第5話 閉じ込められたふたり
魔法陣のような文字と光の線が、獲物を逃がさないように翡翠湖周辺一帯を囲っていた。弾力がある壁をパキラは首をかしげながら、不思議そうに触っている。
「こんなの初めて見た。向こうは立ち位置禁止なのかな? 」
この世界の一部のボスモンスターはエンカウントすると戦闘テリトリーを形成するため、それを解除するにはボスモンスターを討伐しなければならなかった。ーーパキラは……そのことを知らなかった。
「分かんないから後にしよう。トカゲに囲まれる前にどこかへ移動しなきゃ! 」
パキラは壁に向かって右手にある樹木が密集する森へ逃げ込んだ。彼女を追いかけたワイバーンたちは樹木をなぎ倒そうと体当たりをしている。どうやら大きな羽が邪魔して隙間を通ることができないようだ。
6体ほどのワイバーンが牙を剥いて唸る様子に背筋がゾッと寒くなったパキラはさらに森の奥へ走った。あんなものに囲まれたら一巻の終わりだったと震えている……。ドーンドーンという大きな音が聞こえないように両耳を手で塞ぎ、荒い息遣いのまま大木に背を向けてしゃがんだ。
「落ち着け……落ち着くんだパキラ……これはゲームなんだから、現実じゃないんだから大丈夫。きっと何か打開策がある。安全地帯が用意されてるなら絶対にーー」
撤退だ! と叫ぶゲイルの声を聞たような気がしたパキラは必死に冷静になろうとしていた。だが、彼からかなり離れてしまっていたため、確信が持てず、さらに混乱してしまった。
「こんなの今まで無かった……。ゲイルたちを探しにーーでも、いなかったら? 逃げていいのかな……仲間を見捨てて街に戻ったら、非難されるよね? でも、私を置いて先に逃げたかもしれないし……。どうしたらいいか分かんないよ! 」
円満に固定パーティから離脱したいパキラは仲間と自分を天秤にかけたまま、次の一手に踏み出すことができず、迷い続けた。
パキラと同じ森に逃げ込んでいたスタンピートは諦めようとせずに森に侵入を何度も試みているワイバーンを弓を構えながら見ていた。樹木は炎を受けても燃え上がることなくーークスクスと笑うかのように枝葉を揺らしている。
ワイバーンが体当たりし始めたが、なぎ倒されることなく微動だにしない樹木の様子に、スタンピートはホッと胸を撫でおろしたーー。
「森が
スッとスマホを取り出してメモアプリのアイコンを押すと、スタンピートは軽やかに文章を書き連ねた。何か情報を得る度に書き込む癖があった彼は翡翠湖というタイトルの下にあったーー雑魚は楽勝という文字を削除した。
「話し……盛ってたんかな。……鵜呑みにしすぎた」
スタンピートはがっくりと肩を落として大きなため息を吐き出した。ボスからの直接攻撃ない今なら、どこかに逃げ道があるかもしれない……そう思いながらトボトボと歩き出した。
しばらく辺りを見渡しながら進んでいるとーーピコピコと揺れている白いケモミミがスタンピートの瞳に映った。
「パキラさん!? 良かった……早く合流しようーー」
紫陽花のような葉をつけた低樹木たちが、急いでいるスタンピートの行く手を阻んでいた。スタンピートは腕を組んで少し考える様な仕草をした後に、おもむろにサブ武器である片手剣を取り出すとーー乱暴に振りながら邪魔な植物たちを切り崩していった。
仲間が1人生き残っていることで冷静さを取り戻した彼は軽い気持ちでこの狩りに参加したことを後悔し始めていた。
ーー逃げられないなんて最悪だ! もっと事前に調べりゃよかった……。なんであの時パキラの意見を、ちゃんと聞かなかったんだ俺はっ!
ガツッ!
