魔竜死闘③~突撃、斬撃、雷撃~
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ラグランジュは生きた嵐といっても過言ではなかった。
彼女から発された広範囲に及ぶ斬撃は、全方面からシルマリアを斬り刻む。これは銀糸剣『月撫』の力ではあると同時に、ラグランジュ自身の力でもある。
帝国魔導技術により作り上げられた兵装は基本的には汎用兵装であり、帝国軍人なら誰でも扱える。
しかし極々少数だが個人用に調整された兵装も存在しており、『月撫』はその内の一本だ。
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ケロッパの作戦というのは、作戦というのも烏滸がましい単純で暴力的で短絡的な、言ってみれば "方針" 程度の大雑把なものであった。
『短い間ならアレの動きを止められると思う。その間に出来るかぎりの攻撃で斃しちゃってよ。出し惜しみは無しだ』
酷く雑だが、悠長に作戦を立てている暇などはなく、相手の事も何も知らなければこんなものだろう。
発言の通り、ケロッパはシルマリアの動きを抑制し、ラグランジュが初手から大技をくり出した。
しかしまだ、シルマリアは生きている。
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全身を苛む激痛。
とてつもなく重く、巨大なものに圧し掛かられている不快な感覚。
それらが"彼女"の意識を覆う発狂の薄布を引き裂いていく。
極まった苦痛によって冷静さを取り戻すという事はままある。
しかし、彼女…シルマリアの場合、狂気が減じたからといって正気を取り戻すわけではない。
なぜなら彼女の正気はとうの昔に変質してしまっているからだ。
シルマリアが喉を震わせる。
ケロッパはそれに気づき、すかさず重力波を叩き込むが数瞬遅い。ケロッパは自身の背に氷塊が滑り落ちるのを感じた。
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ラグランジュの初手に続く形でクロウ、ザザ、ランサック、そしてファビオラのアリクス王国の四人組が攻撃を仕掛けていた。
基本的にクロウが突っ込んで、後背からはザザとランサック。ファビオラはクロウと並走している。
彼等の視線の先には苦痛でのたうち回るシルマリアがいる。
蛇の様な尾が縦横無尽に振り回され、恐るべき質量攻撃となって勇士達を襲うが、ここで簡単に直撃するようならば彼等は魔王討伐の刺客として選定されてはいない。
唸りをあげて振り回される尾撃を悉く躱し、クロウ達は小さな傷をシルマリアを刻みつけていく。
問題もあった。
シルマリアの血液だ。
彼女の血液は強アルカリ性と言うだけでは全く表現しきれないほどに強い腐食性を有している。
故に一般的な金属製の武器が彼女の肉に食い込むと、その武器はたちまちに腐食してしまう。
これは当然人体にも作用し、自身の手を剣と変じるファビオラのフラガラッハなどは非常に相性が悪いと言えた。
ファビオラは血統魔術の制約で普通の剣を振るう事ができないため、基本的な協会式の魔術で子供だましの火球などを放っているが、気休めの域を出ないというのが実際の所だ。
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シルマリアも苦し紛れに暴れ、尾がめちゃめちゃに振り回されるがクロウ達には一撃も当たらない。クロウ達はシルマリアからの攻撃を見事に回避していた。優れた戦士は五感の全てを防衛機構として活用しているのだ。
まずは視覚。
戦士は視覚を使って敵の動きを把握し、瞬時に反応する。
敵が剣を振り上げる瞬間、その動きを予測して一歩早く回避する。目は第一の防衛線だ。
次に聴覚。
それは森の中の鳥が枝から枝へと飛び移る音を聞き取る猟師のようなものだ。戦士は耳を使って目で見えない敵の存在を感じ取る。足音、息遣い、剣が空気を切る音。
これらすべてが戦士にとって重要な情報源となる。
触覚はまるで川底の石を感じる魚のようなものである。
鎧が敵の剣と接触した衝撃、地面が足下で揺れる感触。
これらは戦士が即座に反応し、適切な防御を行うために必要不可欠な情報だ。
味覚と嗅覚はあまり一般的な防衛機構とは思えないかもしれない。しかしそれらは周囲の環境を理解するのに重要な役割を果たす。戦士は舌で空気の味を感じ、鼻でその変化を嗅ぎ取る。たとえば、煙の匂いが鼻を突くとき、それは火を使った攻撃が近づいている可能性を示す。
だがそのうちの一つが失調すればどうなるか?
