血の日⑧

 ■


 声は教皇の私室から響いてきた以上、声の主は教皇アンドロザギウスその人なのであろう。

 地位に比して幼すぎるその声は、その無垢な声色に似合わず軽薄な口調で、そして物騒な事をのたまった。


 一同が教皇の私室に繋がる扉を見つめていると、その扉が音も立てずに静かに開いていく。


 部屋の奥から現れたのは天使の如きあどけない、幼い少年であった。しかしその場の法神教徒達は目に映るその姿が真ではない事を知っている。


「アンドロザギウス猊下、大分“戻った”のですね。以前お目見えした際は今少しお年を召していらっしゃったかと思ったのですが?」


 蒼髪の幼女王、エル・ケセドゥ・アステールが問う。


「そうだろう?見たまえ、この肌の張りを。最高級の絹の如き滑らかさよ。君なら感じるだろう、この矮躯の奥の熱雷の如き魔力の波濤を。アゼルは素晴らしい贄であった。さすがは『光輝』よ。法神の、そう、真の法神の最後の絞り粕…く、クククク」


 どれ程馬鹿でもこの状況、そして教皇が発する言葉から何一つ読み取れないという事などはあるまい。


 一同の、特に穏健派の者達の眦が吊り上がった。

 彼等は教皇アンドロザギウスの使徒ではない。法神の使徒なのだ。信仰の対象である法神を侮辱されたならば、たとえ教皇であったとしてもそれは許されざる大罪であった。


 二等審問官アイラが教皇アンドロザギウスへ掌を向けた。掌の中心に白い光が収束していく。周囲の者達はその白い光から酷く禍々しい物を感じ取った。


「アイラはお前を背教者と認定します。骨も残しません」


 ――白炎


 それは炎術と言うよりは熱術と言う方が正しい。

 白炎は白い閃光を敵手を浴びせかけ、高熱で焼き払う術だ。


 その燃焼温度は優に摂氏2500℃にも達する。

 水をかけても、それが仮に水中であっても燃焼し続ける。

 骨も残さない、と言うのはアイラの過言であるかもしれないが、生半可な結界など破壊して脆弱な人間の肉体などは肉片1つ残さず焼く尽くすであろう事は間違い無い。


 本来は閉鎖空間で扱う様な術ではない。

 標的を焼きつくした後に拡散する熱は術者のみならず周辺のものにも牙を剥くだろう。

 だがアイラは火精に愛された娘であり、彼女は正しく敵のみを焼きつくす事が出来る。


 アイラは教皇の返答を待たずに必殺の白閃を掌から放った。教皇アンドロザギウスの表情はこの期に及んでなお薄い笑みを貼り付けたままだ。


 次瞬、アイラは目を見開いた。

 それは自身が取り返しのつかない失態をした者が浮かべる驚愕混じりの絶望の表情であった。


 教皇アンドロザギウスの小さい体に周囲に何か光り輝く粒子の様なものが舞っており、その粒子に白閃が当ると、滅びの閃光はそのまま逆進し、アイラへ襲いかかる。


 だがアイラは2つの理由で自身の放った術で焼きつくされる事は無かった。1つはドライゼンがいつのまにかアイラの前に立っていたからだ。

 そして理由の2つ目はアイラの、いや、ドライゼンの前方の空間に黒い穴が空き、光を吸い込んだからである。


 彼女達が命を長らえると同時に石床を破って生え出てきたのは、樹の根の様な太い蔦。

 蔦は大蛇を思わせる動きでアンドロザギウスの両足首に巻きつき


「シャアッッ!」


 ジュウロウがまるで地を縮めたかの如き敏速を見せ、アンドロザギウスとの距離を詰めたかとおもうと一刀を上段から振り下ろした。


 ◆◆◆


 アンドロザギウスはジュウロウが放った一閃を鷹揚に右腕で受け止めようとする。


 ――剛之一刀、石打ち


 刀身がアンドロザギウスの腕に触れるその瞬間、ジュウロウが全身の関節を固定し、体重を余す事なく斬撃に乗せた。こうなればジュウロウが放ったそれは打撃であり斬撃であるとも言える。

 触れれば切断される重量級の金棒でひっぱたく様なもので、常人ならば到底耐え切れるものではない。


 だがアンドロザギウスはいつ行使したのか、防性の法術を起動していた。

 半透明のヴェールの様なものが揺蕩い、ジュウロウの一撃をぬるりと逸らし、それを見た彼は踵を床に打ちつけ、一瞬でアンドロザギウスとの距離を取る。


 ジュウロウが離れると同時に光のナイフが何本もアンドロザギウスを貫かんと飛翔してくる。

 当然そんなものは先立ってのヴェールに弾かれるのだが、そのナイフを放ったギルバートは目を細めアンドロザギウスを睨めつけていた。


「なるほど、猊下。貴方はあの忌々しい気障男を“喰った”のですな。貴方の使った法術は全て奴のものだ。そう、アゼルの」


 ギルバートの問いにアンドロザギウスは薄ら寒い笑みを浮かべて答える。


「アゼルだけではない。沢山、沢山沢山沢山、私の糧となったのだよ」


 ◆◆◆


 そう、教皇アンドロザギウスは彼のいう通り、沢山…沢山沢山沢山の聖職者達を糧としてきた。

 だが、彼が中央教会を裏切ったわけでは無い。なぜならそもそも中央教会とは彼がつくったのだから。

 裏切るも糞もなかった。

 法神教の“そもそもの意義”に従って彼は行動していたに過ぎない。


 中央教会の前身である聖光会を乗っ取り、今の形へ造り変えたのは彼だ。

 教皇アンドロザギウス…いいや、上魔将マギウスだ。

 かの魔族には核である死、そして病、傷、老を司る分け身が存在するが、教皇アンドロザギウスは老を司る分け身である。


 聖神を奉る聖光会に潜りこみ、“法神”という偽りの神を造り、聖神への信仰をそのまま法神への信仰へと移し変え、真性の神である聖神を限りなく弱体化させたのは上魔将マギウスである。