勢い余って大木の樹皮に片手剣の刀身がぶつかった。ぴりぴりという震度を感じながら、スタンピートは手をだらんと降ろして立ち止まった……。しばらく足元に散らばる枝葉を眺めていたが、息を大きく吸い込んでゆっくりと吐き出しーー白いケモミミが見える方向を確認した。
「もうちょい左か」
ワイバーンが樹木に体当たりしていたドーンという音はすでに止んでいたが、パキラはまだ安心できないのか、緊張しながら落ち着かなくキョロキョロしていた。鳥の羽ばたき音や鳴き声はもちろん、風で揺れる葉擦れですら身体がビクッと反応している。
「VRゲームの独りってこんなに怖いのね……。ソロプレイしてる人を尊敬しちゃうかも」
いつものようにテキパキと対応できない自分にもどかしさを感じていると、スタンピートのオレンジの髪が茂みの向こうで揺れていることに気が付いた。もうすぐそこまで近づいていると分かったパキラはすくっと立ち上がった。
スタンピートは片手剣をスマホにシュッとしまうと、少し首をかしげて、いつもの挨拶のように右手を軽く上げた。周囲を警戒しているのか、それとも気が張り詰めたままなのか……硬い表情をしている。
「よぉ」
「スタンピートさん……」
「無事で何より」
「うん」
言葉を交わしたことで、パキラとスタンピートは安心感を覚えた。仲間と合流できた嬉しさで自然と笑みがこぼれている。不安に押しつぶされそうになっていたパキラはやっと本来の自分を取り戻したような気持ちになった。
「あの……ゲイルさんが撤退って叫んでましたよね? リンジェさんは? 」
「あぁ、だけど判断がちょっと遅かったよね。残念だけど2人ともデスリターンしたよ。ーーパキラさんさ、魔法の壁っぽいの見た? 」
「この森に入る前に見ました。触ると弾力があったのでなんだろうって、思ったんですけど……進入禁止エリアなんでしょうか? 」
「いや、単純に俺たちをここから出さないための壁だと思う。来た道を引き返そうとしたらさ、ぶつかって跳ね返されたんだよ」
「え!? そ、そんな……じゃあ、私たち、閉じ込められちゃったんですか? 」
「そうだと思う。聞きかじった話で悪いんだけど、冒険者ギルドで……プレイヤーを閉じ込めるテリトリーを作るボスがいるって、耳にしたことがあるんだ」
「は、初めて知りました……。どうすれば出られるんですか? 」
「このテリトリーを作ってるボスを倒さないとダメなんじゃないかな。あんな壁をボス戦で見た事なかったから、今まで気にしてなかったよ。まさか今日……実体験するなんてねーー」
緊張が解けたスタンピートはぐったりとした表情をしながら、そうなんですね……とぼそりと言ったパキラの傍にある樹木に寄り掛かった。立ち並ぶ木々をぼんやりと眺め……疲れたような声を出した。
「俺さ……歯が立たなかったら戦闘モードが切れるところまで逃げればいいーーって思ってたんだよね」
「私もそれ思ってました……」
「もっと確かな情報を手に入れてから来るべきだった。準備不足だったと反省している。ごめんな」
「いいえ……私も、もっと反対すれば良かったと思ってます」
パキラはスタンピートの言葉に驚いていた。今まではチャラくてふざけた言動が多かったが、本当は真面目で礼儀正しい人なのかもしれない。あれこれ彼のことを考えているうちにーーふと大事なことを失念していることに気が付いた。
「あ、移動石ーー」
「ーーあ」
「何で忘れてたんだろう。それ使えばいいんじゃないですかね? 」
「ナイスパキラ、あったまいい! それだ! 」
ふたりはすぐさま身に着けていたバッグを開けて、手のひらサイズで縦に長い細身の八面体の移動石を取り出すとーー力いっぱい握った。
「あれ? 」
「え? 」
使用した時のエフェクトがないーーと思った直後に、ブーというビープ音が流れた。シュッと眼前に表示された赤い文字には『戦闘中のため使用不可』と書かれていた……。スタンピートとパキラはエメラルドのように輝く移動石を眺めながら……がっくりとうなだれた。
「っざけんな、クソがっ! 」
「ごめんなさい……」
「あ、いや、言葉が汚かった……俺こそごめん」
「ううん」
ふたりの間にまたもや重い空気がずっしりと圧し掛かった。ぬか喜びさせてしまったことを気にしたパキラはしょんぼりして押し黙った……。
だがスタンピートは頭をフル回転させて、いままでの状況を思い出して整理していた。スマホのメモアプリにタタタと素早く情報を打ち込みながら、諦めずにどこかにある突破口を探している。
「パキラ、ワイバーンって、どこから沸いてたか見てた? 」
「えっ、うーん。確か……湖面上の大きな紫色のクリスタル? からだったと思います」
「湖面の竜巻ってまったく動いてないよね? あれってボスと直接対決すると動くのかな……。あ、それと、ボスを武器でダゲると落雷が落ちるっぽい。これはーーごめん、俺がさっき体験して分かった……」
