第2話 夏色を払った風
両目を凝らし、やっぱり、あそこで歩いているのは真君だ、と合図するかのように何度も確認した。
君も私の物陰を察したのか、一切、陽光に焼けていなそうな、白い手で大きく振った。
やっと、会えた。やっと、会えたんだ。
私はつい、小走りになり、乾いた路上で少しこけそうになりながらも、溢れ出る歓喜でどうか、なりそうだった。
道端で会うなんて、出来すぎたドラマみたい、と思いながらも、私は手ぶらで近所を散歩していたのだ、と今更になって気が付いた。
「逃げてきた」
目的地に辿り着いた、君の声の波はとても小さかった。
「どういうこと?」
私はつい、口を走らせてしまい、君もちょっとだけ、浮かない表情をしていた。
道端でたまたま会えたんだから、と深い事情なんてどうでもいい。
こんなシリアルすぎる、偶然なんて嘘みたいだ、とさすがに思いながらも、福岡へ帰った君がなぜ、突然、高原(たかはる)町を訪れたのか、知ろうともしなかった。
「君に会いに来たんだ。怖かったから」
土手に密集する、彼岸花が涼風と仄かに揺れる。
天上に向かって、吹き荒れる紅蓮の炎が阿修羅道で揺れるようにセーラー服のほつれた裾も揺れる。
「真君、皇子原(おうじばる)公園に行こうよ、このまま。彼岸花ももっと、咲いているよ」
「僕はあの花が好きじゃない」
「どうして?」
私はつい、口を滑らした。
こんなに綺麗なんだよ。
こんなに咲いているのになぜ、あなたはそう思うの?
それは決して、他言できなかった。
青筋揚羽が甘い蜜を吸いに、私たちの周りを囲むように飛び交い、向こう岸のほうへぶっきらぼうに立ち去った。
夏色を取り払った秋風が吹き、静かな匂いが私たちを包み込む。
「血みたいな色だから」
君はまだ、残暑が支配する、長月に真冬を先取りしたかのような、長袖を羽織っていた。
小指が震えながらでしか、他者と接しられない、私ってどこか可笑しいのかな、と心配になりながらも胸がうずき、生ぬるい汗が首筋にじわじわ、と滲む。
霊気を含んだ涼風に靡く、彼岸花は形振り構わず、悲愁に委ねる少女のように大きく揺れ、まだ、女にはなりたくない、と冀う、私がいる。
女に生まれてしまったから、と取り留めもない、陰鬱な運命論にかしずくのだ、と妙に悟るんだ。
「真依ちゃんは慣れているだろう、月に一度あるから」
「違うよ」
私はつい、言い返してしまった。
君は不敵な笑みを浮かべながら、私の手を掴み、その左手はまるで、水琴窟で何時間も冷やした、ビー玉の硬質のように冷たかった。
「ここじゃ、誰かに見られるかもしれないから、やっぱり、行こうか」
あの公園なら誰もいないよ、と私もふと、賛同した。
あそこは大昔に狭野尊(さのみこと)という皇子さまが住まわれた皇宮屋(こうぐうや)らしく、それこそ、婦人会のおばちゃんたちが会うたびに誇らしげに語ってくれた。
そうかな、小さい頃から遊んでいたから、ただの公園にしか見えないよ、と私は本音では感じていた。
彼岸花が咲く、この時期はお気に入りの写真映えするスポットだったし、深紅の彼岸花と空の克明な青さは取り分け、格別だったから、何度も飽きずに訪れていた。
皇子原公園の入り口である、この山間には不似合いな大きな像があり、私は大きくなるまで、その少年の彫像を女の子の像だ、と思っていた。
狭野神社の前の大きな赤い鳥居の前を通り、休み暇もなく、歩き続けた。
彼岸花が丘の上や道路のすれすれまで咲いている。こんなに咲くんだ、と毎年のように知り得ながらも、シルクロードで運ばれた、絢爛な絨毯のように彼岸花は広がっていた。彼岸花が私の胸をそっと撫でた。
君の肩まである、長い髪の毛が蕭条(しょうじょう)とそよ風と舞い、赤みを帯びた、萼(うてな)と風の叫びが思う存分に散っていく。
歩きながらも下腹部にきりきり、と集中的な痛みを覚え、慣れない女の業を私は持て余していた。
最近、痛くてしょうがないし、日に日に女への階段を無理やり、歩んでいる、予感に私は嫌気さえ差していた。
「痛い? 大丈夫? 」
君の澄み切った声がする。私は本能的に首を縦に振った。
「女の子の日なんだね」
君の勘は滝行で過酷な修行を重ねた、うら若い巫女のように鋭かった。
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