俺と後輩のホラー
泣魚
第1話 生贄の家
「先輩、先輩。おはようございますぅ」
昼下がり。通っている大学の構内を俺が歩いていると、まるで懐いた犬のように後輩が駆け寄ってくる。
黒曜石のような黒髪は陽の光を艶やかに反射し、このお手入れにどれほどの労力が割かれているか熱弁された時のことを思い出す。
「どうした後輩。俺は、これから家に帰って英気を養うのだ」
「先輩のことですからぁ、もやしか何か食べて夜を凌ぐんですよねぇ?」
もやしは安価で栄養価も高い、完璧な食べ物である。それはさておき、まるで俺が貧乏学生だろうと決めつけるような彼女の言いように、しかし俺は否と叫ぶ。
「今日は緑豆もやしである!」
「何か違うんですか……?」
もちろん栄養価が違う。多分。
それはさておきと、俺は後輩の後ろに立つ女性に目を向ける。先程から決して無視をしているわけではないが、俺は顔すら見たことがなく、後輩の知り合いだろうと思いこちらからアクションを起こすのもどうかと考えて(そもそも後輩が連れてきたのなら後輩がアクションを起こすべき)チラチラと視線を送るだけに留めていたのだ。
しかしまぁ、目が合ってしまったのでとりあえず会釈をする。すると彼女も俺に対して会釈を返す。そのやりとりを見て、後輩はようやく思い出したと手を叩く。
「あぁ、そうだ先輩。こちらA子ちゃんです。同じ講義を取っている私の友人です」
「これはどうも。よろしく」
「こちらこそよろしくお願いします。先輩」
深々とお辞儀をするA子さんに、俺はこの後輩に随分と丁寧で清楚なお友達が居たものだ。と驚きを隠せない。そんな顔をしていたのがバレたのか、後輩はムスッとした顔でプリプリと怒り出す。
「あぁっ。先輩ったら、視線がやらしい。A子ちゃん見えちゃいますよぉ。胸元、胸元」
「そのようなところは見ていない」
俺はそのような誤解を受けぬ為に目に見えて首を逸らしている。それを分かっているだろうに後輩は悪魔のような言葉を吐き出しおった。
「まぁまぁところで、若き情欲を持て余す先輩に朗報があるんです」
さて、ここからが俺を呼び止めた本題であるようだった。ぴこんっと指を一本立てて、後輩はにこやかに話を続ける。
「なんとA子ちゃんが今日、夜ご飯をご馳走する為にお家に招待してくれる事になったんですぅ。し、か、も……先輩も一緒でいいんですってぇ!」
「ほんとですかっ!?」
おっといかんいかん。目先の飯に釣られて思わず声を荒げてしまったことを恥じ、とりあえず咳払いをして俺は誤魔化した。
「え、ええもちろんどうぞ。賑やかな方があの子も喜ぶと思いますので」
あの子? ご兄弟か何かかな?
さて、こんな有難い話はない。ということで俺と後輩はニコニコ笑顔でA子さんの家にお呼ばれされる事になった。
夜ご飯一日分が浮いて、助かったのである。
そして、俺と後輩はA子さんの家に着いた。そこはなんと高級住宅街の一角にある、それはもう大きな邸宅であった。
敷地を囲うようにレンガと金属製の柵が張られ、その向こうには広そうな庭に生い茂る緑。
唯一の出入り口に見える、鋼の門扉にかかる蔦をまるで無視して、A子さんは変わらぬ人の良さそうな笑顔で扉を開く。
「では、どうぞ」
変わらぬ、人の良さそうな笑顔である。しかし俺と後輩は気圧されていた。金属の柵の向こうは、まるで森のように緑が生い茂っている。まるで樹海……何度も表現を変えたくなるような景色である。つまり全く手入れされていなさそうな、荒れたお庭なのだ。柵から植物が溢れ、見える邸宅の壁にも血管のように植物が這い広がっていた。
本当に、人が住んでいるのだろうか。こんな所に、と思わず口にしかけて閉じる。横の後輩も目をまん丸にして、気の利いた言葉を探しているのだろうか、口をパクパクと困った表情だ。
「どうしました? どうぞ…」
子供を攫う魔女。ふとそのような幻視があった。いやいや、それはまことに失礼である。と俺は反省した。お庭の手入れは大変だ。彼女の家の事情は知らないが、まぁ手入れが行き届かない事なんてよくある話だろう。俺はそう納得して歩き出す。
「ははぁ〜、こう、あれですねぇ……目に優しいというか……」
俺が進み出したのを見て諦めたのか、後輩はぶつくさとそんなことを言いながら俺の後をついてくる。
さて、A子さんの先導で緑豊かなお庭を越えると、邸宅の扉にたどり着いた。それを開き、彼女はどうぞと手で中を示す。俺と後輩は逆らわず中に入った。
暗い。
電気がついていないようだった。外の光は玄関からしかなく、そして俺達を追うように入ってきたA子さんによって扉が閉められると、まるで夜かと見紛うほどの闇だった。
「あの、A子さん、暗いですね……ハハッ」
俺がそう言いながら振り返ると、扉のガラスから漏れ出す光に照らされたA子さんは、困ったような笑顔を浮かべて頬に手をおいている。
はて?
