○心の底から不本意だわ

 新暦350年、1月の7日目。


「これ、鍵はどうやってかけるの?」

「ああ、それは魔石……1n貨幣をこちらの溝に入れて頂いて――」


 別荘の掃除を終えた私たちは入り口の施錠をして、空き地になっている庭に出る。そこにはすでに、準備を済ませたサクラさん、アイリスさん、ポトトが待っていた。

 結局、別荘から持ち出したものはポトトに乗鳥するためのくらだけ。別荘は死滅神のものだけど、持ち主はあくまでも前任者。あれもこれも持ち出すのはなんとなく気が引けた。そういえば。


「メイドさん。本当に今更だけど、前任の死滅神の名前って何なの?」

「ご主人様のお名前ですか? 『フェイ』様です」


 フェイ。なんとなく女性っぽい響きだけど、メイドさんに確認したところ男性なのよね。私と同じ黒髪赤目の死滅神フェイ。別荘にあったどの文献にもその名前は無かった。偶然かしら。どうして名前で呼ばないのかと聞けば、メイドさんは「ご主人様と呼ぶように言われたから」だと答える。もしかしたらフェイさんは、自分の名前が嫌いだったのかも。その点、私はメイドさんからもらった『スカーレット』と言う名前を気に入っているわ。メイドさんからの大切な贈り物でもあるわけだしね。

 そこで、ふと、何かが引っ掛かる。


「名前、名前……ね。何かすごく大切なことを忘れているような――」

「来ました!」


 空を見上げていたアイリスさんからそんな声がかかった。そしてすぐ、私たちを照らしていたデアの光が遮られる。思考を止めて私も見上げてみれば、上空に青く輝く船体が見えてくる。見覚えのあるそれは、私たちを迎えに来た飛空艇『ミュゼア』だった。


「お~……って、うん? そう言えば、湖には着水しないんですよね?」


 手でひさしを作ってミュゼアを見上げていたサクラさんが不意に、アイリスさんに尋ねる。


「はい、さすがにこの人数で雪が積もる森を行くわけにはいきませんからね」

「でも、ここに着陸もできない。だからわたし達は飛び降りた……?」


 サクラさんによって再びなされた問いかけに、アイリスさんが頷く。


「えっと、じゃあ、わたし達ってどうやって船に乗るんですか?」

「あ……。言われてみれば、そうね」


 サクラさんの素朴な疑問で、私も気づかされる。どうやって上空にあるミュゼアに乗り込むのか。考えられる手としては……。


「ま、まさか魔法でまた?!」


 【フュール】を使って今度は空を目指すのか。そう尋ねる私にメイドさんがにっこりと、アイリスさんが苦笑して応える。つまり、そういうことね。


「だ、大丈夫なの? 魔物が居たら遠距離攻撃とかが飛んでくるのでしょう?」


 それが理由で、飛空艇も高度を落とせないと聞いている。魔法でふわふわ浮いている私たちなんて、格好の的じゃない。そんな私の不安を、アイリスさんが首肯する。


「はい、なので今回はウルセウから頼れる助っ人を手配することになっているはずです」

「助っ人……? 一体、誰――」


 その人物について私が尋ねようとした時だった。


「――!」


 上空から声が聞こえる。何かしら、既視感のある光景ね。前回は確かポトトが降って来たけれど、今回は誰かしら? なんて思っていたら、突如、落ちて来ていた人影が消える。かと思えば、シュタッと、私たちのすぐそばで誰かが着地する音がした。

 私が何事かと振り返ろうとしたその時、背後からその人影が飛びついてくる。そしてそのまま私を捕まえたかと思えば、全身をまさぐるように手を動かしてきた。


「ひ、久しぶりに生で嗅ぐスカーレット様の匂い……、少しだけある汗の香りも、クンクン、最高ですぅっ! ルカは、ルカはぁ……。ハァ、ハァッ!」

「ちょ、出会い頭にどこ触ってるの?! 汗は午前中、掃除をしたから――」


 顔は見えないけれど、嫌と言うほど鮮烈に刻まれた記憶が蘇る。そういえばこの人――シュクルカさんは、ウルセウの神殿に居たんだったわ。メイドさんも頭を抱えていないで、助けて欲しいのだけど。

