第13話


 マリアが王宮へと移った翌日、私はいつものように工房に向かう支度をしていた。

 ところが、さて部屋を出ようとしたまさにその時、お父様からとんでもない言葉を言われたのだ。


「エリザベス。警護の配置が終わるまで工房へ行くのは控えなさい。」


 それは私には驚きの一言だった。マリアのデビュタント、翌日の国王陛下への謁見と、本来一日だけのお休みだったのが、二日も休む羽目になっている。それなのにこれ以上休んでなどいられない。


「お父様、二日もお休みをいただいたのです、これ以上のお休みは無理です。」


 そう言って出かけようとするが、お父様に阻まれてしまう。


「待ちなさい。何も辞めなさいと言っているわけではない。きちんと話をしよう。」


 そう言われると、確かにそうではある。でも…、と逡巡していると、お母様がやってきて私の肩を抱いた。


「ハンナの店には使いを出したわ。とりあえず、きちんとお話ししましょう。」


 お母様にまでそう言われてしまうと、私はもうお手上げだった。

 仕方ない、話を聞こう。そう思った私はお父様とお母様に連れられてお父様の書斎に入る。


「どういうことなのか、分かるように教えてください。」


 書斎のソファにお父様お母様と対面で座る。状況的には、工房に出入りするのは道中危険だから辞めろと言われるのだろうかと身構えていたが、さきほどのお父様の言いぶりからするとそれは違うようだ。ここは、きちんと耳を傾けなければならない。


「お母様と相談した。エリザベスの工房通いについて、辞めさせるべきか否か。私は辞めさせるべきだと言った。国王陛下も身辺に気をつけるようおっしゃった。もしお前に何かあってからでは遅いからな。だが、お母様の考えは違った。」

「ええ、私も一時は辞めさせるべきかと思ったわ。でも、濃い瘴気や強い魔物の問題がいつ解決するかは分からないでしょう。その間ずっとエリザベスを閉じ込めているわけにはいかないわ。二年後には学院にも入学するのだから。」


 学院入学は貴族の義務だ。確かに学院に通わずにいるというわけにはいかないだろう。そんな風に籠っていたところで、将来的に嫁ぎ先も無くなって修道院に入るしかなくなってしまうし、ドレス工房を運営するなんてもってのほかだ。


「だから、警護を増やすことにした。工房への道中も付き従ってくれる有能な人材を、お母様からイーズデイル侯爵夫人への伝手で探してもらっている。その間は邸で過ごしてほしい。」


 なるほど、と、私は頷いた。


「その間の手慰みに、マリアからも頼まれたミシンを使うといいのではないかと思ってな。ハンナに頼んでミシンを手配してもらう予定だ。」

「ミシンを!?」


 私は驚きと喜びで前のめりになった。確かに昨日そう言っておくとは言われたが、こんなにすぐに動いてもらえるとは思っていなかった。


「マリアからも言われたが、ミシンが邸にあれば工房に遅くまで残っている必要はないからな。そういう意味で、ミシンがあれば安心も買えるというわけだ。」

「先ほどハンナに出した使いには、しばらくお休みすることと、ミシンの手配についてお願いしてあるわ。早ければ今日のうちに連絡が来るでしょう。」


 お母様が言った通り、午後にはハンナさんから使いが届いた。お休みを承諾すること、その代わり邸にいる間はデザインの勉強をすること(そのためにデザインの教本や図録が大量に送られてきた)、ミシンが届いたらミシンの練習を欠かさず行うこと等が書いてあり、私の心は浮き立った。


 翌日から私は自室に籠ってデザインの勉強を始めた。今までほとんど自分のやり方しか知らなかった私には、新しい世界だった。新しい知識を得るのは楽しい。どんどん教本を読み進めて、たびたび図録をうっとりと眺める。うっかり昼食をとり忘れそうになってからは休憩も取るようにお母様から言われ、そういう時間はマリアへの髪飾りを作る時間にした。


 そんな風にして過ごしていたある日、ウィル様が邸を訪ねてきた。私の部屋は教本や図録、布だらけでとても人をお迎えできる状態ではない。先ぶれをもらっていたから必死で片づけたのだけれど、羽を伸ばしすぎたせいか全く片付かなかった。

 仕方なく、お母様にお願いして応接間を使わせてもらうことにした。普段なら私の部屋に通されるのに、応接間に通されたとあってウィル様は訝し気に私を見ている。


「珍しいな、応接間なんて。」


 そう言われた瞬間、ぐっと言葉に詰まる。部屋が汚いからです…なんて令嬢とかけ離れたセリフを言っていいものか。


「エリザベスの部屋は今散らかっていますのよ。」

「お母様!」


 なんてウィル様に言い訳しようと悩んでいたのに、応接間を退室しようとしていたお母様があっさり答えを言ってしまう。


「嘘は良くないわ、エリザベス。それに、勉強で散らかっているのだからそんなに恥ずかしがることでもないでしょう。」


 本気でそう思っているようだ。私にも一応、令嬢としての嗜みとか羞恥心とかがあるのですが…。

 がっくりと肩を落としていると、お母様はそのうちに「ごゆっくりね。」とウィル様に声をかけて出て行ってしまう。恥部をさらされたまま、ウィル様と二人っきりにされるなんてこんな地獄があっていいのだろうか。

