○side:I ウルセウにて

白鯨はくげいが航路上に居座っていて貿易船が行き来できないため、追い払って欲しい』


 そんな依頼がお父様……ウル王国から冒険者ギルドに来ていると知ったのは、公務を終えた私、アイリス・ミュゼア・ウルが久しぶりにギルド職員として出勤したその日のことだった。


「また?」


 というのが、私の正直な感想だ。

 実は、白鯨が船の航路に立ち往生するというのは建国以来よくあることだった。確か4年ほど前、私がギルド職員としてまだまだ未熟だった頃にも1度、同様のことがあったはず。そんなことを思い出しながら、私はウルセウの冒険者ギルド3階にある会議室の扉を開けた。


「おはようございまーす!」


 並べられた長机にはもう既に、30人近いギルド職員が着席している。みんな私を見て目礼はしてくれるけど、城に居る人たちのように仰々しい挨拶はしてこない。自分がきちんと、いち職員として扱われていることに少し口を緩ませつつ、私は親しい同僚の隣の席に腰を下ろした。


「おはよう、リズ」


 私が声をかけたのは、同期でギルド職員になった森人族の女性リーゼフィア。うなじを隠すくらいの明るい金色の髪と森の木々のような深い緑色の瞳をしている。背も私より高くて180㎝弱。均整の取れた体つきも含め、同性の私から見ても魅力的な女性だった。

 私の挨拶に気付いて、配られていた資料から目を外したリズが、私を見る。


「おや、誰かと思えばアイリス様じゃないか。随分ゆっくりな出勤だったな?」

「もうっ『様』はやめてよ。私とあなたの仲じゃない」

「あはは! 済まない、怒っている君が見たくてつい、な?」


 あっけらかんと笑う、リズ。人族の中でも長生きな方である彼女も、見た目からは想像できないほど長く生きていることを私は知っている。なんと言っても彼女は、


「私が昨日、公務から帰って来たばかりってこと、ハルトから聞いてるんじゃない?」

「もちろん。ワタシの旦那様は、生真面目だからな」


 私が公務でよく使用する飛空艇ミュゼアの船長である森人族の男性――ハルトの奥さんだからだ。幼いころからたびたびハルトはリズのことを口にしていたから、ギルドで初めて会った時も、他人の気がしなかった。


「それで? アイリスの方はいい旦那さんを見つけられたのかい?」

「うーん……。それは、まぁ? 印象のいい人は1人だけ居たんだけど……」


 年末年始。スカーレットちゃん達と過ごした後に私を待っていたのは、いわゆるお見合い巡りだった。こういうのが嫌でギルド職員になったんだけど、さすがに1か月間公務を放ったらかしにしていたから行くべきかな。なんて思ったのが間違いだった。

 まずは、ジィエル。その後は北方のファウラル。砂漠を見ながら東方に移動してさらに3か国。合計2か月近くカルドス大陸を巡ったかと思えば、今度はアクシア大陸南西部にあるナグウェ大陸へ移動して、4か国。さらに進路を北にとって魔族が多いタントヘ大陸の様子を見に行った。


