誇り高き花

 社交期になると、貴族は競って自邸の庭を披露する。このリーデルフェルトの貴族女性にとって、花盛りの庭で大々的なお茶会を催すのは重要なことだった。

 特に名高いのは、キルシュネライト伯爵家の広大な庭園だ。

「今回は外国から取り寄せた花がよく咲きましたのよ」

 庭の設計が生きがいだという伯爵夫人は、招待客に誇らしげに庭を示す。

 広い花壇には、高さの違う花が巧みに配置されている。伯爵夫人が仰るように、見慣れない花が多い。

 高揚しているイーリスに引っ張られ、夫人の前に出て一礼する。

「伯爵夫人、お招きに感謝いたします」

「あら、フロイト侯爵家のご令嬢方! いらしていただけて嬉しいですわ」

 他の方々のようにお庭を褒めたくても、なかなかうまく言葉が出ない。こういうとき、テオフリートさまなら百も二百も出てくるだろうに。

「特にアリアドネさまにお越しいただけたのは幸いです。ぜひ、シュトラール公との話をお聞かせくださいね」

 お任せあれ、と言わんばかりにイーリスが微笑む。わたくしも倣って唇の両端を上げた。

「本日のお召し物も、シュトラール製でしょうか?」

「ええ、シュトラール公に贈っていただきました」

 今日のドレスと帽子は、わたくしの希望で菫色を取り入れてもらった。テオフリートさまはご不在でも、この布地を見るとあの優しい微笑みを思い出して、心に光が灯るから。

「近ごろのアリアドネさまの装いは、どれも評判ですわね。わたくしも年甲斐もなく、欲しくなってしまいましたわ」

「シュトラールの職人は、その人に似合うように仕立ててくれます。きっと伯爵夫人も気に入ってくださることでしょう」

 これで今日も宣伝はできたはずだ。役目を果たした瞬間の晴れやかさは格別に感じる。

 伯爵夫人とのご挨拶を済ませたあとは、同年代のご令嬢方のもとへ向かう。今日はヘルミーネさまもいらっしゃる。

 この調子で仲良くなれたらいいのだけど……。

 先日の春の祝宴での笑顔を思い出すと、自然と足取りは軽くなった。


「あら、フロイト侯爵家の……ごきげんよう」

 北部の貴族令嬢の一団が声をかけてきた。挨拶を返すと、彼女たちは揃って唇を扇の奥へ隠す。

「今日は慈善事業ではなくお茶会ですのに、アリアドネさまにお目にかかれるとは思いませんでしたわ」

「珍しいですわよね」

 一応、お茶会もできる範囲で出席していたものの、目立たないように努力していた時期だ。彼女たちが覚えていなくても不思議ではない。

「これからは、より多くの方々と親しくお付き合いできたらと思いましたので」

「それは結構ですこと。シュトラール公も、社交がお得意ではない夫人を連れては大変でしょうから」

「昨年も、ほとんどのお誘いを断っていたでしょう? 直接お話できずに残念でしたわ」

 焦れたように、イーリスが口を挟む。

「婚約関連で忙しかったので。皆さまはご存知ないでしょうけど……あのシュトラール公が、姉にはとろけるような眼差しを向けるのですよ」

 珍しく嫌味な妹の口調に、言葉を失う。北部の令嬢方は、しらけたような返事をして去っていった。

「まったく、あの方々は。陰険さに磨きがかかったようですわね」

「イーリス、そんなに怒らないで」

 小声で注意すると、新緑の色をした目が大きく見開かれた。

「怒って当然です。お姉さまのことをあんなふうに……」

「どれも事実だわ」

「もう!」

 そのとき、イーリスの友人たちが苦笑しながら歩み寄ってきた。

「イーリスさま、またあの方々に何か言われましたの?」

「……また?」

 わたくしが首を傾げると、彼女たちは少し視線を泳がせながら続ける。

「シュトラール公の溺愛に嫉妬しているようでして」

「そんな、溺愛だなんて……。いつも大事にしていただいておりますが」

 そう返した途端、彼女たちの目が燦然と輝く。

「イーリスさまからお聞きしております! 昨年、領地へ戻られるとき、シュトラール公が切なげに何度も口づけをされて離れるのを惜しまれたとか」

「恋文をたくさん交わしていたのでしょう? シュトラール公の情熱的な手紙は、そのまま歌劇にできそうなほどだと評判ですよ」

 呆然としながらイーリスを見ると、先ほどの怒りはどこへ行ったのかと思うほどご機嫌だった。

「皆さま、ぜひいろいろと聞いてくださいませ。姉は恥ずかしがって、なかなか外に惚気話を出しませんのよ」

 いくつもの期待に満ちた視線が向けられる。その瞬間、各テーブルへの案内が始まった。


 キルシュネライト伯爵邸のお庭は、公園並みに広い。席についていてはすべて堪能できないので、自由に散策できる時間も設けられている。

 お茶を頂いている間、わたくしはイーリスの友人の誘導で、テオフリートさまとのお話をいろいろと披露する羽目になってしまった。うまくぼかせず、自分の対応力のなさに悲しくなる。