勿論優れた戦士ならばすぐさま対応するだろう。
しかし一瞬、ほんの僅かな間、態勢を崩す事は避けられない。
優れているからこそ小さな不調が全体へ波及という事もままあるのだ。
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戦場から一切の音が消失した。
風の音、剣戟の音、シルマリアがのたうち回る音。
何もかもが消えた。
優れた戦士だからこそ周辺環境の変化に敏である。
そして、敏であるがゆえに勇士達はほんのわずかな一瞬、瞬きの数十分の一程度の隙を晒し、その隙がシルマリアを大いに利した。
シルマリアから発された不協和音が破壊の音律となり、ケロッパを吹き飛ばす。ヨルシカ、カッスルなど機動に優れる剣士たちも激しい衝撃をその身に受けて吹き飛ばされる。
小規模の
小規模とはいえ殺人的だ。
魔力で身体能力を強化していない標準体格の成人男性がこれを受けた場合、上半身は丸々吹き飛ぶか、あるいは頭部だけでも残っていれば御の字だろう。
地面が爆ぜたかのように砂煙がいくつもあがる。
一瞬生まれた空隙。
すかさず振るわれる尾撃がクロウ達に迫る。
躱す猶予は無い。
クロウ達は直前まで攻撃の予兆すらも感じ取る事ができなかった。完全無音の空間がクロウ達の五感の一つを失調させ、その急激な失調が迅速な対応を阻害したのだ。
超新星爆発の様に膨れ上がっていく希死念慮に、クロウは自らの死を予見した。全身の毛穴が開き、死に瀕する事で全身に魔力が流れ込む。
激しい踏み込みが砂の大地を爆裂させ、ザザとランサックの前に飛び出たクロウは、その勢いのままにコーリングを振り切ってシルマリアの尾を断切しようとする。
「クロウ様!!!」
ファビオラの悲痛な声が響いた。
質量の差はいかんともしがたく、斬撃は押し切られ、クロウは全身の骨格がバラバラになるほどの強烈な痛撃を受けて吹き飛ばされてしまった。
「わたくしが!」
ファビオラが叫ぶ。クロウの救護に向かおうというのだ。
彼女はこの場、この相手に自身が戦力外であることを自覚している。フラガラッハは強力な魔術であり、シルマリアの強靭な竜鱗を切裂く事も可能だが、シルマリアの強力な腐食性を持つ血液がファビオラの腕を溶かしてしまうだろう。
ザザとランサックは顔を見合わせ、頷き、再びシルマリアに踊りかかった。
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狂気が晴れたシルマリアはそれまでとは違っていた。
正気を凶気へと変質させたシルマリアは、狂った精神ではとても出来ない繊細な魔力操作を用いる様になった。
"それ" の原理は「波の干渉」に基づいている。
音は波として伝播するが、波は互いに干渉することができる。シルマリアは周辺の音へ逆相の音をぶつけ、それらは打ち消し合い、結果として無音が生まれるのだ。
狂気ではなく怒気を込め、シルマリアの意識がラグランジュへと向く。シルマリアに視力はないが、彼女は音波を利用した索敵手段により周辺状況を常に把握している。
ラグランジュは剣を構えるが、銀糸剣は先ほどの術式起動により自慢の帝国魔導をくり出す事ができない。
ゴッラとタイラン、カプラは殺気の矛先がラグランジュへ向いた事を知り、ゴッラとタイランは仲間を救う為に、カプラは火力役の喪失を危惧して彼女を護ろうと動いた。
しかし、シルマリアは狡猾であった。
先だってケロッパを吹き飛ばしたソニック・ウェイブが勇士達の足下の砂を更に細かく砕き、足元を更に不安定なものにしていたため、ゴッラやタイランは足を取られて素早く動けない。しかし身軽さを身上とするカプラはまるで砂の上を滑るようにしてラグランジュの元へと向かう。
だが
「来るな!」
ラグランジュの厳しい声がカプラを押しとどめた。
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シルマリアが大きく口を開け、ラグランジュへ突進する。
迫る暗渠を睨みつけるラグランジュの時が引き延ばされていく。
致命の危機をどの様に切り抜けるか。
逃げるか、斬り掛かるか、あるいは口内へと飛び込んで体内で暴れてやるか。
