勇者と魔術師

 ■


 月明かりが毀月平原を照らし、夜半の静寂が広がる中、彼らは東域への転移門が開かれる瞬間を目にした。


 空気が一変し、青白く幻想的な転移門が彼らの目の前に生成される。空間を液体と見做し、深蒼色の絵具を垂らしかき混ぜれば似たような光景が再現できるだろう。


 この世界の魔術、魔法…超常の現象は、どれも術者の意思や願望が様々な形で叶えられたというていを持つが、では転移という奇跡にはどの様な願望が込められているのであろうか?


 転移とは偏執狂的な恋の奇跡だ、と言った魔術師がいる。

 転移とは愛の結実である、と謳った詩人がいる。


 これらの言は完全に正しいとは言えないが、しかし部分的には正しい。


 それが物であれ人であれ、概念であれなんであれ。

 転移を為す両点に常軌を逸するほどの“想い”が込められている事が転移の大魔術を実現するもっとも重要な条件だ。

 勿論条件を満たしたからといって自由自在に扱えるわけではなく、膨大な意思の力…魔力が必要となるが。


 アリクス国王に代々受け継がれる“月割りの魔剣”ディバイド・ルーナムは月魔狼フェンリークの命を経ち割った。

 そしてそのフェンリークはこの場に眠っている。

 転移の大魔術を実現するには十分な繋がりと言っていいだろう。

 条件は満たした。

 では魔力はどこから調達したのか?


 アリクス王国は、大貴族6名の生命を以てこの難題を解決した。


 ■


 転移門が形を成していくのを眺めていたヨハンは、ふと傍らに気配を感じる。目を遣ればそこには小さい人影が立っていた。


「転移は初めてかい?連盟の魔術師殿!ああ、ヨハン君だったね、僕はケロッパさ!本当はもっと長い名前なんだけれど、君たちは誰も彼もが僕の、僕らの名前を発音できなくてね!舌の長さが関係するらしい!ちなみに僕も転移は初めてだよ!そういえば向こうにはルイゼがいるそうだ!確かに彼女は必要だね!魔王が用意してくれた転移雲を利用するといったって、舵取りをしてくれる人がいなきゃあどこへ飛んでしまうか分かったものじゃない!そういえばこんな話もあるんだ!古代アステール王国の大魔術師、アルミナの事は知っているかい!?…そう!転移の大魔術を創り出したとされている大大大大魔術師さ!彼女は星に焦がれ、星に恋をしていたという!彼女はこう考えた!自身の根源は遥か星霜の果てにあるのだと!そこで彼女が何をしたのか!そう!転移をしたのさ!」


 ケロッパはキイキイと喚き、夜天を飾る星々を指さした。


「彼女は姿を消したそうだ!さてさて、彼女は己の根源へ帰れたのだろうか?それとも失敗して、あの果てなき暗黒の世界を今もなお彷徨っているのだろうか!嗚呼!僕に時を遡る事が出来たのなら!」


 ヨハンは嬉しそうに喚くケロッパに向き直ると、視線を合わせるべく腰を落とし、懐から清潔な手ぬぐいと取り出してケロッパへ差し出した。


「よだれが零れています、術師ケロッパ」


 ケロッパは“おっとすまないね”とヨハンの差し出した手ぬぐいを受け取り、小さい口の端から零れているよだれをふき取った。


 ヨハンの一挙手一投足には敬意が込められている。

 ヨルシカなどは驚愕で瞳を揺らすが、ここには魔術師界隈の事情が関わっている。


 ヨハンのみならず、魔術師を標榜する者なら大抵は大魔術師“地賢”のケロッパの事は知っている筈だ。

 ケロッパは革新的な考えを持つのみならず、それを実行に移すだけの行動力を持った魔術界の重鎮である。

 例えばヨハンが多用する雷衝といった“新式”の魔術などはこのケロッパが考案したのだ。馬車でラグランジュが彼の長広舌に辟易しながらも常のヒスを爆発させなかったのは、女尊男卑の化身であるラグランジュすらも彼の高名を知悉していたからだ。


 そしてヨハンもラグランジュも、頭でっかちの学者先生に無条件で敬意を抱くほど純粋な人間ではない。

 更に頭でっかちの学者先生の好奇心からの志願を受け入れるほど、帝国宰相ゲルラッハは呆けてもいない。


 ケロッパは快活で温厚で陽気な好人物ではあるが、それは暴力的な側面が存在しないことを意味するわけではない。


「さて、このまま返すのは無礼だね」


 ケロッパが指を立て、宙をくるくるとかき混ぜる。

 詠唱も何もないが、ヨハンはケロッパの動作が旧法神教のお家芸とも言える法術に近いものだと看破した。


 手ぬぐいがふわりと宙に浮き、そして付着した水分…ケロッパの唾液が分離していった。


「“この手”の術体系は、詠唱の隙を無くした実戦的な体系だと言われる。ただこういう事をするには確固たる根源を己の精神世界に構築しなければならない…でもね、生きていれば色々あるもので、生きがい、よすが、信念…そんなものはある日、ある時あっさり崩れたりするものさ」


