永遠の幼なじみ

汐留 縁

第1話

ライム・グラファームは、私の幼なじみだ。


幼い頃からずっと一緒に過ごした、私にとっては大切な友人。


彼は、子供の頃から虚弱(きょじゃく)で、すぐに発作を起こすくせに、やんちゃで無鉄砲で、そばにいる私はいつもハラハラさせられていた。


そんな彼は、15になった頃から私に対する好意を示すようになった。


初めは言葉で、次第に物を贈るようになった。

けれど、私はその全てをやんわりと断わった。


彼に好きだと言われれば、

「私も好きよ。幼なじみとして」

物を貰えば、

「そんな高価な物は受け取れないわ。ただの幼なじみだもの」


私にとって、彼は大切な友人で、唯一無二の幼なじみ。

彼のことは好きだが、彼の好きとは形の違う好き。


だから、彼の気持ちには答えられない。



けれど、彼に会う度、私の中で変わりゆくものが確かにあった。



_________その訃報は突然やってきた。



朝、気持ち良い陽の光と小鳥のさえずりを聞きながら目を覚ます。


アリー・ロドワーフは、ベージュの真っ直ぐなサラサラした髪と、茶色の瞳が特徴的な少女で、彼女は今年16になった。

中流家庭で育ち、長閑な街ではそれなりに裕福な生活を送れていた。


アリーは、朝食にと母が作ったベーグルサンドを満足気に頬張った。

朝食の席にはアリーの他に、左斜め前の席に父が座っており、母は今は席を外している。


今日は、食卓の席に並ぶ父がやけに暗い顔をしていた。朝に挨拶をした時も、何とも弱々しい返事が返ってきた。

それが、気になりはしたが、特になにか声をかけようとは思わなかった。


そんな沈痛な面持ちで黙りだった父が、口を開くのは唐突だった。

父は、私の名前を呼んだあと、またしばらく黙ってしまったが、続けてこういった。


「…今朝方、グラファーム家のご長男が亡くなられたそうだ」


ピタリと動きが止まった。


グラファームの長男と聞いて、記憶の中にある人物は1人だけだ。

はちみつ色のサラサラな髪をした彼が、楽しげに微笑えむ顔が思い浮かんだ。


____________私のたった1人の大切な幼馴染み


昨日は確か、彼と毎日会う池のほとりでいつもと変わらない他愛ない話をした。


目の前の景色が揺らいだ。

頭の奥で、ピシリとヒビの入る音が聞こえ、現実から切り離されていくような感覚があった。

まるで、時計の針がギギギィと錆び付いて動かなくなるような。


私の世界から、昨日まで鮮やかだった世界から__________色が褪せていく。


父は娘の様子に全く気づくことなく沈痛な面持ちで話を続けていたが、今のアリーに父の話が耳には届くことはなかった。


暫くたった頃にガチャりと扉を開けて母が戻ってきた。


母は食卓の席に視線を向けた。

そして、私の顔を見るなり慌てて駆け寄り、苦しげな表情を浮かべながら、黙って私を強く抱き締めた。


父は漸くその時になって、娘の様子に気がついた。



顔を青くし、表情を強ばらせた娘の様子に。


何度も慰めの言葉を募り、頭を撫でる母。焦って謝りながら慰めの言葉を言う父。


大丈夫です。

分かってます。

私は大丈夫だから。


2人に返す言葉が頭の中にあるのに、アリーの言葉はまるで呪いにでもかかったかのように、喉につっかかったまま出てこなかった。


何も言わない、痛ましい娘の姿に2人は必死で慰めの言葉をかけ続けた。



気持ちの良い風が、駆け抜ける。

草や木々を揺らし、緑の香りを運んできた。

湖に波紋が広がる。


いい天気だなとぼんやりとアリーは思った。


家を出て、丘を超えたところに湖はあり、アリーはほぼ毎日そこを訪れる。

そして、湖のほとりにある大木の下に腰掛け、木漏れ日の中、アリーはいつもそこで人を待つのだ。


そして、今日も日課のようにここを訪れた。


家を出る時、先程食卓で必死に慰めの言葉を募っていた母と父は心配そうな表情だったが、私はいつも家を出る時と同じように振舞った。

正直に言うと、アリーは、父や母が考えるほど、あまりショックを受けていなかった。


________だって、今日はこんなにいい日だもの


今日は太陽が出て天気も良く、朝起きた時だってとても気分がよかった。

