第48話 アプデ後はバグが多いというけれども……。
バッハベリア城があるランドルの街は市場が3つあるほど広いせいか、ガロンディアに比べれば混雑度は低いように見えた。銀の獅子商会本部は王立図書館方面に進んで、城に続く中央通りを横切った先の商業地区にある。ファストトラベル地点がある教会からはだいぶ遠い。
いつのならば教会の隣にあるレンタル店で、キックボードや自転車を借りて移動するのだが……大型アップデートから3日間はレンタル不可になっていた。通りにひしめく屋台に行列しているプレイヤーを見れば確かに頷ける。
『急いでいる時に限って……』というカナデの言葉を耳にしたルードベキアはフッと笑みを漏らした。
「カナデ、慌てることはないさ。屋台を眺めながら行こう」
「……ルードベキアさんは、不安じゃないんですか? 」
「泣き喚いたところでどうにもならないからなぁ。取り合えずーー」
「……? 」
「シュラスコを食おう! あの屋台のケバブもいいな」
「えっ……。ルードベキアさん、ヨハンさんのところに急いでるんじゃーー」
ぐぅぅぅという大きな音が雑踏に混ざってカナデの耳に届いた。ある程度時間が経つと『食欲が湧く』システムがルードベキアの身体に発動したようだ。このゲームの世界ではバフを付ける以外で食事をとる必要はないが……あちらこちらから漂う美味しそうな匂いに逆らうのは難しい。
ミンミンのようにニカッと笑ったルードベキアの目が輝いている。つられて笑顔になったカナデは彼のコートの左袖を掴んだ。
「ルードベキアさま、いらっしゃいませ。貴賓室へご案内いたします。案内係が参りますので、そちらのソファで少々お待ちください」
「あっ、お待ちください、ルードベキアさま。これをそちらのお客様にーー」
もう1人の受付嬢NPCがチョコレート菓子が入った小さな袋をルードベキアに手渡した。慌てたように机の引き出しから、取り出したということは……以前から用意していたものなのだろう。目元を緩ませてカナデを見つめている。
「うん? あぁ、ありがとう。ーーカナデ、ほら」
不思議そうにキョトンとしているルードベキアから、中身が見える袋を受け取ったカナデは驚いたように目を見開いていた。受付嬢からお菓子を貰ったからではなく、建物に入る前からずっとその表情をしている。カナデは赤い革のソファに向かってスタスタと移動する彼の右袖を、クイクイと引っ張った。
「カナデ、どうした? 」
「もしかして、顔パスなんですか!? 」
「あはは。銀の獅子商会団長のリディとは古い付き合いだからね。ここのスタッフも顔見知りだよ。カナデもそうなんじゃないのか? お菓子が出てくるなんて初めて見たよ」
「そう言えば、ここに来る度にリザさんからお菓子を貰ってました……」
「へぇ、そうだったのか。お、リザがちらちらとカナデを見てるぞ。カレンも! カナデ~、モテモテだなっ」
ルードベキアはニヤニヤと笑いながらソファに座ると、トマトのように染まったカナデの頬をプニッと突いた。『モテモテにゃ』と言って笑うビビの笑い声も聞こえている。
「そ、そんなじゃないですよっ。ビビまでっ」
突かれた頬を膨らませながら、カナデは袋から取り出したひと口チョコを無理やりルードベキアの唇にグイっと押し付けた。包みのまま口の中に入れようと躍起になっている。まるで兄弟のように……いや子犬のようにと言った方が合っているだろう。受付嬢たちの目を奪うほど陽気にじゃれ合っている。
彼女たちは心の中で『眼福』や『可愛い』を連呼していた。仕事に集中しなければと思いつつも、ついつい静かなフロアに響く賑やかな声に耳を傾けてしまう。平常心、平常心……。リザは下を向いてニマッと緩んだ口元を抑えながら、呪文のように言葉を繰り返した。
「ご歓談中に申し訳ございません。ルードベキアさま、お待たせしました。」
「やぁ、ジェイ。すまない、騒がしかったかな」
「いえいえ、楽しそうなお声を聞けて、とても嬉しいです。……それと、これをカナデさまにーー」
