第52話  さぁ、いらっしゃい。お仕置きしてあげるわ

 お客で賑わうラーメン店の引き戸の横でビビはぺろりと舐めた肉球で頭を撫でながら、腑に落ちないという風に目を閉じた。現実世界みたいに毛が飛ぶことはないというのに、ペットお断りとはいかがなものか。声に出して言ってやりたかったが、カナデの喋っちゃ駄目圧力に負けてしまい……今に至る。


 『人手が足りない料理店を手伝ってくれますか?』というクイニーのクエストはアルバイト募集のポスターが貼られた料理店で合計6時間働けばクリアできた。1日通しでやっても良いし、日にちを分けてあらゆる店舗で時間を稼いでも問題なかった。


 働き先はNPCが経営する店舗がほとんどだったが、料理人職プレイヤーの店舗もちらほら見受けられた。ポスターを貼ってアルバイトを雇うーーという料理人職限定の反復クエストが追加されたためだ。クリアすると金銭を得られるだけでなく、クイニーのクエスト報酬品を貰える上に経験値も稼げるらしい。しかもアルバイト代の支払い負担はかからない。


 カナデはグルメアプリの検索でヒットしたこのラーメン店に趣き、すぐにアルバイト募集に飛びついた。


「ビビ、30分後から働けるようになったよ! 」


「すんなりと決まって、おめでとうにゃん。……だけどなんでラーメン店にゃ? オシャレなカフェとか、レストランにするとか思ってたにゃ」


「小学生の時にね……たま~に、お父さんがラーメン屋さん連れて行ってくれる事があったんだけどね。そのお店の塩ラーメンが大好きで、どうやったらこんなに美味しくできるんだろうって、ずっと思っててーー」


「それで、なんでこの店にゃ? 」

「うん、だってここ、その時の店名と同じなんだよ」



 くあっと大あくびをしたビビは右前足の肉球をペロペロ舐めると、頑張って働いているカナデの姿を想像しながら、自分の頭の毛を撫でた。その姿に引き寄せられたのか、笑顔を浮かべたプレイヤーが次々とラーメン店に吸い込まれていった。


「いらっしゃいませ! こちらのお席にどうぞ」


 元気のいい声を店内に響かせたカナデは冷水を3つテーブルに置いた。来店客はメニューを見ながら、店前にいた錆猫の話題を楽しそうに喋っていた。どうやら、ビビはこの店の繁盛に一役買っているらしい。


 ガシャアアン! 店の外からガラスが割れる音と悲鳴が聞こえてきた。店内にいる誰もが何事だと出入口のガラス戸に注目し、お玉を持ったまま外の様子を窺った店長NPCは……ワナワナと震えている。


「カナデ君、外にいる猫ちゃんを中に入れてあげて! 」

「は、はいっ」


「お客様、外は危険ですので、警官が到着するまで店内でお待ちください。只今、この店は防犯と防衛システムがーー」


 店長が客たちに説明している間、カナデは店の出入り口に向かった。引き戸を開けるとーー通りを挟んだ向かいの洋食店ナックルガードで数人のプレイヤーが暴れているのが垣間見えた。テーブルを蹴とばし、カウンターに置いてあった料理を次々に放り投げている。通りに避難したプレイヤーたちはスマホを慌てたようにタップしていた。


 洋食店の店内で、赤メッシュ入りの銀髪頭の男が鬱憤を晴らすように、窓ガラスに花瓶を投げつけた。ふーふーと息を荒くして目につくものを全て破壊してやると言った風に、手あたり次第壊している。そして彼を止めようとした店主を蹴り飛ばし、外まで転がる様をあざ笑った。


「なぁにが、暴食の女神だ! どう見たってビッチじゃねぇか。ヨタロもそう思うだろ? 」


「愛する食を守るため、わたくしが料理人を守りまっす」

「ヨタロ、物まね上手いな。ワロタわ! 」


「お褒めにあずかり、恐縮恐縮ぅ」


「守れるもんなら守ってみろや! 何にも出来ないNPCのくせによっ。ははっ」

「シリヤ、女神ちゃんはどうやって守るつもりなんだろな? ぶふふっ」

 

 唾を吐き出したシリヤと得意げに両手を腰に当てたヨタロは外に漏れるほどの下品な笑い声を上げた。店の奥ではもう1人のプレイヤーが片っ端から戸棚や冷蔵庫を開けていたが、諦めたように2人の元に戻ってきた。