ラグランジュには様々な選択肢があったが、この時彼女の脳裏に浮かんだのは生き残る為の方策ではなく、過日の悪夢であった。
ラグランジュがまだ少女だった頃、彼女は悪夢の中に生きていた。
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薄暗い納屋、伸びてくる手。
下腹部に走る痛みは快感とは程遠い。
顔を撫でる生臭い息、圧し掛かってくる熱く分厚い肉の塊。
その全てが厭だったが、何より厭なのは "それ" が実の父親だという事実だ。
やがて豚の様な声で果てる父。
浸み込んでくる汚濁が、私の肉体のみならず魂までもを穢す。
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厭だな、とラグランジュは思った。
──怪物の胃の中でジワジワと消化されて死ぬのだろうか?それは苦しそうだ。…厭だな
極限の集中力が彼女の時を引き延ばしている。
しかし意識ばかりが加速した所で、その速度に肉体がついてくるわけではない。
彼女は強気であり勝気であり、男の前で弱音を吐くくらいならくたばった方がマシだとも思っている位だが、それでも迫りくる竜の顎から逃げられるとは思えない。
恐らくは死ぬのだと彼女は納得し、しかし帝国の騎士として一矢報いないでは居られないと剣に魔力を込める。
帝国魔導は起動できなくとも、魔力を伝導させ切れ味を増幅させることは出来る。
カプラを押しとどめたのは犠牲を一人で済まそうという判断だが、それが自己犠牲の精神でない事は彼女自身が良く知っている。本心では帝国臣民ではないカプラなどは仲間とすら思っていない。
──なら、なぜ…。ああ、そうか
ラグランジュは感得する。
結局、自分は誰にも期待などはしていないのだ、と。
──あの時、私は自分の手で父を殺した。そして、帝都へ逃げて、逃げて…
──幼い頃は自分の手で運命を切り開く事が出来た。しかし、今回ばかりは無理らしい
ラグランジュは、苦い思いをかみしめて目を閉じると、抑揚のない中年男性と思われる低い声が聞こえてきた。
――ジ・カカネグイ・フォル・ネ・エルバ
ラグランジュがうっすらと目を開くと、周囲には無数の細やかな氷片が舞っていた。氷は互いに擦れ合い、静電気が発生している。これはそれらを束ね合わせ、制御空間の何処からでも雷撃を放つという大魔術。
――冰刺雷葬陣
迸る雷撃にシルマリアごと巻き込まれて後方へ吹き飛ばされた。
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それは故オドネイ・ロナリアが得意としていた大魔術だ。
白銀の雷条が周囲に炸裂し、乱舞する。
そして、雷の嵐の中心に誰かが立っている。
それは…
勇者、クロウ。
両眼は爛と輝き、その異様な眼光はまるで大量の上質な薬物を摂取したかの様だった。
彼は怒っているのだ。
殺されかけたのはともかくとして、仲間が殺されそうになったという事は心優しいクロウの逆鱗に触れるに等しい。
「ぐ、う、な、なにを…」
ラグランジュは全身を雷撃に撃たれ、ボロボロになりながらもかろうじて立ち上がってきた。表情は険しい。
いきなりクロウに攻撃されたのだから怒るのは仕方がない。
立て続けの雷撃が一撃のみならず、二撃、三撃とラグランジュとシルマリアを撃ち据えたのだ。
とはいえ、今は彼女も動顛しているから気付かないだろうが、冷静になって考えれば自身がクロウに助けられたという事が分かるはずだ。
そんなラグランジュを視界の端で捉え、クロウは淡々と言った。
「俺一人では余り長くはもちません。皆で力を合わせなければ。俺が時間を稼ぎます。皆と準備を整えてください。…でもあなたをそんな風にしたあの竜には」
──俺が、少しやり返しておきますから
爆発が起きた。
いや、クロウが飛び出したのだ。
雷を身に纏い、凄まじい速さでシルマリアに突撃を仕掛けた。
突撃、斬撃、雷撃の三動作が一瞬で行われ、シルマリアは苦痛に満ちた咆哮をあげる。
「わ、私をこんな風にしたのはお前だが…」
ラグランジュがぽつりと呟く。
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