第2話『精算の結果支払うものは』


『あのとき、あなたが私を突き飛ばしたりしたから』

『あなたが決まりを破って喫煙していたから』

『君がそんなものを捨てたから』

『お前がそれを隠したから』


 様々な声が性別年齢に関係なく、俺を責めていた。

 気に入らなかった。腹が立った。知ったことかと何度手に持った商品を投げ飛ばそうと思ったか知れない。

 それでも俺の体は、他人のもののように右手に商品を掴んでスキャンをしては、それにまつわる出来事を呼び起こさせ、左側に置いていった。


『お前が問題ばかり起こしたから!』


 最後にスキャンしたのは、母親の位牌だった。


 同年代の母親より、十も老けて見えた母親だった。

 どこか卑屈な目をしていて、疲れ果てていた。

 見ているだけでイライラする親だった。

 覚えているのはいつも誰かに頭を下げている姿ばかり。

 うんざりした。自分の息子はそんなことしないと、守ってくれたことなど一度もない。

 守るのが親の務めだろうがと何度思ったか知れない。

 たまに一緒に買い物に付き合ってやっても、店のわけのわからねぇルールに従う義理などねぇはずだと、お客様は神様だろうがと食って掛かったときも、一緒になって店側責めるんじゃなくて、俺を必死に止めようとして、他人の目に晒されながら馬鹿みたいに頭を下げていた。


 小せェ背中をますます丸めて縮こまって。本当に腹が立った。

 そんな母親が去年死んだ。

 報せを受けても、とくにどうとも思わなかった。

 一応通夜と葬式ぐらいは出ないとと思って、久々に顔を見せた瞬間、親族連中から一斉に睨まれて責められた。


『お前が問題ばかり起こしたから!』


 そのせいで心労が祟って死んだんだと責められた。

 知るかと思った。腹が立ったから、そのままその場を後にした。


 それ以来一切あいつらとは連絡もしていない。

 二度と顔を見ることもなくて清々すると思ったが、それからもずっと、いや、むしろもっとイライラが止まらなくなって、眼に入るものすべてが気に入らなくなっていた。


 仕事は続かなかった。偉そうな人間どもに使われて、頭の悪い客相手に頭なんて下げられるわけもねぇし、ちまちました工場仕事なんて飽きちまうし。熱いのは嫌だし、汗はかきたくねぇし、重労働はしたくねぇし、日焼けも嫌だ。頭なんざ下げたくもねぇし、気なんか使いたくもねぇし。だから詐欺って楽な仕事が出来るわけだと思ったもんだ。そうして――

 

 そうして俺は、どうやって生きて来たんだ?

 まともに働いていない自覚はあった。それでも、俺は金を引き出して生活をしていた。

 俺は一体、どこから金を引き出していた?


 そう思ったとき、


《すべてが終わりましたら、お会刑かいけいボタンを押してください》


 機械音声によって意識を引き戻された。

 何も考えずに、会刑ボタンを押した。

 そして見た。

 本来合計金額が書かれているはずの場所に、まともに読めない漢字の羅列を。

 辛うじてまともに読めるのは最後の二文字『地獄』と言う文字。

 そこには何個もの『○○地獄』と言う文字が並んでいた。


《お支払方法を選んで、ボタンを押してください》


 機械音声が促すが、確かに画面にはいくつものボタンはあるが、その全てが『自分』となっていた。


 意味が、解らなかった。

 自分って一体何なんだ?

 押したら一体どうなるんだ?

 地獄ってなんだ?


 足の下からじわじわと悪寒が這い上がって来た。

 生まれてこの方、こんな悪寒を感じたことはねぇ。

 それが、恐怖なのだということを本能的に悟る。


《お支払方法を選んで、ボタンを押してください》


 無慈悲な機械音声が大きくなる。

 何度も何度も繰り返し繰り返し、焦らせるように大きくなる。

 心臓が痛いほどに早鐘を打っていた。汗が出て来て、呼吸が浅くなった。

 訳も分からずに叫び出したくなる。


「おい! ふざけるのも大概にしろよ! 何だよこれは!!」


 誤魔化し紛れに叫んでみるも、俺の声は初めから存在しないかのように消え失せた。


《お支払方法を選んで、ボタンを押してください》


 機械音声が煽って来る。耳の中も頭の中も、その機械音声でいっぱいになる。

 一台しかないはずなのに、周りをぐるりと囲まれて、一斉に喋られているようなやかましさに、頭の中がおかしくなりそうだ。

 耳を塞いでも聞こえて来る。吐き気が込み上げて来る。

 うるさかった。止めたかった。解放されたかった。

 だから俺は、

 