母の美味しいご飯を食べながら、いつも仕事で忙しい父と同じ食卓に並んで食事のできる特別な日。


今日はいい日なのだ。


きっと、さっきの話は何かの間違いだったのだろう。

悪い夢か何かだ。

だって、今日は……今日は……


ガサリと草を踏み分ける音がした。


アリーはビクリと肩をふるわせた。


________ほら、来た


やっぱり何かの悪い夢だったのだ。

アリーは振り返った時にいる人物がその人だと疑わなかった。



______私の幼馴染みはいつも遅れてやってくる。

その度に私は「遅い」とか「待ちくたびれたわよ」と、わざと拗ねた表情を作りながら、彼を困らせる。

彼はそんな私に謝り、機嫌を直すためにお詫びだと言ってお菓子を差し出す。

そうして、湖のほとりに腰掛け、いつも2人で談笑しながらそのお菓子を食す。


穏やかで幸せな時間。



今日だって_______________


彼は草木を掻き分け、アリーの背後からやってきた。

やんわりと輝くはちみつ色の髪が、草木と一緒に風になびく。

彼は、温かい青空の色を映した瞳を細め、穏やかに微笑む。


私を見つけると彼はそうして優しげな顔をするのだ。


目の前には、私の幼馴染みのライム・グラファー厶が確かにいる。


けれど、今日のライムは身長も顔も、アリーの記憶している姿より、幼い。


まるで、小さい頃のライムの姿だ。


自分の体調なんか顧みず、そこらじゅうを駆けずり回り、やんちゃしていた頃のライムがいる。


_______彼のはちみつ色の髪は黒色の髪へ。

温かい青空色の瞳はそのまま、穏やかな垂れ目の瞳から切れ長な瞳に。


私を見つけると目の前の彼は悲しく、苦々しげな表情を浮かべている。


まるで夢から覚めていくようにアリーは意識をはっきりさせていった。


__________あぁ、なんだ



「…ジル、どうしたの?」


そうして、私の大切な幼なじみの大切な弟に話しかけた。


ライムと同じ雰囲気をもつ黒髪の少年は、ライムの弟、ジル・グラファームだ。

この兄弟はあまり似ていないけれど、どこか雰囲気は似通っていた。


目の前の彼はオドオドと挙動不審に、視線を彷徨わせている。


アリーは酷い自己嫌悪を感じた。


どうしたのなんて、他にもかける言葉があるのにそんな言葉しかでてこないなんて。


しかも、ライムの面影を背負うジルに、ライムを重ねている自分がいる。

あぁ、情けない。


「アリーは、何でここに?」


ジルは不安気な顔でアリーを見つめる。


アリーは何も言わなかった。いや、言えなかった。

ただ微笑みを浮かべるだけで、視線を湖に移した。


本当に、自分はここで何をしているんだろう。


彼は来ない。

頭の中では確かにわかっている。けれど、その現実に向き合いたくはなかった。

ここへ来れば、いつものように彼はここに来るんじゃないか、もう一度彼に会えるんじゃないかと淡い期待を抱きながら、頭の中には冷静な自分がいる。



死んだ人間には二度と会えない。



ジルに会うまでそんな事にも向き合おうとしなかった自分は本当にどうしようもない。


「…アリー?」


ジルが心配そうにアリーを見つめる。


アリーは胸が苦しくなった。

自分よりも、か弱く小さい男の子が、兄を亡くして1番辛いはずの彼が、私の心配までしている。

私よりも、より近くでライムを見てきたジルの方がよっぽど傷ついているのに。

それなのに、気を使わせてしまうなんて。


アリーはジルをそっと引き寄せ、抱きしめた。

ほんの少しでも、ジルの不安な感情を包み込むように。

唯一、ジルと感情を共有できる自分がこんな情けない姿ではいけないと思った。せめてジルの前では毅然とした態度でいなければと。


アリーは、ジルの不安な気持ちが少しでも取り除けるように、気持ちが楽になるように、安心するように、ギュッと抱きしめる。


自分の気持ちも押し込むように。


抱き寄せられたジルは呆然としながら、瞳を揺らし涙を零した。

ジルの心にも行き場のない感情が溜まっていたのだろう。流れた涙は留まることを忘れ、溢れかえる。水をせき止めるダムが崩れていくように、堰を切ってジルの目から涙が流れた。