「そして、ようやく半年ぶりにウルセウに帰って来てみれば、白鯨騒ぎ……と。王女様は大変だな?」

「さすがにちょっと疲れたわ。まさか1か月の我がままの代償が半年間のお見合いと、お偉いさんの接待だなんて……」

「聞くに余る多忙な日々を『ちょっと疲れた』で済ませる辺り。やっぱり、アイリスはアイリスだな」


 なんてリズと話をしながらも、私は4年前に白鯨が居座った時の資料を見返す。複数人と話しながら資料を読むくらいできないと、王女としてはやっていられなかった。


「前は確か……そうそう。結局討伐しちゃったんだったよね?」

「そうだな。確か、つの族の夫婦がたまたま通りかかって倒してしまったんだったか。確か、タスティニアさんと、ハロさんだったか」

「ええ、思い出したわ。結局、報酬も受け取らずにどこかに行ったんだった」


 前回は超人的な力を持つ角族の人たちが「腕試しだ」と白鯨を退治してしまったことを思い出す。


「だけど、今回はそうもいかないでしょうし。何より、船の航路から退いてもらうことさえ出来れば良いんだもの。殺してしまう必要はないわよね?」

「まぁ、育児で気が立っているだけの母親鯨のようだから、可能かもしれないが……。どうだろうね」


 白鯨は、基本的に温厚な性格をしている。人懐っこさも、難破した船の乗組員を背中に乗せて浜まで送った話をよく聞くことからも伺えた。友好的な動物を、わざわざ殺す必要はない、というのが私の想いだったんだけど。

 2時間後。


「では、討伐の方向で。職員各位は担当冒険者の中でも高レベルの者に依頼の受注を打診してくれ」


 ウルセウの冒険者ギルドのおさである、丸耳族の男性ロードさんによって、討伐の方針に決まってしまった。

 理由は主に、財政面だ。白鯨のせいで、もう既に1週間ほど貿易が滞ってしまっている。これから冒険者を募って解決するにも、最低でも1週間はかかってしまう。その間経済が止まってしまうのだ。そうして発生する財政的な損失を白鯨から採取できる貴重な素材でまかなう、というのが冒険者ギルドと王国の方針らしかった。

 理解はできるけど、納得は出来ない。というのが、私の正直な感想だ。会議が終わって、各々が自分の持ち場へと帰っていく中。もやもやしたものを抱える私は、なかなか会議室の椅子から立ち上がれない。


「〈意思疎通〉とか〈言語理解〉とかでどうにかできないのかな……?」


 やるせなさ半分、愚痴が半分程度の疑問を、同期でありながら年長者でもある森人族のリズに聞いてみる。


「動物との対話ってことかい、アイリス?」

「そういうことになる……と思うわ」

「まぁ、出来なくはないだろう。だが、まず、白鯨に近づくことが難しい。もし〈瞬歩〉なんかで比較的安全に近づけるとしても、その人が〈意思疎通〉と〈言語理解〉の両方を持ってなければならない」


 気が立っている白鯨は、船が近づくだけでも攻撃してくる。その巨体から繰り出される突進や尾びれの攻撃は、1撃で人が死んでしまう威力だ。そのため、今回のように遠距離からの砲撃などで手傷を負わせて、出血などで弱らせて倒してしまうことが多い。

 その場合に心配になるのが、子供の白鯨だ。白鯨は、海洋生物屈指の知能を持つ。ともすれば、人族の子供よりは賢いのではないかと言われるほどだ。そんな白鯨が、目の前で人族に母親が殺される姿を目にすれば、人族に敵対心を抱くなという方が難しいだろう。


「だから、子供も一緒に殺してしまうことが多い。今回もきっと、そうなるだろうね」


 白鯨を待ち受ける救いのない未来に、私は閉口することしか出来ない。過去の事例を見ても、ほとんど子供も一緒に殺してしまっている。そうでなくても、生まれたばかりで泳ぎ方も知らない子供が母親無しに広い海を生きていけるはずもない。


「本当は、自由に子育てさせてあげたいんだけどな……。国としては一刻も早く貿易できるようにしないとだし……」

「王女様は考えることが多くて大変だな」

「もう……。他人事みたいに言わないでよ」


 潮の流れや他の危険な海洋生物の生息域などを考えて、航路の方を変えられないのも辛い。

 4年前のように、白鯨に肉弾戦を挑んで上下関係を分からせることが出来る、角族の人が居れば話は別なんだけど、彼らに出会えるのは10年に1度あるかないかとも言われる話。それくらいに、種としての人口が少ない。


