血の日②

 ■


「あの音は……?」


 ヨハンが呟きながらミカ=ルカを見ると、彼女は何やら考え込んでいる様子であった。

 ミカ=ルカの瞳は茫洋としていて、一見する限りでは何も考えていない様に見える。

 だが練達の術師たるヨハンの眼にはミカ=ルカの何と言うか…


(この女の質…魂というべきか。その者をその者たらしめる不定形の何かがころころと入れ替わっている様に視える)


 ミカ=ルカの術師としての性質はヨハンにも薄々は分かってはいる。

 そう、二等審問官ミカ=ルカ・ヴィルマリーは多重人格者だ。だが幼少時のトラウマだとかそう言うものが原因で人格が増えた訳ではない。


 彼女は意図的に自身の人格を“増設”している。

『色彩の』ミカ=ルカ・ヴィルマリー。

 多種多様な術体系を十全に扱う為に、術をのみ取り扱う人格を作り出した。

 術と言うものは通常、本人の強い思い入れが発動規模に大きく影響する。机上の学習のみで発動する術などは児戯にも劣るのだ。魔法となるとこれは話が変わるが、少なくとも術はそうだ。

 だからミカ=ルカはそれぞれの人格に異なる思い入れなりバックカバーを仕込み、多数の術を扱える様にした。色彩とは彼女の扱う術の多彩さを意味する。


 人格の増設と簡単には言うがこれは拷問染みた、いや、拷問そのものと言っても過言ではない過程を経る必要がある。意図的に、効率的に精神的、そして肉体的拷問を受けて心を引き千切らねばならない。

 引き千切った心を“使える”形へ加工するのも簡単な事ではない。


 要するに人格の増設なんて真似はマトモな事ではないのだ。結句、これはマトモじゃない事を為すミカ=ルカ・ヴィルマリーという女性もマトモじゃないという事を意味する。


 そんなミカ=ルカは今自身の内に存在する何人もの自分と密やかな会話を続けていた。


 ◆◆◆


 法の間は教皇の執務室である。

 執務室というと少し広い書斎のような広間を連想するが、法の間は一般的な執務室の間取りと比べても相当に広い。


 と言うのも、執務室という扱いだからといって教皇のみがそこで仕事をする訳ではなく、書務神官と呼ばれる所謂文官が多く法の間へ詰めて仕事をするからである。


 平米にして200超、畳数にして120~140畳と言った所だろう。


 床も壁も柱も純白の大理石の様な石材で造られている。

 これは大理石ではなく、破魔の力が込められた特殊な石材だ。聖都キャニオン・ベルを囲う白い防壁と同じで、邪悪を退けると“されている”。


 そんな白い床が今は血で汚れている。


 うふふと不気味に嗤う『顔無しの』ドライゼンの凶刃に1人、また1人と喉を掻き切られていく過激派の者達はしかし、何も指を咥えてこの凶行を見過ごしていた訳ではなかった。


 かかれ、奴を止めろ、殺せ、と言うギルバートの命令で近接攻勢法術を起動させた過激派の者達が切りかかる。法術で構築した刃は鍔迫り合いを許さない。実体が無いのだから。

 しかし、四方八方から振り下ろされた刃がドライゼンの肉体に食い込む事は無かった。

 切りつけた者達にもよく分からない事であるが、気付けばいつの間にか虚空を切りつけていたのだ。


 1人斬り、2人斬り、ドライゼンの凶刃はついにエル・ケセドゥ・アステールへ迫る。

 ギルバートは動かない。

 それはエルを見捨てる…という訳ではなく…


 ―――『    』


 エルが何かを囁くと同時にその矮躯から銀色に燦めく波動が迸った。

 星の光を想起させる銀色の波動は過激派の者達も穏健派の者達も関係無しに吹き飛ばす。密やかに背後から忍び寄ってきていたドライゼンもまたエルが放った何かに全身を強かに打ちのめされ、壁に向かって吹き飛んだ。


 大きな音を立て壁に叩きつけられたドライゼンは吐血し、膝をつく。

 アイラは気遣わしげな視線でそれを一瞥し、警戒の視線をエルに向けた。


(おおっ!ウィス・テネブリス…アステールの星術だ。星の力は万物を引き付け、また跳ね除ける。彼奴の如き影鼠も四方に放たれる星の光からは逃れられぬか!欲しい…あの力も…)