 落ち込んだ様子の私を見て、ウィル様はなんと声をかけていいのか悩んでいたようだが、しばらくすると心を決めたように私に声をかける。


「エリザベス、デビュタントでの話は僕のお母様から聞いた。君は大丈夫なのか?」


 はっとウィル様の表情を見る。心底心配している様子だ。でも、大丈夫か、だなんて…どのように答えたらいいのだろう。

 私はこの数日、マリアが危険な場所に赴くことについてや、自分たちにも危険が迫る可能性については考えないようにしていた。そのために勉強に没頭していたといってもいい。でも、そのことをウィル様に伝えていいものか。

 そうだ、ミシンを買ってもらうことになったことをお話ししよう。そうすればきっと話も明るくなって、私のこの気持ちも晴れるはずだ。


「ええ、実は今度ミシンが邸に届くことになりましたの。私それが楽しみで仕方ないのです。ですから、心配していただくことなんてなにもありません。」


 笑顔で言えたはずだ。

 それなのに、ウィル様の表情は冴えない。


「エリザベス、君は…。」


 それだけ呟くと黙り込んでしまう。

 私は重い空気を変えようと、とにかくミシンの話をする。


「ずっとお父様におねだりしていたんですけれど、そのたびに断られていましたの!でも今回はお父様から買って良いと言ってくださったんです。私とても嬉しくて!そのミシンで何を作ろうか今からあれこれ考えているんですよ!」


 必死でミシンの話をするけれど、ウィル様の表情は変わらない。むしろ、影が濃くなっている。


「エリザベス。思慮深い君がそうやって話をそらして多弁になるときは大体、何か隠している時と決まっているんだ。」


 ウィル様は淡々と私に突きつける。


「ミシンの事は、おめでとう。でも、僕は君がそんな風になっていることが心配だ。君のお姉様の事だろう。」


 核心を突かれた。私はちがう、と言おうとしたけれど、上手く言葉が出ない。


「僕のお母様から色々聞いている。危険なところへ赴くこともあるそうじゃないか。君たちは仲のいい姉妹だ。それなのに君が心を痛めていないとは思えない。」


 私はただ、項垂れてしまう。何も言えなかった。だってその通りだったから。「それに」、と、ウィル様は続ける。


「この邸では警護を増やしているそうじゃないか。国王陛下が何をおっしゃったかはわからないが、マリアお姉様だけでなく君たちも身辺を警護しなければならない状態だということだろう?その状態に不安を感じているのではと思ったから、僕は今日来たんだ。」


 もう、どうしようもなかった。ウィル様は全て見透かしている。そう悟った私は、ぽつりぽつりと話し出す。


「お姉様が、聖女だという話はきっと、イーズデイル侯爵夫人から聞いていらっしゃいますよね。そうです、その聖女の役割のせいでお姉様に何かあったらと思うと、不安でいてもたってもいられなくなるんです。それに、邸の警備の多さときたら!今までこんな風にものものしい雰囲気になったことなんてありませんでした。ですから私は当惑しているんです。どうしていいのか…だからただ勉強することに没頭して。」


 一気に言うと、涙がにじんでくる。この数日、心の奥底に沈めていた思いがあふれだしてしまう。

 黙って聞いていたウィル様が、「そうか」と、一言ぽつりと答えてくれる。


「君のことは僕が守りたい。」


 そう言うと、ウィル様は私を真っ直ぐに見つめてくる。

 私は驚きでぽかんとしてしまう。


「そんなに簡単じゃないことは分かっている、特に今は。ウィンダーバーグ子爵が君にも護衛をつけると言っていたそうだし。でも、これから、僕たちはデビュタントや学院への入学を迎えるだろう。その時こそは僕が君を守る。いや、守らせてほしいと言ったほうが正しいのか。」


 困ったように、恥ずかしそうに、頬をかくウィル様。その様子を見て、私の鼓動がとくんとはねる。


「だから、君の仕事が休みの日はこちらに訪ねてくることにする。そうすれば、今からだって君を守ることができるだろう?もちろん微力なのはわかっている。でも、そうさせてもらえないだろうか?」


 そうさせてもらえないだろうか?って、そんなことを真剣な眼差しで言われたら、私はもう頷くしかできない。

 私が頷いたのを見て、ウィル様は嬉しそうに笑顔になる。そして、


「僕は、僕にできる事をする。だから君も、君にできる事をするんだよエリザベス。」


 そう言うと、ウィル様は帰っていった。

 私は心臓の音がどくどくと煩いのを必死で鎮めるばかりだった。



 それから一週間ほどでミシンが邸に運び込まれた。私はてっきり中古品を買ったのかと思っていたが、誰かの癖がついているものを使うのは良くないとハンナさんに言われたそうで、なんと新品だった。

 そして、ちょうどその頃には私の警護をする護衛も決まり、私は工房に復帰することができたのだった。

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