○殺すことが、正解だった

 目が覚める。宿フィンデリィの白い天井を見上げる。普段と違ってスッキリとした目覚めだ。そして、昨日のこと――魔素酔いしたことを思い出す。布団を頭からかぶる。枕に顔をうずめる。最後に私は、


「~~~~~~~っ!」


 叫んだ。それはもう全力で、叫んだ。……何が「さくらはん」よ?! 何が「謝れ!」よ?! な、に、が「らぁい好き」よ?! 吐くのは吐くのでみっともないけれど、泥酔するのもそれと同じ……いいえ、それ以上に恥ずかしいじゃない!

 しかも、結局ルゥちゃんのお使いを果たせなかった。いい大人が何をやっているのかしら


「~~~~~~~っ! ~~~~~~~っ!」

「お嬢様。朝から騒がしいですよ?」


 隠れみのにしていた布団を引っぺがされて、寝間着姿で髪も乱れた無防備な私が露出する。枕から顔を離して恐る恐る見上げると、とてもいい笑顔をしたメイドさんが居る。


「め、メイドさん……。お、おはよう?」

「ご機嫌よう、お嬢様? 昨日はまぁ随分と、羽目を外されたようですね?」


 笑顔だけど、怒っている。昨日も怒られた気がするけれど、まだメイドさんの怒りは収まっていないみたいだった。


「そうして顔も耳も真っ赤にして悶えるくらいならば、もう二度と、食べ過ぎないように。反省してください」

「うぅ……。だ、だけどメイドさん。おかげでケーキは23切れで魔素酔いになることが分かったわ。だったら22切れまでなら――」

「お嬢様?」

「――ごめんなさい反省するわ」


 いつの間にか正座をしていた私はそのまま、深々と頭を下げる。そんな私の謝罪に、メイドさんはため息をついた後、腕を組んで私を見下ろす。


「食べ物に罪はありません。別にお嬢様が食べ過ぎて吐こうと、酔っぱらおうと、問題も無いのです。ただ2点。死滅神及びレディとしての品格。そして、他者へ迷惑をかけないこと。それらをお忘れなきよう」

「……はい」


 至極、正論だった。特に他人に迷惑をかけた点に関してはショウマさん含め、きちんと全員に謝らないとね。今日はお礼参りじゃなくて、お詫び参りになりそう。顔を合わせるの、恥ずかしくて死にそうだけれど。


「ケーキの食べ過ぎを注意した後に、ケーキを出すのはためらわれますが……」

「ん? 何か言った、メイドさん?」

「いえ。それよりお嬢様。まずは御髪おぐしを整えましょう。今日の朝食当番はリアなので、朝食までもう少しあると思われます」


 今日は週に1回のリアさんがご飯を作る日だ。彼女が作る料理は分量、時間、手順、全てが完璧なのに、なぜかメイドさんとサクラさんが作る料理と比べると味気ない。本人もそれを気にしているみたいで、私たちが料理をするさまをジッと見つめていることも多かった。

 負けず嫌いと言うよりは、きちんと奉仕できていないことに対する恐怖心の方が強そうね。案外、リアさんの成長を促すなら『まだまだね』なんて言う方が良いのかも、なんて思っていたら。


「死滅神としても大人の女性としても、お嬢様はまだまだですね?」


 私の髪をくしでかしながら、メイドさんが呆れたように言って来る。……案外、リアさんよりも私の方が成長しないといけないのかもしれない。


「んへぇ……。ひぃちゃんも、まだまだだなぁ……」


 サクラさんに寝言でまで言われるなんて。人さまに迷惑をかけた以上、少なくとも食習慣については考え直すべきでしょう。ケーキの食べ放題を経て、私は手痛い教訓を得た気がした。




 その日の夜。宿フィンデリィに戻った私は、よろよろと寝室の扉を開いた。


「も、戻ったわ……」

「お帰りなさいませ、お嬢様。いつも以上にお疲れのようですね?」

「そうね。疲れもそうだけど、恥ずかしさで死ぬかと思ったわ」


 お詫び参りも兼ねて、今日は全力で町を駆け回って飛び回った。サハブさんには会えなかったけれど、ルゥちゃんさんも、ショウマさんも、


『うふふ、大丈夫よ。勇者様に誘拐されたんじゃあ、仕方ないわよね? 何より、スカーレットちゃんだもの』

『気にしないでくれ。というより、そうか。スカーレットちゃんはホムンクルスだったのか……。道理で見た目のわりに危なっかしいわけだ。いや、ある意味では見た目通りか?』


 そんなふうに快く(?)許してくれた。それでも何か目に見える形で。そう言った私に、ルゥちゃんさんはお仕事を頑張ることで。ショウマさんはお昼ご飯を一緒に食べることでお詫びと罰としてくれた。2人の優しさには感謝ね。


