青空の覗く海
きらり
第1話
高校生初めての夏。
それは夏の日差しが暑く太陽の主張が激しかった日。人生で初めてできた彼女、
「一緒に
青い空を背にそう言った凪沙は、何気ない仕草で裕太の腕を取った。
彼女の柔らかな手の感触が服の上からでも腕いっぱいに広がる。そのことに緊張感を抱きながら学校の帰り道を二人で歩いていた。
「ごめん。俺……水が苦手なんだ」
幼い頃から水が肌に触れることが苦手だった裕太は、海という場所に行ったことがない。それ故に彼女の自分と行きたいという提案は嬉しくもあったが今回は断ることにした。
「そうなのか?知らなかった。それは残念だ」
「ごめんな、凪沙」
彼女の気を落としてしまったことに罪悪感を感じながら、人が多く行き交う歩道を進む。右側に大きな病院が見えた。入り口の所に患者が殺到している。何かあったのか?そう思いながらゆっくりと歩を進めた。
「なぁ裕太」
凪沙の声が裕太を呼んだ。
「その水が苦手なのは克服できないのか?」
予想外の質問だった。水嫌いを克服する。それは考えたこともなかったからだ。凪沙はこちらをじっと見つめて裕太の返答を待っている。その眼差しは海に行きたい。そう強く訴えているように感じた。
「わかったよ、何とか克服してみる。けれど一年だけ待って欲しい。必ず来年の夏までに海に行けるように頑張るから」
「ふふっ。ありがとう裕太。楽しみにしてるよ」
夏の強烈な日差しが差し込むなか、凪沙は小指を差し出してくる。綺麗なその小指に、裕太は自分の小指を重ねた。
「約束だ」
凪沙はそう言って笑った。
それからというもの裕太は、水になれる為の特訓を始めた。普段使っているお湯を止め、冷たい水を出す。裕太が水を苦手としているのはその冷たさ故だった。生まれつき肌が弱いのか、冬は炬燵にいないと落ち着かないし、夏はいつも長袖だ。だからこそまずは寒さに慣れることから始めた。
そして暑かった夏は終わり、いつもより炬燵の使用頻度を下げた冬を乗り切りった裕太は、高校2年生の夏を目前に控えた5月下旬。
人通りの多い歩道をたった一人で歩いていた。
足取りは重く、中々前へと進まない。その理由は今裕太が向かっている場所が病院だからだ。
去年の夏。凪沙とあの約束を交わした数日後。凪沙の体は病気に犯され、入院生活を余儀なくされていた。
全く想像のしていなかった出来事に、足が震え、すくみそうになった体を叩き起こしながら病院に向かうと、そこには右腕が溶けたように消えている凪沙の姿があった。
溶解病。それが凪沙のかかった病気だった。その病気は水に触れると体が溶けるという。単純明快で恐ろしく残酷な病気だった。
この世はなんて残忍なんだと、その時の裕太は思った。彼女はあれだけ海に行きたがっていたのに。あっさりとその道が閉ざされたのだから。
裕太はこの時、初めて自分が水を苦手としていたことを恨んだ。あの時既に克服していれば、凪沙と海に行けたのだ。
そう思うと後悔しかなかった。
だけどそんな悲痛にくれる裕太を励ましてくれたのは、辛いはずである凪沙だった。
『裕太、悲しまないでくれ。私は必ずこの病気を治すから。裕太もその時までに水を克服しといてくれないか』
静かな病室で凪沙はそう言って笑った。強いなとそう思った。裕太も負けていられなかった。
人通りの多い歩道をとぼとぼと歩く、あれからまた一年が経とうとしているが、依然として凪沙の入院生活は続いている。
病院に到着した裕太は、看護師さんに案内され新しく移動した凪沙の病室にたどり着く。
「久しぶりだね」
ドアを開けると薄青い病院服を着た凪沙がそう言った。
「こちらこそ、久しぶり」
凪沙と面と向かって話すのは実に一週間ぶりだった。
「調子はどう?」
裕太が優しく問いかけると凪沙は悲痛な表情で答えた。
「左腕がもうそろそろなくなりそうだ」
「……………」
裕太はそのことを黙って聞くことしか出来なかった。
溶解病の特徴として水を浴びなければ基本的な生活はできる。それが当初の見解だったのだが。最近になって新たにわかったことがあった。それは、水に触れていなくても徐々に体が溶けていくということだった。
一度かかってしまえば救いのない病気。それが溶解病の実態だった。
夏が近づいた太陽の光が病室に差し込んでいる。
「最近……夢を見るんだ」
唐突に凪沙が言った。
「裕太と仲良く手を繋いで海に行く夢なんだ……」
それを聞いた裕太の目に涙が滲んだ。去年の夏に交わしたささやかな、だけど忘れられない約束。
「私のその夢はもう叶わないのかな」
それは強い彼女が初めて見せた弱音だった。
「私のほかに同じ病気にかかった人は全員もういない」
そう言って凪沙は新しい場所になった病室を見渡す。前は四人部屋だったそれは今は個室になっている。
裕太はそんな彼女を見ていられなかった。咄嗟の勢いに任せて彼女の唇を自分の唇で塞いだ。彼女にこれ以上弱気になって欲しくなかった。
「俺は、強い凪沙が好きだ」
初めてのキスの感触が脳を焼いたのか、そんなセリフが口をついて出た。凪沙は呆気に取られた表情だったが、やがて何をされたのか理解したのか頬を真っ赤に染めた。
「突然何をしてるんだ!?」
羞恥に染まった凪沙の顔は、可愛かった。だから裕太はそんな愛しの彼女をさらに守るように、朗報を伝えた。
「さっき看護師さんに聞いたんだけど、今日は外出してもおっけいだって。雨は降らないだろうってそう言ってた」
「本当か!!ならすぐに準備をしよう。裕太、車椅子を取ってきてくれないか?」
凪沙は柔らかな表情を崩さずにそう言った。なので裕太は一度病室を出て、あらかじめ近くに準備していた車椅子を廊下から持ってきた。予想外の速さに凪沙はびっくりしているようだった。
「凪沙ならすぐに外に行くと思って準備してもらってたんだよ」
裕太がそう言うと。
「さすが裕太。ありがとう」
凪沙は満面の笑みを浮かべてそう言った。
先程は一人で歩いていた歩道を、凪沙と二人で進んでいる。
「数日ぶりの外の空気は格別だな」
スゥーッと息を吸い、フウーッと息を吐く。深呼吸の動作をして、凪沙は染み染みと呟いた。コキコキと車輪が回る車椅子が通った道に、水の線が引いている。
「なぁ裕太。一緒に
凪沙がそう口にした。今はもうあの時のように彼女が腕を取ってくる事はないけれど、その言葉は確かに胸いっぱいに広がった。
「ああ、そうしそう」
今度はもう、断らない。
「ふふっ楽しみだ」
彼女は笑っていて、気を落とす事はない。人が多く行き交う歩道を進む。右側に病院が見えるが、そこに患者の姿はない。
「なぁ、裕太」
凪沙の声が裕太を呼んだ。
「二人で見る青空の海は綺麗かな?」
「ああ、綺麗さ。だって青空の海は俺達に生きる力をくれたんだから」
もうすぐやってくる暑い夏の日差しが、空を覆う水の雲を晴らしていく。
二人が夢見た
青空の覗く海 きらり @Kiyopon86
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます