第2話 14才の予科練志願
武が予科練に志願したのは、山本五十六の国葬が行われた、昭和十八年六月だった。
当時の軍国少年にとって、予科練は流行歌にもなった憧れの存在だった。
「次男と言えども、許すわけにはいかんぞ。」
と真っ向から父親が反対するも、
「どうしても予科練に行きたい。ワシが行かんとダメや。校長先生も薦めてくれとる。」
と言って聞かず、親の留守を狙い、戸棚の奥に置かれていた認印を取り出し、勝手に押印して学校に提出してしまった。
「おい、北國毎日新聞にお前んとこの倅の名前が出とっぞ!予科練に合格しとっぞ。」
と親類が家に飛び込んできたのは、十月下旬のことだった。とっくの昔に諦めていると思っていたので、この合格は親にとって、気を失うほどの衝撃だった。
十一月に行われた二次試験も突破し、武の元に合格通知が届いたのは、翌年一月。
その間、武の父親も黙ってはいなかった。と言うのも、武の口からは校長先生の推薦もあったと聞いていたからだ。
舞鶴へ二次試験を受けに行っている間に、父は学校へ飛び込み、校長へ掛け合いに行っていた。
学校では親の承諾の下に受験したものと思っていたので、この事実を知り、連日にわたり緊急会議が開かれた。
戦局がいよいよ厳しさを増してきた中、陸海軍当局より金沢市を通じて学校へ、『予科練への応募を、多く出すように!』と督励されており、協力しなければならなかった。しかし、親の承諾のない生徒までも、予科練へどうぞ、と送るわけにはいかない。
市の兵事課にも話は持ち込まれたが、埒があかなかった。当時、こんな事例は多発しており、兵事課も既に疲弊していたのだ。
涙の泉も枯れてしまった昭和十九年七月末、武は八王子の予科練訓練施設に向けて金沢駅を出発した。その日は、三重の航空隊へ行く者などもおり、金沢駅は異常な熱気に包まれていたという。
これが今生の別れになると思った両親は、八王子までついて来ようとしたが、武が極度に嫌がり、石川県から、同時に入隊する若者と共に、隊の中に消えていった。
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