「シリヤさ~ん、やっぱ金庫もレジ開かねぇっす。盗るものは食材ぐらいっしかないっすね~」


「食材を盗ってもなぁ。金にならねぇよ」

「ですよね~。解錠ナーフとか、マジむかつきますね」


 モッキは半分に割れた皿を靴で踏みつけながら『俺の箱庭への想いはこんな風に粉々になりました』と言って、傷心しているといった風な表情を浮かべた。彼らはお腹を抱えてげらげらと笑っていたが、キックボードパト隊のサイレンを聞いた途端に、スッと真顔になった。


「もうマッポがきやがったのか! ヨタロ、モッキ、ずらかるぞ」



 サイレンの音はかなり近づいていたが、彼らは逃げ切れる自信はあった。ここの近くにはマイルームエリアに続く道があるからだ。そこに駆け込めば警官は追いかけてこない。彼らはニヤニヤと笑いながらシーフスキル隠密を発動して姿を消すと、店内から飛び出した。


 だがすぐになぜかスキル隠密は解除されてしまった。顔を見合わせた彼らは『どういうことだ!? 』と疑問を感じるよりも先に、戦闘テリトリー内に入り込んだことを理解した。


 赤い線で描かれた魔法陣が浮かぶ透明な壁が上空と通りを囲んでいる。こんなものを形成するボスモンスターが街中に入り込むことなど、今まではなかった。大型アップデートでランドルの街にも防衛クエストが追加されたのだろうか。ふとそんな考えが頭に浮かんだが、シリヤはすぐに撤回した。


 顔を引きつらせている彼ら前で、暴食の女神クイニーが薔薇の香りを漂わせるような笑顔を浮かべている。


「食べ物を粗末にするなんて……なんて悪い子たちなのかしら」


 騒ぎを遠巻きで眺めていたプレイヤーたちが慌てたように戦闘テリトリー壁の外に逃げ出していた。シリヤたちもそれに倣ってクイニーがいる反対側に走ったが、10メートルほど進んだ先でぼよんと跳ね返されて尻もちをついた。


「な、なんで? 」

「俺らだけ出られない!? 」

「こいつ、クエ配布キャラじゃねぇのかよ! 」


 立ち上がったシリヤは黒い刀身のダガーを両手に持って構えた。『戦うぞ』と促されたヨタロは多々羅という大ぶりな弓を、モッキは炎獅子を纏うレイピアを慌てたように取り出した。


 クイニーは動じることなく右手に持っていた日傘をレースの扇に変換すると、優雅に口元を隠した。


「さぁ、いらっしゃい。お仕置きしてあげるわ」



 暴食の女神クイニーの戦闘テリトリーは立ち並ぶ店舗を考慮して通りのみに形成されていた。透明な壁のあちらこちらには赤い線の魔法陣がゆっくりと回っている。ほとんどのプレイヤーはこの戦闘テリトリーから脱出していたが、怖いもの見たさで留まっている者もいた。


「プロテクト」


 そう言うと、クイニーはレースの扇子で左手の平の上で叩くように畳んだ。途端に上空から星形の青い光が降り注ぎ、戦闘テリトリー内にいるターゲット3人以外のプレイヤーたちと、クイニー自身を包んだ。


 スキル俊足を使って走り出したシリヤとモッキの後ろで、ヨタロは弓を構えた。ふたりとタイミングを合わせてスキル曝射を打ち込んでやろうと狙っていたが、思わず……玩具を追いかける猫のようにクイニーが投げた扇子を目で追った。


「最後の晩餐を召し上がれ」


 耳元で囁くクイニーの甘い声に、プレイヤー誰もが頬をほんのりと赤らめた。回転しながら舞っていた扇子は空中で閃光彈のような光を放った。シリヤとヨタロ、そしてモッキが眩しさで立ち止まっている間に、大地から生えた木の根が彼らの足を縛り付けた。頭上には桜花が咲いている。


「くそっ。バインドされた! 」

「シリヤ! このデバフ、持続時間が10分って出てる」


「ダガーじゃ、こいつは破壊できねぇのか!? ヨタロはどうだ? 」

「レイピアでも駄目だ……」


「モッキ! 弓で根っこを破壊できないか? 」

「すんませんシリヤさん。腕も縛られてて動けませぇぇんっ」


「ヨタロ、ステ異常を解除するスクロなかったっけ? 」

「あったような気もするけど、俺も手が使えなくなった……」


「あっ、ちょっ。なんだこの枝! うわああっ」


 パニクる彼らの声を聞きながら、ティーテーブルセットをポンッと出したクイニーはお洒落なタイルチェアにゆっくりと腰を下ろした。テーブル上では白磁のティーポットがふわりと浮かんで、カップにアッサムティーを注ぎ、ソーサーの傍に寄ってきた角砂糖入れとミルクポットが主人にアピールするかのように、腰を軽く振っている。


