それぞれの想いそれぞれの事情
第22話 ルードベキアのリアル事情
ーー今日は、なんてついていない日なんだ……。
VRシンクロゲーム神ノ箱庭で魔具師ルーベキアとして名を馳せている林総司は、現実の世界で苦境に立たされていた。なんでこんなに責められているのか分からず、配られた資料にボールペンで小さな渦巻きを描いている。ひきつる頬を何か思案しているような素振りをしながら左手で擦った。
WEBサイトの編集者である総司はクライアント会社で毎週木曜日に行われる定例合同会議に、いつものように参加していた。ライバル会社である株式会社バンビーノを交えたこの会議は、アクセス数やお客様相談室に寄せられた苦情などの他、マーケディングに関する事柄が議題の中心だった。
企画やページ割り振りについては、クライアントから直接それぞれの会社に依頼する形式だっため、今までコンペは行われていない。それなのに……なぜ一方的に自分だけ責められているのか総司には理解できなかった。
「ーーですから、こんな女性雑誌に載っているような写真では顧客の心はつかめません。運転するのは男性が多いのですから。なぜこのようなものを使っているのか、ホント、林さんのセンスを疑いますね」
株式会社バンビーノのエースともてはやされてるーーらしい田中が失笑している。そして手に持っていた写真付きの資料を、乱暴にオフィス用会議テーブルに投げた。
「ーーそれと、林さんが担当されている例の連載ページ。企画書をちらっと拝見させていただきましたけど、ーーまったくもって、ドライバーの気持ちを考えていない内容ですよね。それに取材先ですが、なんでこんな遠方にーー」
その取材先はクライアントである細谷が、ここ気になっているんですと言った温泉旅館だった。そう言いたかったが、総司は黙っていた。
それよりも企画内容が他社に漏れていることに疑念を抱いた。向かいに座る上司に助けを求めて凝視したが……彼はちらっと総司の顔を見て、すぐに目を背けた。アクセス数の表が乗っている資料をわざとらしく手に取って顔を隠している。
同僚の佐伯はというと……こちらに一切目もくれず手元にある資料を読んでいるふりをしていた。
「ーー出向かなくても取材先に言えば写真なんかすぐ手に入るのに、なんでこんなにお金をかけて作ろうとしているのか意味が分かりません。細谷さんもそう思いませんか」
「私は林さんが担当しているページに満足しているのですが……」
「いやいやいや、細谷さ~ん。あんな程度で満足しちゃだめですよ。わが社なら! もっと安くできます。さらにもっと顧客のニーズに合わせた内容をふんだんにいれて! 販売につながるような素晴らしいページを作れます」
田中はお客様スマイルを振りまきながら、会議用テーブルに手をついて身を乗り出して喋っていたが……急に表情を曇らせてゆっくりと背もたれに寄り掛かった。軽く腕組みをした右手で顎を触って困ったときにするようなポーズをしている。
「それにですね……林さんはモデルにしつこく付きまとっているともっぱらの噂ですよ。ストーカーに御社の大切な仕事をーー」
ーー待て待て、それお前が作ったネタで噂を流しているのもお前だろ。なんの根拠があってそんな話を……。
確かに総司はクライアントから借りた撮影用のクルマで、モデルのユリカと何度となく取材に行っているが、2人きりで出かけているわけではなかった。常にライターやヘアメイク、カメラマンの5人パーティで行動していた。
それはクライアントである細谷も知っていると言うのに……田中はパンパンに膨らんだ下品な妄想を口からぽろぽろと零している。
ーーおいおいおい……田中さんよ、勘弁してくれよ。今日は定例会議であって悪役令嬢の断罪イベントの場じゃないんだぞ。しかも……よくもまぁ、あんな嘘をベラベラと恥ずかしげもなく喋れるもんだな……。
なぜこんな無駄話を誰も止めようとしないのだろうか。総司は会議に参加している全員が黙って聞いていることを不思議に思いながら、隠し持っているカードを使おうか迷った。
演説に酔って興奮したのか、田中は頬をほんのりと紅潮させていた。さらにニヤニヤと笑いながら、言いたいことがあるなら言ってみろという風に会議用テーブルをトントンと叩いている。
「それで、当事者の林さんは、どうお考えですか? 」
挑発されて多少カチンときた総司は大きく息を吸ってゆっくりと吐き出した。
