イスカ③

 ■


 ルドルフから依頼票を受取ったヨハンは少年を一瞥し、そして再度ルドルフの顔を見て口を開いた。


「違えるなよ」


 ルドルフが頷くと、ヨハンは背を向けギルドを出ていこうとした。

 そんなヨハンの背に少年が声をかける。


「ね、姉さんの名前はマリーベルと言います! お願いします、姉さんを助けて下さい……っ」


 ヨハンは振り向き、そこで初めて少年に話しかけた。

「最善を尽くす」


 ■


 ヨハンは旅支度もそこそこに、馬車便をつかまえた。

 そして倍の運賃を渡し、アズラへ出来る限り早く向かってくれと頼む。


 更に道中は獣除けの術まで使い、できる限りの懸念を取り除いた。

 獣などはどうと言う事は無いが、それで万が一馬がやられたりでもしたら間に合うものも間に合わなくなる。


 まあ経費だけで銅貨5枚などはとうに超過しているし、認可冒険者への推薦だって確実に通るかどうかも分からない。最悪、依頼を成功させても報酬は銅貨5枚だけ、と言う事もありうる。


 それくらいはヨハンにも理解は出来ている事だったが、自分の意思で受けると決めたのならば、払える代償は全て支払ってでも遂行しなければならない、とヨハンは考えている。


 ■


 暫しの馬車行が続き、ヨハンはアズラの村へ着いた。

 そのまま村長宅へと向かい、事情を話す。

 旅の後だからといって休んでいる暇等は無かった。


 村長はヨハンの話を聞いて非常に驚いていた。

 どうやら少年がイスカまで来た事は預かり知らぬ事だった様だ。少年は行商の馬車へ忍び込み、単身イスカへと向かったらしい。


 銅貨5枚しか出さなかったのではない、子供1人の財産では銅貨5枚しか出せなかったという事だ。


 とはいえ、仮にルドルフが認可冒険者への推薦と言う札を出さなかった場合、ヨハンは少年の事情を知って居ても依頼を受けなかっただろう。

 そして、ルドルフにも手を掛けていた筈だ。


「マリーベルを……宜しくお願い致します」


 村長が頭を下げ、ヨハンに目に見えない何かを託した。

 特効薬の原料となる花は黒森の奥に咲いているが、村人ではとても採取しに行けるものではない。

 村長としても忸怩たる思いで居たのだ。

 かといって冒険者ギルドに依頼をするとなると非常な高額となってしまう。

 その額は滅多な事では手をつけてはいけない金にも手をつける必要がある程の額だった。


 その辺りの事情を少年は何も知らなかった。

 知らなかったからこそ、無謀にも依頼を出すという選択肢を取れたのだ。


 ヨハンは頷き、一言だけ答えた。

「最善を尽くす」


 ■


 ヨハンは我ながら語彙力がないなと思いながらも、まあそれしか答えようがないしな、などと考えていた。

 実際そうだ。

 最善を尽くす以外に答えようが無い。


 次に向かうのは黒森……ではなく、村長から聞いたマリーベルの家だ。


 もし既に死にそうだという事であれば、マリーベルの何か大切なモノ……本来の寿命だったり、身体の部位であったり、そう言うものを使ってでも延命させる積もりだった。病自体を術で癒す事は出来ない。


 なぜなら治療法が確立されてしまっているからだ。

 そういった病は概念として既に固まってしまっている。


 原因不明の謎の奇病……であるならまだヨハンの術でどうにか出来たかもしれないが、治療法が確立されている病なら法術の類ならばともかく、ヨハンの術ではどうにもならない。


 ■


 ヨハンはマリーベルに会い、その身に死の気配が絡みついている事に気付いた。


(体の衰弱もそうだが、心の衰弱が問題だ)


 体というのは栄養のあるものなり、間に合わせの薬を飲ませるなりで死に至るまでの時間稼ぎが出来るが、心と言うのはそうはいかない。

 そして心が弱りきってしまえば、体もまたそれに引っ張られてしまう。


「……そうですか、あの子が……」


 ヨハンが少年の事を告げると、マリーベルは寝床に横になったまま俯いた。

 声にも力がない。


 マリーベルは生来聡明で、だからこそ自身の病についての知識もあった。

 そう、マリーベルはもう半ば以上自身の生を諦めてしまっていた。


 そんな彼女にヨハンは淡々と言う。


「見た所、もって三ヶ月といった所か。この冬は乗り越えられないだろう。しかし俺が依頼を遂行するまでには数日あれば十分だ。あなたは治る。森は危険だそうだな、魔物化した猿がでるのだとか。だが俺は視線1つで人間を石にかえる悪魔も殺したことがある。猿がなんだというのか。問題はない。だから悪化させないようにしっかり休んでいることだ」


