図鑑片手に異世界スローライフ――今調べるからちょっと待ってて!―—

紅葉 紅羽

プロローグ『とある日の一コマ』

「逃げろおおおおおおおーーっ‼」



――唐突だが、俺、花谷大翔はモンスターに追われていた。後ろから迫っている重厚感たっぷりの足音を感じながら、だだっ広いサバンナを全速力で。近くに遮蔽物はなく、どうにか逃げてはいるがスタミナの限界も近い。……つまり、途轍もなくヤバい状況だった。


「ちょ、あれ見たことない!ヒロト、あれ何者⁉」


「ちょっと待ってろネリン、今調べ……ってはやあっ⁉」



 隣を走る少女――ネリンに急かされ、俺は右手に携えていた図鑑を開く――が、迫るモンスターの動きは想像以上に早かった。やたらデカい体に似合わないスピードに驚いていると、カエルのような体についた黒々とした大目玉と目が合う。……なんだあれ、凝視すると想像以上に怖い!



「ヒロト、早く!あれヤバいやつなんじゃないの⁉」


「今やってる!えーと、『服』、『薬』、『隣人との付き合い方』、『探検術』……」



「ねえ、なぜかしりとりになってるのは偶然よね!偶然なのよね⁉」



「偶然だよ!『月と暦』、『民衆の性格』、『薬』、『隣人との付き合い方』……」



「やっぱり狙ってるわよねえッ⁉」



 隣でネリンが騒いでいるが、全力で探してそれなのだから仕方がない。というか、そもそも図鑑なんて走り回りながら正確にめくれるものでもないのだ。



 しかし、情報が無ければ打開策が見つかるはずもないわけで。あれでもないこれでもないと呟きながら図鑑をめくっているうちに、足音はどんどん近づいてきて――



「やばいやばいやばい、追いつかれる!ちょ、誰か助け……」



「えっと……あったぞ、『死んだふりの仕方』!」



「縁起でもないこと言わないでくれる⁉」



「しゃーないだろ、これだけめくって使えそうなのがこれだけなんだから!、ほら、まずは頭を下げて――」



「本気でやるつもり⁉失敗したら二人そろってお終いだけど!『死んだふりしてほんとに死んだ冒険者』とか、そんな無様な称号着せられたくないんだけど⁉」



「俺だってそんな称号イヤだわ!だからほら手順通りにいくぞ、まずは頭を――」



「死んだふりをするのもごめんだって言ってんのが伝わんないのかしら⁉」



 いやいやと首を振るネリンをなだめて、どうにか俺は死んだふりをしようとする。動き回るその頭を押さえ、二人そろって無理やり地べたに崩れ落ちようとして――



「……そうだ、そのまま頭を下げていてくれ」



 凛とした声が、はっきりと聞こえた。……その声に従い、俺はペタンと頭を下げる。あれほど嫌がっていたネリンも、すんなりと俺の動きに続く。……その声の主を、知っているからだ。



「……『オーバーフロスト』」



 頭を下げた次の瞬間、青い光が俺たちの頭上を通過した。ガキインッ!という小気味いい音を残して、その光が背後で弾ける。パキパキと音がして、恐る恐る振り向いてみると……



「……うっわ」



 カエルとトカゲを足して二で割ったうえで超でかくしたような怪物が、走っていたままの姿勢で凍り付いていた。逃げるのに夢中であまりはっきりとみていなかったが、よく見るとなかなかに――いやクッソグロい。大きな氷塊が平原にたたずんでいるさまは中々に幻想的だが、だからと言ってモチーフのグロさを打ち消すことはできていなかった。



「……あたしたち、こんなのに追われてたわけ……?」



「らしいな……良く逃げ切れたわ」



 現実に立ち返ると、ふと今までなかった恐怖感がこみあげてくる。……そっか、俺死ぬ一歩手前だったんだな……。死んだふりだ何だといっていたが、冗談じゃなく死は俺たちの隣に立っていたわけだ。



「……逃げ切れたというのは、いささか間違いがあると思うのだが?」



 ネリンと二人で無事を喜んでいると、少しとげのある声が飛んでくる。凛としたその声は、荒野によく通る聞きなれたもので――



「……『手分けして効率を上げよう』などと言い出した時は感動したものだが、やはりまだ危険が過ぎたな……私も少し想定が甘かった」


「……返す言葉もねえよ、ミズネ……」



 濃い青の髪を肩口まで伸ばしたエルフの少女――ミズネが、腰に手を当てて俺たち二人を見下ろしていた。



「まったく、早めにこちらの持ち分を終わらせておいて正解だった。もう少し遅れていたら、二人そろって今頃胃の中だぞ?」


「「ひっ」」



 大いにありえたその未来に、俺とネリンは背筋を震わせる。……俺たちを叱るように見下ろすミズネから、後光がさしているように見えた。



「神様仏様ミズネ様だぜ……マジで頭上がんねえよ」


「ホトケサマ、というものが何かはわからないが、ノエル様と私を並べるのはいささか大げさすぎるぞ。おだてても私からは何も出ないからな? むしろお前たちの小遣いを少し引いてやりたいくらいだ」



