第51話 こんにちは。初めまして、冒険者さん

 メンテナンスが開けて5時間が経ったランドルの街は、だいぶプレイヤーの数がまばらになっていた。屋台巡りが終わったカナデは王立図書館の近くの広場にあるオープンカフェのテラス席で、ナイフを使ったピエロのジャグリングショーを眺めていた。


「ねぇ、ビビ。カナリアさんやミンミンさんたちに『ログインしないで』って伝えられないかな? 」


「それは無理にゃ。ゲーム内部からリアルにメッセージを送る仕組みがないにゃ」


「そうなんだ……? ログアウト出来ない不具合に巻き込まれたら嫌だなって、思ったんだけど……」


 テーブルの上で前足をだら~んと伸ばしながら、だるそうにあくびをしていたビビが慌てたように身を起こした。


「あるじさま! 大型アップデートはどうにゃ? 楽しめてるにゃ? 釣りが人気らしいにゃ。あるじさまが釣った魚をビビは食べたいにゃ~。そうにゃ、どうせなら伊勢海老とか、黒鯛とかーー」


 急に話題を変えたビビは息つく暇もなく喋り続け、目線だけをちらちらと上に向けていた。カナデはキョトンとしていたが、しばらくすると何かを察したように顔を強張らせた。額からはじんわりと汗がにじみ出ている。


 その表情を見たビビは首を横に振るように目線を動かすと、両前足を器用に頬に置いて『その顔は駄ダメ』と言わんばかりに目を潤ませた。


「あるじさま、顔が怖いにゃ。釣り……嫌にゃ……? 」


「あ、ごめん。怖い顔になってた? えっとね……釣りをやったことないから心配になっちゃったんだ。それと、伊勢海老? って見たことないからどんなのかなって」


「海辺だとクルーザーをレンタル出来るにゃ! 船長が釣った魚を料理してくれるみたいにゃ。じゅるるるるぅってよだれが出そうにゃふふふふ」


「うわぁ、楽しそうだね。じゃあ、このジュースを飲み終わったら、行ってみようか」


「ビビはレンタル騎乗ペットに乗りたいにゃっ。かっこいいドラゴンのやつにーー」


 ビビの言葉がピタリと止まった。楽しそうに喋っていたというのに、顔をくしゃくしゃにして置物のように動かなくなってしまった。


 マイルームにいた時のように、また父親の健一から干渉されているのだろうか……。カナデは不安という巨大な蛇に飲み込まれていくような感覚に身体が震えた。ビビを抱きしめて、『消さないで』と呪文のように何度もつぶやいた……。



 涙をぐっと我慢しているカナデの耳に……『わぁぁ』という歓声が届いた。何事かと思って顔を上げると、軽快な音楽を演奏ている鼓笛隊と、きらきらとした衣装を身にまとったNPCたちがリズムに合わせてダンスを披露しているのが大通りの奥に見えた。


 ビビは消える気配はなかった。しかし何かに怯えているのか、それとも緊張しているのだろうか……陶器のように身体をカチコチにしている。しばらくすると、ビビはしょんぼりと項垂れて、目から大粒の涙をぽたぽたと落とした。


「ビビ、どうしたの? 」


「何でもないにゃ。馬車が……きらきらしすぎて目が痛いだけにゃ……。グスン、グスン……」


「そんなに痛いの? 大丈夫? 」


「己の力の無さを痛感した上に、不甲斐なさすぎて申し訳がたたないくらい痛いにゃ……」


「ビビ……」


 優しくビビを抱きしめるカナデの目の前を、ユニコーンに繋がれた煌びやかな馬車がゆっくりと通り過ぎていった。



 オープンカフェがある広場に入ったパレードが円を描くようにゆっくりと移動している。これから始まるであろうイベントに期待を膨らませたプレイヤーたちは笑顔を浮かべてパレードを目で追いかけた。


 大通りの反対側に到達したパレードの誘導員NPCが演奏している鼓笛隊に整列を促した。鼓笛隊の前で踊り続けるダンサーの前に馬車が到着すると、広場中央に白い円形の舞台がせり上がった。その周囲を短い脚でちょこちょこ歩いているカモノハシ風の着ぐるみ軍団が観客に小さな手を振りながら、囲むように並んだ。