「え……じゃあ、あの雷ってーー」
「ホントごめんっ。雑魚にイラついて、つい、ボスを狙ってしまいまして……。あはは……」
「えっと、いえ、気にしないで下さい。ーースタンピートさん、このままここで時間つぶしたら、出られるようにならないですかね? 」
「ここが安全なら、そういう手もあるけど……移動石が使えないってことはさ、ボスは臨戦態勢とってるってことだよね? 」
「私たち……逃げられないんですね……」
パキラは逃げ出すための良いアイデアはないかと考えながら、トントンとブーツのつま先で木の根を小突いた。他のゲームなら壁ギリギリでログアウトすればなんとかなりそうだが……この神ノ箱庭 というゲームのログアウトは街限定だった。
ーー強制ログアウト時間まで粘っちゃう? 確か近くの街に戻されるんだったような……。そんなに長くゲームやったことないから忘れちゃったな。でも……後4時間もこの状態でいるなんて無理があるよね。それは最終手段にして……。
「あっ、ゲイルさんや、リジェさんに助けを求めるというのは? 」
「それは難しいと思うぞ。ゲイルは分かんねぇけど、戦いもせずにさっさと逃げ出したリンジェさまは……今ごろデスペナで発狂してんじゃねぇか? ーーってか、2人ともログアウトしてるし! パキラ、フレリスト、見てみ」
パキラは言われるがままに、ゲームを始めた頃から使っている茶色い革の斜めがけバッグからスマホを取り出した。フレンドリストのアプリアイコンをポチっと押して、指でなぞった。
「……ホントだ。ゲイルさんまでログアウトしてるなんて……」
「ゲイルはーーあの状況じゃあなぁ。いままでデスリターンしたことなかったみたいだから、ショックがでかかったのかも」
「そうなんですね。私はいつの間にか皆んなと離れちゃってたから……申し訳ないことしちゃいました」
「気にしなくていいんじゃないかな。俺は失敗をバネにして、さらに強くなれば良いと思うんだよねーー。ログインしている他のフレはっと……。うーん、レベルが俺と同じぐらいか、低い人しかいないな。ーーここのことは知らなさそうだ」
スタンピートと同じようにパキラも助言がもらえそうなプレイヤーを探していた。スマホのフレンドリスト画面をさーっと流れるように目線を動かして表示されているレベルを見ている。
「あ、カンナさんがログインしてる! レベル40台だから、何か知ってるかもしれないです。メッセ送ってみますねーー」
「待った! 」
カンナと言う名前を聞いてぎょっとしたスタンピートが慌てたようにパキラの腕を掴んだ。パキラはきょとんとした顔で真剣な目をしている彼の手をそっとはずした。
「あの……何でですか? 」
「いきなり腕を掴んでごめん。カンナさんに聞くのは止めた方がいい。金とられると思う。しかも、ものすごぉく高い! 」
「ええ!?ーーそうなんですか? 」
「実は俺もカンナさんとフレなんだよ。ーー情報通で有名だったから、連絡したことがあるんだけどさ……」
スタンピートは左手を腰に当てて、右手を顎のあたりに添えるとーー声音を高くしてセリフっぽく言葉を続けた。
「ごめんなさぁい。その情報は貴重だからぁ、ただではあげられないのっ」
スタンピートのモノマネに思わずパキラは弱弱しい笑い声を出した。確かにそんな喋り方だったかもしれない……パキラはカンナと出会った時のことを思い出そうとして目線を上げた。
「ーーそんでもってさ……10万ゴールド要求されたんだよ」
「ひぃ」
小さな悲鳴を上げたパキラの肩をスタンピートは経験者は語るといった面持ちでぽんぽんと叩いた。さらに、だから止めた方がいいと言って、ため息を吐いている。
パキラはガロンディアの街でその猫耳可愛いねと話しかけられてフレンドになって以来、カンナと会うことも、メッセージのやり取りをすることもなかった。そのためカンナが情報でお金を稼いでいることをまったく知らなかった。
気軽に何かを聞くのは止めよう……パキラは心の片隅に注意事項のメモを貼った。
「そういう人だって知りませんでした。連絡するのは止めますね」
「うん、そうした方がいいよ。ーーでさ、話を戻すけど、ワイバーンが木に体当たりしてた音、消えたよね? 」
「そうですね、諦めてたんでしょうか? もしくは初期位置に戻ったとか? 」
「ボスより先に雑魚をなんとかしないと駄目だと思うから、とりあえず……ワイバーンを確認しよっか。俺がいた方に行ってみていいかな」
スタンピートは自分が片手剣で切り崩した茂みを指差すと、ドーン、ドーンという激しい音を響かせていた森の端を目指して、パキラともに歩みを進めた。
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