一度緩んでしまえば、涙はとめどなく流れるようで、わんわんと泣きだすジルは、アリーの服にしがみつき、嗚咽を漏らしながら大声で泣き叫んでいた。


アリーはそんなジルの頭をそっと優しく撫でてやる。



ジルの泣き叫ぶ声は湖に波紋を広げ、湖の中に沈むように溶けて、消えていく____________



ズルズルとジルは鼻をすすった。

涙が枯れるまで泣き腫らしたため、目も鼻は真っ赤になっていた。

気持ちが高ぶったせいか、頬も蒸気し、ほんのり火照っている。

アリーはポケットからハンカチを出し、ジルに差し出した。


だが、ジルはそれを拒んだ。

綺麗な白いハンカチを汚すのは嫌だ。とジルは思い、受け取らなかったのだが、アリーは意地っ張りなジルがそうすることは分かっていたので、ジルが拒む意志を見せたと同時に目元にハンカチを押し当てた。

片手で頬を支え、もう一方の手で涙を拭き取る。

ジルは嫌がったが、ほとんどアリーにされるがままになっていた。


ジルの顔を綺麗にし、もう一度頭を撫でる。

だが、どうもジルは思いつめた表情のまま下を向いていた。

何か悩んでいる様子のジルは、暫くしてポケットの中から1枚の手紙を取り出した。


そして、綺麗な純白の手紙をアリーに差し出す。


アリーはそれを受け取った。

封に差出人は書かれていなかったが、宛先は自分になっていた。


…この字って、


『Dear Ari,』


綺麗で流れるような、温かい字。

この字はアリーが何度も、彼から手紙を貰う度に見てきたものと全く同じだった。


アリーは衝動的に手紙を胸の中で抱きしめていた。


いなくなってしまった彼をもう一度抱きしめるように。


ポッカリと空いた穴を埋めるように、じんわりと暖かいものが心の中へ流れ込んでいく。

けれど、その分虚しさも胸の中で溢れかえった。

悲しさと嬉しさと空虚感がせめぎ合い、複雑な感情が心を埋め尽くす。


ふと、ジルを見ると心配そうな表情で自分を見つめていた。

自分がどんな表情をしているかは何となく分かっていた。きっと泣き出しそうな、ひどい顔をしている。


だから、何とか笑おうとした。

笑った顔はジルから見たらきっと余計辛いものに見えただろうけれど、それでもここでは泣けなかった。


ジルの前で泣くわけにはいかない。

無理にでも笑おうとした。


ジルはもどかしげな表情をしていたが、何も言わなかった。

口をつむぎ、戸惑ったように視線をさ迷わせていたが、ふいに立ち上がった。


不思議に思い、ジルを見上げると、下唇を噛み、何処か悔しげな表情を浮かべていた。


「俺、帰るよ」


唐突だった。

アリーは予想していなかっただけに、言葉に詰まった。

「え、でも、」と戸惑ってしまう。


ジルは苦笑いの表情を浮かべた。


「…俺がいたんじゃ、アリーが手紙、読めないだろ」


それが、ジルなりの気遣いだと分かった。

アリーは困ったように微笑む。

確かに、ジルの前でこの手紙は読めなかった。


「うん。ごめん」


ジルは体についた草を払うと、無邪気な笑顔でこちらを振り向いた。


「じゃあ」


片手を上げ、その後は振り返ることなく、ジルは来た道を駆け足で戻っていった。


また、気遣わせてしまった。情けないなぁ。

でも、そういう所がとても________________


小さくなるジルの背中を見つめる。

違うとわかっていても、アリーの瞳には幼い頃のライムの背中が映っていた。


思わず手を伸ばしたくなった。けれど、それはしなかった。


ジルの背中をただ静かに見送っていく。


アリーの頭の中でライムと幼い頃、草むらを駆けた記憶が蘇っていた。


幸せだった頃の思い出。


二度と戻らない、大切な思い出。



白く綺麗な手紙を撫でながら、アリーは瞳を揺らめかせる。


