○それが私の“全て”なのに!

 最初に10分お風呂に浸かって。そこから私たちは5人1人+3体+1匹で蒸し風呂を堪能していた。その間にリアさんの口によって淡々と語られた私とリアさんの浮遊島生活は、かなり過酷なものだった。話を聞いていて、断片的な記憶が蘇ってくる。だけどその記憶も、話を聞いた私が知らない間に勝手に作り上げたものだと言われても、不思議では無かった。

 とにかく、リアさんの話を聞き終えた今、言えることは、


「私もリアさんも、よく1か月も生きていられたわね……」


 その一言に尽きるんじゃないかしら。いきなり極寒の浮遊島に放り出されて、よーいドンで生活を始めて。1か月も生活できただなんて、信じられない。他にも、リアさんが動物と話せたということには驚いたわ。おかげで食べ物を探し出せた私たちは、生き残ることが出来たわけね。


 ――でも、話を聞いて思い出す限りだと私の方は何もしていないのよね。


 まぁ、当然だわ。私が持っているスキルの中に、探索に役に立つ物なんてない。生き残りをかけた極限生活で私にできることなんて、無いに等しいでしょう。

 そもそもの話。不思議だったのは、私が1か月も生き残ろうとしていたことね。自分の非力さは、何よりも私が知っている。生き残っても何もできないくせに、1か月も“死滅神”の役割を放置することになる選択をした理由が私には分からない。……自分のことなのにね。

 私の知る私なら、役目を果たせないと分かった瞬間、自害すると思う。だってそれが、フォルテンシアのためになるから。鉄の蛇が居た迷宮を出る時に、メイドさんとそんな話をしたように思う。


「私、どうして自害しなかったのかしら? もし勇気が無かったのだとしたら、情けな――」

「ひぃちゃん。自殺するなんて、言わないで」


 決して大きな声で言ったわけでもないのに、サクラさんが私の呟きを拾った。蒸気が満たす小さな部屋。少し離れた場所に座っているサクラさんの表情は見えない。だけどその声には、静かな怒りがにじんでいた。

 でも、実はこの話はもう、これまで何度も繰り返している。


「サクラさん。またそれを言うの? 何度も言うけれど、私なんかよりフォルテンシア全員の命の方が大切なの」

「ひぃちゃんこそ。なんで命を大切にするって言いながら、自分の命を大切にしないの?」

「違うわ。フォルテンシア全ての命を思うからこそ、私なんかの命にこだわる必要はない」

「自分のことを大切にできない人は、他人を大切にできない。地球じゃ常識だよ?」

「地球では、でしょう? ここはフォルテンシア。全員に“職業ジョブ”という使命があって、みんなが“職業”に誇りと生きがいを持っている。職業を果たすことこそ、至上命題なの」


 地球生まれのサクラさんと、フォルテンシア生まれの私。どこまでも相いれない、平行線のやり取りだ。サクラさんもそれを分かっているからこそ、これ以上言及してくることは無かったのだと思う。


「ひぃちゃんが死んじゃったら、わたし、泣くよ? それに、ずっと一緒に居るって約束したじゃん……っ」


 小さく、震えた声で、サクラさんが言う。これくらいの食い下がりは、これまでもあった。だから私もこれまで通り、謝罪と説得を試みる。


「そ、それは、申し訳ないとは思うけれど……。でも、私には“死滅神”としての使命があるの。その使命を果たさないと、私が私じゃなくなってしま――」

「使命なんかどうでもいい!」


 私の言葉を遮って、声を荒らげたサクラさん。彼女がこの話でここまで感情的になるのは、初めてのことだった。


「わたしは、ひぃちゃんに、生きててほしいの……っ!」


 駄々をこねる子供のように、身勝手な自分の願いを言葉にする。私を思っての言葉なのでしょう。だけど、私は彼女が言った言葉を流すわけにはいかなかった。


「使命が、どうでもいいですって……?」

「お嬢様。サクラ様も、少し落ち着いて――」


 メイドさんが仲裁をしてくれようとしてくれるけれど、ごめんなさい。こればかりは、譲れない。


「サクラさんと違って、家族も家も。何も持たずに生まれた私には、“死滅神”という職業しかないの!」


 私にとって“死滅神”は、生きがいだ。生きる理由で、存在理由でもある。なのにサクラさんは、私の存在理由をどうでも良いことだと否定した。こみ上げてくる激情が、湯浴み着を握った私の拳を震わせる。それでもこらえきれない怒りが、つい、言葉になって出てしまった。


「私から生きる意味を……理由を奪わないで! サクラさんのあんぽんたん! 行くわよ、ポトト!」

『クルッ?!』


 私は、薄っすらと足元に見えていたポトトが入っている桶をひっつかんで、蒸し風呂から出る。


 ――折角、会えて嬉しかったのに……っ!


