○『お風呂に浸かるおじさん』
小一時間イーラの町を見て回って、私には少し気になっていたことがあった。その気付きは、メイドさんに連れられた民家に入ったことで確信に変わる。というのも……。
家主である短身族の女性ヘィリさんに案内された4人掛けの食卓に、私、メイドさん、サクラさんの3人で座る。
「少し
「ねぇ、メイドさん。ここは、お店では無いのよね?」
「はい。お店ではありません。お金の支払いなども、必要ありません」
「……そうよね。私、ちょっと気になっていたんだけど。もしかしてイーラの町って、いわゆるお店って言うものは無いんじゃない?」
そう。私がイーラの町を散策して気付いたこと。それは、出店だったり、看板だったり。何かを売ってお金を貰う所――お店が無いことだった。だからかもしれないけど、イーラの町で抱く印象は日常の音が
――それに、住民たちの雰囲気が、どこかの町に似ているのよね……。
どこだったのか
「お嬢様の
完全な自給自足の生活が成立しているため、お金が必要になる場面もほとんど無いとか。
「イーラの何とも言えないのんびりさってそれが原因なんだ~」
ヘィリさんに出された甘みの強い紅茶を飲みながら、サクラさんが
「人々は謙虚で、自給自足の生活。外の世界とはまるで隔絶されたような町。なるほど、まさに“楽園”という言葉がピッタリね……」
「んふ♪ ある意味で完成された町がここ、イーラなのです。他の神々の町でも、ここまで完成された町はありません」
どこか自慢げに、故郷について語ったメイドさん。だけど、研究が好きな彼女だもの。
「……半面、どこまでも停滞した町とも言えるのですが」
少し声の調子を落として苦笑するのも、分からなくもない。人々が欲を持たなければ、文明が進歩することは無い。この町は、外の世界から取り残された町、とも呼べそうね。……私は、いつ帰って来ても変わらない町の方が好きだけど。
「さて。そんなイーラの町の特産品は何だと思われますか、お嬢様?」
「特産品……」
一般的なところでは、やっぱり“どんな所でも育つ!”が売りの
つまり何が言いたいかと言うと、日照時間が安定しないから作物が育ちにくいってことね。そんな場所でも育つ作物は、芋意外に考えられない!
「ガラ芋ね?」
「んふふ♪ 素直かつ安直なお嬢様らしいお答えです」
「ねぇ、メイドさん。安直って言わなくても良くなかった。ねぇ、素直って褒めるだけで良くなかった?!」
「ですが残念、少し違います。確かに芋類はこの辺りの主食ではありますが、特産品ではありません」
こ、このメイド。主人の言葉を無視したわ?! 何事も無かったかのように、メイドさんは説明を続ける。
「イーラの特産品。それは、魔物化した花『スィーリエ』です」
魔物化した植物、ということね。サラダでおなじみの魔物化した葉野菜パリの仲間とも言えそうだわ。土壌に含まれる魔素を一定以上吸い上げると、植物も〈ステータス〉を持つようになることがある。それがいわゆる、植物の魔物化ね。
対して動物は魔石を飲み込んでしまったり、魔物化した植物をたくさん食べて体内に魔石が出来てしまったりすることで魔物になってしまうわ。これまでの私たちの旅だと、メリが魔物化したアートード、魚が魔物化したアルウェントなんかが魔物化した動物になる。
「魔物化した花……。どんな見た目なんだろう?」
「スィーリエ。どんな味と食感がするのかしら?」
サクラさんがスィーリエの姿かたちを想像する横で、私は道の食材に想いを馳せる。と、まるでその
「
「わー! 楽しみね……ん? 姿焼き?」
姿焼き。植物に使うには、ちょっと変な単語じゃないかしら。私が疑問を抱いている間に、スィーリエの姿焼きが卓上に置かれる。
白い皿の上には、項垂れてシワシワになった茶色いスィーリエと思われる野菜が置かれている。頭から2つの葉っぱが生えているから、わたし達が食べるのは根、もしくは
「ひ、ひぃちゃん。これ……。お湯につかってるおじさん、だよね?」
「え、ええ。茶色いお風呂に浸かる、干からびた小さなおじさんね」
少し
「安心してください、お嬢様、サクラ様。人のような形をしていますが、人ではありません。身体に見える部分が茎で、手足に見える部分が根ですね。地面から抜くと、頭から生えている大きな葉っぱで飛ぼうとする。しかし、体が重くて飛べない。そんな可哀そうな植物なのです」
「おぉう……。残念過ぎる生態……。でも一生懸命葉っぱをパタパタしてるって思うと可愛いかも」
「そして、飛べないと分かって不貞腐れ、やさぐれて座り込みを続けた結果、地面と接するお尻から栄養を得て花を咲かせる、ように見える。そんな魔物です」
「な、なんというか、報われない魔物ね……」
少し曲がったように見える背中が、
「どぞ、
「「い、頂きます……」」
なぜかしら。ナイフを手に、いざ切り分けようにも罪悪感みたいなものがある。サクラさんも同じみたいで、ナイフとフォークを手にしたまま固まっている。
「
なかなか手を付けない私たちを不思議に思ったヘィリさんが、不安そうにしている。……そうよね。せっかく作ってくれて、温かい状態で出してくれたんだもの。最高の状態で頂くというのが、作った人と食材に対する礼儀というものよね。
「サクラさん、私、行くわ!」
「待って、ひぃちゃん。わたしも勇気出す。……2人で一緒に行こ?」
覚悟を決めたらしいサクラさんと一緒に、スィーリエを一口大に切り分けて行く。不思議なもので、切り分けてしまえば、ただの煮込んだ美味しそうな野菜にしか見えない。だから遠慮なく、茶色いスィーリエの破片にフォークを差して、一口。
「なに、これ……?!」
食感は根菜に近い。こりこり、シャクシャクとした触感で口の中をくすぐって来る。面白いのは、最初に噛もうとした瞬間、まるで水を吸い込んだクッションみたいに、ため込んでいた甘辛のタレを一気に染み出させることね。さっきのシワシワの姿からは想像できないみずみずしさが、口内で踊る。
そうしてタレの温泉を吐き出した後に待っているのは、スィーリエ自身が持つさっぱりとした甘さ。一口大のかけらから染み出したとは思えない
「そう。あなたは
「ひぃちゃんが意味わかんないこと言ってるのはいつものこととして……。大根とかかんぴょうとも違うんだよね。なんだろ、新食感だ」
「死滅神様
まだ朝食からあまり時間が経っていないというのに、私もサクラさんも「お風呂に浸かったおじさん」ことスィーリエの姿焼きを余すことなく食べ尽くしてしまうのだった。
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