迷っていた。


ジルが気を使って帰ってくれたのに、アリーは未だに手紙を開けられずにいる。


見たい。見たくない。見たい。でも、見たくない。見たい……でも…


これを見てしまってはきっと戻れない。


…いや、ただ現実と向き合うのが怖いだけだ。



アリーは胸に手を当て、気持ちを落ち着かせるためにゆっくりと息を吐き出す。

そうして決意を固め、手紙の封に手をかけた。

封を開け、その中から手紙を1枚取り出す。

微かに手が震えた。

心臓が早鐘を打つ。


手紙をゆっくりと開き、そうして見慣れたその字を辿っていく。



『アリーへ


君はこの手紙を読んでいるだろうか。


何も言うつもりは無かったけれど、せめて手紙だけでも君に伝えたい。


往生際が悪くてごめん。



一昨年の夏、ちょうど梅雨が過ぎたあたりから病状が悪化して、医者から持って一年だと言われたんだ。


周りからは、君にもこの事を伝えておいた方がいいと言われたけれど、君には最後まで笑顔でいて欲しくて、言わないでくれと僕が頼んだ。


だから、君には病気のことを伝えなかったし、僕の君への気持ちも、本当は言わないでおくつもりだったんだ。


けれど、君は会う度に綺麗になっていくし、そんな君の隣に僕は居れないんだと考えると、とても辛かった。


せめて、いなくなる前に君に伝えたかった。


叶うのなら、君の隣に僕がいればいいのに。


けど、君の返事は「僕の事は大切な友人で、私はただの幼馴染みだから僕の気持ちには答えられない」と言って断ったね。


僕はその返事を聞いた時、悲しかったけれど、正直ほっとしたんだ。


最終的にはそれが、君を悲しませてしまう結果になるんだと、頭の中ではわかっていたから。


君が断ることをわかった上で君に想いを伝えていた。


僕は君に甘えていたんだ。


そんな日々を送っているうちに、気づけば医師に告げられた1年をあっという間に過ぎていて、その頃にはもう、毎日伝える僕の言葉にすっかり君は慣れていたね。


でも、多少の変化はあって、頬を染めたり、表情を和らげる君を見ることが出来た。


僕はその変化が嬉しくて幸せで、でも、その分怖くなった。


思いが通じあってしまえば、それだけ君を悲しませてしまう。


僕は焦ったんだ。


これ以上はダメだと、今が引き際だと考えた頃から、止まっていた時間が進み出したように、体調がまた悪化しだしたんだ。


医者には今度こそだと言われた。


僕にも、これが最後なんだとわかったんだ。



僕は、君には最後の時まで笑っていて欲しいから、この事は言わないつもりだ。


君には幸せになって欲しい。


僕の大切な、唯一無二の幼なじみとして。


だから君の隣は、君がずっと笑顔で居続けられる人を選んでくれ。


君は怒るだろうけど、それが僕の最後の願いだ。


アリー、今までありがとう。

さようなら。



ライム・グラファームより』




温かいものがアリーの頬を伝った。


零れたそれは黒い字を滲ませて、消えていく。


ただただ、苦しかった。悲しかった。

でも、その分温かい彼の言葉がジーンと胸に広がる。


もう言えない言葉。届かない想い。


最後に彼とどんな話をしたのか。

当たり前の日々の中にあったそれは簡単には思い出せない。


「ふ…うぅ、ん…ふぇ…ん」


アリーの目からは涙がこぼれる。


口元を抑える指の隙間から嗚咽を漏らす。


胸が締め付けられるように苦しい。


どうして言ってくれなかったの。

私は彼の幼なじみなのにどうして気づいてあげられなかったの。

言いたいこと伝えたいことがまだある。

まだ一緒に居たかった。


今年も祭りに行こうねって言った時どんな顔だった。どんな気持ちだった。

昨日は彼とどんな話をした?


