第二話『こんにちは異世界』

 ……背中がチクチクする。なにかこう、細い植物が刺さっているような――



「……って、ここ草むらかよ⁉」



 それが、俺の異世界での第一声だった。しかしそんな感慨に浸る間もなく跳ね起きて、俺はすぐさまあの神を名乗るジジイの顔を思い浮かべ――



「おいジジイっ!もう少しましな転送場所はなかったのかよ!」



 もっとこう、人のいない宿屋のベッドとか、そこまでではなくても空き家の片隅とか!



『無茶なことを言うではない!誰もいないはずの場所から人が出てきたら事案であろう⁉』



 俺が怒鳴りつけると、すぐさま俺の脳内にジジイの声が響く。ガンガンとうるさいが、不思議と頭痛などの不快感がないのがまだ救いだった。



「事案だよ、事案だけどさ!それにしたってもっとやりようあったろ⁉」


『水の中じゃなかっただけまだましだと思えんのか!』


「それは文句通り越して論外なんだよ!」



 さっきアイツが言ってた『一週間もたない』って、まさかこいつが変な場所転送したからじゃないだろうな⁉



『あくまでたとえ話にすぎんわ!……まあいい。貴様、足元を見てみるとよい』


「たとえ話じゃなかったら怖いわ――って、足元?」



 ふと語調を引き締めた神の言葉につられ、俺は足元を見る。そこには、赤い表紙の分厚い本が落ちていた。タイトルは――『異世界図鑑』。



『貴様の望んだ図鑑じゃ。異世界の常識から今研究されているような細かい事象まで、この世界に存在する事象をほぼすべて情報として収納している。……どうじゃ、満足したか?』


「……完璧じゃねえか」



 先ほどまでの怒りも忘れ、俺は異世界図鑑を拾い上げる。その重みも表紙の感触も、俺が愛してきた図鑑の装丁そのものだった。



『どうじゃ、これで少しは感謝する気に……』


「少しなんてもんじゃねえよ!ありがとうジジイ……いや、神様!」


『すさまじく現金じゃな⁉』



 少し誇らしげな神様に、俺はぺこぺこと頭を下げる。ああ、まさかこうやって図鑑をまた手に取れるなんて……‼



『……まあよい、それがあればしばらく知識には困らんじゃろう。近くにそこそこ大きな町がある。生活に困らないだけの装備は授けてあるから、とりあえずはそれで凌げる。……それで文句はないな?』



「ああ、聞きたいことは聞けた!ありがとな神様、俺異世界生活頑張るよ!」


『よろしい。……では、貴様の健闘を祈っておるよ』



 そう言うと、それ以降神の声は聞こえなかった。通信の接続を切ったとか、そんなノリなんだろう。しかしそんなことよりも、俺の興味は異世界図鑑にあった。



「へえ……ほんとによくできてんなこれ」



 表紙にイラストなどは描かれていないため、ぱっと見の印象は辞書のそれに近い。まあ辞書も広義では図鑑に当たらなくもないし、そこらへんは許容範囲だ。実際辞書も好きだし。



 早速ページを開いてみると、一ページ目には『この図鑑について』と書かれていた。



「使い方の説明みたいなもんか……」



 パッと目を通すと、気になる文章がいくつか見つかる。しかし、基本的な構造は普通の図鑑と変わりないようだった。



 まず、この図鑑は本当に異世界のすべての事象を網羅しているようだ。この厚みはあくまで『俺が想像する理想の図鑑の姿』らしく、その情報量はこの見た目よりもはるかに多いらしい。まあ、異世界の情報をすべてまとめようと思えばそりゃそうなるか。それならばほしい情報を探すのは大変だろうなと、なんとなく思っていたが――



「……『この図鑑は、使用者に今必要な知識を優先的に掲載する機能を持っています』……か』



 その一文に、俺の想像は覆された。しかもその機能はオンオフ可能。つまり、普通の図鑑みたいにただ何となく読み漁ることも、直近で必要な情報のみを優先して得ることも可能と、そういうことらしい。……なら、少し試してみるか。