「アイリスが担当している冒険者に居ないのかい? 長距離の移動スキルと〈言語理解〉〈意思疎通〉……他にも〈念話〉があるか。そういう、対話系のスキルを持つ冒険者は」

「うーん……」


 担当している子たちのレベルやスキルはきちんと把握しているつもりだ。そのうえで断言できるのは、私の知る冒険者にそんな都合のいい子が居ないこと。そもそも移動系スキルと対話・交渉系スキルの両方を自然に獲得できる“職業ジョブ”はかなり限られている。しかも、そんな使い勝手のいいスキルを持つ人は、わざわざ冒険者にならなくても十分な収入を得られる。


「白鯨を苦しませずに殺せるスカーレットちゃんも、今どこに居るか分からないし……」


 半年前に別れて以来、音信不通と言っても良い状態のスカーレットちゃん達。そろそろ私の方から手紙を書いてみようか、なんて現実逃避気味に考えていた時だった。


「アイリスー。お客さんが来てるよー? しかも、結構切羽詰まってる感じっぽい」


 先輩の垂耳たれみみ族の女性が、私への来客を教えてくれる。昨日帰って来たばかりだから、担当の子たちは私が帰って来てるって知らないはずだけど……。


「えっと、何て名前の冒険者さんですか?」

「センボンギサクラさん。多分、召喚者の子じゃないかな?」

「サクラちゃん? あの子が、どうして……。もしかしてスカーレットちゃんが来てるとか――」


 と、この時。私は遅ればせながらに、気付く。私の知るには、都合のいい人材は居ない。だけど、私の知り合いの中になら、うってつけの人が居るわ。問題は、物事の優先順位がはっきりしているあの人をどう説得するかだけど……。

 私は軽くなった腰を持ち上げて、会議室に置かれた硬い椅子から立ち上がる。


「リズ……。白鯨、どうにかできるかもしれないわ」

「そうか。でもアイリス。ワタシは、同僚が何か良からぬことを企んでいそうだということをうっかり漏らしてしまうかもしれないよ?」


 にやりと笑って、リズが私を見る。やっぱり、長く生きてきている森人族というだけあって彼女は老獪ろうかいだ。普段は頼りになるけど、こういう時は厄介極まりない。


「……受付係アイリスへの貸し1つでどう?」

「王女としてのアイリスでは無いのかい? うちの旦那様を半年間もこき使っておいて?」

「その文句は王女の私では無く、国王のお父様に言って。それで、どうするの?」


 自身は会議室の椅子に座ったまま、深緑の瞳で私を見上げるリズ。これ以上吹っ掛けてくるなら、それこそ私をなんやかんやで甘やかしてくれるハルトに頼むしか道が無くなるんだけど。


「いいだろう。今度、ワタシが迷宮の地図作成業務になった時、受付業務と代わってくれ」

「うっ……。あれ、実質1週間拘束されるのよね……。でも、ええ、分かりました。受付係アイリス・ミュゼア・ウルの名に置いて、約束いたします」

「契約成立だ。……頑張れ、アイリス」


 抜け目のない同僚に苦笑しつつも、私は会議室を後にしてサクラちゃんのもとへと向かう。

 国を思うなら、白鯨の親子を殺してしまうのが正解だろう。でも、今の私はアイリス・ミュゼア・ウルというただの受付係でしかない。……それに、お見合いで20代の貴重な半年間を奪ったお父様たちへの意趣返しもしたい。


「サクラちゃんが来ているなら、スカーレットちゃんも居るはず。となると、あの人――メイドさんも居るわよね? まずは彼女が求めている物を探らなくちゃ」


 相手が求めている物を報酬にして依頼を受けてもらうというのが、冒険者ギルドの常識だ。こう見えても、公務のせいで給料を使う機会が少ないから、預金はある。ある程度のお願いは聞けるはずだわ。最悪、スカーレットちゃんを情でほだしてでも、メイドさんにお願いを聞いてもらおう。その場合は、後できちんとお詫びをして、最近城内で噂のケーキ屋さんを紹介しよう。


「勝負どころよ、受付係アイリス!」


 拳を握りしめて交渉の場へと向かう私の背後で、


「本当に、自由気ままな王女様だ」


 ため息と共に吐き出されたリズの声が聞こえた気がした。

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