執事風ファッションの老紳士はカナデに飴玉を渡すと、朗らかな笑顔を浮かべた。どうやら……銀の獅子商会本部のスタッフ一同はカナデを相当気に入っているらしい。貴賓室へ向かう途中でも、メイドファッションの女性NPCがエプロンのポケットからクッキーを取り出して、ビビを腕に抱いているカナデの頭を撫でていた。
団長のリディがNPCのプロトコルに何か命令を書き加えたのかもしれない。と思ったが、小学生を可愛がる大人たちのような行動はそれぞれ独自の判断で行っているようにも見えた。単なるNPCなのに? そう思う人もいるだろう。
しかし、銀の獅子商会のスタッフとして働いているNPCは副団長のマーフが人間らしさを求めてかなり細かく人格設定をしていた。それによって個性が際立ち、言動はその辺にいるNPCとは比較にならないほど豊かだった。
カナデの歩調に合わせてゆっくりと歩いていたジェイが開けた引き戸の向こうは、いつも通される応接室とは違った雰囲気の和室だった。
20畳ほどあるだろうか、上品な旅館のような空間が広がっていた。向かって右手に床の間があり、その前には4脚の座椅子。そして長机に……誰かが突っ伏している。
買い食いに夢中になりすぎて、ヨハンを待たせすぎたのかもしれない。あわあわとうろたえながら挨拶を言葉に出したカナデの背中をルードベキアがポンと軽く叩いた。
「カナデ、その人はヨハンじゃないよ」
「えっと、じゃあ……」
「こちらは先ほどいらっしゃったお客様でーー」
そうジェイが言いかけた時、話し声に気付いたプレイヤーが慌てたように身を起こした。彼は入口にいるルードベキアの顔をいた途端に『あぁぁぁ! 』と叫びーーシュタッと土下座した。
「ルードベキアさん、あの時は本当に申し訳ございませんでした! 」
和室に妙にマッチしている……。いやそんなことを考えている場合ではない。ポカーンとしていたルードベキアは慌ててすぐに彼を立ち上がらせた。
「こちらこそ、すみません。大人げないことをしてしまいました。防犯カメラの映像は冒険者ギルドに提出しましたけど、萬屋さんに非はないので、職人ギルドには特に何も言ってません。」
「ルードベキアさん……。あんなことがあったのに、なんてお優しい……。ありがとうございます! 」
「マキナから連絡してもらおうとしてたんですけど、連絡がとれなくてーー。あっと、ディグダムさん。彼は職人仲間で鍛冶師のカナデ君です。僕の弟子で期待の新人なので、よろしくお願いしますね」
期待の新人という言葉を聞いてディグダムの目がきらりと光った。しかもルードベキアが弟子と言うならば素晴らしい作品を作るに違いない。ぜひともお近づきになりたいセンサーがビンビンに反応している。
「初めまして、萬屋商会のディグダムと申します。カナデさんは鍛冶師なんですね。しかもルードベキアさんの弟子だなんて、恐れ入りました」
「は、はい。初めまして……」
カナデは困惑した表情でルードベキアのコートにぴったりと身体をくっつけた。人見知りと言うわけではないのだが、品定めをするような瞳を向けている大柄なディグダムが少し怖かった……。
それをすぐに察したディグダムはしまったという表情を浮かべて、身をかがめた。
「すみません、じろじろ見すぎましたね。鍛冶師と聞いてつい、どんな作品を作るのか気になってしまって……。カナデさん、差支えが無ければフレンド登録させていただいてもいいですか? できればうちとも取引してもらえると助かります」
「えっと……」
「カナデ、マキナが間に入って、僕に紹介しようとした人だから大丈夫だよ。ーーディグダムさん、僕ともフレ交換しましょう」
躊躇しているカナデの背中を押したルードベキアはにっこりと笑っている。ディグダムはフレンドリストにあるルードベキアという名前に感動して手が震えた。
ーーやっと……魔具師ルードベキアと取引ができる! さらにお弟子さんともっ。
こぽこぽという音が和やかになった和室に響いている。彼らの様子をそっと見守ってたジェイが人数分のお茶を淹れていた。ディグダムは『ごゆっくり』と言って笑顔でこの場を立ちさる彼を見届けると、床の間近くの席をルードベキアに勧めた。喜びを全身から噴き出しいるような表情を浮かべながら、カナデが座った後に腰を落ち着けた。
「萬屋の私がここに何でいるかと言いますと、マキナさんとメンテ明けの1時間後ぐらいだったかな……。メッセでやり取りをしたんですがーー」
「マキナがログインしてたんですか? 」
「はい。その時、恥ずかしながらちょっとパニくっててて……それで、銀の獅子商会に行くように言われたんですよーー。フレンドであるマーフさんはログアウト表示だったのですが、他に誰かいないかこの本部の受付で聞いたら、ヨハンさんが来てくれて……ここで待っててくれと言われたんです」
「そうだったんですか……。あの……マキナとはその後、やり取りしたんですか? 」
「それが……。ログアウト表示になっててーー」
「ーーそっか、マキナはログアウトできたのか。良かった……」
「え? ルードベキアさん、まさか……」
長机にコトンとスマホを置いたルードベキアは弱々しく笑った。
「なぜかログアウトできないんですよ」
「お、俺と同じじゃないかっ」
ディグダムは驚きすぎて敬語がどこかへ飛んでしまった。まさか自分と同じ症状のプレイヤーがこんな身近にいるなんて!
「しかも、困ったことに商人職の移動スキル『宝船』が発動しないんですよ。紅石を持ってなかったら、完全にアウトでした……」
「スキルが使えないなんてーーバグにしてはひどいな」
「ランドルのヘルプセンターも診療所も閉鎖されてるし、どうなっているのやら……」
がっくりと肩を落としたディグダムはお茶をズズズとすすった。縦に浮ている茶柱を眺めて、複雑そうな表情を浮かべた。
「そういえばヨハンは? 」
「用事があるといって出ちゃいましたね。夕方ぐらいには戻って来るようなことは言ってましたけど……。ここにいても埒が明かないから、俺は何か情報がないか街へ行ってきますね。後でまたここに戻ってきます」
ディグダムが貴賓室から飛び出した後、ルードベキアは膝で丸くなっていたビビを抱えて日本庭園風の庭が見えるテラスに移動した。藤製の一人掛けソファに座って、難しい顔をしながらふわふわの猫の背中を撫でている。ビビはそのルードベキアのお腹に頭をくっつけて彼の中のアレを探していた。
ーーやっと見つけた! まさか心臓の近くに移動してたなんて……。もう逃がさーーえっ、消去できない!? そんな……ならば箱に……。
ビビの脳裏で0と1の集合体がグネグネと動いている。アレが動き出しても壊れないようにウィルス対策プログラムを形作っているそれに仕込むと、簡単に蓋が開かないパズル要素を組み込んだ秘密箱を形成した。これなら誰も出が出せないだろう。
そっと……アレを入れて、フタをスライドした。後は10回、決まった手順で動かせばいい。手際よく1つ目を動かして2つ目の面に触れた瞬間に、視界から箱が消えてしまった。
ーーど、どどどどいうコトなのよぉぉ!? まだあと9回やらないといけないのにぃぃ!
唖然として頭が真っ白になったビビの眼前にルードベキアの顔が見える。ビビはしばらく、なすがままにだらんとしていたが、はっとしたようにカナデの腕から逃れようと藻掻いた。
「にゃあああ! 何をするにゃ! 」
「あっ、ちょっとビビ。僕らも外にいくよ」
「フ、フタがぁぁ」
「フタ? 」
「あっ。……ゆ、夢を見ていたにゃ。フルーツ牛乳の……び、瓶のフタが開かなかったにゃ。ぐぬぬ……ルードベキア、ここにずっといるにゃっ! どこにも行っちゃだめにゃっ! 」
「え? あぁ、うん。わかったよ、ビビ」
「約束にゃ! 絶対にゃぁぁ! 」
念を押すように叫ぶビビにルードベキアは優しく微笑んだ。
「ここで留守番している。どこにも行かないから大丈夫だよ」
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