後輩はどこに行った?
つい先程まで真後ろにいた気配が、まるで無くなっていた。
ポタリ。
俺の頭に何か水滴が落ちた。
玄関は、扉のガラスから僅かに光が漏れてかろうじて視界が確保されている。俺は水滴の落ちてきた先を追いかける為に顔を上げた。
後輩は、綺麗な肌を惜しげもなく見せることは美少女の義務であると言って太ももの大きく露出したショートパンツを履いていた。
俺の目にまず入ったのは、後輩が自慢げに見せてきていた脚線美である。白い肌が玄関を照らす僅かな光で輝き、一筋何かがそこを流れる。
赤い、それは血であった。
俺の視線はそれを辿る。足の根元、腹、胸……そして、首に何かがある。その上の顔はまるで生気が無く、この暗さでももう、ダメだと告げている。
「あらあら、せっかちねぇ……まだ食卓にもついていないのに」
A子さんの、まるで子供に呆れるような声色を耳に入れながら、俺は後輩の虚な目と見つめあっていた。
首に噛み付いた、『何か』が口を開いて彼女を落とす。ドサリと重たい袋が落ちるような音が骨まで染みて……やがて、後輩の後を俺は追う。
*
「これは毎年同じ時期に、ウチの大学で噂になるんだけど。同じ授業をとっている女と仲良くなると、ある日夜ご飯をご馳走すると家に誘われるらしい。誘われるがまま、彼女の家に向かうと、まるでそこは空き家のような有様で、疑問に思いながらも中に入る……そこから、中に入った者を見かけた人は居ないんだって」
俺はふぅん、と相槌を打つ。
「しかし君は、相変わらず話し方が下手だな。風情がないよ」
「うるさい、だったら聞いてくるな」
友人は怒ってしまった。
「まぁとにかく、『夜ご飯』は、誘われた人間のことだった……って噂。いつも大体……そうだな、ちょうど今くらいの時期に、毎年噂が流れるんだって。家に誘ってくる女も、いつの間にか大学から居なくなってるとか」
「なるほどね、そうか……」
俺はうんうんと、噂好きな友人にありがとうを伝えてその場を去った。今日の講義は終わったので、家に帰って英気を養うのだ。
「先輩、先輩〜」
するとまた、後輩が懐いた犬のように尻尾を振って俺の横に並んだ。そしてため息。
「いやぁ、昨日は大変な目に遭いましたねぇ」
「いや全くだ。お前があんな怪しい女に引っ掛かるからだ」
「先輩も疑わず、てか途中から先輩の方がウキウキでついて行ったじゃないですかぁ」
後輩にも、今日友人から聞いた噂話を教えてやる。すると顎に手を置いて、何かを思い出すような仕草をした。
「考えてみると、A子ちゃんって、一つの講義以外で見かけたことなかったですねぇ」
「おお〜っ、怖っ。どう考えても訳アリじゃないか」
自分を抱くようにして、俺はブルリと身体を震わせた。ふと、視界の端に何かを捉える。
「えっ」
A子さんだ。隣には、また別の誰かを連れていた。きっと、次のターゲットだろう。彼女は俺達の方を見て、何故かギョッとした顔をしたが直ぐに目を逸らされた。
「そういえば、『まだ足りないの?』って言ってたなぁ」
ゾゾゾと背筋を何か冷たいものが走った気がする。『弟』なのだろうか、親しげに名前を呼んでいた彼は、随分と大食漢らしい。
全く、世の中には恐ろしいモノが蔓延っているのだな。
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