 これは本当の事だ。


 ヨハンはかつて、悪魔と呼ばれる存在と対峙した事がある。その時はとある貴族の娘に憑依した悪魔を、中央教会の聖騎士達と協働して祓った。

 正しく、死闘であった。

 勇敢な聖騎士の幾名かは物言わぬ石像と化し、しかし最終的にはヨハンが術の根幹を看破し打ち破る事に成功したのだ。


「私……助かるのでしょうか……?」


 マリーベルがか細い声でヨハンに聞く。

 ヨハンは大きく頷き、少女の手を握った。


「当然助かる。最短で1日以内、遅くても4日、5日といったところだな。どうあれ1週間もかかるまい。消耗をさけ、養生をする。きつい労働をするとかではなく、しっかり数日寝ているだけで治る。簡単な事だ。出来るな?」


「は、はい!」


 病は気からという。

 これは迷信ではなく、実際にそうなのだ。


 他者を害するもっとも単純な呪いは、対象に自身が呪われている事を伝える事だ。

 例えば悪口。悪口を聞かされたら嫌な気持ちになるだろう。それが延々と続けば体調を崩す事もあるだろう。

 これが原初の呪いである。


 優れた術師はその逆も出来る。

 自身の言葉に説得力を持たせ、その気にさせる。

 どれだけの説得力を持たせる事が出来るかは本人の生き方が反映される。

 自身が確固とした信念に基き、誰に憚る事のない振る舞いをしていると自覚していればその分強い力が宿る。その効果は詐術と言うには余りに大きかった。


 事実、マリーベルはヨハンの言葉で心を励まされ、暫し容態が安定した。


 マリーベルは運がいい。

 もしもこれで少しも時間が稼げなかった場合、彼女の自慢の髪の毛は頭皮が見える程にばっさりと刈られ、触媒とされて延命の手段に使われていたのだから。


 ■


 ヨハンが黒森に足を踏み入れてすぐに魔猿の襲撃があった。その様子にヨハンは妙なものを感じる。

 魔猿とは狡猾だ、それゆえに慎重でもある。


(様子見なりなんなりがあると思ったのだが)


 ともあれ、早々に始末させてくれるなら都合が良いと手帳から触媒を取り出そうとしたその時。


 ヨハンは弾かれる様に横に飛び、地面に転がってソレをかわす。その額には冷や汗が浮かんでいる。


「……ちィッ! こいつら! ふざけやがって!」


 ヨハンは魔猿の危険度を過小評価してはいなかった。

 道具も使えば罠も使い、身のこなしは野生の猿を遥かに凌駕し、魔力を循環させる事で強化された肉体強度は、例えばその辺の一般人が包丁等で突いたとしても傷を負わせる事は出来ない程に強靭だ。

 過小評価など出来よう筈もない。


 しかしそれでも。


 ヨハンは走りこみ、時には木を盾にしてソレを防ぐ。

 べちゃりと音がする。

 木にそれがぶつかったのだ。

 続いて悪臭が振りまかれる。


(に、匂いとは微細な粒が鼻に……つまり、俺の体内にアレが……。こ、殺す!!)


 そう、糞である。

 魔猿はよってたかって樹上からヨハンに糞を投げつけているのだ。


 それだけならばヨハンとて熟練の冒険者、むざむざ糞塗れになったりはしない。


 だが魔猿は狡猾で……


 盾としていた木に魔猿が回りこんでくる。

 背後から投げられればひとたまりもない。


 ヨハンは木の影から駆け出し、別の場所へ移動しようとした。そして転んだ。


 罠だ。

 地に生える草を輪にして編んだ原始的なものだが、焦ったヨハンは見事に引っ掛かってしまった。


 転んだ拍子に懐から手帳が落ちてしまう。

 そこへ糞弾が飛んできた。


 ヨハンは自身の背で手帳を庇った。

 背に感じる生ぬるい感触。


 ■


 無表情になったヨハンは木の影で手帳を出し、親を亡くした娘の涙をしみこませて90日間月光を浴びせた待雪草を取り出した。


 ヨハンが使おうとしているのは希死の呪いだ。

 第2級禁忌指定。

 使用がばれれば魔導協会が追っ手をかけてきかねない。

 連盟は関知しないだろうが。

 ともあれこの術は余りにも死を無差別に振りまく。


 もしこの術が発動すれば、魔猿のみならず黒森の生態系が崩壊してしまうだろう。だがそれで良いと、いっそ森を滅ぼしてしまうほうが世の為人の為であると今のヨハンは本気で思っていた。


