第24話 バレンタインイベントスタート!

 坂上莉子は時計をチラチラ見ながらノートパソコンのキーボードを叩いていた。10人しかいないオフィスに、カチャカチャという音が響いている。


「坂上さん、ちょっといい? 」

「はい、何でしょうか」


「来月の誕生日メルマガの件なんだけど、クライアントさんがね、生まれ月の変更だけじゃなくて文言を、もっとお客様の気持ちに沿ったものに変えてほしいって言ってるの」


「えっ、それってもう校了したやつですよね。私には連絡が来ていないのですが……」


「さっき、別件の打ち合わせした時に言われちゃったの。後で坂上さんに連絡するって言ってたから、よろしくね」


「はい……」


 後5分で定時退社だったというのに……莉子はウキウキ感から一転してどん底に突き落とされた気分になった。人参が目の前にぶら下がってきるのに取れないもどかしさを感じながら、メールを確認しているのだがーー文面を見た途端に、うぐっという変な声が漏れてしまった。


 ーー明日朝イチで確認するので、文言を3つぐらい作っておいて下さい……って、とほほ。今までの傾向だと、5つ用意しろってことですよね? ほんのちょっと変えるだけじゃ納得してくれないのに、これから新しく作れと?


 莉子はいつ終わるかわからない残業が確定してしまったと誰か見ても分かるぐらいガックリと肩を落とした。きゅっと目を閉じて妄想から生まれたミニミニパキラを暴れさせている。

 

 ーー今日からバレンタインイベントなのにいぃ! お家に帰りたいよぉぉ!



 ヒュ~~、パーン。


 VRゲーム神ノ箱庭に存在する全ての街に花火が上がり、赤いハートの花びらが舞っている。さらにドンドンという打ち上げ音とともに、色とりどりの小さなパラシュートが咲いた。落ちてくる籠には体力が回復するハート形のチョコレートクッキーが入っていた。


 街の上空にプレイヤーがどこから見ても正面に見える大型モニターが出現している。誰もが注目する中、笑顔で手を振る公式萌えキャラアイドルらいなたんが映った。


「みんな~元気? らいなたんだよ! 今年もやってまいりました。楽しい楽しいバレンタインイベントのスタートで~す! 」


「ショコラダンジョンでドロップするイベントアイテムーーラブチョコを集めよう! ペットアイテム愛のキューピッドをゲットできるよ! 」


 らいなたんがパッと広げた手の中に愛のキューピットという名称のペットアイテムがポンと浮くと、ズームアップされた。想像していたものとはかなり違っていたのか、プレイヤーたちは口を開けて複雑な顔をしている。モニターには羽が生えた卵が鬼険しい顔で赤いハートを抱えている姿が映っていた。

 

 あれがキューピットなのか? という声を打ち消すように、画面はダンジョンの風景に切り替わった。お金が噴き出ている宝箱の傍で、らいなたんが説明をしている。


「ーーショコラダンジョンには、つよ~いモンスターがいるから、フレンドさんとパーティ組んでトライするのがオススメだよ! いろんな場所にある宝箱にはーー意地悪妖精の宝箱が混ざっているから、気を付けてね! 」


「詳細は公式サイトか、ゲーム内にあるイベント案内所でチェックっ! じゃあ、らいなたん商店でプレイヤーの皆んなを待ってるよ! ばいば~い」


 バレンタインぽいイメージでデコレーションされた街中に、らいなた~ん! と叫ぶファンの声が響いている。そんないつもと違った賑やかな雰囲気が漂う中、カナデとスタンピートは白いベンチに座って、噴水公園に隣接されたイベント案内所の混雑ぶりを眺めていた。


「ピート、パキラが来ないね」

「仕事が忙しいのかも知れないな」


「どうしよっか」

「もう少ししてから案内所に行ってみないか? 」


「そうだね。それまではーービビ! ほら、猫じゃらしだぞっ」

「それいいな。カナデ、どこで見つけたん? 」


「リディさんが、くれたんだよ。3個もらったから、1個あげるよ」

「サンキュー、カナデ! 」


 スタンピートは赤いリボンがついたオレンジ色のプレゼントボックスを開けて猫じゃらしを取り出した。


「さぁ、俺さまのじゃらしテクに魅了されるが良い! 必殺っ……えっと、じゃらじゃらどーん! 」


 適当に思いついたような必殺技に、ビビはスン……としていたが、ふわふわとした先端がゆらゆらと揺れた途端に心臓からワクワクが飛び出した。なぜこんなものに興味を惹かれてしまうのか分からないが、楽しくて仕方がない。長い毛を揺らしながらお尻を振って飛びついている。


 カナデは夢中になって猫じゃらしを追いかけるビビを楽しそうに眺めていた。自分も参戦しようと構えた瞬間に、スマホから軽快な着信音が鳴り響いた。


「うーん。どうしよう」

「カナデどうした? 」


「友達からイベントダンジョンに行こうって誘いが来たんだ」


「マジか! いいじゃんいいじゃん、行って来なよ。パキラは来る気配がないしさ」


 スタンピートはスマホのインベントリを開いて、収納ボタンを押すと画面上に猫じゃらしを置いた。しゅっと消える様子を眺めながら、パキラを待って2人でイベント会場に行こうと考えていた、だが、連続で鳴ったフォンフォンフォンという着信音でコロッと気が変わってしまった。


 ゲイルやリンジェたちと固定パーティを組んでいた時もたまに一緒にダンジョンに行っていたフレンドからの誘いだった。最近、交流が少なくなっていた自分に連絡をくれたことが嬉しくて顔がにやけてる。


「俺にもお誘い来たーっ! イベ初日だもんな。チーム白ケモは、明日楽しむってことでっ。俺はインデンのイベ会場の入り口で待ち合わせなんだけど、カナデは? 」


「僕はガロンディアのイベント会場内にある時計台だよ。すぐ分かるかな……」


「大通りにある時計台だと思うから大丈夫だと思うよ。じゃあ、ここで解散だな。またなカナデ! 」


「ピートまたね! 」


 スタンピートはニカッと歯を見せて、手を振りながら紅石を握った。シュッと消える姿を見送ったカナデはガロンディアの街の商業地区を抜けた先にあるイベント会場へ足早に向かった。



 イベント会場はまっすぐに伸びた大通りの先にサーカスが公演しているんじゃないかと思うぐらいの巨大なテントがあった。真っ赤な布で隠された入口で入場案内NPCが軽やかな口調で説明をしている。どうやらここからショコラダンジョンに行けるようだ。


 中にあるドアでレベルの選択をしてから、パーティ毎に作成されるダンジョンに侵入するらしい。注意事項やよくある質問に関しては、スマホに追加されたバレンタインイベントアプリ見ればいいようだが、入口周辺にある掲示板でも詳細を確認できた。


 カナデは入口と入場案内NPCの真ん中付近にある時計台の前で、大通りを挟むように建ち並びぶ屋台を物珍しそうに眺めていた。小さなときに両親に連れられていった花火大会の屋台に似ているなと、ふとその時のことを思い出して、急に誰かとお喋りがしたくなってしまった。頭上にいるビビを腕に抱えて、ふわふわな錆色の耳にこっそり話しかけている。


「ビビ、後で屋台巡りをしてみようと思うんだけど……何を買えばいいか分かんないね」


「1こずつ買って試せばいいにゃっ。ケチケチしないで、レッツ大人買いにゃ。にゃふふふ……」


「そ、そんなことしちゃって大丈夫? 」

「それに近いことをしているプレイヤーはいっぱいいるから大丈夫にゃ」


 不敵に笑うビビに本当かなと疑いの目を向けていたが、カナデはしんぼうたまらん! という風にふわふわの毛に頬ずりをし始めた。小さな声でやめるにゃというビビの前足が顔をマッサージするように叩いている。


 楽しそうにじゃれ合っていると……カナデの名を呼び声が聞こえてきた。誰だがすぐに分かって、嬉しそうに振り返ったカナデの瞳に優しく微笑むカナリアの姿が映った。絹糸のような金髪をサラサラと揺らしてウインクする彼女に思わず見とれてぼうっとしてしている。