「あ、こら、待て、ひぃちゃん! まだ話は終わってない! それに『あんぽんたん』って何――」


 分からず屋さんなサクラさんのことは放っておいて、私は露天風呂を堪能することにする。屋内から続く窓を開けると、火の季節とは思えない冷気が一気に押し寄せて来た。

 寒さで、ポトトと2人、身を震わせながらかけ湯をして、丸い浴槽に身を浸らせる。


「何よ。いつもいつも『死なないで』なんて。私の命なんかより、数億あるフォルテンシアの命の方が大切なことなんて、明白なのに。ねっ、ポトト!」

『ル ルルゥ……』


 ポトトの桶にお湯を入れてあげながら愚痴を漏らす私を、ポトトが困ったように見上げている。……同意してくれないのね。ま、いいわ。


「ふぅぅぅ……」


 怒りとため息を吐き出しながら、屋内にあるお風呂よりも深めに造られた湯船の壁に背を預ける。すると、気持ちがスッと落ち着いたのが分かる。一度「うーん」と伸びをした後、ふと見上げた先にあったのは、


「きれい……」


 遮るもののない、満天の星空だ。普段見えない小さな星まで見えるのは、邸宅が高台にあるから? それとも、イーラの町が暗いからかしら。

 少し前まで、私はリアさんと一緒に浮遊島に居たらしい。ということは、もっと星に近い場所で、もっと暗い場所で、星を見ていたのかも知れない。あるいは、生きることに一杯一杯で、空を見上げる余裕なんてなかったのかも。

湯船に浸かる身体と違って、夜風に当たって冷えていく頭。冷静さを取り戻した私の心は、


 ――やって、しまったわ……。


 勢いのまま乱暴に言葉をぶつけた挙句、逃げてしまった後悔で一杯になる。


「ど、どうしよう、ポトト……。私、サクラさんに嫌われたかもしれないわ……!」


 お風呂に浮かぶ桶の上でまったりくつろいでいたポトトに、聞いてみる。……いいえ、分かっているの。何よりもまずは謝らないといけないってことは。ただ、私の中にある臆病さが、サクラさんに嫌われることへの恐怖を倍増させている。おかげですぐに謝りに行く勇気が出ない。


「うぅ……。サクラさんは私を思って言ってくれてるのに。私はまた、自分だけのことばかり……」


 ポトトが乗った桶に向かって、私が懺悔ざんげしていた時だった。


「そうして悔やまれるくらいなら、最初から言わなければよいものを」


 メイドさんが、屋内に続く扉から姿を現す。とっさに湯船に隠れてサクラさんを探すけれど、メイドさん以外に人影はない。どうやら、気を遣ったメイドさんが1人で私の様子を見に来てくれたみたいだった。


「失礼いたします」


 かけ湯をした後、湯船に入ってきたメイドさんが私の隣に座る。「はふぅ」と可愛らしく息を漏らした彼女はそのまま、私と同じで星空を見上げた。


「め、メイドさん。サクラさん、怒っていた……わよね?」


 恐る恐る聞いてみると、メイドさんは満面の笑顔で。


「はい。それはもう。頑固者のお嬢様に、怒り心頭のご様子でした♪」


 と、サクラさんの様子を教えてくれる。……やっぱりそうよね。


「うぅ……。どうしよう、メイドさん。絶対に、嫌われたわ……」

「んふ♪ 本音を言い合ってこそ深まる中もあるというものです。それに、どうでしょうか。サクラ様があの程度のことで、お嬢様を嫌いになられるとは思いません」


 私を安心させるためか、メイドさんは確信じみた口調で言って笑う。


「あの程度って……。私、結構ひどいことを言ってしまったわ?」


 ついつい感情が先行して行動しがちな自分が、つくづく嫌になる。顔半分をお風呂に沈めた私を、メイドさんは翡翠の瞳で見下ろして。


「そう思っておられるのであれば、大丈夫でしょう。あとは……謝るしかありませんね?」


 手で自分の方にお湯をかけながら、何の気なしに言ってくる。そんなこと、言われなくても分かっている。だけどやっぱり、少しだけ怖いじゃない。もし謝りに行って、


『ひぃちゃんなんて、知らない。バイバイ』


 なんて言われた日には、3日は寝込んでしまう自信がある。立ち直るにも1週間……それ以上かかるかもしれないわ。それで、立ち直ってもう一度サクラさんと仲良くなるまではずっと疎遠ということになる。

 そんな、この世の終わりとも思える絶望的な未来に震えながらも、未だに勇気を出せない私を見透かすように。


「では、お嬢様が勇気を出されるまでの時間。話の続きをしましょうか」

「話の、続き……?」

「はい。お嬢様とリアが居なくなられてからの、わたくしたちの話です」


 そう言ったメイドさんはきれいな瞳をまぶたで隠して、どこか懐かしむように直近1か月の出来事を語り始めた。

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