「……『優先情報、適用開始』」



 図鑑に記されていた起動ワードをつぶやき、俺は適当なページを開く。……そこにあったのは、『異世界転生者が知っておくべき常識』という見出しだった。



「どこまでも、俺のために作られた図鑑ってことだな……」


 さしずめあの神がそういう項目を作っておいたのだろう。そこまで気が回ってどうして転送場所を考えられなかったのかと問いたい気持ちにはなったが、それよりも図鑑を読むのが先だ。



「なるほど、異世界カレス……か」



 簡単にまとめると、この世界はカレスといい、冒険者が稼業として成り立つ世界であるらしい。当然魔法や魔物も存在するが、それも場所によってまちまちで、その気になれば一生魔物に関わらず生きることもできるのだとか。……そう聞くと、いい場所のように思えるな。そんな世界なら、確かに草原が初期位置でも場所によっては大丈夫なのかもしれない。……いや、背中は痛かったが。



「……そういや、町に向かえって言ってたっけ」



 草原の風に揺られながら立ち読みも乙なものだが、どこか腰を落ち着けられる場所が欲しいのも事実。それに、ここがいつまでも安全とも限らないしな。



 そう思って歩き出そうとしたが、そうなるとどうにも図鑑がかさばってしょうがない。小脇に抱えてもいいのだが、そうやって落としたりでもしたらそれこそ身もふたもない。どうにかならないものかと閉じた図鑑をもう一度開き、それっぽい情報を探していると、一つの項目が見つかった。



「『アイテムボックス』……?」



 曰く、『自分以外干渉することができない固有の空間』らしい。とんでもない魔法に思えるが、意外にもカレスの人間は全員使えるのだとか。……そしてそれは、俺も例外ではなかった。



「……ボックス、オープン」



 そうつぶやくと、目の前に小さな半透明の空間が出現する。ふとのぞき込んでみるが、底は見えなかった。図鑑によれば、空間魔法の一種らしい。かなりの容量を誇るだけでなく、望んだものをすぐさま取り出せる機能も備えているのだとか。もっとも、それに関しては才能の有無があるらしいんだけどな。



「……そう考えるとすっげえ便利だな、これ」



 そんなことを思っていると、『関連項目はこちら』という一文が目に留まる。その矢印をたどってページを開くと、今度は『図鑑の収納について』という項目が。ざっと目を通すと、そこにはとんでもないことが書かれていた。



「『この図鑑には、専用の召喚呪文が存在します』……いやマジかよ」



 つまり、欲しいときにその呪文を唱えればわざわざアイテムボックスを開かなくてもいいと、そういうことになるらしい。……どこまで便利なんだ、これ。



 少しばかりの不安点も解消され、俺は図鑑をアイテムボックスの中にしまう。『クローズ』とつぶやいてボックスを消滅させると、俺はくるりと反対を向いた。



 さっき読んだ情報によれば、ここは『マルデロ平原』というらしい。穏やかで、冒険者稼業を始めるのにぴったりな場所なのだとか。ご丁寧に併記されていた地図によれば、今俺が向いた方向に町があるらしかった。



「さて、少し頑張るか……」



 図鑑オタクだった俺だが、体力に不安はさしてない。重い図鑑を数冊図書館で借りて家に持ち帰るのはそこそこ体力のいる作業だったしな。



 サクサクと気持ちのいい音とともに、俺は草原をのんびりと歩く。記述通り大きな魔物や獣の類は見当たらず、時折吹いてくる暖かい風が心地よかった。



「……あれ、か?」



 そうして特に何も起こらないまま十分ほど歩くと、ほどなくして少し大きめな門が見えてきた。石で作られたアーチは凱旋門を思わせるが、それよりも少しスケールは小さいだろうか。その周りには冒険帰りらしき人々が列を作っていた。がやがやと楽しげなその列の最後尾に立ち、俺は図鑑を取り出す。