 ごもっともですとヨハンは答え、ふわふわと宙を浮遊する手ぬぐいを掴んだ。


 もっとも、とケロッパは続け、ヨハンの両の眼を真正面から視て言った。


「君のように幾つもあれば、一つくらい駄目になっても代替がきくのだろうけど」


 ・

 ・

 ・


 やがて一同の眼前に転移門が完全に形成された。

 宙空に刻まれた蒼い歪みに、カッスルが注意深く視線を送る。

 やがて一つ頷き、振り向いて言った。


「大丈夫そうだ。罠じゃねえ。じゃあお先に」


 カッスルは一同の中でもっとも早くその歪みに足を踏み入れた。

 金等級冒険者カッスルの危機を察する能力には定評がある。

 というより、迷宮探索などを主とするならばある程度の勘働きが出来ないと話にならない。


 悪辣な迷宮では50メートルを進む間に4つも5つも罠が張り巡らされている事など珍しくなく、古代の転送魔法の罠に引っかかって、運が悪ければ魂ごとこの世から消え去ってしまう事もある。


 続いて、ケロッパ、ゴッラ。

 そしてラグランジュ。


 各々が転移門へ入っていく。


「私たちも行こうか」


 ヨルシカが言うと、ヨハンは黙って彼女の手を握り、歩を進めていった…


 ◇◇◇


「あのヨハン坊やも出世したものです。女連れで魔王討伐とは。遠足かなにかと勘違いしていませんか?」


 転移門を抜けたヨハンを出迎えたのは、甘美な毒を思わせる艶めかしい声だった。甘い芳香が鼻をくすぐり、今すぐ飲み干せと本能に訴えてくる毒杯だ。しかしその囁きに屈すれば地獄が待っている。


 協会兼連盟の術師にしてアリクス王国冒険者ギルドマスター、さらにアリクス王国の貴族位を得ており、加えて三名しかいない黒金級冒険者でもあり、ついでに言えばヨハンの師でもあるルイゼ・シャルトル・フル・エボン。


 今回の作戦では、彼女が鍵の一つとなる。


 アリクス王国は既に周辺の地脈の状態を走査しており、極めて短期間の内にこの周囲に魔軍が現出することを割り出している。

 過去の人魔大戦の記録から、魔軍が得意とする転移強襲は地脈の魔力を利用している事が既に分かっており、そこまでわかっているのならば地脈の魔力の急激な現象は転移の前兆であると割り出す事は難しい事ではなかった。


 ただし、例えば十分な体力がある馬が居たとして、目的地もわかっているとする。しかし馬に乗ったこともない者がその背に跨ったとしても目的地には辿り着けないだろう。


 転移も同じ理屈だ。


 魔王が生成した転移雲に飛び込んでも、果ての大陸へたどり着くどころか、次元の狭間とも言うべき虚数空間へと放り出され、魔王討伐の一行は一合も剣を交える事もなくこの世界から消え去ってしまうだろう。


 今回、馬の例えで言う所の騎手の役目を果たすのがルイゼであった。簡単な仕事ではない。暴れ狂う魔王の魔力を抑え込み、逆流させるのだ。それは暴れ馬を御すようなもので、貧弱な者であるなら吹き飛ばされてしまう。


 そしてアリクス王国広しと言えども、それだけの業を成し遂げる事が出来るものはルイゼを置いて他にはいなかった。


 ◇


 月夜に煌めく星々が羨む程にルイゼの美しさは絶世のものであった。彼女はゆったりとした黒いローブを纏っていたが、彼女の豊かな肢体を隠すには余りに無力で、女好きなカッスルなどは両眼をこれ以上なく見開いてルイゼの胸と腰、脚を凝視している。


 そんなカッスルに嗜虐的な一瞥をくれたルイゼは、滑るようにヨハンの前に歩み出てきた。


 彼女の黒絹の様な長い黒髪が闇に踊り、時折月の光を反射する。

 確かな美がそこに存在しているのだが、ヨハンなどには毒イソギンチャクがうねっているようにしか見えない。


「ヨハン、全く可愛くない私の愛弟子。久しぶりに出逢った師への労いは無いのですか?今回、私は非常に忙しいのです。貴方たちを送り出した後は王都へ戻り、不埒者共を歴史から退場させねばならないのです。あるいはこれが我ら師弟の最後の邂逅となるかもしれませんよ」