 演奏が止まり……ドゥルルルルというドラムロールの音が鳴り響いた。馬車を囲んだダンサーたちがアピールするように、扉に向かって伸ばした両手を小刻みに振っている。


 誰もが注目する中、馬車から降りてきたのはーー公式萌えキャラアイドルらいなたんだった。


 彼女はダンサーの手を借りて白い円形の舞台に上がり、集まって来たプレイヤーたちに向かってニッコリと笑った。


「はぁい! プレイヤーの皆んなぁ! らいなたんだよっ。今日からスタートした大型アップデートを楽しんでくれてるかなぁ? 」


 大きな歓声が上がった。滅多に街に現れない『らいなたん』に興奮したプレイヤーと、前に出ないように制止している警備員NPCとの攻防戦が始まっている。もっと前に行かせろとプレイヤーたちは騒いでいたが、愛らしい着ぐるみに頭を撫でられたり、ハグされたりしているうちに落ち着いたのか、大人しく後ろに下がっていった。


 

 『らいなたん』は大きな身振り手振りで目玉の1つである『生産』について解説していた。生産物は商人職の商会を通さずに、市場や屋台で売ることが出来る。そのことを口に出した途端、広場に小さなどよめきが起こった。満足げに頷いた『らいなたん』は呼びかけるようなポーズをするために両手を口元に当てた


「ねぇねぇ、知ってる? なななぁんとっ! 誰でも料理が楽しめる、プチクッキングスキルも追加されちゃいましたっ。キャンプ場で、フレンドさんと一緒にカレー作りが出来ちゃうよっ! ぜひ体験してねっ」


 大型アップデート情報のアプリには『カミングスーン! お楽しみに』と記載されている内容だった。新たに追加されたマイルーム専用のキッチンセットや、どこでも使えるキャンプセットを購入するだけで、リアルのように料理を作れるようになるらしい。


 驚いたプレイヤーたちはバフ効果が付く料理が作れることを大いに喜んだ。しかし……不満げに顔をしかめて『料理人の立場が無いじゃないか』とつぶやくプレイヤーも少なからず存在していた。広場のあちらこちらで諦めに似た小さなため息が漏れていたが、『らいなたん』は大きな声で話を続けた。


「でもね、あくまでも『プチ』だから、作れる料理の数と品質ランクは制限されちゃうの」


 可愛らしくごめんねポーズをした『らいなたん』は両手を広げて大声を張り上げた。


「皆んなぁ! 品質ランクが高くて、美味しい料理を食べたいぃ? 」


 耳に手を当てて『うんうん』と頷いている『らいなたん』の頭上に舞台の幅よりも大きいモニターが出現した。画面にはハンバーグやパスタ、お寿司などの美味しそうな料理の写真が並び、『レッツゴー! 料理人職プレイヤーの店舗へ』という文字が、ででーんと真ん中に表示されている。


「そんな時は、料理人プレイヤーのお店へ行こう! 今回の大型アップデートでは、食材がたぁくさん増えたから、美味しい料理にい~っぱい巡り合えるよっ。これをぜひ利用してね! 」


 イベントを見物していた萬屋商会のディグダムはまさかと思いながら、モニターに表示されたQRコードにスマホをかざした。そしてすぐに……レストラン情報の売り買い終了のお知らせの鐘が脳裏でゴーンと鳴り響き、ディグダムはがっくりと肩を落とした。


 ダウンロードされたものは、各街にある料理人職プレイヤーとスポンサー付きのNPCの店舗情報が載っているグルメアプリだった。


 イベントは今のところ、特に問題なく進行しているようだが、カナデの膝でごめん寝ポーズをしているビビは押し黙ったままだった。カナデは慰めるように柔らかい毛が生えているビビの背中を撫でながら『らいなたん』の言葉に耳を傾けた。


「ーー早速アプリを使ってくれているかな? ではそろそろ、イベントはお開きに……と言いたいところだけど。実はぁ、なんとここにーージャジャ~ン! 」


 広場の上空に大きな花火が上がった。鼓笛隊は登場を促す演奏を始め、ダンサーたちは仰々しくお辞儀をした。着ぐるみたちは待ちきれないというような仕草をしている。『らいなたん』が登場した時と同じようにプレイヤーは皆、馬車の扉に釘付けになった。