私は最後にちゃんと笑えていた?



________あなたは、どんな顔をしていた?



ジルほど素直には泣けなかった。


あんな風に泣けたらどんなにいいか。


子供の頃なら周りを気にすることなく泣くことが出来たけれど、気づけばアリーも大人になった。

昔のように無邪気にはなれない。


でも、少しだけ、せめて今日だけは。


一緒に過ごして来た時間が重い。

楽しい思い出の分だけつらい。


でも、忘れたくない、消えて欲しくない。



お願い、行かないで______________




気づけば日が傾き、空も湖も夕焼け色に変わっていた。


アリーの目は泣き腫らしたせいで赤く腫れ上がっていたが、その頃には涙も止まり、だいぶ落ち着きを取り戻していた。

けれど、まだ気持ちの整理はつかず、どんよりと心は曇ったままだ。


そろそろ帰らなければ行けないのに、体は鉛のように動かない。


アリーの視界には、夕暮れを写した湖がキラキラと輝いていた。


その上には、2羽の鳥が戯れるようにして飛んでいる。


そう言えばあの鳥、ライムがスケッチをしていたなぁ。



ライムは絵を描くのが好きだった。

はちみつ色の髪を風に靡かせ、真剣な表情でペンを握り締めるライムの横顔が思い浮かぶ。


アリーは、まだ手に握ったままの手紙に視線を落とした。


握り込み、すっかりしわくちゃになった手紙を見つめながら、それを何となく裏返した。


本当になんとなくだった。



何も書かれていないだろうと思っていたアリーは目を瞬かせた。


『僕の大切な幼なじみに花を贈る』


と、手紙の裏にはそう書かれていた。


アリーはまた、目を瞬かせ、首を傾げる。

なんの事だかピンと来ない。試しに封筒の中を覗いてみた。


すると、中にはもう1枚、4つ折りにされた紙が同封されていた。


紙を開くと絵が書かれていた。


花の絵。


白いライムの花が描かれた絵ともう一つ、その花の名前は分からない。

紫がかったピンク色の花びらが5枚小さな花の絵が描かれている。


ライムの花は、彼と同じ名前の花だから、自然と覚えていたが、もう1枚の花は見たことがあるような、うろ覚えの花だった。



なぜこの2つなのか、アリーには分からない。



確か、花言葉は…。


昔、ライムと一緒にガーデニング好きの母の本棚を漁ってライムの花についての記述も読んだはずだが、記憶は朧気だ。



知りたいけれど…どうしよう。



家に帰れば、その本がまだあるはずだ。

ライムの事だから、きっとこれには何か意味があるのだろうとは思う。


けれど、知るのが怖い。




そんなふうにアリーの中で葛藤があったけれど、自然と家に帰ろうという気持ちにはなっていた。

アリーは手紙を封の中に戻し、立ち上がり、それを服のサイドポケットへと入れる。


服についた草を払い、颯爽と帰り道を辿って行った。


さっきまで、あんなに帰りたくなかったのに不思議と足は前へ前へと進んでいく。




歩いていると日はどんどんと落ち、暮れていく。


まだ、湖のところにいたら、真っ暗の中帰ることになっただろう。


もう慣れた道のため迷子にはならないが足場が少し悪い道のため、今の自分では怪我をしないとは言いきれなかった。


何だかまるで、彼が早く帰るように仕向けたようだった。


ふと、そう言えば彼はいたずら好きの策士だったなと昔の事を思い出して、思わずふっと笑ってしまう。




すっかり日のくれた道は、ほとんど闇に染まっていた。


いつも、彼とは日が暮れる前には帰っていたため、こんなに薄暗い道を歩いたのは久しぶりかもしれない。


夜風の運ぶ、草木の香り。

月明かりが照らす道。




しばらく歩けば、ポツリポツリと家の灯りが見え始めた。


まだ季節では早い、夏の香りと夕飯の香りが混ざり合う。


次第に住み慣れた我が家に着いた。

扉を開け、帰ってきたことを伝える。