「運転免許を持ってない田中さんは、普段からクルマを利用している私よりも、ドライブ経験が豊富なんですね。運転手のドライブの楽しさを誰よりも理解しているなんて素晴らしいです」
今までドヤ顔で総司を攻撃をしていた田中の顔が、一瞬にしてこわばった。何か反撃があるかと思ったが無表情で無言のままだった。総司が使ったカードはヤツを沈黙させることに成功したようだが、気分が晴れるどころか逆に憂鬱になった……。
田中を含め、ほぼ全員が目線を泳がせて悪バツがそうな表情を浮かべている。気まずい雰囲気は定例会議が終了するまで続き、総司は意心地が悪いままを会議室を後にした。
「おい」
1階のロビーで上司の五反田が顔をしかめながら総司を呼び止めた。腕を組んでふんぞり返り、右足で貧乏ゆすりをしながら、大きなため息を吐いている。彼は怪訝そうな表情の総司が喋り出すよりも先に吐き捨てるように言葉を続けた。
「もう少しさ、大人になれよ! 黙って我慢してれば、空気を悪くすることなく穏便にすんだろうに。嫌味ったらしく正論を言えばいいってもんじゃないんだ! 」
「しかし、どう見てもおかしなことを言ってーー」
「今日はもういい。足の具合が悪いってことにして、帰社しないで帰れ。それとお前が持ってるあのページの件はストップだ。絶対に企画を進めるなよ! ……まったく、最近の若い奴ときたらーー」
五反田はシッシと総司を追い払うような仕草をすると、怒りを表すかのように大きな靴音を立てながら、肩を揺らして出口に向かって歩いて行った。回転ドアの前でタイミングを計っているようなステップを繰り返している。後から来た人に先を越されて焦ったのか、勢いよく入り過ぎてガラス戸に頭をごつんとぶつけていた。
総司は左手で杖の柄を軽く握りしめたまま、ぼんやりとその様子を眺めていた……。
「僕の名前は『おい』じゃないんだけど……」
メンタルという紙がビリビリと引き裂かれているいくような感覚を覚えた。総司は任された仕事は好きだったが……この先もこの上司の下で働くのかと考えたら……げんなりして小さなため息が漏れた。
やるせない気持ちを抱えながら歩き出そうとした時、同僚の佐伯が総司の肩を叩いた。
「林さんが担当してるドライブ情報のページなんだけどさ、バンビーノに譲るってことになってるみたいだよ」
「なんだよそれ……」
「俺さ、この間、喫煙室に行くときに聞いちゃったんだよね」
「何を? 」
「社長が五反田に『林のページをバンビーノに譲ることになった』って言ってたんだよね」
「社長が? なんでまた……」
「裏でバンビーノと金銭取引してるっぽいよ。うちの会社はもうだめだな。ーー俺、転職するわ」
「……最悪だ」
お前も転職先を探した方がいいぞ……小さな総司の分身が耳元で囁いている。総司は言われるがままに携帯を取り出しーー転職サイトアプリをダウンロードした。
自宅の玄関を開けると薄暗い部屋が待っていた。総司は明かりをつけずに玄関先に置いていた椅子に座って、ゆっくりと靴を脱ぐと、左膝を手で擦りながら自分に悪態をついた。
「ーーいまだにクルマに乗ってるなんて、頭おかしいよな。僕が誘わなければ、あんな事にはならなかったのに……」
1年ほど前、総司はたまには親孝行しようと思って、露天風呂から素晴らしい風景を堪能できるという温泉旅館に行こうと両親を誘った。しかし……楽しかった旅行の帰りに、居眠りトラックに追突されてしまった。運転手だった彼は命をとりとめたが、後部座席にいた両親は即死だった。
総司はいまだに……柄でもないことをしなければよかったと後悔しながら、生き残ってしまった自分を責めていた。
ひとしきりつぶやいて満足したのか、総司は壁にある台所の照明スイッチ押した。使われていないガスコンロにうっすらと溜まった埃が露わになった。独り暮らしを始めた頃は慣れない料理も楽しいと思ってアレコレ作っていたのだがーー。
今ではフライパンや鍋は素敵なインテリアになっている。炊飯器が壊れてからは、料理という文字は総司の辞書から完全に消えてしまっていた。
それらに目を向けずに、まだあったような気がするビールを取るために冷蔵庫の扉を開けたーー。これ食え、と書かれたメモが張られたタッパーが1本しかないビールよりも先に目に入った。3つ積み重ねられたタッパーを上から順番に取り出して確認している。