「それにしても……。クンクン……。メイドさん、お菓子を作った? ほんの少しだけ甘い香りがするけれど」


 ひょっとして、食後のデザートがあるのかも。期待の眼差しを向ける私に、メイドさんはいつも通りの笑顔で答える。


「はて、何のことでしょう?」

「別にとぼけないくても良いじゃない。やましいことは無いんでしょう?」


 メイドさんの服を嗅いでみると、やっぱり。服の洗剤とメイドさんの香りであるお日様の匂いの奥に、お菓子の匂いがする。これは……お砂糖と牛乳、卵かしら。


「なんか、浮気を問い詰める奥さんみたいになってるよ、ひぃちゃん」

「あら、お帰りなさい、サクラさん、リアさん、ポトト。どこに行っていたの?」


 メイドさんの服を嗅いでいると、部屋のドアを開けて3人が帰って来た。


「ちょっと追加の買い出しにね~。それより、なるほど」


 持っていた袋を机に置いたサクラさんが私の所に寄って来て、私の体臭を嗅ぎ始めた。


「ちょ、サクラさん?!」

「ふんふん。やっぱり。久々にちょっと汗くちゃいよ、ひぃちゃん。お風呂にでも行って来たら?」

「なっ?! 嘘でしょ?!」


 これでも以来、体臭にはかなり気を遣っている私。服の中や脇、髪を臭ってみたけれど分からない。でも、自分の体臭は自分では分からないと聞いた。


「嘘じゃないよ。なんだろ、ひぃちゃん自体はどちらかと言うと赤ちゃんみたいなふわっとした体臭なんだけど、そこにアンモニア臭と言うか、汗が乾いた時の『あ、頑張ったんだなぁ』って臭いがする感じで――」

「疑ってごめんなさいだから解説しないで?! 誰か一緒にお風呂に行きましょう! 今、すぐにっ!」

「では、フリステリアが一緒に行きます。汗で汚れたスカーレット様の身体を、きれいにします」

「やめてリアさん、無自覚に攻撃しないで!」


 メイドさんが用意してくれていた私用とリアさん用のお風呂セットを持って、私とリアさんとでお風呂に入る。なるべく丁寧に、隅々まで身体を洗った後、しっかりと蒸し風呂で汗を流す。体臭は、身体の中に溜まった古い栄養……老廃物も影響しているらしい。きちんと汗と一緒に老廃物を絞り出して、臭いのもとを断たないと。

 他にも、蒸し風呂では絶対にリアさんに近づかないこと。リアさんが放つ甘ったるい匂いを嗅いでしまうと、絶対にのぼせてしまう。


「(トテトテ)」

「(サッ)」

「(……? トテトテ!)」

「(ササッ!)」


 近づいてくるリアさんと無言の攻防を繰り広げたりしてお風呂に入ること、1時間。身体から石鹸せっけんの香りがしていることを確認して、私たちはお風呂を出る。


「どう、リアさん? 私、良い匂いかしら?」

「はい。スカーレット様の匂いがします」

「良かった。だったら大丈夫……ん? 大丈夫なの?」


 私が知る限り、リアさんが嘘を言ったことは無い。だから私の匂いがするというのは本当なのでしょうけれど、果たしてそれって大丈夫なのかしら。というより、サクラさんが言った「赤ちゃんの匂い」ってどんな感じなの? 子孫を残せない私には遠いような。そんな臭いについて考えながら、リアさんと宿の廊下を歩いていた時だ。


「こんにちは、死滅神様」


 そう。それは、本当になんとなく。なんとなく、嫌な雰囲気を漂わせる男が私に話しかけてきた。頬がやせこけ目がくぼみ、眼球に血管が浮いている。肌は土のような色をしていて、髪もぼさぼさ。こう言っては何だけれど、私たちが泊まっている品質の宿には似つかわしくない、不健康そうな男だった。

 挨拶をしてきた彼の口元は、笑っている。だけど、血走ったような目はしっかりと私を見下ろしていて、言葉に出来ない怖気おぞけのような感覚が私の身体を震わせた。


「スカーレット様……」


 リアさんも同じことを思ったのでしょう。無表情ながら身体をこわばらせ、1歩だけ後退する。それは私が知る限り、リアさんが見せた初めての「恐怖」の態度だ。そんなリアさんの反応を楽しむように、男は笑顔を別の物に変えたような気がした。


 ――〈ステータス〉がある私がリアさんを守らないと。


「大丈夫よ、リアさん。私が彼の相手をするから」


 そっとリアさんを背後にかばって、男と相対する。不健康な身体に、不気味な笑顔。……気持ちの悪い人ね。早く、用件を済ませてもらいましょう。


「こんばんは。えぇっと、私たちに何か用かしら?」

「はい。実は私、死滅神様に仕えている従者……『メイド』という方にお世話になったことがある者です」


 貼り付けたような笑顔のまま、用件を語った男。私に用があるんじゃなくて、メイドさんに用があったのね。だけど、あのきれい好きなメイドさんがこんな人と関係を持つのかしら。いいえ、そもそもメイドさんの口からフェイさん以外の男性の名前を聞いたことがない。


 ――本当に、知り合いなのかしら……?


 メイドさんであれば大抵の人はあしらえるでしょうけれど、主人である私が従者である彼女を危険にさらすようなことはできない。ここは慎重に行きましょう。


「つまり、私に取り次いで欲しいということね? いいけれど、あなたの名前を聞いても良いかしら?」


 メイドさんに名前を告げて、知り合いじゃ無ければ帰ってもらう。これが私の思いつく最善策だ。


 ――だけどのちに。この時点で彼を殺すことが正解だったのだと私は知ることになる。

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