この中で一人犠牲者が出ます
木沢 真流
犠牲者選び
信濃雄介を乗せたプリウスは、国道82号線を急いでいた。息子のお迎えに遅刻しそうだったからだ。
「ギリギリ間に合うかどうかだな」
今日は小学6年生の息子、真次郎が学力テストの結果を持ち帰る日だった。念願の学年TOP10入りが有力視されており、それが叶ったら一緒に回転寿司に行こうと約束していたのだった。
雄介は、バスが真次郎を下ろす六段坂交差点に向かって胸を弾ませた。そこで最後の生徒5人が降車し、バスは車庫へと向かう。
「10位は大丈夫だろう、うまくいけばTOP3に食い込むかもしれない」
雄介のアクセルを踏む力がどことなく強くなった気がした。
その時だった。ラジオから緊急速報が入った。
「速報です。帰宅途中の生徒を乗せた私立蛍雪学園のバスが転倒、後ろから来たトラックと衝突し炎上しております」
——なんだって?
雄介が急いで、車を止められるスペースを探した。ちょうど目の前にコンビニを見つけ、空いている駐車場に車を止めた。はやる気持ちを抑えながら、内臓のワンセグテレビをつけた。ちょうどニュース番組をやっており、事故の映像が流れた。おそらく空から撮影しただろうその映像では、真次郎が乗っているはずのバスが横転し、炎上していた。
——真次郎は大丈夫なのか?
そんなことを考えていた次の瞬間、雄介は立ちくらみのような感覚に陥り、気づけばそのまま意識を失っていた。
気づいた時、雄介はどこかの待合で椅子に座っていた、病院ではない。
——ここは?
どうやら市役所のような場所だった。待合いの椅子に座り正面を見上げると、カウンターがあった。そこで制服を来たおそらく事務員の男性がせかせかと視線を落としながら何か作業をしている。
そのまま雄介が視線を上げると、看板が吊り下がっているのが見えた。
『犠牲課』
見たことのない名前が書いてあった。その文字にあっけにとられていると、突然声がかかった。
『4番の番号札を持った方、犠牲課までお越しください』
雄介が手元を見ると、自分が持っていた札に「4」と書いてあった。
雄介は立ち上がり、犠牲課の窓口に向かった。
「あの……呼びましたか」
「札を見せてください、ああそうです。どうぞおかけください」
言われるがままに雄介は腰掛けた。男は事務的に持っていた一枚の紙を雄介の前に差し出した。
「突然のお呼び出しで困惑されていると思います。こちら犠牲課と申します、初めての経験と思いますが、説明している時間がもったいないので早速内容に入ります」
何も言えずに雄介はただじっと話を聞いていた。
「息子さんの乗ったバスが事故に遭ったのはご存知ですね?」
「ええ」
「これはまだ公にはなっておりませんが、運転手に加え、生徒の中から1名犠牲者が出ることになっています」
公? マスコミ? あの大事故で死亡者はそれだけで済んだのか? 聞きたいことはたくさんあったが、とりあえず雄介は待った。
「その犠牲者の第一候補におたくの息子さん、信濃真次郎さんが挙げられております。そのことについて一応同意をいただきたく……」
「ちょっと待て!」
雄介は立ち上がった。拳には力が入り、心拍数は急上昇し始めた。
「犠牲者って……真次郎だけが死ぬというのか? なんでそんなことに……簡単に同意なんてできるかっ」
フロア中響く怒鳴り声を上げた。男は雄介を見上げ、困った、という表情を見せた。
「そう言われましても、これはすでに決まったことで私の方ではどうも……」
「責任者を出せ! 納得がいかない。どういうことか事情を説明してもらう」
男はまあまあ、と手でジェスチャーをした。
「わかりました。責任者はおそらく手が離せないので待っている間に日が暮れてしまいます。お気持ちはわかります、では同意いただけないということでよろしかったでしょうか」
雄介の胸に何か重いものがずしりと沈み、心臓の鼓動は幾分ゆっくりになった。
「そ、そりゃそうだ。同意なんかしないぞ!」
「わかりました」
単調にそう答えると、男はパソコンをパチパチと打ち込み始めた。それから何かじっと見て確認している様子だった。
「確認したところ、こちらには運転手に加え『犠牲者は一人』という情報のみがきております。ですから、信濃真次郎様でなくてはいけないというわけではございません。変更、ということで手続きを進めさせていただいてもよろしでしょうか」
雄介は力なく椅子に崩れ落ちた。それからまたピッと背筋を伸ばした。それから一つ唾をごくりと飲み込んだ。
「ええ、変更で。可能であれば」
男は頷いた。
「わかりました。では次の候補としましては……」
画面を確認見ながらキーボードを打つ。それから雄介を見た。
「信濃様、あちらでお待ちください」
雄介はふう、と息をつくと椅子に戻った。その直後
『2番の番号札をお持ちの方、犠牲課までお越しください』