里芋とイカの煮物、肉じゃがに続いて、まだらな味玉たちを見た総司は陰鬱な気分を吹き飛ばせるぐらいの笑い声を漏らした。
「あはは。この味玉、悟兄さんが作ったんだな。ーー今日は弁当を買ってきちゃったから、明日にしよう。……伯母さんの料理、上手いんだよな。あとでお礼の電話しないとーー」
従兄の悟はVRゲーム神ノ箱庭でマキナと名乗っていた。年齢が2つ違いで近いということもあり、子どもの頃から様々なゲームを頻繁に遊ぶほど仲が良かった。
総司がクルマ事故の怪我のせいで、カメラマンとしての絶頂期だというのに引退をやむなく決断した時、悟は自分のことのように泣いていた。悟は編集者にジョブチェンジした総司を今まで以上に気に掛けるようになり、何かと理由をつけてはアパートに訪ねていたのだがーー気が付くとグレード過保護にバージョンアップしていた。
「総司、VRゲーム中に倒れていたら心配だから、合鍵寄こせ! 」
「えええ!? いや、それはいくらなんでも……。母さんにも渡してなかったのに、なんで悟兄さんにーー」
「いま彼女いないんだろ? 何かあった時どうすんだ。いいから寄こせ」
「いや、これから出来る予定だから。ちょっ、勝手に引き出しを開けーーってか何でスペアキーの場所を知ってるんだよ……」
ドン引きしている総司から鍵を奪った悟は家主が不在の時も頻繁に訪れていた。冷蔵庫に食材を発見したら悟がやって来たという証拠だった。総司はたまに冷蔵庫に貼ってある、へのへのもへじのイラストが描かれた悟参上! メモを過保護すぎる証拠として、いつかつきつけてやろうと、クッキーの空き缶にしまっている。
「朝飯はちゃんと食べろ」
「弁当作ったから持っていけ」
「ボタンがとれている。そのままでいいだって? すぐに脱げ、つけてやる」
「シャワーばっかりじゃだめだ。湯に浸からないと疲れがとれないんだぞ」
心配性の悟の小言は日を追うごとに増える一方だった。総司は母親じゃないんだからと文句を言いーーはいはい、と返事をしつつも、うんざりしているどころか、彼が会いに来るのをいつも心待ちにしていた。
「最近、リアルで悟兄さんを見ないな……。僕よりも仕事が忙しいくせに、このタッパー、冷蔵庫にいつ突っ込んだんだ? 」
総司は四角い卓上テーブルに、コンビニ弁当と伯母の手作り料理の代わりに冷蔵庫から取ったビール置くと、43インチモニターのリモコンスイッチを押した。並びにある電源がつけっぱなしのタワー型パソコンのパワーランプがチカチカと点滅している。それをちらりと見た後にブラウザを立ち上げて、動画配信サービスを表示した。
「あのイライラするアニメ、今日で最終回なんだよな……。ラストでスッキリさっぱりヨロシクっ! 」
ビールを飲みながら食い入るように見ていたが……30分後、総司は両手で顔を覆った。チーンという音と暗闇に残念でしたという白いテロップが流れているような、どん底を思わせる世界にどっぷりと捕まっている。
「嘘だろ……主人公と、主要人物すべてが死んじゃうってどういうことだ? ハッピーエンドを信じていたのに……」
がっくりとうなだれ、鬱憤を晴らすかのように飲み終わったビールの缶をぐしゃっと握りつぶした。
「今日は、なんてついてない日なんだ!! 」
そう叫んだ途端に、壁をドンッドンッと叩く音が響いたーー。総司はしまった! という顔をした後にビールの缶と食べ終わったコンビニ弁当を入れた袋を持って、台所にあるゴミ箱にゆっくりと向かった。手際よく可燃ごみと資源ごみに分けて捨てた後に、憂鬱そうに鉛のように重たいと感じた左足の太ももを左拳で叩いた……。
「こういときは箱庭で、ぱぁっと走り回るのがいいな」
飾りっ気のない寝室兼パソコン部屋に戻ってすぐに、モニター画面に表示されているアプリをマウスでクリックして立ち上げると、枕の傍に転がっていたVRシンクロヘッドセットを手に取ってじっと見つめた。
「ーーそういえばカナデはどうしたかな……。僕からリディに何か言っておいたほうが良かったな? 」
総司はベッドに寝転がりながら、昔ながらの古い和風な照明器具のコードにつけたタコ紐を引っ張って、起きた時に眩しいと感じないぐらいまで灯りを落とした。
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