推しに認知されました

 推しが目の前にいる。

 アイドルの握手会に訪れた人なら分かるだろう。いつもステージ上にいたはずの天使が眼前に現れることの喜びを。

 そして、何を話そうか事前に用意していたはずなのに消えてしまうというテンパる状態も。

 それは俺とて変わらず、遠目で見ていた推しの姿に少しだけテンパっていた。


「ど、どどどどどどどどどどどどどどどどどうしよう、イリヤ!? ソフィアたんが……ソフィアたんが俺の目の前に……ッ!?」

「落ち着きましょう、ししょー。足と手と体と眼球がめちゃくちゃ震えるほどテンパらないでください」


 そう、少しだけテンパっていた。少しだけ、本当に。


「だって、だって推しが……すぐそこに!」

「はいはい、話すだけですから落ち着きましょーね」


 イリヤが俺の頭を優しく撫でてくる。

 子供扱いされて本来であれば腹が立つのだが、今に至ってはこの上なく安心してしまう。

 年下の女の子になだめられている構図もいかがなものかと思わないこともないが。


「そ、そうだな……覚悟を決めたもんな、こんなところでテンパってちゃダメだ。それに、推しと話せることはファンにとっては至上の喜びじゃないか」


 俺は思い切り頬を叩くと、真っ直ぐソフィアたんに向き直った。

 ウィンプル越しに覗く金髪が陽の光によって神々しく輝く。愛くるしい顔立ちと愛嬌滲ませる小柄な体躯、潤んだ桜色の唇と透き通った琥珀色の瞳に心臓が止まりそうになる。

 だが、俺は歯を食いしばって不思議そうにする推しに向かって口を開いた。


「は、ははははははははは初めまして、イズミと……も、申しましゅ!」


 初めましてではないが、話したこともないので実質初対面。

 恥ずかしく噛んでしまったものの、俺はとりあえず背筋を伸ばしてご挨拶から始めた。


「ふふっ、ご丁寧にありがとうございます。私はソフィアと申します―――さん」


 柔らかく、少し上品に微笑む推し。

 そんな姿を見て―――


「ガハッ!?」

「し、ししょー!? どうしたんですか、いきなり吐血しちゃって!? ま、まさかどこかで毒を盛られ―――」

「推しが……俺の名前を……」

「…………」


 ちょっと、病人にそんな蔑む目を向けないでくれるかしら?

 推しに名前を呼ばれるってファンにとっては素敵なことなのよ? だから皆ファンレターとか事務所へ投資するんじゃなくてスパチャを投げるんだから。


(ん? よく考えれば、俺は主人公よりも先に認知されてしまったのか……)


 喜ばしいことなのか、先に認知されてしまってストーリー上の懸念を覚えればいいか。

 そんなことを思いながらも、俺は多幸感によって飛び出た血を袖で拭って立ち上がった。


「あ、あの……大丈夫でしょうか?」

「いえ、お気になさらず」


 吐血のおかげか、推しを目の前にしても先程よりかは緊張しなくなっていた。

 便利だとは思うが、血を吐くという行為は周囲に心配されるのでもっと別の方法がないか探さなければならないだろう。


「それで、今回はどういった御用でしょうか?」


 ……ついに来てしまった。さて、なんと答えよう。

 イリヤが無理矢理連れて来た理由は「寄付スパチャしていた人間は俺」だと伝えること。

 だが、正直に答えてしまえば優しい優しいソフィアたんはお金を返そうとするだろう。

 だからこそ、返されないように上手い言い回しで伝えなければならない。

 推しに寄付スパチャを返されるのはごめんだ。是非とも自分の幸せのために使ってほしい。

 しかし、どうすれば目的を伝えつつ申し訳なさを抱かないようにさせることが───


「孤児院に寄付している人間を連れてきました」


 ……そっか、イリヤくんは考えさせる時間も与えてくれないんですね。


「そうなんですか!?」


 ソフィアたんは驚きに満ちた顔で俺の方を見てくる。

 なんとも可愛らしい顔なのだろうか? 脳内フォルダに刻んであとで思い返そう。


「あ、あのっ……その、お会いしたらお伝えしたいと思っていたことがたくさんあるんですっ!」


 やだ、そんなに顔を近づけちゃったらファンは卒倒しちゃうよ。

 幸福過多死っていう死因がいつか生まれそう。


「今まで、たくさんの寄付をありがとうございましたっ! うちの孤児院の子達も、他の孤児院の子も凄く助かっています!」


 別に孤児院のためじゃなくてソフィアたんのために寄付スパチャしていたんだけど、それは口にしない方がいいだろう。

 というより、ググッと顔を近づけているから緊張のせいで上手く口が開けない。


「ですが……流石に、たくさんいただきすぎました」


 そう言って、ソフィアたんは懐から小袋を取り出した。

 それはつい先日投げ銭した時の袋とかなり酷似している。

 ソフィアたんは予想通り、小袋を徐に俺へ差し出してきた。


「なので、お返ししようと……」

「いえ、結構です」


 だけど、俺はその小袋を手で押し返した。


「ど、どうしてですか……!」

「俺はソフィアたんが幸せになってもらえるよう寄付スパチャしているだけなので」

「ッ!?」


 俺がそう言うと、ソフィアたんは急に顔を赤くした。

 何故顔が赤くなったのか分からないが……ここはしっかり言わないと引き下がってはくれないだろう。


「孤児院のために使ってくれてもいいです。それで、余裕が出てきたらソフィアたん自身に使ってください。そのために俺は寄付しているんです。だから、返されるよりもソフィアたんが幸せになれるよう使ってくれた方が、俺としては超嬉しいです」


 推しの幸せこそファンの喜び。

 認知してほしいという想いもあるが、ファンがスパチャを投げる理由の根幹はそこにある。

 化粧品を買ってもいいし、好きなゲームに課金してもいい。

 だから、申し訳ないと思って返してくれるより自分のために使ってくれた方がファンは喜ぶ。


「あ、あの……どうして、イズミさんはそこまでしてくれるのですか? 私達、初めましてですよね?」


 ソフィアたんは出会った時のことを覚えていないのだろう。

 出会った時はそもそもすぐに逃げてしまったから仕方ないのかもしれない。あと、ただ推しのVTuberと似ているっていうことと、ゲームのメインヒロインだから一方的に知っているっていうだけ。

 それでも、転生してすぐの俺を心配してくれたのは事実で。この世界のソフィアたんに惹かれたというのも事実。

 だから、俺はファンとして───


「好きだからに決まっているじゃないですか」

「〜〜〜ッ!?」


 ソフィアたんはこれでもかというぐらいに真っ赤になった。

 先程よりも素晴らしいぐらいに朱色だ。湯気が出ても不思議ではないと思ってしまう。

 確かに、いきなり「ファンです」って言われても、アイドルでもない人からしてみれば恥ずかしく思ってしまうかもしれない。

 これは反省ものだ。


「……ししょー、私は告白しに行けって言ったわけじゃないです」


 そんな時、横で何やらボソッとした声が聞こえてきた。

 あまりにも小さかったので聞き取れなかったが、横ではイリヤが不貞腐れたようにしてそっぽを向いていた。


「あ、あぅ……じょ、情熱的な人です……」


 なお、ソフィアたんも同じように俯いてブツブツと呟いていた。

 できれば聞こえるぐらい大きな声で喋ってほしいと思った今日のイズミさんでした。

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