シュトラールの宝飾品

 今夜も舞踏会が開かれる。

 季節は春から夏へと移ろいかけている。都が社交の最盛期に突入した中、わたくしは身も心もすっかり疲れ果ててしまっていた。

 都にいる貴族や富裕層は、一年中社交にいそしんでいるという。とても自分には無理だ。ここは選ばれた人々の住まう土地なのだろう。

 せめて昼間のお茶会だけにしたい。晩餐会ですら厳しい。社交以外にも目的が持てる慈善の催しならまだ気楽なのだけれど。

 こういうとき、領地が恋しくなる。華やかな装いに溢れた社交の場よりも、素朴な田園風景を見ているほうが楽しい。

 いつも張り切っているのはお母様とイーリスばかりで、わたくしはドレスも宝飾品も人任せだ。

「アリアドネも、もう十八歳なのよ。そろそろ結婚相手を決めないと」

 最近、お母さまがやけに焦っている気がする。最近は二十を過ぎてから結婚する人も珍しくないというのに。

「武門の家柄の男性ならどうかしら。都に住まう人も多いし、こちらとしても安心だわ」

 そんな声を聞き流しながら、いつもの似合わない装いに身を包む。

 最近は、ヘルミーネさまと同じ化粧品で目元を彩るのが流行っている。イーリスにはよく似合うけれど、わたくしの場合はまぶただけ浮いて見える。

 鏡を見た瞬間、心が曇った。流行の可愛らしいドレスを見ると心がときめくはずが、いざ自分が身につけると、なぜこれほど色褪せて見えるものなのか。

「お母さま、わたくしはもう、ドレスもお化粧も地味なもので結構です。その分、イーリスを飾ってくださいな」

「アリアドネ、そんなことを言わないで。控えめすぎる装いだと、我が家の評判にも障りが出るのよ」

 これがまた、悩ましい問題だった。貴族としての品格を保つため、人前では華やかな装いでいなくてはならない。半端な身なりでいると、家の内情を疑われてしまうのだ。

 また、いつも同じようなものを着ていると思われてもいけない。毎回新しいドレスや宝飾品を身につけるのは無理でも、着回しや仕立て直しでうまく工夫しなければならなかった。

 特に、流行を取り入れるのは、貴族にふさわしい経済状況の誇示になる。

 

 同じような問題が、この棒のような身体にもつきまとった。

 貴族は、太りすぎてもいけないが、痩せすぎてもいけない。やはり暮らし向きがよくないと周囲から思われ、社交や縁談に支障が出てしまうからだ。

 けれども、わたくしはいくら食事をとっても、まったく太くなれない。大量に食べることも難しかった。そのため、ドレスでごまかすしかない。

 今夜のドレスは、ヘルミーネさまが生み出した流行を取り入れて、袖も胸元も裾もたっぷり装飾が施されている。

 特にわたくしのドレスは、細い腕を隠すため、レースや袖の膨らみが一般よりも多めだ。ただでさえ身長で目立つのに、装飾過多でとても派手に見える。

「お母さま、せめてもう少しレースを減らしませんか?」

 勇気を出して提案した声は、扉の開く音に消される。先に身支度を終えたイーリスがやってきた。

「お姉さま、そちらの準備はいかが?」

 似たような形や色使いなのに、イーリスのドレスはずっと輝いて見える。やはり、こうした装いは愛らしい少女に似合うものなのだ。


「お姉さま、今夜こそはきちんとご自分のお友達を作ってくださいませ。わたくしもお手伝いいたしますから」

 イーリスに早速釘を刺される。なるべく存在感を消すように振る舞う姉を見ていると、もどかしくて仕方ないらしい。

「堂々とするのですよ。そうすれば、皆が魅了されますから」

「もう、からかわないでちょうだい」

 人気者のあなたとは違うのだから。

「あら、お姉さまはご自分を悪く思いすぎですわ。わたくしのお友達は、凛々しいお姿になれば一気に見違えるはずだと言っていましたもの」

 凛々しい。これはまた、難しい言葉だ。

「例の件だって、お姉さまがあのときしっかり注意して――」

「もう、その話は出さないでちょうだい……!」

 恥ずかしい。もう忘れたい記憶なのに。

「とにかく、今夜は俯くのも猫背も禁止です!」

「そう言われても……」

「イーリスの言うとおりよ、アリアドネ。いい加減自分の人脈を増やしなさい」

 お母さまと妹から同時に言われると、もう敵わない。

「……はい」

 弱々しい返事をするので精いっぱいだった。


 そして憂鬱な時間が訪れた。会場に着いたわたくしとイーリスは、主な出席者の挨拶回りに出る。

 ああ、早く帰りたい。

 ただでさえドレスが似合わないのに、派手に飾り立てているから、余計に目立ってしまっている。どこかのご令嬢たちが、こちらを見て密かに笑っているのが見えた。どんどん視線が下がってしまう。

「お姉さま、床にはどなたもいらっしゃいませんよ」

 イーリスに注意されて、慌てて顔を上げる。本来は姉としてしっかりこの子を守らないといけないのに、すっかり立場は逆転していた。

 次にご挨拶をする相手は、ヘルミーネさまだ。

 明るい緑のドレスをまとい、今日も一番美しく輝いていらっしゃる。絵画から抜け出してきたようだ。

「あら、アリアドネさまにイーリスさま。ごきげんよう」

 そう微笑む姿は、この空間の主のような佇まい。洒落た装いと洗練された話術で、若い令嬢たちの心を掴んでいるだけある。

 どれだけ多くの人に囲まれても、彼女は会話を楽しめていない人が生まれないよう常に配慮している。わたくしよりもひとつ年下なのに、なんて立派なのだろう。さすがは公爵家の中でも特に格が高いアインホルンのご令嬢、と仰ぎたくなる。

 ヘルミーネさまは、社交下手なわたくしのことをいつも気にかけてくださる。そのたびに申し訳ない気持ちになるので、最近はご挨拶だけに留めて、すぐお傍を離れるようにしている。その気配りは、お喋りしたくてもなかなか会話に入れないお方に向けてほしいから。

「ごきげんよう、ヘルミーネさま。素敵な髪飾り……とてもお似合いですわ」

 イーリスがはしゃぐのも無理はない。実に見事な細工物だった。

 金の地に、花のように配置された宝石。ヘルミーネさまの明るい栗色の髪に、よく調和している。

 ヘルミーネさまは、軽やかな声で笑う。

「シュトラールで一番の職人に作らせましたの。やはり、こうした装飾品はシュトラール製でないと」

 シュトラールは公爵領。豊かな土壌も資源もない代わりに加工業が盛んで、腕のいい職人が多い。かの地から生まれる品は、諸外国からの評価も高い。

 特に若い貴族の女性の服飾や化粧品は、多くがシュトラールのものだ。質が高い分、高値だけれども、身につければ財力の誇示になる。

 ヘルミーネさまは公爵家のお方だから、なおのこと身なりを気にされているだろう。素材からして上質、しかも腕利きの職人に手間をかけさせたドレスや宝飾品ばかりだ。


「本当は、テオフリートさまに、もう少し細かなことをご相談できるとよいのですけれど」

 ヘルミーネさまは、小さなため息をつく。

「互いに遠慮が必要なお立場ですものね。それに、シュトラール公はどこか人を近づけさせないような雰囲気がございますし」

 彼女のお友達やイーリスが慰めるように声をかける。

 シュトラール公爵のテオフリートさまは、特別親しい人としか視線を合わせないと有名だ。噂によると、美しいものばかりに囲まれて育ったため、ご自分の美意識にそぐわない者が視界に入るのを嫌っているのだとか。

 この話自体は少し馬鹿馬鹿しく感じるけれど、社交に熱心でなくてもあまり咎められないのは密かに羨ましく思っていた。

「ありがとうございます、皆さま。ですが、あのお方は決して人嫌いというわけではないのですよ」

 美しい曲線を描いたヘルミーネさまの唇が、不意に形を変える。

「そういえば、テオフリートさまは今夜――」

 そのとき、会場全体がざわついた。扉のほうを見やると、主催者に挨拶しているシュトラール公の姿があった。

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