 希死の呪いは術者が本心からどれだけ怨念を、怒りを、悲しみを、やるせなさを抱いているかにより効果を大きく上下させる。


 その思いが真摯であればあるほどに、呪いはよりおぞましくなっていく。


 ■


 いまはもう無い国の話だ。


 その国の王太子はとある公爵令嬢と婚約をしていた。

 公爵令嬢は王太子を佳く支えられる妃になろうと厳しい王妃教育も頑張ってこなしていた。


 王太子は日々頑張り結果を出す公爵令嬢を次第に疎ましくおもっていった。

 なぜなら周囲は公爵令嬢の頑張り、健気さばかりを賞賛し、自分の事を見てくれないからだ。


 だが体面もある為、二人は表面上は非常に仲睦ましかった。


 しかし王太子の内心は令嬢への羨望、嫉妬、それらが次第に憎悪と形をかえていく。


 そしてある日、内に一物抱えた男爵令嬢が王太子に粉をかけてしまう。


 紆余曲折はあったが、結局王太子は男爵令嬢に転び、男爵令嬢は王太子を都合の良いように動かし、公爵令嬢を貶めた。


 そして悲しいことに王太子の両親……王と王妃は間抜けだった。

 悪賢い男爵令嬢にまんまと操られた王太子の言をまるっと信じてしまった。


 事態は公爵令嬢の排斥にとどまらず、どんどんどんどん大きくなり、やがて公爵家そのものの取り潰しにまで話がすすんでしまう。


 公爵は王に談判にいくが、それを叛逆と捉えられ縛り首とされた。


 更に追い討ちをかける様に、叛逆罪は基本的に連座。

 公爵令嬢の母親、幼い弟も……。


 捕らえられ処刑を翌日に控えた公爵令嬢は王太子を、男爵令嬢を、王を、王妃を、王国民を、王国すべてを呪った。


 夜半、血の一滴をグラスへ垂らし、血混じりの水に語り掛ける……元はといえば市井のお遊びのようなものではあるが、そんなものにしかすがれなかった公爵令嬢の哀れさたるや。


 だが彼女は真剣だった。

 この時、公爵令嬢に術師としてのたぐいまれな資質があった事が災いしたのかもしれない。


 資質はある。

 ならば後は作法だが、呪いというモノで一番大事なのは、どれだけ純度の高い真摯な想いを込められるか、である。


 公爵令嬢は己の血涙をグラスに垂らし、ありったけの思いで呪った。

 結果としてその王国は国民の1人にいたるまで、目から血を流し、爛れて死んだ。


 この哀しくも悍ましい話は何度も劇として演じられたり、吟遊詩人がうたいあげたりする事で多くの者達が知っている話だ。


 この様に、“誰もが知っている話”と言うものは一種の集合意識と言える。

 術師とはそこから力を引き出す者達の事だ。

 力を引き出すには、有形無形の触媒……例えるならば、集合意識と言うモノが入った箱を開ける為の鍵を使わねばならない。


 この触媒はヨハンが多用する草花、鉱石の様な分かりやすいものや、あるいはもっと特殊な形での触媒と言うのも存在する。


 希死の呪いに必要な触媒は待雪草だ。

 この白く小さな鐘の様な花を咲かせる可愛らしい花は、かの滅びた王国の国花である。

 その花言葉は“あなたの死を望みます“。


 ■


「乙女の涙は毀れ、粉雪に混じる。刑場の落首、頬に伝うは恨みの血。砕けよ心。凍てつけ魂。命よ絶えて、咲け、白鐘の……」


 ──花


 と言いかけた所で、ヨハンは正気に戻った。

 森を滅ぼしたら依頼対象の花も枯れるではないか、と言う事に気付いたのだ。


 だが術の福次効果だろうか? 