 いやらしい手つきから何とか逃れようとあがいてみるけど、やっぱりダメ。身体能力の高い耳族なだけあって、シュクルカさんの筋力は見た目以上にあるみたい。


「服の上からでもわかるやぁらかさ。……相変わらず“していない”のですね、死滅神様ぁ!」

「ちょ、いい加減離しなさい! それ以上は、んっ、ダメ、よっ」


 シュクルカさんの蛮行に苦しむ私を助けてくれたのは、サクラさんだった。


「と、とりあえず誰か知らないけど! ひぃちゃんから離れて――」


 サクラさんが私とシュクルカさんを引き離そうとする。ダメよ、サクラさん! 迂闊うかつにこの人に近づいたら――。


「おや、新しい匂い発見ですぅ! では早速、失礼」

「え?! ちょっと、何が? ぅえ?!」


 時すでに遅し、ね。するりとサクラさんの背後に回ったシュクルカさんが、サクラさんを捕らえる。そして始まるいつもの蛮行。


「クンクン……。むむっ……! ポリーアの花のような甘い匂い、ですが奥に死滅神様と同じ匂いもします。はっ?! さては昨夜、同衾どうきんをっ?! ぶはぁっ」

「ちょ、ひぃちゃん?! この人なに?! セクハラしてきたと思ったら急に鼻血出して倒れちゃったけど?!」


 仰向けに倒れたシュクルカさんから逃げるように私の所に来たサクラさん。顔は赤くて息遣いもいつもより荒い。きちんとシュクルカさんからのを受けたのだと分かる。

 倒れたシュクルカさんをメイドさんが縄で縛る様を見ながら私はサクラさんに説明しないといけない。


「彼女はシュクルカさん。垂耳たれみみ族の女性で“死滅神の聖女”よ」


 赤と白を基調としたローブに身を包む、明るい茶毛。背丈は120㎝くらい。垂れた耳とぶんぶん揺れる尻尾は先端に行くにつれて白くなる。赤みがかった丸い目が特徴的な、愛らしさのある少女。それが、シュクルカさんのね。


「うそ、だよね? アレが、聖女様……?!」


 今度はメイドさんに挑戦しようとして、返り討ちに遭っているシュクルカさん。彼女を指さすサクラさんが驚愕といった表情で聞いて来る。そうよね、私も最初は信じられなかったもの。


「だけど、本当なの。死滅神としては本当に、心の底から、遺憾だけれど」

「噓、嘘だよ! あんなのが聖女様、なんて……」


 縛られながら虫のように身をよじらせてメイドさんに這い寄っていくシュクルカさん。やっぱりそこには聖職者としての威厳も、ありがたみも感じられない。だけど、“死滅神の聖女”なのよね……。

 諦めにも似た気持ちで再度頷くと、サクラさんもようやく現実を受け入れてくれる。その表情はまさに、絶望と呼ぶにふさわしい。首の中ほどまである茶色い髪を垂らしてうなだれたまま、サクラさんは口を開いた。


「ごめんね、ひぃちゃん。でも言わせて」

「何かしら?」

「死滅神関連の人って、ろくな人居ないの?」

「そう、ね。今のところ、否定できないわ」


 メイドさんも、シュクルカさんも。頼りにはなるけれど、人となりには問題がある。まったく、困ったものね。彼女たちの主人である私がちゃんとしないと。


「ところでサクラさん。その死滅神関連ってところに私は含まれていないわよね?」


 その問いかけに、サクラさんが答えることは無い。だけど、絶望の表情から一転、笑顔を見せてくれる。生温かい笑顔のような気もするけれど、含まれていないってことよね。……そうよね?

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