○旅の話……よね?
「わたし千本木桜は……やっぱり。“死滅神”としてのひぃちゃんと一緒に歩くことは出来ません」
いつもの元気いっぱいの雰囲気は鳴りを潜め、真剣な顔で決別の言葉を口にしたサクラさん。リリフォンで出会ってから、半年以上。私の人生の半分以上を共に過ごしてきた友人との旅も終わる。そう思うと、途端に涙があふれてきた。
「そ、う……。そうよね……」
いつまでも一緒なんて、あり得ない。いつかこうなることなんて、そんなこと、分かっていた。だけど、見ないようにしていた。サクラさんならきっと。そう根拠のない自信を持って、大丈夫だと自分に言い聞かせて、嘘をついてきた。
――だけど、それももうお終いね……。
袖で涙を何度もぬぐうけれど、全然止まらない。
「わたしは、ひぃちゃんと同じ方を見るんじゃなくて、ひぃちゃんを正面から見てたいんだよ。ひぃちゃんがどんな顔をしてて、どんな道を選ぶのか」
「ええ……。ええ……っ」
もう、一緒に歩けない。その事実が重く、私の中にのしかかる。
「だから、ひぃちゃんはこれまで通り、メイドさんと並んで前を見て歩いていて? わたしがひぃちゃんの正面に立って、背後を見て置いてあげるから」
「ぐすっ。は、背後? 正面? 何を言っているのか、分からないわ……?」
「私はひぃちゃんの隣じゃなくて、真正面。特等席から、ひぃちゃんの可愛い顔を見ておくってこと!」
賢いサクラさんと、馬鹿な私。知力が違い過ぎるのか、彼女が言っている意味が全然分からない。
「危なっかしいひぃちゃんが間違えた道に進みそうだったら、前に立つわたしがちゃんと『大丈夫?』って聞いて、止めてあげないといけないもんね?」
「私を、止める……?」
「そう。従者であるメイドさんじゃ、絶対にひぃちゃんを止められない。それは、あの時、暴走するひぃちゃんを気絶させることしか出来なかったことからも分かる。だからわたしが、ひぃちゃんを止める」
そこまで言ったサクラさんが泣いている私の両頬を挟んで、無理矢理目を合わせてくる。
「……魔素の影響が少なくて、だけどある程度スキルのことも分かってて。フォルテンシアで生まれ育ったメイドさんには出来ない、召喚者のわたしにしか出来ない方法で……わたしがひぃちゃんを守るから」
私の
「ぜん、ぜん……意味が、分からない……ぐすっ。私でもわかるように、言ってよぉ……」
「相変わらず上からだなぁ。う~んっと……」
一緒に居られない。そう言いたいのならそう言えばいいのに。いつの間にかサクラさんに抱き着いてしまっている私の腕を、強引に振りほどいてしまえばいいのに。そうじゃないと、馬鹿な私は勘違いしてしまう。弱い私は、期待してしまう。サクラさんの優しさに、甘えてしまう。
でも、自分からは離れられない。サクラさんを、離したくない。1秒でも長くサクラさんの心臓の音を聞きたくて、私は彼女の柔らかな胸に顔をうずめる。
もう何も、聞きたくない。サクラさんの、心地よい拍動だけを聞いていたい。そんな私の願いは、叶わなくて。
「つまり、これまでと一緒ってこと! これからも、こうやって、わたしがひぃちゃんの涙を受け止めてあげる」
簡単な言葉で。自分が言いたいことをまとめたサクラさんが、今一度私を抱きしめてくれる。
「『これからも』、『一緒』……?」
「うん、わたしの渾身の想いが、なんかめっちゃ端的にまとめられたけど、そういうこと!」
「……――っ!」
悲しみから一転、今度は安堵の涙で、私はサクラさんの寝間着を濡らしていく。
よく分からないけれど、一緒に居てくれるのなら、ややこしいことを言わないで欲しい。メイドさんもそうだけど、頭の良い人ってどうしてこう、遠回しな言い方ばかりするのかしら。その度に私は早とちりをして、勘違いをして、1人で勝手に悪い方へ考えてしまう。
――ほんと、馬鹿みたい……っ。
そうして自嘲する私の心を読むように。
「馬鹿だなぁ、ひぃちゃんは」
「ばかじゃ、ないわ!」
「ほら、すぐそやって反対のこと言う。大丈夫じゃないのに、大丈夫って言うもんね? それにすぐ泣く」
「……泣いて、無い!」