 他のテーブル席についたイーリスも、わたくしたちの恋物語をぞんぶんに披露していたようだ。

 ああ、恥ずかしい……。

 散策の時間になっても、イーリスたちはずっと盛り上がっている。よく体力がもつと感心するほど。わたくしはもう、かなり疲れてしまった。

「少し休憩いたしますから、皆さまは先へどうぞ。すぐに追いつきます」

 妹たちを見送り、傍にあった椅子に腰かける。目の前では、可憐な花をつけた枝が揺れていた。

 やはりわたくしは、お喋りよりもゆっくり花を愛でるほうが性に合っているようだ。

 人脈を増やしたかったけれど、いきなりこの規模のお茶会に臨んだのは無謀だったかもしれない。

 テオフリートさまには、笑顔で今日のことを報告したいと思っていたのに。

 舞い散る花弁を見つめながら考えに耽っていると、鳥たちのさえずりのような声が聞こえてきた。

「壁の花が飾り立てられたのは結構ですけれど、独りでぽつんとされていると萎れて見えますわね」

「花瓶だけは豪華ですから、余計に目立ちますわ」

「花、と言うよりも枯れ枝では?」

 これは……間違いなくわたくしのことだ。声から察するに、先ほどの北部の方々だろう。

 脳裏をよぎるのは、社交界デビューした年のこと。余計な正義感で、場の空気を乱してしまった。

 去年までのわたくしなら、また俯いていただろう。けれど今は違う。

 テオフリートさまがいらっしゃらなくても、わたくしには彼とシュトラールの皆が用意した装いがある。悲しい顔をすれば、台無しになってしまう。

 それに、今回はわたくしの悪口だから、なんてことはない。何も聞こえない素振りを貫こうとしたそのとき――。

「品格が下がるお話はお止めなさい」

 凛とした声が会話を遮った。この声は……。

「ヘ、ヘルミーネさま……」

「この花園を、泥で汚すおつもり?」

「大変失礼いたしました」

 慌ただしい足音が遠ざかっていく。

「困った方々ですこと」

「あのような物言い、どちらで覚えてくるのでしょう」

 瞳と同じ色のドレスを着たヘルミーネさまが、ご友人と揃ってため息をつかれる。

 助けていただいた……。お礼を言おうと立ち上がって振り向いたところで、ヘルミーネさまと視線がぶつかる。

「ヘルミーネさま……ありがとうございます」

「いえ、わたくしの耳にも耐えがたいお話でしたから。ですが――」

 ヘルミーネさまは一人、ドレスの裾を翻すほど力強い足取りで近寄ってくると、睨むように見上げてきた。

「アリアドネさまもアリアドネさまです」

「え……」

「婚礼前とはいえ、もうあなたは公爵夫人として扱われるお立場ですのよ。侮られるような態度は、シュトラール公の恥につながります。いつまでも昨年と同じ気分でいてはなりませんわ」

 胸に楔を打ち込むような、鋭い言葉だった。いつもの涼やかなものとはまったく違う、重たい声。

 嫌味ではない。嘲りではない。このお方は真剣に怒っている。

 公爵家に連なる人としての矜持が、全身に表れていた。その誇りをわたくしはまだ自分のものにできていない。

「心に刻みます……」

 無意識に肩を丸めると、ヘルミーネさまの眉が下がってしまう。

「ですから、そのようになさってはなりませんわ。せっかくのお召し物の輝きが曇りますわよ」

 そうだ、たった今、去年と同じようではいけないと言われたばかりなのに。

 わたくしが背筋を伸ばして、改めてお礼を述べると、ヘルミーネさまの表情が和らいだ。まさに社交界の花と呼ぶべき、輝きに満ちた笑みだった。


 その翌日。テオフリートさまがお時間をつくってくださったので、二人でブルリンク庭園を訪れた。

「キルシュネライト伯爵夫人のお茶会はどうだった?」

 並んで花盛りの風景を眺めていると、早速尋ねられる。

「ドレスに興味を持っていただいたので、シュトラールの注文をお勧めすることはできました」

 使命は果たせた――ほっと胸を撫でおろすけれど、ふと散策での出来事が心によみがえる。

「アリアドネ?」

 テオフリートさまが気遣わしげな顔でわたくしの髪に触れる。

「……実は、張り切りすぎて途中で疲れてしまったのです。少々背伸びしすぎたようで」

 心配をかけたくない。けれども、あのことだけは伝えたい。

「ヘルミーネさまに言われました。もう公爵夫人として扱われる身なのだから、昨年と同じ気分ではいけない、と」

 きっと応援してくださっているのだと思う。昨年まで、わたくしにあれほど真剣な表情で何かを仰ってくることはなかった。

「まだ実感がわかないのですけれど……あのお方に励まされました」

「そうか、私からも礼を言わねばならないな」

 言いながらテオフリートさまが顔を近づけてきて、静かに唇が触れ合った。自分の胸の鼓動がはっきりと感じられて――。

「ところで」

 顔が離れた途端、菫色の目がすっと細められる。

「何か私に隠していることがあるね?」

 口づけで生じた隙を、的確に突かれた。うまくぼかす話術を習得できないままだったわたくしは結局、すべて白状することになった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る