「別におだててるわけでも何でもないんだよなあ……なあネリン」


「そうよ……マジでミズネが神様に見えたわ。このバカが肝心な時に限ってモンスターのページ開けないし、ほんとに終わったかと思ったわ」



 心底安心したようなネリンの言葉に、俺は同調するようにうなずく。そうそう、ミズネがいなきゃ俺らは……



「っておい、バカとは何だバカとは」


「バカって意味よ。普段はあんなに無駄にページ捌き正確なクセに、肝心な時にしりとり始めるやつがバカじゃなきゃなんだっていうの」



 噛みつく俺に、ネリンは涼しい顔でそう返す。ほう……なかなか言ってくれるじゃないか。それならば俺にも考えがあるぞ。



「死んだふりにはたどり着いたが?」


「その程度でどや顔しないでくれる⁉」


「実際頭下げたからミズネがスムーズに打てたんだろうが!そっちこそ騒ぐだけでなんかしたか⁉」



 俺は記憶しているぞ!ネリンがただオタオタするだけで、怪物から逃げるのに際してなにもしていないということを!



「あーあ、普段あんなに修行してるのにな! パニックになっちゃそれも形無しってことか!」


「うぐっ、なんでそんなこと覚えてるのよ!あんたずっと辞典引いてたはずでしょ⁉ というか、修行の成果がかけらも出てないのはあんたも一緒じゃない」


「お、俺は図鑑引いてただけだし⁉ それに比べてお前はなんだよ、やったことと言えば突っ込みだけじゃねえか!」


 何もしなさ過ぎて逆に印象的だったわ! 下手に何かされてアイツを不用意に刺激するのが危険だったのも事実だけども!



「ぬぅぅぅ、目的のページは開けなかったくせに……!」


 俺の反論に、ネリンは悔しげに唇をかんでいる。ここまできれいに言いくるめられるとは思っていなかったが、この場で俺が正しいのは事実だった。



「ちゃんと頭下げたのが生きたから結果オーライだな!ほら、自分のこと棚に上げたことに対して、何か言うことがあるんじゃ――」



「……悦に浸っているところ悪い。……別に二人がそのまま逃げていても、私の魔法があれを射抜いていたのは変わらないぞ?」



 ………………へ?



「ミズネ、今なんて……」


「簡単に言うと、だ。お前らが頭を下げていようがいまいが、私の魔法が起こした結果は変わらない。一応二人の間を狙ったからな」



 頭を下げさせたのはただの保険だ、とミズネ。…………へっ?



「えと、つまり……」


「私からすると二人とも同レベルだ」


「「ごめんなさい」」



 ミズネからの辛辣な言葉に、俺とネリンはノータイムで土下座を敢行する。ペタリと頭をつけてしばらく、ミズネがふっと微笑むような声が聞こえた。



「顔を上げろ。……私が間に合うまで逃げたという事実は、明確にあるのだからな。魔術のコントロールもままならなかったころから考えると明らかな進歩だ。……まあ、まだ私が付いていなければならないようだがな」



 顔を上げると、まるでミズネが慈母のようなまなざしをこちらに向けている。それは嫌味でも何でもなく、純粋に俺たちを評価しているもので――



「……ミズネ……いや、ミズネ様……」


「……あたし、ミズネに一生ついていくわ……」



 俺たちは上げた顔をもう一度おろし、今度は拝むような形でミズネに向かって手を合わせる。さっきまでの争いが嘘のように、俺たちは同じ聖人をあがめていた。



「あまりそう持ち上げるな、ただの経験値の差でしかないんだからな。……お前たちも、少しずつ積み上げていけばいいさ。ほら、帰るぞ。アリシアが拠点で待ってる」



 照れくさそうに頭をかきながら、ミズネはくるりと俺たちに背を向ける。俺たちが借りている宿に向かって歩くその背中を、俺たちも追おうとして――



「……あの、ミズネ様」


「……ねえ、ミズネ?」



 俺とネリンが呼び止める声が、重なった。俺たち二人は顔を見合わせ、同時にうなずく。言葉を交わす必要などない。今この時、俺たちの心は一つだ。



「どうした二人とも。……まさか、ケガを……」




「「…………腰が抜けちゃって、立てない…………」」




「…………成長しているという言葉、撤回させてもらうとしよう」



 引っ張って立たせて?と手を差し出す俺たち。……それを助け起こすミズネの視線は、いやに冷たかった。




 ――これは、俺の日常。……察してくれた方も多いと思うが、この物語の舞台は日本じゃない。……いや、地球ですらない。



 カレス。それがこの世界の名前だ。どういう訳か俺はこの世界に転生し、そしてこうして仲間を得て、時に殺伐とした、でも緩やかなスローライフを送っている。



……特に面白みもない話かもしれないけど、それでも聞いていってほしい。俺の過ごす、奇妙で愉快な日常の話を。



 ――すべての始まりは、今から三か月前にさかのぼる――

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