○愛が重いわ
「すみません、レティ。あなたにはここで、死んでもらおうと思います」
そう言って、自身の一番の宝物である翡翠のナイフを振り上げたメイドさん。赤竜の羽も、金属製の扉すらもたやすく切り裂く強度を持つナイフ。私を切ることなんて、プリンを切ることよりも簡単でしょう。
初めて森で会った時と同じね。メイドさんによって、私は殺されようとしている。だけど、なぜかしら。あの時と違って、恐怖は一切感じない。それは私があの時よりもはるかにメイドさんという人を知っているから。それに何より、“唐突なメイドさん”は今に始まったことではないものね。
「ほんと、いつも唐突なんだから。それで? どうして? メイドさんはなぜ、私を殺す必要があるの?」
自分でも驚くほど冷静に、メイドさんを見て、尋ねることが出来る。私は背もたれに身を預け直し、殺意を隠さずに見下ろしてくるメイドさんを見上げる。そして、
「答えなさい」
そう、私の大好きな従者に命令する。思えば、彼女と話す機会は誰よりも多かった。けれど、そのほとんどは私が何かを教えてもらう『教育』。友人として、『対話』をした回数なんて数えるほどしかない。
私は誰よりも彼女と話す必要があったのに、それを
こうなったら
「……『私を殺すな』でも。『自害しなさい』でもなく。あくまでも質問への回答を命令なさるのですね、レティ?」
「ええ、そうよ。何度でも言うわ。私の問いに答えなさい。どうして私を殺そうと思っているの? あなたは私をどうしたいの?」
そんな私の命令に答えたのは、“死滅神の従者”としてなのかもしれないけれど。メイドさんは、その柔らかそうな唇をそっと開いた。
「
「それは、なんとなく分かっていたわ。私に前任者の旅の軌跡を追わせていたのも、そのため?」
「その通りです。ご主人様が愛されていた世界を歩み、感動し、脳に刺激を与えれば。レティの中にあるだろうご主人様の記憶が蘇るのではないか。そう考えていました」
メイドさんがいくつか町を見せてくれたのはそう言う理由があったみたい。ポルタではわざわざサプライズのように景色を見せてくれたけど、それもあくまでも私の中にあるかもしれないご主人様のため。記憶を刺激するため。……私のためじゃなかったのね。
「記憶が蘇ったとして、メイドさんはどうしたかったの? 答えなさい」
「簡単です。ご主人様に、生き返って欲しかった。それだけのことです」
生き、返る……? どういうこと? 疑問が顔に出ていたらしく、メイドさんが嘲笑を浮かべる。
「レティの中には数十年分以上のご主人様の記憶があるかもしれません。そして、人格の形成には当人の人生経験……つまりは記憶が大きくかかわってきます」
「……そう言うものなの?」
「はい。レティの中の記憶が蘇った時。果たしてたかだか数か月スカーレットとして過ごした記憶と、数十年分あるご主人様の記憶。どちらの記憶が優先されるのでしょうね?」
ナイフはいつの間にか下ろされているけれど、そう言ったメイドさんの表情は驚くほど冷たい。
「難しい話はまだ少し分からないけれど、つまるところ、私が『スカーレット』から『ご主人様』になるということかしら?」
「はい。レティは必要ありません。あくまでもご主人様が蘇る間の代替人格。それがあなただと、
代替品。それが、メイドさんから私に対する評価だった。それは、さっき私がたどり着いた結論も同じ。前任者は私を自身の代替品として作ったのではないか、と言うもの。なるほど。私が、私ではなくなるのね。
これまでメイドさんがくれた温かい笑顔も、優しい言葉も。全ては“
裏切られたようで、悔しいし、悲しい。泣きそうになる。……だけど、今は。
「それが私を殺すこととどういう関係があるのよ」
「これだけ待っても今の死滅神に、レティに、ご主人様の記憶が戻る兆候はない。であれば、“次”に期待しよう。そう考えました」
「次って……。当てはあるのね?」
そう。メイドさんが何の考えも無く私を殺すことは無いはず。そう思って聞いてみると、案の定、メイドさんは首肯した。
「どうやらもう1体、ご主人様が造られたホムンクルスが居るようです。レティを殺せば、彼女に死滅神のジョブが渡る可能性がある。それが
書斎で何かしら本を見つけたのでしょう。メイドさんの中に
「……もしそれでも、そのホムンクルスに記憶が戻らなければ? あるいは、別の人物に死滅神のジョブが渡ったら?」
なんとなく、答えは分かっているような気がする。メイドさんがご主人様だけを愛し、彼のためだけにこれまでも、これからも行動しようとするのであれば。
「ご主人様以外に仕えるつもりはありません。なので、自害します」
表情一つ変えることなく、私が予想した通りのことをメイドさんは言い切った。
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