 悍ましい気配は森を駆け巡り、魔猿達は退散していった。


 上衣の背が糞塗れになるといった大きな犠牲は出たものの、探索行はスムーズに進んでいった。


 そして無事に奥地にたどり着き、目的の花を見つける。

 濃い紫色の、薔薇にも似た花弁を持つ美しい花が一面に広がっていた。


 ヨハンはほんの僅かその美しさに見惚れるも、必要分採取をして森を引き返していった。


 ■


 村へ帰還したのはその日の深夜だ。

 門番に事情を話し村へ入れてもらったヨハンだが、流石に時間も時間なので、馬小屋を借りて眠りにつく。村に宿泊場がないわけではないが、時間的にも部屋を取る事ができないからだ。

 なお上衣は処分し、予備の物を着込んでいる。


 翌朝、ヨハンは村長へ会いに行き依頼の達成を伝えた。

 村長は大喜びで薬師を呼び…………


 ■


「……これで大丈夫です。あとは十日程継続して薬を飲めば治りますよ」


 薬師の説明にマリーベルは笑顔を浮かべて頷く。

 彼女の気持ちが落ち着いたと見るや、ヨハンは依頼票を差し出し、マリーベルにサインを貰った。


 頭を下げ、礼を言い続けるマリーベルを押し留め、ヨハンはほんの僅かな笑みを浮かべながら言う。


「まだ治った訳ではない。無理はしない事だ。それと、花は十分な量を採取したから君の分は足りるだろうが……仮に、また流行り病にかかって今度は別の者の為に花を、と言う事なら次からは銀貨50枚を貰う。これは相場よりやや安い」


 マリーベルは目をぱちぱちと瞬かせ、真剣な表情で頷いた。薬師は困ったように笑っている。



イスカに戻ったヨハンはそのままギルドへ直行し、依頼の達成を伝えた。


「早いな。確かに受取った。これがまず銅貨5枚。もちろんこれだけじゃない。イスカ冒険者ギルド認可冒険者の推薦状の控えだ。原本は俺が持っている。依頼の達成を確認したらギルドマスターへ提出する。恐らく推薦は通るだろう。認可冒険者について説明が必要か?」


ルドルフの言葉にヨハンは首を振って答えた。

「不要だ」


姉の病に嘆く少年も病魔に冒されている少年の姉も、認可冒険者そのものにもヨハンは余り興味が無かった。

自身の働きが正当に評価される事、ヨハンにとってはそれが一番大事な事なのだ。


だから仮に認可冒険者の推薦が通らなかったとしても、その事をもってルドルフに隔意を持つことはないだろう。


ヨハンの態度は大人ではなかったかもしれないし、良識的ではなかったかもしれない。

しかし自身が舐められたまま、波風を立てない為にそれを良しとする事は、自身のみならず自身を評価してくれている者達への冒涜に等しいとヨハンは考えている。


そんな冒涜を犯す位なら死んだほうがマシだが、自身が死ぬよりは舐めてきた相手を殺してしまうほうが楽だし話も早い、それが術師ヨハンの思考だ。


彼の所属する魔術組織、『連盟』が人殺し集団だのなんだのと言われるのは、連盟所属の術師達が皆非常に個性的だからという理由が大きい。


彼らは独自の理念、ルールの様なものを持ち、それらに非常に重きを置いている。

これは極端な例えだが、例えば目の前で左手を使ってほしくないというルールを持つ連盟の術師が居た場合、彼あるいは彼女はそれを周囲の者へ知らしめる努力はするだろう。だがそれが守られなかった場合、その彼あるいは彼女はいとも容易く人を殺めるのだ。例え子供であっても平気な顔で殺害してしまうだろう。



ヨハンはその日の夜、ベッドに横になりながら手帳を眺めていた。彼の持つ手帳は元はといえば彼の母の私物だった。


家族の事を想うとヨハンは父への憎悪と母への思慕で散り散りになってしまいそうな圧力が心にかかり、心と言う目に見えないものが軋んでいくのを感じる。


父親の喉を掻き切り、浴びた血の熱よ!

あの時ヨハンはそれまで凍りついていた心が父親の血熱で溶けていく様を、どこか達観した様子で見ていた。


(叶うならば何度も、何度でもあの男を殺してやりたいものだが。ジャハム老ならばあの男に再び命を宿す事も可能だっただろうか)


ジャハム老とは連盟の術師だ。

人業遣いのジャハム。

人を業とし、業を器に押し込め、仮初の命を与え使役する。ジャハムは彼の孫である少女…の人形を常に連れており、その人形は人形と言われなければ気付けない程の精巧さだ。キワモノ揃いの連盟術師の中でも比較的温厚な老人である。



翌朝、ヨハンはギルドへと向かった。

金銭的な意味では昨日の依頼は全く実入りがないと言っても良かったからだ。


(金に困っているわけじゃないが、油断をするとすぐ懐が寒くなるからな…イスカは酒と飯が旨い。つい遣いすぎてしまう)


酒精中毒と言うわけじゃないがヨハンはそれなりに酒を嗜む。酒精は頭が緩くなり、良い意味で脱力させてくれるからだ。自身の気質は物事を陰鬱に捉えてしまいがちだということをヨハンは自覚している。


時折、堅苦しく、そして殺伐とした自身の気質を緩めてやらなければいずれは好んで破滅的な決断をする程に心がささくれるだろう、だからこその酒だ…


とヨハンは考えている。


(酒を飲む理屈をこねくり出しているだけだろうと“家族”から呆れられた事もあるが…確かにそうかもしれない。ともあれ、旨い酒と旨い飯は人生の彩りだ。それらを買う種銭を稼ぐには労働をしなければならない)


出来るだけ報酬が良く、そして面倒が少ない依頼はないか…と依頼掲示板を見ていると背後から声がかかった。


「あなた、その格好は術師さんかしら」


ヨハンが振り向くと、赤毛の女性が笑顔を浮かべ立っていた。


「私はセシル。ちょっと助っ人を探しているのだけど…話を聞いてくれない?」



「……成程、単眼大蛇か。それにしても指名依頼とはね。あの蛇は弾力に富み、それでいて強靭だ。剣やナイフだと分が悪いだろう。セシル、君達の中に術師がいないのならば依頼主はなぜ相性の悪い獲物を振ったんだろうな」


ヨハンが腑に落ちないという表情で言うと、セシルの横に座っていた少女が憤懣やるかたないといった様子で答えた。


「依頼を振ってきたのはブラヒ商会の豚よ!あいつ、セシルに一目惚れして色々ちょっかいかけてきてさ!セシルにその気がないって分かったら嫌がらせをしてくるようになったのよ!この指名依頼だって、うちら向きじゃないって分かってる筈なのに!」


濃紫の髪を振り乱し叫ぶ少女の名前はリズ。

セシルのパーティで斥候をしている。


その隣には大柄で浅黒い肌の女性が頭を掻きながら苦笑している。光の加減ではピンク色にも見える様な不思議な髪色であった。彼女の名前はシェイラ。パーティの重火力役と言った所か。大ハンマーが得物との事。


セシル、シェイラ、リズ。

女性三人組のパーティだった。


セシルに話を聞いてほしいと乞われたヨハンは、セシルがホームとしているギルドハウスへと移動した。

そして彼女の仲間…シェイラ、リズも同席して助っ人依頼の詳細を聞いているというわけだ。



(ブラヒ商会ね…ブラヒ…ブラヒ…)


ヨハンは脳裏に図書館を思い描く。

そして、ブラヒ商会なるものを過去に耳にした事があったかを調べた。


術師や学士にはよく見られる手法だが、これは所謂記憶術とよばれるものだ。

ヨハンの様に伝承や逸話から力を引き出すタイプの術師には必須の技能と言っても良い。

なぜなら世界には何百何千という物語が転がっているが、それらを記憶する為には普通のやり方では無理だからだ。


記憶した事柄を一冊の書物と見たて、脳内で構築した仮想の図書館に仕舞ったというていにする。

そして必要に応じて情報を取り出す…。

ヨハンの場合はこのような覚え方をしていた。


勿論この記憶術には様々な方法がある。

例えばとある学士などは体の部位…指などに記憶しておくというていで物を覚えたりする。

左手の人差し指を右回りに一同回すと、これこれこういう記憶がひっぱりだされる…という風に条件付けておくのだ。


「ブラヒ商会か、すまないが聞いた事がないな。話を聞く分では碌な商会ではなさそうだが」


「はあ?イスカの冒険者の癖にブラヒ商会を知らないとかモグリ?セシルの話だとそこそこできそうな術師だって話だけどさ、なんだかあんまり期待出来なさそうね」


ヨハンの言葉にリズが“こいつ頭正気かよ“と言う様な目をしながら返事を返す。

だがガストンより格下の自称斥候の小娘に腹を立てるほどヨハンは狭量ではなかった。


「随分生意気なメスガキだな。セシルやシェイラはどういう教育をしているんだ?もしここが町ではなく荒野だったらぶち殺して野犬の餌にしていた。筋肉の付き方、立ち居振る舞い…まごう事無き雑魚。2秒で殺せる。このメスガキは可食部分が少なそうだが、その点だけが野犬に申し訳ない」


(まあそう言うな、俺はイスカへ来たばかりなんだ)


ヨハンは狭量ではないから建前を言う位は出来る。

しかし本音と建前を間違えてしまった。

ヨハンは目を見開き失態を悟り、慌てて言い直した。


「すまない、本音と建前を言い間違えてしまった。先ほどの発言は本音だ。“まあそう言うな、俺はイスカへ来たばかりなんだ”…これが本来言おうとしていた建前だ」


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