 ……どうやらこれは、どんな街でも行われていることらしい。冒険に出て帰ってこない時などに、その緊急事態に少しでも早く気付くためなんだとか。



「なるほどなあ……」



 冒険者という稼業が根付いているからこその慣習に、俺は思わずそう声を上げる。冒険者って言うともっとハイリスクハイリターンなイメージがあったが、案外ちゃんと保証がある仕事なんだな……



 そんなことを考えながら図鑑を読み漁っていれば、そこそこ長い列を並ぶ時間も苦ではない。列に合わせて少しずつ前進すると、やがて窓口のような場所にたどり着いた。



「こんにちは。この街にはどういった御用で?」



 茶色の帽子をかぶったお兄さんが、にこやかに俺にそう問いかける。そのさわやかさに俺も笑い返して、図鑑に書かれていた言葉を思い浮かべながら、



「辺境の村から来ました。ここなら働き口もたくさんあると聞きまして」



 と、よどみなく返した。これも、『初めて町に入る前に』という図鑑の項目の受け売りだ。



「なるほど、職を探しに……それならこの町はぴったりですよ。大きすぎませんし、王都のような騒がしさもありません」


「ええ、ここら辺はいい雰囲気ですね。穏やかで、でも活気があって」



 俺の返答に感心したのか、お兄さんは上機嫌にそう話した。それに返す俺の言葉は、ここまでの道のりの素直な感想だった。流石にそこまで図鑑は網羅してないからな。異世界を快適に暮らすための図鑑ではあるが、攻略本かと言われればそれは微妙に違うのだ。頼れる存在でこそあれ、完璧にもたれかかれる存在かと聞かれると怪しいところだった。



「そうなんです。きっとここなら、いい職が見つかりますよ」


「ありがとうございます。……通行料は、これで足りますか?」



 どこまでも好意的なお兄さんに俺はぺこりと頭を下げ、並んでいた時に取り出しておいた銀貨を差し出す。冒険者や商人などの身分保障がない人間には必要なものと、そう書いてあったのだが……



「いえ、かまいませんよ。今から働き口を探そうって人からお金は取れませんし、僕のへそくりからあなたの分の通行料は工面しておきます」



 内緒ですよ?と、お兄さんは銀貨を受け取らずに俺の手に握りこませた。…………いや、いい人過ぎないかこの人……?



「……いいんですか?」


「ええ、もちろん。なんせ僕も、あなたみたいにこの街に職を探しに来たことがありましてね。大変だった時のことを思うと、応援してあげたくもなるってものです」



 なるほど、同じ境遇ってことか。まあそれでもこのお兄さんが優しいことには変わりないし、それを当然のことのようにできることへの感動は一ミリも揺るがないのだが。



「……ありがとうございます。このお礼は、いつか必ず」


「いえいえ、お構いなく。そのお金でいいお宿にでも泊まってください」



 そういうと、慣れた手つきで書類を書き始める。……いつか絶対お礼に来ようと、俺は内心強く決意した。



「……ああ、そういえば。……お名前、聞いてもよろしいですか?」



 ふと向き直ると、お兄さんはそう聞いてきた。さしずめ書類に必要なのだろうと俺は内心納得して、



「花谷大翔って言います」


「なるほど、ヒロトさんですね。……こちら、滞在許可証になります。身分証明のためのものなので、アイテムボックスに収納しておいてくださいね」



 俺が名乗るとお兄さんのペンが動き、最後にポンとスタンプが押される。その書類は異世界語でつづられているはずだが、不思議と読むのにストレスは感じない。神様が言うところの『基本装備』に、異世界言語の翻訳機能も含まれているのだろう。



お兄さんのアドバイス通りにそれをアイテムボックスへと放り込むと、お兄さんはにっこりと笑う。そして、街の中を手で指し示すと――



「それでは、ようこそカガネの町へ!あなたの生活に、幸多からんことを!」



 ――その言葉とともに、カガネの街は俺を迎え入れたのだった。

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