「いや、涙も鼻水もずるずるだから。言っとくけど、嬉しい時に『泣いてる』って言う方が良いと思うよ?」
だって、泣いている理由が嬉しいからだって、相手に伝わるもん。そう、サクラさんは私の背中を叩きながら言う。
「少なくとも、悲しいって相手に伝えるより、嬉しいって伝える涙の方が良いって。わたしは思うけどな?」
「……ぐすっ。そ、それは……そうね」
「ふふっ。ひぃちゃんのそういう素直なとこ、わたし大好き!」
この夜を境に、私の中で泣いていることの意味が「悲しいから」では無くて「嬉しいから」に変わった。涙って、不思議。喜びと悲しみ。正反対の2つの感情のどちらでも、流れてしまうんだもの。そうして生まれる「泣く」という行為に、もし、意味があるのだとしたら。サクラさんの言う通り、相手に「嬉しい」「ありがとう」と伝えられた方が素敵だと思う。
「やっぱりサクラさんは、すごいわ」
「でしょ? だからわたしがお姉ちゃん。異論は認めない」
「……今日だけだから」
「うわ、素直に来られるとそれはそれで困る!」
サクラさんの胸に抱かれて目を閉じる。彼女の、咲き誇る花のようにほのかな甘さを持った匂いに、何度わたしは包まれてきただろう。思えば、出会った時。リリフォンを出てすぐの浜辺でも、同じようなやり取りをした気もする。あの時も、今回も、いつだって。サクラさんは真正面から私を抱き止めてくれた。
――そうね。サクラさんはいつも、正面から私を見てくれていたのね。
そう思うと、確かに。さっきサクラさんが言ってくれたことは、これまで彼女がしてくれていたことと変わりない。ただ今日はサクラさんが言葉にして、約束にしてくれただけのこと。私を安心させるためだけに、
そう思うと、無性に、サクラさんが恋しくなった。
「ねぇ、ひぃちゃん」
「……なに?」
「これから、どうしよっか?」
問いかける声は、優しく、
――なるほど。だから人は、愛しい相手に、
今なら少しだけ、いつも口づけをねだって来るリアさんの気持ちが分かる気がした。だけど、「これからどうしよう」というその言葉の意味を別の意味としてとらえるには、自分なんかは不釣り合いだと思える程度には、私は冷静で。
「旅の話、よね? そうね……」
目覚めてからずっと感じている、深い後悔の余韻。私の記憶にない“私”が抱いた、何かをやり残したという感情。休眠状態になる前に感じただろうその悔しさの理由を私は知らないけれど、悔いのある死を迎えたくはない。でもきっと、私に残されている時間で全てのやりたいことを叶えることはできない。特に「立派な死滅神になる」なんて曖昧な目標、達成できるとは思えない。
――そもそも納得できる死はあっても、後悔のない死なんて、無いんじゃない?
だったら、死んでしまうその時に納得できるように、優先順位をつけないと。考えて最初ひらめいたのは、後任の死滅神のために失敗を積むこと、じゃない。サクラさんの顔だ。彼女をチキュウに帰すこと。それが、私が今一番したいこと……だと思う。
だったら、転移陣が修復できた今、私が行くべき大陸は、召喚者とその子孫が住まう場所――
「――ナグウェ大陸に、行きましょうか」
きっと彼らの先祖には、チキュウに帰った人の1人や2人、居るに違いないもの。彼らの話を参考にしながら、サクラさんをチキュウ返す方法を探しましょう。
「……。……そう、旅の話。うん、分かった」
「サクラさんも一緒……よね?」
「今日はやけに甘えん坊さんだなぁ。……そんな可愛い妹、お姉ちゃんが食べちゃうぞ?」
「ふふっ、サクラさん、くすぐったいわ!」
その後すぐに、私は疲労と泣き疲れたのですぐに眠ってしまう。
「おやすみ、なさい、サクラさん……。大、好き」
「うん、おやすみ、ひぃちゃん」
サクラさんの心地よい体温、優しい言葉、安心する匂いに包まれて、私は意識を手放す。
「ごめんね、ひぃちゃん。そんなこと言われちゃうと、やっぱりわたし、戻れないよ……」
そんなサクラさん言葉が、聞こえた気がした。
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