 ギルバートは欲望で目を輝かせ、エルの放つ星の輝きに見入った。


 なお、影鼠とはドライゼンに対する蔑称である。

 どういった組織であっても、汚れ仕事をする者は蔑まれがちだ。尊大な所が多々あるギルバートは穏健派の如き狂った集団を毛嫌いしていたが、その中でもドライゼンを特に毛嫌いしていた。だがその嫌悪感を構成する一要素に彼への恐怖感があった事は否めないだろう。


 周囲の者達が吹き飛ばされ、倒される様子にエルの瞳が嗜虐的な嗤いの細波に揺れた。


 ◇◇◇


 エル・ケセドゥ・アステールは星の姫君と呼ばれている。これはアステール王国建国の逸話に由来する。

 アステール王国の初代国王はこの世界の人間ではなかった。初代国王は宙を浮く光輝く船に乗り、天空よりこの世界に降り立ったのだ。


 そのアステール王族は代々、初代も含め王族固有の不思議な力を持っていた。

 物に触れずとも動かす力、物を、人を引き寄せ、あるいは跳ね除ける力、強い力を持つ王族は星をすら落とす事が出来た。

 この力はいつしか“星術”と呼ばれる様になる。


 既存の術と違う点は、魔力と言うモノを使わないという点だ。魔力のかわりに気力というか精神力のようなものを使う。


 エルは自身が他の者達とは違う事を自覚していた。

 姿形はそうは変わらない。

 しかし、根本的に成り立ちが違うのだ、と言う思いをずっと抱いていた。

 彼等と自分は違う生き物なのだと、そういう思いを常に抱いていた。

 だがその違和感はあくまで違和感と言う範疇内にあって、決して差別心の様なモノではなかった。


 だがエルに仕える者達が彼女に日々囁くのだ。

 あなたはアステールの女王である、と。

 アステールは世界を統べるべき偉大な国である、と。

 その偉大なアステール王国は愚劣なる帝国に滅ぼされてしまったが、アステールの女王たるあなたには世界を再びアステールの遍く星の輝きで照らすべきなのだ、と。


 やがてエルはその幼い心に女王としての矜持を“埋め込まれた”。その矜持は民草などは支配して当然、見下して当然、アステール王国こそが至尊の絶対王国なのだと言う歪んだ傲慢の産物であったが。


 ◆◆◆


「もう一度言います。ここを退いて下さい」


 穏健派の面々にエルは静かに語りかけた。

 口調こそ静かで穏やかだが、その目は自身をのみ尊しと見做す傲慢の色に染まっている。


「ところで、ルカはどこですか?もうそろそろ教会へ戻って来ているのでは?」


 エルがギルバートへ声をかける。

 ルカとはエルの腹心の侍女だ。

 エルと同じく中央教会に所属する過激派のシスターだが、その系譜はアステール王国にあり、エルが中央教会に所属する前からずっと彼女に付き従っている。

 エルはこのルカの事だけは見下す事はなかった。

 むしろ彼女を姉の如き存在と慕い、信を向けている。


「はっ…そうですね、早くて今日中にはキャニオン・ベルへ帰参するでしょう。遅くとも2、3日中には。いつ頃になるかはわかりませんが…馬車などの乗り継ぎもあるでしょうし」


 ギルバートが答えると、エルは2度、3度と軽く頷き目線を前に戻した。


 視線の先には二等審問官『籠れ火の』アイラ。

 周囲を紅い火の粉が激しく舞っている。

 それは彼女の内心を覿面に顕していた。

 アイラは同胞たるドライゼンを傷つけられ激していたのだ。


 アイラがスゥッと息を深く吸い込み…そしてエル達へ向けて吐き出した。


 紅蓮の炎が渦を巻き、エル達に襲い掛かる。


 ■


「……少し気になりますね。ヨハンさん、ヨルシカさん、一緒に来て頂けますか?不穏な気配もしますので…」


 ミカ=ルカの言葉にヨハンとヨルシカは頷き、ミカ=ルカの先導に従い回廊を駆けていく。


 ヨハンもヨルシカも一種の予感があった。

 またろくでもない殺し合いが待っていそうだ、と。

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