 仮にも大神たる聖神は、消滅こそはしていないがもはやその力の大半は奪い去られている。


 なぜ法神を一神教とし、世界各国の異神を滅ぼしてきたのか。そんなものは決まってる。

 上魔将マギウスが、いや、魔族が作り出したダミーの神…法神に抗する神が居たら都合が悪いからだ。


 法神が勇者を選定する?そう、確かに選定している。だが、法神が選定しているわけではない。

 勇者の選定自体は聖神がしているのだ。

 それはかの神に残された最後の抵抗であった。

 魔に抗する為に素質のあるものの覚醒を促している。


 だが魔族はそれをも利用していた。

 勇者としての力を持っている者がいるならば、その者を法神の、ひいては魔族の走狗としてしまえば良いではないか。

 勇者として選定された者の悉くが法神に忠実に従っていたのは既に洗脳済みだったからだ。


 ◆◆◆


「………という感じだと思う。まるで寄生虫の如き振る舞いだ。いや、寄生虫に失礼だな」


 ヨハンが床にペッと唾を吐き、嫌悪感に表情を歪めながらヨルシカに説明していた。アンドロザギウスの正体は流石にヨハンにも分からないものの、彼が魔族である事、中央教会をカバーとして暗躍していた事などはまさにヨハンの洞察の通りであった。


「でもヨハン、そこまで仕込みがあるならなぜ彼等はもっと早く動かなかったんだい?…ああ、そうか、その聖神という古の神様が十分弱るのを待っていたんだね」


 ヨルシカがうんうんと頷きながら納得している。


「そうだ。過激派を受け入れてきた、と言うのも納得が出来る。なぜなら膨れた野心でブヨブヨと腹を膨らませた連中は、人間同士の争いを誘発する道具としては随分都合がいいだろう?みろ、あの蒼髪の雌ガキを」


 ヨハンは指でエルを指し示した。

 エルは凄く嫌そうな表情を浮かべる。


「あのガキはレグナム西域帝国打倒などと言っているだろう?そんなもの魔族にとっては大歓迎じゃないか。だがそんなけったいな雌ガキと言えど、ただの1人では何も出来ん。野心の成就には後ろ盾が必要なんだ。あの光るクソガキはその辺の事情を餌にして馬鹿共を集めたのさ」


 馬鹿共め、とか、アホが、とか、まるでド低脳だとか散々な罵倒にエル・ケセドゥ・アステールや教皇アンドロザギウスの表情に怒りが刻まれていく。


 それを見ていたヨルシカは、なぜ私の恋人は、ヨハンは全方位に喧嘩を売っているんだろうか…と内心で頭を抱えていた。

 ここは普通、あの教皇という者を全員で斃す場面ではないのだろうか、と。


 そんなヨルシカの内心を知ってか知らずか、ヨハンはべらべらと喋り続けていた。


 殺し合いの場でこの様な長広舌を振るうと言うのは明らかな隙というか、攻撃してくださいと言っているようなものなのだが、ヨハンは煽り、説教をカマす場合はその場の全員がどうしても聞いておかなければならないような事を意図的に話すのだ。


(その辺が上手いんだよね)

 ヨルシカはそんなヨハンを決して見習いたくは無いと思っているが、凄いとは思っている。


「話の流れ的に、だ。あの光るガキは最後にたらふく飯を食うつもりだったのだろう。飯とは即ち、力ある人類戦力だ。飯の支度をしていたのは…多分ミカ=ルカだな。仮に俺達みんながあのガキの餌になったら、その後すぐに第四次人魔大戦が勃発するぞ。やれやれだ!それなりに頼りにしていた中央教会だったがとっくに形骸化していた所ではなく、寄生虫の餌場になっていたとは!」


 幾度も寄生虫だの馬鹿だの間抜けだの罵倒され、流石に耐えがたくなったのか、教皇アンドロザギウスはその指先をヨハンに向け…


 ――光よ!


 怒り混じりの声が響くと同時に、光熱が一条迸り、ヨハンを貫かんと迫る。


 ――עיוות(歪曲)


 ヨハンを貫こうとしていた光線はその勢いそのままに、アンドロザギウスへ向かっていく。

 自身へ向かってくる光線を見て、アンドロザギウスは目を見開き、慌てて身を翻して光の矛先から逃れた。


「貴様ッ……!」


 明らかに怒りを表すアンドロザギウスに、ヨハンはニタニタと下品な笑みを浮かべながら語りかけた。


「何故驚く?何故怒る?先程お前がしていたことじゃあないか!自分が出来る事は他人にも出来るかもしれない…なんていう想像力が欠如しているのかな?ほら、寄生虫だと詰まってるモノが少なすぎて…」


 ヨハンが指で自身の頭をコツコツと叩きながら言うと、アンドロザギウスの顔色が蒼白となる。

 魔族は怒ると顔色が白くなるんだな、とヨハンは1つ学んだ。

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