夕暮れ卒業式
猫野ぽち
一緒に
茜色の夕日が窓の外から差し込んで、教室を染めていく。
部活終わりに何度も見た放課後の教室の景色。
少しノスタルジックで、身近なのに幻想的。
どういう訳か、わたしは教室の隅の席に座っていた。前からお気に入りの、窓際の後ろの席で、退屈な授業中たまに外を眺めていた席。くじ引きでこの席を引き当てたときには大喜びをしたものだ。
あたりを見渡す。きちんと並べられた机と空のロッカー。それに黒板には「卒業おめでとう!」の文字。あたりには誰もいない。
全く状況が把握できず、身体が自分のものではないようにふわふわしていて、頭の中もはっきりしない。一昨日のことも、昨日のことさえも思い出せないほどに。
教室に落ちる影はだんだんと色を濃くしていく。
ただただ困惑したものの、誰もいない教室の不思議な空気感がわたしの思考を邪魔してくる。不気味ではなく非日常な景色に好奇心さえ湧いていた。
今は、この神秘的で心地いい郷愁にしばらく身を任せていたかった。
高校生活の思い出をちょっと振り返る。
週1で活動していた茶道部では部長を押し付けられたっけな。修学旅行で東京に行ったの、楽しかったなあ。整美委員会、忙しくて大変だった。
そんなに良くない思い出もピックアップされて思い出す。でもまあ、素直に楽しめて、幸せだったかな。でもなぜだか、心のどこかがモヤモヤする。何か大きなこと忘れているような…。
そのとき、少し開いた窓から心地のいい春の風が入ってきた。
教室の薄いカーテンを白波のように揺らす。
少しの間、春風を感じて軽く目をつむった。
しばらくそうしていると、教室のドアがガラガラ…と、静かに開かれる。その音の方に目を向けると見慣れた親友の姿があった。
彼女は凛とした佇まいにぴったりなリンという名前で、いつもわたしのそばにいてくれた。
委員会も掃除場所も修学旅行の班も同じ。わたしがテスト前の宿題に追われているときも、失恋したときも寄り添ってくれた。
「リっ……」
声をかけようと凛の顔を見ると、なぜか今にも泣き出しそうな顔をしている。
驚いて口を閉じる。
リンは黒髪のポニーテールを揺らしながら、
わたしの席にゆっくりと近づいてきた。
少し俯いて、使い古した赤い上靴を前へ動かす。
まるでわたしは見えていないみたいに、進む。
思わず声をかける。
「リン、どうしたの?」
わたしの声に重ねるようにしてリンは言った。
「一緒に卒業、したかったなあ…っ…。」
震える声で。短いリンの独り言。
だけどわたしには、ベクトルの公式や英語の長文よりも理解できない独り言だった。
いっしょ…?そつぎょう…?言葉がぐるぐると頭の中を巡ってそれからこぼれ落ちていく。
なにもかも、理解が追いつかず、リンの顔を見る。
彼女は泣いていた。初めて見るリンの泣き顔。親の前でも泣いたことがないと誇らしげに言っていたのに。
大切な親友が泣いているのなら慰めたい、それだけを考えた。
でも、何も口に出せなかった。今の自分には本当に何もできないと、漠然とそんな感覚がしたから。
彼女の涙がぽたぽたと落ちて教室の床を濡らしていく。
彼女はわたしの机にだけ置かれていた花瓶から花を取って抱きしめた。赤いカーネーション。
その赤をみて、わたしはようやく気づいた、思い出してしまった。
死んでしまったんだ、わたしは。
一昨日の雨が降る帰り道、交通事故で。
やっと納得がいった。卒業式が終わった後、こんな場所に未練がましく座っていたのも、リンがこんなに泣いているのも。
わたしの家族も、悲しんでくれているのだろうか。
勉強も家の手伝いもろくにしなかったのに、こんなに早く交通事故で死んでしまうなんて、本当に親不孝者だな…。
それにリンは一生仲良くしようと言い合った大事な親友だ。悲しむ彼女を前にして心がぎゅっと軋む。
「リン……ごめんね…。」
届かない声を振り絞る。わたし自身にも良く聞こえなかった。
初めて自分の死を感じて、どうしようもなく訪れた虚無感に飲み込まれそうになった。これからのわたしの夢も、生活も、たった一回の人生も頭打ちなのか。
そんな途方に暮れかけたとき、心做しか、リンと目が合った気がした。それだけで、もう無いであろう心臓が跳ね上がるほど嬉しかった。
夕日に照らされて輝くブラウンの彼女の瞳からは、まだ大粒の涙が溢れている。
哀しいけれど、初めて見る親友の涙がわたしへの
手向けとは、なんて特別なんだろう。
赤いカーネーションがもとの花瓶に戻される。
リンは置いていた鞄からふたつの筒を取り出した。
卒業証書だ。おそらく、リンとわたしの。
大切にその筒を両手で抱えた彼女は、わたしの席を一度振り返ってから教室を出た。
独りになりたくなくてリンに着いていく。
学校を出て初めの交差点、リンの家は左にあるのに今日はまっすぐ進む。わたしの家の方だ。
卒業証書を届けてくれようとしているのかな。
教室で聞いた苦しそうな声を思い出す。
一緒に卒業、したかったなあ…っ…。
「大丈夫。隣にいるよ。」
そのとき、一番星がわたしたちの頭上で煌めいた。
あの星みたいにずっと空から見守ろう。わたしの家族と、わたしの親友を。そしていつかまた絶対会おう。
もう一度目を合わせて。
夕暮れ卒業式 猫野ぽち @temi_1409
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