アナウンスが入った。立ち上がったのは雄介の後ろに座っていた女だった。女は力なく犠牲課に向かった。男は同様に説明を始める。
「嶋 柊子様のお母様ですね、柊子様が犠牲者として選ばれました」
女は冷たく、怒りの表情を見せた。
「話は聞いていたわよ。なんでうちの子が犠牲になるのよ! まったく理解できない、説明して!」
「説明と申されましても、かなり特殊なアルゴリズムに則って計算していますから、私の方でも詳細はわかりかねます。同意されませんか?」
「しないに決まってるでしょ! 柊子は……誰にでも優しくて、下の子の面倒もよく見てくれるいい子なんです。誰よりも周りのことを考えてくれて、将来絶対に必要とされる人になるんです。だからお願いします、うちの子だけは助けてください」
女はカウンターに崩れ落ちた。男は困った様子で頭を掻いた。
「困りましたね……わかりました、次の候補を当たってみます」
さっと女が顔を上げると。
「お願いします」と言って椅子に戻った。
『1番の番号札をお持ちの方』
1番を持っていたのは真田 洋介という生徒の父親だった。
「うちの子は学年TOPの成績で、有名私立中学にもいけると言われているんだ、何もうちの子が犠牲にならなくてもいいだろう、それにあれかね、もし必要とあれば私の会社に言って君に便宜を図れなくもないぞ」
真田はコンサルト会社の社長を努めており、小さな事件一つくらいはもみけせるくらいの財力を持っていた。
男は同様に頭を書いて、次の人をあたりますと答えた。
『3番の番号札をお持ちの方』
呼ばれた横田 美沙恵の父はサングラスにタバコを吸いながら、あたりを威嚇しながら犠牲課に向かった。
「おいてめぇ、聞いてたぞ。まさかうちの子を犠牲にするなんていわねえだろうな」
「ええ、お聞きになっていらっしゃれば話は早い。その通りです」
横田は感染予防のアクリル板を取り外し、顔を突き出した。そして男を睨みつける。
「ふざけんなよ! お前なめたことすると、お前の帰る家なくなることになるぞ。家族だっているんだろ? 突き止めるのは簡単なんだぜ?」
「そう申されましても、こちらは指示を受けているだけですから——」
「は? そこをなんとかしろって言ってんだろうがよ」
「ちょっと待ってください」
雄介が立ち上がった。
「みなさん、お気持ちはわかります。ここは話し合って何か結論を出しませんか?」
横田が威嚇した歩き方で近寄ってきた。
「あ? 話し合いだとこらぁ。うちの娘以外にする、それで終わりだろうが」
金持ちの真田が入ってきた。
「話し合い、いいでしょう。こういうものは客観的な指標で考える方がいい。シンプルに学力でいきましょう。うちの子は学年トップです、そちらは?」
「うちの柊子はだいたい5番前後です」
横田はタバコをふかしながら笑った。
「美沙恵は3位だったな」
「嘘だ」
雄介は叫んだ。このままでは真次郎が最下位になる。
「美沙恵さんが3位という証拠があるんですか」
「あ? このやろう、美沙恵を侮辱するのか」
横田が雄介の胸ぐらをつかみ、殴りかかろうとした。
「待ってください、学力だけが全てではないはず。うちの真次郎は一人っ子なんです」
「柊子も一人です」
「美沙恵も一人だ」
真田は黙っていた。雄介も、少なくとも真田家に5人兄弟いることは知っている。真田は唾を飛ばした。
「そんな——兄弟が多いからって1人死んでいいなんて理論はおかしい。1人1人苦労して育ててるんだ。死んでいい子なんて1人もいない」
「そりゃみんなそうですよ、でもあなたにはまだ4人いる。でも我々は1人しかいないんだ」
「てめーんとこ、5人もいて、金持ちで良い思いしてるんだから、1人くらいいなくても構わねえだろうよ。また作れ」
「何を……黙っていれば言いたいこと言いやがって」
「待ってください」
柊子の母が叫んだ。
「もう、こうなったら公平にくじ引きにしましょう。それなら文句ない」
一同の中にしばし沈黙が流れた。こんな大事な問題だ、どんな理論をぶつけても決着はつかないだろう、解決策はそれしかないように思われた。柊子の母が紙とペンを持ってきた。
「私があみだを作ります。選ぶのは私が最後、これなら文句ないですね?」
他のものは黙っていたが、それは概ね同意を意味していた。
こうしてあみだが始まった。それぞれが選び、最後を柊子の母が選んだ。一つの犠牲者から辿っていくと、そこに行き着いたのは……。
「嘘だ……」
真次郎だった。
「ちょっと待ってください、何かいい方法が……」
「てめぇここまできてごちゃごちゃ言い始めるのかよ、いい加減に……」
その時、ポーン、とベルが鳴った。
『番号札、5番をお持ちの方、犠牲課までお越しください』
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