4.警戒心の強い猫

 時雨原は広い。少なくとも人の足で歩き回るには広すぎる。

 昨日とは全く違う場所を隈なく歩き回ってみるも、化け猫の居場所を突き止めることは出来なかった。その上、時雨原にはまだまだ行っていない場所がある。その全てを歩き回れば、いつかは化け猫に会えるのだろうか。

 その前に、また新しい犠牲者がでてしまったら。

「どうしよう……」

 暗闇の中、卯月は呟いた。

 場所は彼女の自室。時計は間もなく零時をさす。部屋は真っ暗だが、卯月は天井を見つめたまま布団の上に横たわっていた。

 お面はまだ付けたまま。眠くなったら外そうと思っているのだが、なかなか睡魔はきてくれない。その理由は間違いなく、昨日と今日の焦りであった。

「焦りは眠りを妨げるぞ」

 影の名からタマの声が聞こえる。

 卯月はその声のした方向へ身体を傾け、小声で返事をした。

「分かっています。分かっているんですけれど、やっぱり気になってしまって」

「……そうか。ならば、落ち着くまで悩むといい。悩み疲れたらぐっすり寝るのだ。今日は昨日よりもたくさん歩かせてしまったからな。明日も学校だし、その後はまた協力してもらいたいからね」

「はい」

 微笑みながら頷いて、卯月は再びぼんやりとした。

 何も考えない方が眠気というものは浮かぶものだ。暗闇の中で目を閉じて、じっとしているだけでいい。それでも、その途中で卯月はついつい目を開けてしまうのだ。

 思い出すのは今追いかけている化け猫の事だ。

 人間の女性に黒猫。

 皆が化け猫と呼ぶその正体は、いったいどちらにあるのだろう。

「……あの、タマさん。聞いていいですか?」

「なんだ?」

「化け猫の事なんですけれど、あの黒猫とあの女の人、いったいどちらがその本体なんでしょうか」

 すると、やや沈黙してからタマは答えた。

「今はまだ断言できないな。あたしも一度威嚇し合っただけだからね。どちらかといえば、人間の方が目立っていたが、あたしは猫だからね。どうしても猫の方に気持ちが向かう」

「じゃあ、タマさんはあの黒猫の気配を追っているんですね?」

「そうだ。人間の女の方はよく分からない。一緒に居るということは、黒猫にとって非常に親しい仲だったのだろう」

「飼い主、とか」

 卯月は呟いて、今一度、前に会った時の事を思い出した。

 真っ暗な中であの時の事を思い出すのは勇気がいる。しかし、今はお面が味方に付いているし、影の中にはタマもいる。その存在を頼もしく感じながら、覚えている限りの光景を頭に浮かべた。

 まるでホラー映画のワンシーンのようなその光景。ひょっとしたら、怖かった印象が強すぎて脚色されているかもしれないが、黒猫はともかく抱いている女性は異様に青白く、非常に恐ろしい顔をしていた。特に思い出すだけで震えてしまうのが、真っ赤な口を開けて猫のように威嚇するその顔だった。

 猫。やっぱり、本体は猫なのだろうか。

「やっぱりあの黒猫が本体なのかな」

 呟く卯月にタマはすぐさま返答をした。

「いや。そうとも限らない。人間が他の生き物のような化け物になる事だってあるのだ。あたしは猫だったが人間のようになった。その逆だって起こり得る」

「じゃあ、やっぱり人間の方が本体?」

「そのどちらでもないかもしれないぞ。たとえば、何らかの原因で霊魂がくっつくことだってある。同じような恨みを持つと、そう言う事はあるのだよ」

「そうなんですね……恨みか」

 だとしたら、強い恨みかもしれない。

 卯月はそう思った。

 私怨なのか、それとも違うのか。これまでに化け猫騒動で亡くなったと思われる八人と、何か関係はあるのだろうか。

 あるのだとしたら、次なる標的は絞りやすい。その人物に接近すれば、化け猫退治も可能だろう。しかし、ないのだとしたら、その時は追いかけること自体が困難になる。ひたすら虱潰しに動き回るしかないし、見つかるまで気が気でないだろう。

 残念ながら、これまでの犠牲者八名のことを思い出す限り、卯月にはその共通点が全く見いだせなかった。

 交通事故、工事現場、高層マンション、学校のプール、そして歩道。場所はどれもバラバラで、犠牲になった人達の交友関係なども恐らくないと思われる。少なくとも親戚などではなさそうだし、もしそうであればとっくに噂となっているだろう。