 カナリアははにかんでいるカナデに満面の笑みを向けながら挨拶をすると、ずらっと並ぶ仲間たちを紹介するように手を広げた。


「さぁ、カナデ、カナリアお姉さんあ~んど、愉快な仲間たちと一緒に遊びに行こう! 」


 ぱっとすぐにカナデに駆け寄ったディスティニーが興奮したように目を見開いている。


「カナデさんっ、立派な日本刀を作った話を聞いーー」


「カナデ君! あのリディに捕まったんだって? あいつ良いヤツだけど悪いヤツだから気をつけた方がいいぞ~。あっはっは! 」


「ちょっと、ミンさん、いま私が話をしてーー」


「あっ、その面白Tシャツいいね! イベ屋台でも手にーーぶはっ! ディスさんくすぐるのは無し! あはっ、あはははっ」


 目を白黒するカナデの前でディスティニーは自分を押しのけたミンミンをニヤニヤしながらくすぐっていた。どうしたらいいのか反応に困っているカナデを見かねて、ルードベキアがコラコラといいながら、彼らのくびねっこを引っ張っている。


 ビビはマキナの素晴らしい猫じゃらしテクニックに釣られてぴょんぴょん飛び跳ねていた。その姿をボーノはアイノテと一緒にほっこりと眺めていたがーーくるっとカナデに身体を向き直して、落ち着いた低い声で喋り出した。


「カナリアさん、まずイベ商店で絶対に買っておきたいアレコレ! ーーを、カナデさんに教えてあげた方が良いのでは? 」


 確かにと思ったのか、アイノテがポンと左手の平を右手拳で叩いた後にスッと軽く手を挙げた。


「ボーノ先生! 」

「アイノテ君、どうぞ」


「どこからでも、どの街にでもテレポートできちゃう、紅石がオススメです! 」

「体力と魔力を同時に回復する飴玉もいいんじゃない? 」


「カナリア君、発言する時は手を挙げましょう」

「はいっ。すみません、ボーノ先生っ」


 カナリアがニカッと笑いながらピシッと右手で敬礼をしている隣で、カナデはパーティメンバーを順番に眺めていた。カンストと言われるレベル50のプレイヤーが7人も自分の周りにいる……ドキドキしすぎて、ハーピーの魅了魔法がかかったようなほわんとした表情を浮かべた。


 頬を紅潮させながらトロンとした表情をしているカナデを見たカナリアは以前、イベント会場で興奮しすぎて倒れたフレンドを思い出して青ざめた。カナデの傍に急いで駆け寄って腰をかがめた。


「カナデ! 顔が赤いよ、大丈夫? すぐに救護テントに行こう」

「うわっ。カ、カナリアさん、大丈夫だよっ」


 ガバッと前から縫いぐるみのように抱きかかえられて、カナデの顔はトマトのように真っ赤になってしまった。間近にあるカナリアの長い金のまつ毛と艶やかな唇がさらに心臓の鼓動を速めている。


 その様子にさらに慌てたカナリアは熱を測ろうとしたのか、自分の額をカナデの額にコツンとぶつけた。


「リアルと違うから、熱があるか分からないわね……。あっ! さらに顔が赤くなってるじゃない。リアルの身体に同調しちゃうみたいだから、早くケアしてもらわないとーー」


「リア、たんま! ちょっと落ち着いてーー」

「ルー、何言ってるのよ。フレンドが目の前で倒れたことがーー」


「うん、知ってる! だけど、カナデは単に恥ずかしいから顔が赤いんじゃないかな? 下ろしてあげなよ」


「え? 」


 カナデは下を向いてもじもじしていたが、小さな声で喋り出した。


「僕……みんなの前で……恥ずかしいです……」


 勘違いだと気付いたカナリアはカナデと同じように……いやそれ以上の熟れたトマトのように顔を赤くして、自分の腕の中からカナデを解放した。仲間の笑い声を聞きながら恥ずかしそうに両手で顔を覆っている。


「カナデ、ごめんね。私、早とちりしちゃったみたい……」


「あっはっは! カナリアさんは優しさが爆発しちゃってましたね」

「ミンさん、あの慌てぶりはここ最近の優しさトップ5入りするほどでしたな」


 アイノテが腕を組んでうんうんと頷いた。ディスティニーやボーノも加わり、わいわいとカナリアをフォローするように話している。カナデは地面に足をつけた途端に、父親に駆け寄る幼子のように師匠であるルードベキアの元にタタタタタと向かっていた。


 ルードベキアは自分の腕に飛びついてぎゅっとしがみついたカナデに驚くことなく、白いケモミミを乗せた黒髪をわしゃわしゃと撫でている。ビビと遊んでいたマキナはいつの間にか買い物をしていたようで、カナデに黄色のリボンがついたプレゼントボックスを渡した。


「カナデ、俺とお揃いTシャツでダンジョンに潜るってどうかな? 」

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