○不肖、私。食べられる

「くっぅぅぅ……」


 水しぶきを上げながら疾走する舟の上。振り落とされないようへりに捕まる私の喉から息が漏れる。

 体長30mを越える巨大な魚の魔物シャーレイからの逃走劇は、かなりの時間、続いていた。どれくらいかと言うと、全速力で泳いでいたユリュさんの速度が少しずつ落ち始めるくらい。つまり、シャーレイと再会してから30分近く経ってしまっていた。


「くっ……。前回は振り切れたはずなのですが……。ユリュ! 速度が落ちています! もう少し頑張りなさい!」

「も、もう無理ですー!」


 舟の上、メイドさんからげきが飛ぶけれど、ユリュさんはもう限界みたい。今までどうにか離せていたシャーレイとの距離も、少しずつ、少しずつ、埋まりつつある。そう、シャーレイの泳ぐ速度が、前回会った時よりも上がっていたのだった。


「うん? うーん……?」


 私は、距離が近くなって良く見えるようになったシャーレイの姿に少しだけ違和感を抱く。


「どうかしましたか、お嬢様」

「ねぇ、メイドさん。あのシャーレイ、前見た時よりも小さい……と言うか、せてない?」


 私の指摘に、メイドさんも翡翠色の瞳を細めてシャーレイを観察する。


「なるほど、言われてみればそうですね。あえて腹を空かせることで身体を細くし、水の抵抗を減らしたと考えては?」

「そう、なのかしら……? まぁ、空腹は最高の調味料だものね。あのシャーレイ、よく分かってるじゃない」


 大口を開けながら、餌である私たちめがけて身体をうねらせているシャーレイ。追いつかれるのも時間の問題でしょう。こうなったら、仕方ない。元より相手は魔物だ。例え第2層の生態系を維持している存在だとしても、魔物である以上は、フォルテンシアの敵。


「メイドさん、やるわよ」


 反対側のへりに捕まっていたメイドさんに声をかける。すると、いつものように即答――が返ってくることは無い。ほんの少しだけ間をおいて、意を決したようにうなずいただけだ。


 ――どうしたのかしら……?


 ほんの少し前。第3層について話す時も見せた、ためらうような仕草。正直、とても問い詰めたいところだけど、今はそんな場合じゃない。私は後方に居るシャーレイの様子を伺う。

 距離は、50mくらい。シャーレイは身体を上下にうねらせて追いかけて来ている。水面から顔を出した時が、私たちにとっての好機ね。じりじり詰まる距離の速さからして、多分、30秒もしないうちに追いつかれてしまうでしょう。


 ――私が取ることのできる作戦と言えば……。


 簡単なのは、シャーレイが近づいてきたところで〈瞬歩〉を使って細長い身体の側面に移動。効果範囲に入ったところで〈即死〉を使用する。最悪、丸のみにされても〈即死〉を使うことはできる。問題があるとすれば、シャーレイの知能が高いこと。少なくとも前回、水中に落ちた私が溺れるのを待って襲い掛かってくる程度には、知性がある。さらに言えば、人が少なくなった今を狙って私たちを襲う、そんな計算高さだってある。


「お嬢様。まずはわたくしが参ります。ですが3mはありそうなシャーレイの身体の太さに対して得物は刃渡り30㎝のナイフしかありません。致命傷にはならないでしょう」

「ええ。つまり、あなたが弱らせたところを私が仕留めれば良いのね?」

「お手数をおかけしますが、よろしくお願いします。それと……」


 そこで少しだけ目を伏せたメイドさんだけれど、すぐに顔を上げて私を見た。


「もしわたくしに何かあっても、ひとまずはシャーレイの討伐に注力してください」

「え、それってどういう――」

「ポトトはもとの大きさに戻ってお嬢様を守るように! では!」

『クルルクッ!』


 私が問い返すよりも早く。メイドさんの姿がかき消える。同時にポトトが舟の上で元の大きさに戻って、私の背後に位置を取った。


『キュルゥーーー!!!』


 甲高い音がシャーレイの方から聞こえて来たかと思えば、顔を出していたシャーレイの首元(?)あたりから血が噴き出している。そのそばの空中には〈瞬歩〉で移動したらしいメイドさんが、翡翠色のナイフを持って白金色の髪をなびかせていた。

