴びを敬遠していることもあるのかしら。ティティエさん自身の牧草のような香りに混じって、少しだけ酸っぱい臭いもする。


「ティティエさん、前に水浴びをしたのはいつ? お風呂に入った日でも良いのだけど」


 私の質問に、小首をかしげるティティエさん。思い出せないくらいには、前のことらしい。


『……水浴び、苦手』

「そう言わないで。身体をきれいにするってことは、きっと鱗もきれいになるはずだから」


 部屋が薄暗いこともあるのでしょうけれど、ティティエさんの首筋や手首を覆っている鱗が前よりもくすんで見える。そして、鱗を持つ種族の人たちは多かれ少なかれ、鱗の手入れには気を遣っている。

 水色の瞳を伏せて、長い間考え込んだ後。小さく頷いた彼女を連れて、私たちは宿の側にある水浴び場で身体をきれいにするのだった。




 そうして身を清めた後にやって来るのは、そう! ご飯の時間! 迷宮飯! 私の信念には、奪った命は余すところなく使うというものがある。具体的には狩った動物や魔物は可能な限り素材や食材とすることよ。じゃあ今日、私が手ずから狩った生物と言えば、そう、ヌルてか細長魚ヌメラの魔物シャーレイ。ティティエさんが粉々にしてしまった大きい方のシャーレイではなくって、小さい方のシャーレイを頂くことになった。

 ついでに、ぷかぷか水面に浮いていたシャーレイの解体を指揮したのはユリュさんだったりするわ。魚の生態に詳しい彼女の指示のもと、私とメイドさんとで解体を済ませたのだった。まぁそのおかげで、第2層の出発が30分ほど遅れたのだけど。

 宿の1階。調理台と流し台しかない簡素な調理場に、私たちは集合している。まな板の上には30㎝大の切り身にされたシャーレイの白身が乗っていて、白い魔石灯の明かりをテラテラと返していた。


「ユリュさん、ユリュさん。シャーレイって美味しいの?」

「わ、わかりません。も食べるのは初めてなので、どんな味なのかは全く……」


 あくまでも海に住むヌメラの仲間『ウルラヌメラ』の知識に基づいて解体を指揮したのだと説明するユリュさん。シャーレイを食べることはもちろん、目にするのも私たちとの旅が初めてらしかった。


「で、ですが! ヌメラもウルラヌメラも、とっても美味しいんですっ」

「そうなの?」

「はい! ふわふわほくほくの身。噛まなくてもほぐれる歯切れの良さ。ねっとり濃厚なのに、全然くどくない脂……。唯一の難点である小骨も……」

「そうね、解体の時に取り除いたわね」


 身体が大きい分、ヌメラの時は小骨でしかない細く小さな骨も、取り除きやすくなっていた。つまり、今目の前にあるシャーレイの身は、ヌメラの良い所だけを凝縮したものになっているんじゃ……?


「し、死滅神様、は気付いてしまいました。シャーレイは、実は最高の食材になりうるのではないかと」

「……ゴクリ」


 頬を抑えてうっとりとした表情でヌメラの美味しさを語るユリュさんの言葉に、私は口内に溢れた唾を飲み込む。……ま、待つのよスカーレット。魔物化して雑食になった動物たちは、独特の風味を持つことが多い。そうでなくても身体が大きな動物は淡泊な味わい……いわゆる大味になりやすい。シャーレイがその例に漏れないことも、十分に考えられる。


「とりあえず、軽く茹でてから肉質を確かめましょうか」


 メイドさんが、薄く切ったシャーレイの白身を沸騰した鍋に入れていく。キリゲバの時も行なった、肉質の確認作業ね。食感や臭みなんかも同時に確かめていくわ。

 お湯にくぐらせると、お箸の先でくるんと丸くなるシャーレイの身。白身の色もきれいに出ていて、お湯には脂が溶け出していることが分かる。そうして湯通ししたシャーレイの身を小皿に乗せて、香りを嗅ぐメイドさん。彼女に続いて、私も臭いを嗅ぐ。


「臭みは……思っていたほどではないですね?」

「そうね。雨音の階層は水もきれいだったし、シャーレイは内臓も丈夫そうだったわ。だから餌の臭いもそこまで移っていないのだと思う」

「これはユリュのお手柄ですね。内臓を傷つけず、きちんと処理できたことも大きいでしょう」


 なんて言いながら、メイドさんが毒見も兼ねてそのまま一口頬張る。すると、彼女の目が大きく見開かれる。これは、どっちの反応かしら。


「ど、どう、メイドさん? 大丈夫そう? 美味しい?」

「これは……。いえ、少なくとも毒のようなものは無いようですし、食べて頂きましょうか」


 小皿に乗ったシャーレイの身を私、ティティエさんの順に手渡したメイドさん。一体、どんな味なのかしら。ティティエさんと頷き合って、


「「頂きます」」


 頂く命への感謝を述べて……。




 ぱくっ。




 その瞬間、私は最高級のクッションに包まれている自分自身を幻視することになった。


「なにこれ……。ほわっほわの、ふわっふわじゃないっ!」

「んっ! んっ!」


 ティティエさんと2人、目を輝かせてシャーレイの身を味わう。魚が持つ、幾層にも身が重なったようなお肉。そのお肉が、口に入れた瞬間にほどけて、文字通り花開く。そうして1枚1枚に分かれた魚の身の花弁。普通の魚ならしっかりとした噛み応えがあってそれが美味しいのだけど、シャーレイは違う。さっきも言ったように、ほわほわのふわふわ。まるで口の中だけ下に引っ張る力……重力がなくなったみたいに、ほどけた身が踊り狂っている。


「め、メイドさん! もう少し大きい身を頂戴!」

「かしこまりました。……今度はサッと、塩をふりましょう」


 待つこと数十秒。さっきよりも2周りくらい大きな身が、小皿の上で湯気を立てている。待ちきれない私は、メイドさんが塩をふり終えると同時に身を口に運ぶ。そうして私の口の中で再び花開く、シャーレイの身。勝手にほぐれる身が、私の口の中を蹂躙じゅうりんしていく。多分、舌を絡める大人の接吻せっぷんってこんな感じなんじゃないかしら。歯と舌の裏に勝手に入り込んで旨味を塗り付けてくる白身は、極上の脂を染み込ませたブラシのよう。


「部位にもよるのでしょうけれど、香りはさっき言ったようにほとんどしないわね。海水魚だといその香りがするけれど、シャーレイは淡水にすむ魚。その辺りの香りもほとんどしない。白身魚ということで、味はどちらかと言えばさっぱりしている方。恐らく飲み込んだ時にふっと香る香ばしいような香りが、本来の味なのかしら。口に入れた瞬間に解けるのは、身の間にある上質な脂のおかげね。甘みがあって、コク深い。なのに、魚特有の脂だから全っ然くどくないわ。舌の奥で微かに感じる甘味があったのだけど、塩気が良い感じに引き立ててくれるわね。塩焼きなんかはもちろん、ミソとかショーユとか、少し塩辛い調味料とあうんじゃないかしら。あ、けれどあえて甘みのある味付けをしてみるのもいかも。口の中で2種類の甘みが溶け合うことになって、味わいに重厚感が出るんじゃないかしら」

「お嬢様。つまりは?」


 端的に、かつ、私の隣で早くもメイドさんにお代わりをよそってもらっているティティエさんの言葉を借りるなら。


「最高に『んっ!』ねっ」


 その一言に尽きた。

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