 クイニーは敵対しているターゲットに目もくれず紅茶を楽しんだ。傍らにいる顔のない執事が持つオルゴールの美しい音色を聞きながらーー。



 捕縛して終了なのだろうか? クイニーの戦闘テリトリー外でキックボードパト隊が待機している。カナデは頭上にいるビビと一緒にガラス戸におでこを付けて、様子を見守った。


 オルゴールの音をかき消すような産声が通りに響いた。桜花から生まれた妖精たちが大きなあくびをしながら、透明な4枚羽を小刻みに動かしている。愛らしい妖精たちは身動きが取れなくなったシリヤたちをせせら笑った。そして彼らの口を無理やりこじ開けーー小さな様々な料理や飲み物を絶え間なく放りこんだ。


「なんだこれ! いらねぇって! ……もっとくれっ」

「う、上手そうな匂いが……。やっば、げびうまっ」

「ちょっ……。え!? モグモグモグ……」


 食べたくないと思っても、自然に口が開いた。『身も心もとろける美味しさ』とはこのことをいうのだろう。そう思うほど、妖精の御馳走は格別だった。そしてその言葉通り、ご満悦な表情を浮かべた彼らの身体は……チーズフォンデュのようにとろけはじめたーー。


「うああ、なんかやべぇ。やべぇけど……めっちゃ幸せぇ」

「俺も非常にやばいと思いつつも、食べるのをやめられましぇん」

「美味しすぎて、俺の幸福感マックスですぅ」


 そろそろ頃合いだと思った妖精たちは3人の身体をそれぞれ両手で掴んで引っ張り、にゅーんと伸びた糸をオルゴールのシリンダーにくっつけた。シリヤたちは糸を紡ぐように身体を巻き取られていたが、目をトロンとさせて餌を待つ鯉のように口を開けていた。


 顔のない執事は彼らのすべてを巻き取り終わったオルゴールが手のひらサイズの肉の塊に変化したことを確認すると、右手の三本の指に乗せた銀のトレーに置いた。


「それでは、調理に移らせて頂きます」


 手を腰の後ろ添えてクイニーに恭しくお辞儀をした後に、執事は空中に浮かぶまな板と、匠という刻印がはいった包丁を使って肉を切り分けた。さらに慣れた手つきで下拵えしたそれを、当たり前のように出したフライパンにそっと……乗せた。


 キッチンなるものはどこにも見えないが、肉が焼ける美味しそうな匂いが周囲を漂った。


 ぐうっという胃袋が鳴る音が通りのあちこちから聞こえ始めた。口元を拭いているプレイヤーもいるようだ。ワインを振りかけたフライパンに大きな炎を立ち昇り、ショーのような光景に魅せられたプレイヤーたちは『わぁ』という歓声を上げた。


「子羊の悪い子にお仕置き風でございます。マイクイーン、お召し上がりください」


 モザイク柄の丸テーブルに林檎ソースをかけられた肉料理が静かに置かれた。クイニーは香りを楽しんだ後に、フォークとナイフで小さく切り分けて口に運んだ。その途端にーー彼女の戦闘テリトリー壁は煙のように消滅した。



 ラーメン店の店長NPCや来店客たちとその光景をガラス戸越しに見ていたカナデはプレイヤー対ユニークNPCの戦いだというのに、戦闘遊園地のショーを鑑賞しているような気分になっていた。多くのプレイヤーもそんな風に感じていたのか、ポカーンとしている。


 クイニーは注目を浴びながら、パチンパチンパチンと3回、爪をはじいて音を鳴らした。


 すると……破壊されてめちゃめちゃになっていた洋食店ナックルガードは淡く輝き、時間が逆戻りするように修復されていった。投げ捨てられた料理も、踏みつけられた食材も、全て何事もなかったように元通りになっていた。


 カナデは息をすることを忘れるほど驚き、目を見開いて頬をつねった。


「痛い……夢じゃない!? え、えええ!? 」


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