○騙す方が悪いのよ
砂にも似た黄色っぽい土で出来た城塞を抜けると、もうそこは“時と芸術の町”エルラだった。時間が断絶している、なんて言われていたから何事かと身構えていたけれど、特段、これといって違和感はない。むしろ町に入った瞬間から私たちの耳と心をとらえたのは、陽気な音楽だった。
どの町でもそうだったけれど、エルラでも城塞の門の前は大きな広場になっている。有事の際はここで敵の兵を押しとどめたり、魔物を相手どったりするらしいけれど、そんなことは本当に稀なこと。大抵は人々の
「なんだか、明るい所ね」
それが、私がエルラに抱いた最初の感想。黄色く踏み固められた地面。広場ではたくさんの人が楽器を鳴らしたり、似顔絵を描いたりしている。中にはお手製の絵や陶芸品を売る人もいて、呼び込みの声が音楽に乗って聞こえてくる。
でも、やることは一緒なのよね。そう、それは宿探し。メイドさんいわく、長く居るような場所では無いらしいから1週間を目処に町を後にする予定だった。ひとまず中心部に向けて鳥車を進める。エルラは半径30㎞の円形をした大きな町。ただ通過するだけでも2日はかかってしまう。そのせいなのかは分からないけれど、主要道路沿いにはたくさんの宿が並んでいた。
「食べ物屋さんは少なそう……?」
私と同じで荷台から町を眺めるサクラさんが、お店の並びを見ながらつぶやく。彼女の言う通り、お店は多い。だけどそのほとんどが宝石や美術品を扱うお店で、喫茶店やレストランはあまり見当たらない。たまに見かけても、店の前にある看板には倍近い価格が示されていた。
そして、もう1つ。行き交う人々にも特徴がある。
「太っている人が、多いのかしら」
「ほんとだ。わ、
種族に偏りはなさそうだけど、みんなそれなりに恰幅が良い。芸術家には太った人が多いのかしら。だとしたら、エルラは肥満の町、とも言えるのかもね。
そうして町並みを見ていると、1人の老婆が私たちの鳥車に寄ってきた。
「お嬢ちゃん。この壺、買わないかい?」
そう言って、花瓶と同じくらいの大きさの壺を見せてくる。飾り気のない、真っ白な壺。私の美的感覚を信じるのならあまり良い物とは思えない。
「結構よ」
「そう言わずに。実はこの壺には幸運を呼び寄せる効果があってね」
「噓っ?! 『幸運』値が上がるの?!」
老婆の言葉に、私は
よく見れば人のよさそうな
「い、いくら?」
「50,000nでどうだい?」
た、高い。だけど、幸運が上がってこの先のことを考えると、意外と買っても良いのかも。……いいえ、待って
「ど、どうしてあなたはそれを手放すの? あなたが持っていた方が良いじゃない」
「そうなんだけどねぇ……。実は孫が重い病気で、治療を受けないといけないんだ。だけどその治療費がなくてね。その金額が、50,000nなんだよぉ……」
うっ……。そんな事情があったのね。これじゃあ値引き交渉もし辛いじゃない。それに、治療する人はスキルを使って治してあげるのでしょうに。お金をとるなんて酷いわ。……これも人助け、よね? 困っている人を助けないなんて、死滅神の名折れだわ。
「分かった。その壺、買うわ。だけど幸運値が上がらなかったら、文句を言いに行くから」
「本当かい?! じゃあ早速、お金を」
急に勢いよく私の服を掴んでくるおばあさん。孫のために必死なことが伝わって来るわ。待っていて、すぐに払ってあげるから。
「えっと、メイドさん。お金を借りても良い――」
「嫌です♪」
「まだ言い終わっていないじゃない!」
今までお金を貸してくれなかったことなんて無かったのに。仕方が無いから、背後で私たちのやり取りを見ていたサクラさんに目を向ける。
「サクラさん、お金を40,000n貸してもらえると嬉しいわ……って、どうしたの?」
サクラさんの私を見る目が、驚くほど生温かい。
「ううん、ひぃちゃんは変わらないなぁって。あと、学ばないなぁって」
「どういう意味? それよりお金を貸して? おばあさんのお孫さんのためにも!」
懇願してみたけれど、結局、サクラさん自身の手持ちだけでは足りないと断られてしまった。買うと言ってしまった以上、約束を破るみたいで申し訳ないけれど。
「ご、ごめんなさい、おばあさん。私、今は手持ちが10,000nしかなくて」
「チッ」
「え?」
今舌打ちをしなかったかしら。
「ううん、なんでもないんだよ。そうかい、じゃあ10,000nでも良いから買ってくれないかい? 治療費の足しにするよ」
なんて良い人なのかしら。期せずして、40,000nも値引きしてもらったことになる。
「……いいえ。大切な壺なんでしょう? きちんと50,000n。お孫さんの治療費を払える人に売るべきだわ。力になれなくて、ごめんなさい」
私が買えないと分かったからでしょう。メイドさんが再び、鳥車を動かし始める。お孫さんの状態は分からないけれど、これ以上私たちに時間を割いてもらうのも悪いものね。
「あ、ちょっと!」
必死で追いつこうとするおばあさんだけど、〈状態:老衰〉で弱った足腰では追いつけない。みるみる距離が離れていく。
「あなたは幸運の壺を持っているんでしょう? きっと、必ず、それを買ってくれるいい人に出会えるはずだから!」
買うと言ったのに買えなかったせめてもの償いとして、おばあさんを元気づける。魔法道具だと言う壺で幸運値が上昇しているはずの彼女に、良い出会いがあると信じて。
「ひぃちゃん、えげつない皮肉言うね……」
「えっと、なんのこと……?」
「天然だ?! 悪徳商法を追い払える良い人っぷりは、むしろ尊敬するよ。……だけど、しばらく町では1人で行動しないでね?」
本当に何の話か分からないけれど、おばあさんとお孫さんの無事を祈るばかりね。それから、あんなに人の良いおばあさんを騙してお金を取ろうとする医者。いつか痛い目を見れば良いわ。
「
「そんなもの、決まっております。――両方です。今の場合、向こうもこちらも、双方が悪なのです」
「いいえ、騙す方が悪いに決まっているじゃない。分かって無いわね、メイドさんもサクラさんも」
騙される方が悪いなんて、そんなことあるわけないじゃない。誰かが騙そうとしない限り、誰も騙されないんだもの。私は2人に当たり前のことを説く。
「悪行をしている者が
そんなことを言うメイドさんが操る鳥車で、観光しながら町を行くこと数時間。手ごろな宿を見つけた私たちは、そこを拠点として活動することにする。
だけど、このすぐ後、私たちはエルラの特異性と恐ろしさを知ることになった。
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