 ヨハンはもっともだと頷き、優雅に一礼をして口を開いた。


「お久しぶりです、師よ。ところで恋人は出来ましたか?相変わらず青田狩りばかりしようとして、悉く避けられているのではないですか。…ああ、そこの彼が新しい恋人ですかね?いや、そうは見えない。俺も術師として業を磨いてきましたから多少は心が視える。さらに恋人もできたんです。つまり恋心というものが分かる。その俺が見立てるに…そう!彼は師の事を何とも思っていませんね!むしろ警戒さえしている!…と思ったんだが、当たっているかい?よろしく、恐らくは…勇者殿…かな?どうにも君は勇者に視えないのだが…まあいい、お偉い方が勇者というのならば勇者なのだろう。俺はヨハンという。君が魔王をぶち殺す手伝いをしに来たんだ。君達の名前を教えてくれるかな?」


 ヨハンの視線は黒い軽鎧を纏った青年に注がれている。

 あまりにもつれない態度を取られたルイゼはかぶりをふり、僅かにヨルシカを注視してから背を向けてその場を離れる。


 ルイゼに他意はなかった。

 家族でもある小生意気な弟子が恋人らしき女性をつれているとあっては、その出来を確認せずには居られないというデバガメ根性があるだけであった。とはいえ、力の籠った視線を浴びたヨルシカとしてはどうにも落ち着かない。


 ヨルシカは気を紛らわせるようにヨハン達を眺める。


(あれが勇者なのかな?)


 彼女は剣士としての目で青年を見遣るものの、その戦闘勘はすぐに青年が剣士としてはせいぜいが2流だと判断を下した。

 しかし、とヨルシカの眼は青年の外見ではなく皮膚の下を見透かすように細められた。


(まともな身体じゃないな)


 人間と同程度の強度の人形があったとする。

 その人形を思う様に叩いて、斬って、焼いて。

 そして破損した部分を分厚い鉄板で補修して。

 それを延々と繰り返せば何が出来るか?

 答えはグロテスクで頑強な鉄人形である。


 それがヨルシカが青年を視て感得した事だった。


 ・

 ・

 ・


「クロウ、です」


 青年…クロウがヨハンに短く名乗る。

 不愛想というよりは、会話自体に余り慣れていない様子だった。

 ヨハンはうんうんと頷き、しかしその視線を外さずにクロウを注視していた。クロウは首を傾げ、何か礼を失するようなことをいってしまったかと思案する。

 やがてヨハンの視線が腰の剣に注がれている事に気付くと、ああ、と納得したように口を開いた。


「この剣はコーリングといって…僕の愛剣です」


 愛剣ね、とヨハンがごちり、剣に纏わりつく邪気を視て小首を傾げた。


(勇者は聖剣を持つというが、これが聖剣か?本当に?魔剣とかじゃないのか?)


 だがまあ、とヨハンは鞘に収められたコーリングを眺め、そこに機能美とも言うべきものが存在する事を認める。


「良い剣じゃないか。一途なんだな。…術師ケロッパ、触らないほうがいいですよ。屈んでも無駄です。貴方は確かに背丈は低いですが、存在感はゴッラほどもある。低位の魔術でごまかせるとお思いますな。この剣は…いや、彼女は相当に重そうだ。重量の話じゃないですよ。ともかく、不躾に触れば腕の一本で済めば恩の字でしょうな」


 ヨハンがケロッパの襟首を掴んで、漆黒の鞘に収められた剣に触ろうとするケロッパを制止した。


 元よりヨハンは呪物の類に対しては肯定的だ。

 彼自身が呪術を好むというのもあるが、一癖二癖あるモノ、ヒトの方が自身の肌に合うとヨハンは考えている。

 そういう観点ではヨルシカなどは一見優等生めいており、彼の好みからは外れている様に思えるが、周囲の者達が考える程にヨルシカという女はまともではないから相性に問題はない。


「腕!?腕で済むなら僕は構わないよ!ほら、君の腕だって必要だと思ったから捨てたんだろう!?君は優秀な魔術師だ、僕には分かる!優秀なものは“捨て時”というものを弁えているのさ!その時が来たなら腕だって尊厳だって命だって平気で捨てる!捨てねば先がないと分かっている時はね!そうじゃないか!?僕にとってそれはいつだい!?今さ!聖剣なんてものに触れる機会はまたとないだろう!」


 キイキイと喚くケロッパにクロウが困惑の視線を向ける。

 そしてその声をきいたのか、他の者達も集まってきた。


「おい、クロウ。なんだこの小さいのは」


 低い声が響く。


「ザザさん。分かりません…学者さんらしいですけど…」


 ヨハンが声の主に視線を向けた。

 ザザと呼ばれる大柄の剣士はクロウの知人の様だ。


「まとまりがない…本当に我々は魔王を斃せるのだろうか?不安になってきた」


 ラグランジュが眉間に皺を寄せて考え込む。

 “協調の儀※1とやらの出番か?”とヨハンは思った。




 ※1協調の儀


 前話でラグランジュが言及。謎の儀式。


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クロウについてはMemento-Moriのほうをご覧ください

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