 白い絹地のマーメイドライン風のドレスを身にまとった女性が、御者の差し出された手を借りてゆっくりと馬車から降りてきた。彼女はヨーロッパ映画で見たことがあるような羽付きの大きな帽子を、ふんわりウェーブがかった腰よりも長い金髪に乗せて、閉じられたままのレースの日傘を白い手袋をはめた右手に持っていた。


 舞台に上がった女性の大きく開いた胸元にタトゥーがあるということに気付いたプレイヤーたちがざわつき始めた。彼女が舞台中央まで来たのを確認した『らいなたん』は両手を使って紹介するポーズをとると、明るい大きな声を上げた。


「はぁい、皆さんご注目! 暴食の女神クイニーの登場だよぉぉ! 」


 ダンサーたちが一斉に鳴らした大型クラッカーのカラフルなテープが空中を飛んだ。鼓笛隊は暴食の女神クイニーをイメージしたような音楽を奏で、着ぐるみたちは結婚式のフラワーシャワーのように花びらを撒き散らした。


 ポカーンと開けた口に両手を置いた女性プレイヤーの隣で、紫髪の男性プレイヤーがクイニーを食い入るように見つめている。彼の後ろでは、バレンタイン限定のらいなたんTシャツを着た小柄な男性プレイヤーが、大型アップデートの情報が載っているアプリを起動させていた。クイニーが載ったページを探しているようだ。


「こんな風に登場するとか、かくれんぼシステム意味なし。でもオケまる」

「まじかよっ。美しすぎるNPCキタ~! コレ~! 」

「すっごーい、めっちゃキレイじゃん! 」

「やっば、推しキャラ増えたしっ」


 プレイヤーたちの驚きと歓声にクイニーは戸惑いを見せることなく、にっこりと微笑んだ。


「こんにちは。初めまして、冒険者さん」


 クイニーは左手を胸に添えて軽く会釈をすると、右手に持っていた日傘をパンと開いた。レース生地から飛び出した沢山の小さな星が、キラキラと光りながら広場にいるプレイヤーたちに降り注いでいる。ランダムで付与されたバフを喜ぶプレイヤーたちを眺めながら、クイニーは疑似太陽の光を避けるように日傘をさした。


「皆さんと出会えた記念を祝して、わたくしからのプレゼントです。そしてーー」


 映画女優のようにクイニーが投げキッスをした途端にーー各プレイヤーの眼前に封筒が出現した。カナデは羽をパタパタと動かしてふわふわと空中に浮いている白い封筒を不思議そうに眺めた。


「ビビ、これ何だろう? 」

「……」


 ビビは返事することなく、カナデのお腹に頭をくっつけたまま動かなかった。そっと封筒を手に取ったカナデは薔薇をモチーフにした封蝋を指でなぞった。


「開けてみるよ。……人手が足りない料理店を手伝ってくれますか? だってさ。クエストだったんだねーー。報酬は、プチクッキングスキルだ」


 プチクッキングスキルをいち早く手に入れようとプレイヤーたちが駆け出した。大通りに向かって走る彼らを警備員NPCが注意している。そんな光景の向こうで『らいなたん』が別れの挨拶をしていた。


 なぜこんなにビビがふさぎ込んでいるのか分からないまま、パレードは来た道を戻っていったーー。


 賑やかな音楽が遠ざかるにつれて人混みも解消されると思われたが、広場にはプレイヤーで出来た囲いが出来ていた。それはオープンカフェに徐々に移動し、気が付けばカナデの傍に暴食の女神クイニーが立っていた。


 彼女は周囲にいるプレイヤーたちに手を振りながら、さりげなく椅子に座るとーー隣席にいるカナデにそっと耳打ちをした。呼吸が止まってしまうのではないかと思うほどカナデは驚き、手を小刻みに震わせた。


「う、嘘だ……カーー」


 クイニーは言葉を遮るようにカナデの唇にそっと指を置くと、クエスト依頼の手紙が入った水色の封筒をカナデに手渡した。


「冒険者さん、わたくしの依頼を楽しんで下さいね」


 カナデは何事もなかったように立ち去るクイニーから視線をそらして、握りしめていた水色の封筒を悲し気に見つめた……。


 ーーこんなの酷いよ。こんな事、絶対に……絶対に許しちゃいけない。

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