 それでも、卯月はふと思った。

 犠牲になった人々。その人々にこそ注目するのも悪くないのではないか。

「タマさん、起きてます?」

「なんだ? あたしはお前さんが寝ない限りは起きているぞ」

「良かった。……あの、化け猫騒動で犠牲になった人達のことなんですが、その八人の情報ももっと追ってみた方がいいんじゃないでしょうか。たとえば、八人には共通点がないのかとか、化け猫ともっと関係する何かはないのかとか」

 思い切って話してみてから、卯月は少しだけ怖気づいた。

 タマは再び沈黙する。恐らく考えているのだろう。余計な提案だったかと怖れてしまったものの、タマの返答は非常に落ち着いたものだった。

「うむ、闇雲に追うよりもその方が良いかもしれないな。だが、お前さん、どうやって追いかけるつもりだ?」

「えっと……亡くなった人の情報を探って、出来るならば遺族の方とかに聞いてみるとか」

「それが容易く出来ればよいのだが、お前さんはただの少女。地道に情報を追いかけるのも、地道に時雨原を歩き回るのも同じかもしれない」

「ど、同時にやるとか」

「それもありだ。だがね、あたしはもっと良い方法を知っている」

「もっと良い方法?」

 きょとんとする卯月に、タマは影の中でくすりと笑った。

「お前さんの目だ。その兎の面を利用するのだ」

「このお面を……?」

 ぴんと来ない卯月に対し、タマは言葉を探りながら説明を続ける。

「つまりな。お前さんの力は霊感といっただろう。見えるお前さんに何か訴えたい数多の霊たちがここぞとばかりに訴えてくるものだから、お前さんは参ってしまっていた。それを抑えるのがその面だ。ただ抑えるだけではない。見なくていいものが見えなくなるように、見たいものだけ見えるようにもなる」

「──つまり」

「つまり、化け猫にやられた八人の霊たちも捜せるかもしれないということだ」

 なるほど、と卯月は納得した。

 タマの言う事が本当ならば、亡くなった本人から話を聞けるということだ。そうであるならば、残された周囲の人たちの証言を聞くよりもずっと正確な情報を聞くことが出来る。化け猫のことだけでなく、それ以外の事もたくさん聞けるはずだ。

「……なのだが、そう簡単に上手く行くかどうか」

 ふと、タマはそう言った。

 卯月は不思議に思って訊ねた。

「どういうことですか?」

「実際にやってみないと分からない事でもあるが、霊体と会うことが出来ても、そう簡単に話せるとは限らないということだ。お前さんがいくら見える生者だと分かっても、相手に何か思い残したことがない限り、話したがらないということだってある。生きている者同士だって同じ事だろう。初めて会った人物に、あれこれ聞かれて答える者ばかりではない。大抵は警戒するし、関わりたがらないはずだ」

 それもそうだ、と卯月は思った。

 自分だって同じだ。そう親しくもない人、全く知らない人にいきなりあれこれ聞かれても、普通は不審に思うだろうし、無視してしまうだろう。

「それに、それだけじゃないのだ」

 タマはさらに言った。

「霊魂が彷徨っていたとしても、化け物たちのようにしっかりと存在するとも限らない。魂の殆どはすでにこの世からすっかり去っていて、その一部だけが残留しているだけということだってある。そういった霊と、普通に話すことは出来ないだろう」

「なるほど……そうなんですね」

 何となくだが、タマの言っていることが卯月には分かった。

 お面と出会う前に度々見てきた幻覚の中には、恐ろしいものもあった。何度も何度も高所から飛び降りたり、何度も何度も車道に飛び出したり、ただそれだけを繰り返す幻覚を目撃したことがいつだったかあったのだ。

 ただの幻覚と切り捨てた過去はともかく、今、その光景の意味を再び考え直すならば、あれは幽霊がそうしようと思ってしているのではない。なんとなく、卯月はそう思った。そうではなく、壊れた映像記録が何度も同じ場所で再生を繰り返しているようなことが起こっているのではないかと。

 と、そこで卯月は気づいた。もしかしたら、それは、今追っている化け猫のように生きている人を襲う化け物の行動にも当てはまるのではないだろうか。化け猫がどのような思いで化け物となり、人を襲っているのかという理由もまた、彼女を追いかける手掛かりになるのではないかと。

 そういえば、タマもまた化け猫だ。卯月はその事を思い出しながら、そっと影に向かって話しかけた。

「ねえ、タマさん」

「なんだ?」

「タマさんは……どうして時雨原で暴れていたんですか?」

 すると、先ほどまでよりも長い静寂が訪れた。

 時計の針の音だけがしばらく聞こえ、卯月が静かに待っていると、長い沈黙の果てにタマは口を開いた。

「悪いが、今はまだ答えたくない」

 それっきり、タマはすっかり黙り込んでしまった。

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