父も母も不安げな表情で、母は娘の顔を見て驚いた表情を浮かべたが、どこかほっとしている様子だった。


きっと心配したことだろう。


母はやんわりと微笑んだ。


「お腹すいたでしょう。さぁ、ご飯にしましょう」


温かいご飯、ゆったりとしたいつもの食卓。

家族みんなで食べる美味しいご飯は、いつもよりも味が薄かった。





「ねぇ、母様」


食事を終え、皿を洗う母の背中に話しかける。

「ん?」と、洗い物をしながら返事が返ってきた。


「昔見た、ガーデニングの本ってどこにある?」


母はアリーの方をゆっくり振り返ると少し考える動作をした。


「そうねぇ…確か、あの時片付けたから、今は書斎の所じゃないかしら?」


「わかった、ありがとう」


そのまま書斎へ向かおうとすると母が呼び止めた。


「なあに?母様」


母はしばらくアリーの顔を見つめ、なにか言おうと口を開いたけれど、困ったように笑って「ううん。なんでもない」と言った。


母の様子に首を傾げたものの、そのまま書斎へ歩き出した。



「…子供の成長ってあっという間なのかしら」


書斎へ向かった娘の背中にそんなことをボソッと呟いた。




書斎へ入ると、棚にぎっしりと詰まった本がズラっと並んでいた。

普段、書斎へ赴かないアリーはおもわず呆けてしまう。


見つかるかしら?


あまりの本の量に少し絶望を感じたけれど、すぐに気持ちを切り替える。

そして、1冊1冊に手をかけていく。





『ほら、この花だよ』


小さな男の子はページをめくり白い花を指さす。


『わぁ、これがライムの花?小さくて可愛いね』


小さな女の子は無邪気に笑いかける。


『花言葉はねぇ、──────だって』


『温かい言葉だね。ライムにピッタリだ』


『あ!ねぇ、見て』


女の子は紫がかったピンク色の花を指さす。


『ふふ、僕らにピッタリだね』


『そうだね、だって私達は──────』




記憶の中の本と同じ本を手に取る。

本の表紙を撫でながらそっとページを開いた。

そうして、白い花のページを開く。

記憶とおなじ写真。



男の子が言う。

『あなたを見守る』


ページをめくる。

紫がかったピンク色の花のページを開く。

女の子が言う。

『大切な幼なじみだから』


目を閉じると目の前のライムが言う。

『僕の大切な幼なじみに花を贈るよ。とても楽しい思い出だった。アリーを、遠くからも見守っているよ』


〝ありがとう〟




手紙と一緒にそっと本を閉じた。


一筋だけ涙が零れた。

けれど、それ以上涙がこぼれることはなかった。


本は静かに本棚へとしまった。




ライムの葬式は無事に終わり、ライム・グラファームはその場所で永遠に眠ることになった。


アリーは、その葬式にいくことができなかった。

そしてようやく気持ちの整理がついた、2ヶ月後、喪服に身を包み、ジルを伴ってその場所を訪れた。


静かに石碑を見つめる。

〝ライム・グラファーム〟


石碑の前にそっと花と手紙を置いた。

花はライムの花、ツルニチニチソウ、そしてローダンセ。


2人で手を合わせて目を閉じる。



そっとジルはアリーを伺った。

目を閉じるアリーは何処か寂しげに映った。

けれど、次に目を開けたアリーは明るい笑顔で、「おやすみなさい、ライム」と言った。


そうして立ち上がり「行きましょう」と言って、歩き出す。ジルもその後ろをついて行こうとすると、その時、強い風が吹いた。


それとともに手紙と花が空高く舞い上がる。


髪を押さえながら、アリーはそっと温かい青空を見上げた。


どうか、どうか、届きますように。

私の大切な幼なじみへ──────


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永遠の幼なじみ 汐留 縁 @hanakokun

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