 ピッ


 押した。

 支払方法、自分。

 その瞬間。フッと内臓が浮き上がるような感覚と共に、俺は消失した足の下に落下していた。


 ◆


「ようこそ、本日の地獄めぐりツアーへ」

「は?」


 目の前には、額に角を生やした、虎縞柄のビキニを吐いたグラマラスな赤い肌の女が、満面の笑みを湛えて立っていた。


 周囲はもう光の差さない暗闇などではなかった。

 異常なぐらいに暑かった。いや、熱かった。

 それもそのはず、世界が赤く燃え上がっていた。

 比喩でもなんでもなく、本当に赤く燃えていた。


 地面がむき出しの岩肌が続く世界を彩るのは炎。あちらこちらから間欠泉のように炎が噴き出して、肌がひりつくほどに、汗など一瞬で蒸発してしまうほどに、空間が熱されている場所だった。


 そんな場所で、笑顔全開の女なんざ、まともなはずがねぇ。

 しかもその女、いつの間にかレシートみたいな白い長い紙をスルスルと見ながら、感心したような呆れたような口調でこう言った。


「あらあらあらあら。よくもまぁこれだけの地獄コースを網羅しましたね。間接的にしろ直接的にしろ、まだ人を殺してないだけマシなのでしょうが……それにしても、お母さまの死はギリギリな感じですねぇ。ま、身から出た錆ですからね。不当な恨み言はカウントされませんが、見る限り全部正当な恨みのようですし、それ相応の報いを苦痛と言う形で体験していただきましょう」

「は?」


 と俺は聞き返した。

 そりゃ返すだろ? 何言ってんだこのコスプレ女は? ってなるだろ?

 でもそいつは、


「は? じゃねえんだよ」


 まさに鬼の形相で俺の胸倉を掴むと、鼻先がくっつきそうになるほど顔を近づけた。


「てめぇがこれまで貸して来た付けをさっさと払いに行って来いってんだ」

「つ、付なんて、そんなの俺は」

「知らねぇとは言わせねぇぞ。てめぇの身勝手極まりねぇ態度のせいで、不幸な目や不快な目に遭った連中からの恨みの念が、てめぇを地獄送りにしてんだよ。更生するチャンスは何度もあったって言うのに、そのチャンスを尽く不意にしやがって。ったく。現世で地獄なんてないっつー話が広まったせいで、自分勝手が過ぎる輩が多くてやってらんねぇぜ。いいか。これは誰の所為でもねぇ。てめぇの身から出て生まれた地獄だ。逃げ回ったところで逃げ切れねぇぞ。解ったらさっさと死んで来い」


 暴言と供に突き飛ばされる。

 ごつごつとした地面に尻から落ちる。

 痛かった。痛かったがそれどころじゃねえ。


「し、死んで来いって」

「はあ?! 大概にして頭悪ィとは思ってたが、日本語も理解できねぇのか。地獄に落ちりゃァ死ぬに決まってんだろ。で、生き返らせて、また殺す。で、生き返らせてまた殺す。それを永遠繰り返して次の地獄に落とすんだよ」

「え、永遠」

「そうだよ。それに永遠付き合わされるこっちの身にもなれってんだ。飽きるんだよ。屑が。余計な手間と時間かけさせてんじゃねぇよ!」


 だったら、無罪放免で一回で終わらせればいいじゃねぇかと思うも、歯の根が合わなくて言い返せない。

 これは演技なんかじゃねぇと直感した。

 相手はコスプレ女じゃねぇ。

 さもなけりゃ、俺がこんなバカみてぇに震えるわけがねぇんだ。


「当たり前だ」と、女――鬼は言った。


「一回で楽にさせたら、無限とも思えるほどに嫌な思いをさせられた連中の心が浮かばれねぇだろうが。何他人に自分の我儘と身勝手さで迷惑かけて置きながら、自分だけはのうのうと楽になろうとしてんだよ。その性根の腐ったところが気に入らねぇんだよ。刑期増やすぞ、この野郎。嫌ならさっさと行きやがれ」


 叫ぶと同時に、俺は力いっぱい蹴り飛ばされた。

 脳裏に、かつて誰かをこうして蹴り飛ばしたことがあると思った瞬間、俺の意識は一度完全に落ちていた。

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