 驚いたシャーレイが尾ヒレで水を蹴ってメイドさんを攻撃するけれど、その時にはもう、メイドさんの姿は舟の上に戻っている。


「このまま、攻撃と退避を繰り返して消耗させます。可能なら流血で仕留めたいところですが……」


 私の目の前。膝をついて着地したメイドさんが、後方を見遣る。私も彼女に続いてシャーレイの方を見ると……。


「あれ?! どこに行ったの?!」


 シャーレイもまた、姿を消してしまっている。周囲を見回してみれば……居た。さっきまでと変わらず舟の後方に居たけれど、泳ぎ方を変えたのね。身体を横にうねらせて泳ぐことで、水上に身体が出ないようにしている。しかも、そうして泳ぐ方が速度は速いみたい。懸命に泳いでくれているユリュさんよりもさらに速く、舟との距離を詰めてくる。


「今までは獲物を弱らせることに重きを置いて、本気で泳いでいなかったというわけですね……」

「でも、身の危険を感じて全力で襲い掛かって来た、と。……ど、どうしよう、メイドさん?!」


 水を血で赤く染めながら、それでもなおすごい速度で迫って来るシャーレイ。


「落ち着きなさい、レティ。相手が自ら来るというのであれば、それこそあなたの力を使って始末すればいいだけでは無いですか」


 あくまでも優位は自分たちにある。そう余裕を見せるメイドさんの顔が、直後には驚愕に染まる。

 この時、私たちはとある勘違いをしていた。だから、身体の大きさの違いについても「せたからだ」と、安直に結論づけてしまっていた。いいえ、正確には。シャーレイの狡猾こうかつさと執念深さを「所詮は動物だから」とあなどっていたと言うべきでしょう。


『クルッ?!』

「死滅神様、もう1体の敵で……わわっ?!」

「きゃぁっ?!」

「レティ!」


 私たちの足元。舟が下からの衝撃を受けて、大きく跳ねた。もとより中古のボロボロの舟だ。木くずを飛ばしながら舟はあっけなく真っ二つに割れてしまう。そして、その下から舟を破壊した張本人であるもう1体のシャーレイが姿を現す。がっしりとした胴体に、乳白色の身体。大きな口と、つぶらな瞳。それらを見たときに私の直感が教えてくれる。今、空中に居る私たちに向けて大口を開けるこのシャーレイこそが、前回、私たちを襲ったヤツだってことをね。

 私たちは、前回見たシャーレイと、今回、最初に姿を見せたシャーレイが同じ個体だと勘違いしていたのだった。


 ――久しぶりの、やらかしね……。


 もう1匹の泳ぎが早いシャーレイに私たちを追わせて疲弊ひへいさせ、自分は今か今かとその時を待っていたということ。それは私たちがよく行う狩りと同じ思考の方法だ。いつの間にか身についてしまっていた自分たちが狩る側だというそのおごりが、この絶体絶命の危機を作り出したといっても良い。


「レティ、〈瞬歩〉を!」

「ええ、言われなくても!」


 言って姿を消したメイドさんに続いて、私も〈瞬歩〉を使おうと集中する。けれど、その時、見えてしまった。私の下方、よりシャーレイの口に近い位置に、涙目のポトトが居ることを。

 必死で羽をはばたかせて、飛ぼうとしているポトト。だけど、残念ながら彼女ポトトは種として飛ぶことが出来ない。どれだけ足掻いても、ポトトの巨体は下へ下へと……シャーレイの口の中へと落ちて行く。


 ――ごめんなさいね、ポトト……。


 私は心の中で謝りながら〈瞬歩〉を使用する。そして、空中で暴れるポトトの正面に移動して、その柔らかな羽毛に抱き着いた。

 やけにゆっくりに見える世界。


「ごめんなさいね、ポトト。私たちのせいで、あなたの命を縮めてしまったわ」

『クルールッル?!』

「ふふっ、大丈夫。飼い主として、あなたを1人では行かせないから」


 ククルは、賢い子だ。私が何をしに来たのかを、察したのでしょう。羽や足を使って私を引きはがそうとするけれど、身体の正面にいる私には全然届いていない。そうしている間に、私たちはもう既にシャーレイの口の中に居る。

 シャーレイが口を閉めていく過程で、徐々に暗くなっていく世界。ポトトに触れているからもう〈瞬歩〉は使えない。それだけじゃなくて、いま〈即死〉を使うと、ポトトまで殺してしまうかもしれない。だから〈即死〉すらも使えない。……だけど、飲み込まれてから死んでしまうまでにはきっと時間がある。


 ――メイドさん、ユリュさん。後は任せたわ。


「さぁ、ポトト。諦めて、私と一緒に助けを待ちましょう」

『ル ルゥルゥゥゥーーー……』


 悲しそうに鳴いたポトト一緒に、私はシャーレイに飲み込まれるのだった。

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