魔界アーキテクチュア

彩亜也

 揺れる波に映る工場夜景、時折ときおり稼働しては鳴き声のように轟く機械音、人々の掛け声——。今はもう見慣れた私の職場からの景色だ。

 私がこの関東コンクリートに勤め始めて四年になる。今年ようやくコンクリート技士の資格を取得して日々があわただしく過ぎていく。

「おつかれさまでした!」

 更衣室から出て喫煙中の斎藤部長や玉置さんに声を掛ければ「もう上がり?お疲れ」「お疲れ様~」と声を掛けてくれる。

「そう言えば、さっき栗原も出たぞ」

「相変わらず時間には正確ですね」

 栗原くりはらくんとは去年入社した私の後輩で斎藤さいとう部長に言われて私が面倒を見ている子だ。悪い子では無いけど大人しくてとっつきにくいところのある子だから、私自身接し方に戸惑うことも多い。けれどもそれは私だけでは無いようで部長は煙と共にため息も吐き出した。

「それに愛想もねえな」

「斎藤さん怖いっすから」

「なんだと?!」

「そういうとこっすよ!」

 二人の漫才みたいなやり取りを背に敷地から出る。紺が茜を飲み込んでいく空に胸の奥がざわついて光を求めるようにスマホを取り出した。時刻は十八時を少し過ぎていた。次のバスはおよそ五分後。バス停に私以外いないと言うことは栗原くんは一本前のバスに乗って行ったということだ。

「美容院行こうかな」

 視界に入った髪の毛はセメントの粉ですっかり痛んでいる。最近はヘアケアの広告がうるさいくらいに私を責め立てているみたいで――いや、ただ羨ましいだけだ。私だってあんな綺麗な“うるツヤ髪”に憧れている。それでもこの仕事を続ける限り難しいんだろうな。考えても仕方ない。気づけば私の後ろには工場から出てきた人たちが並び、間もなくバスのライトが私たちを次々に照らした。

 ――そもそも綺麗にしたところで見せる相手なんていないもんね。

 卑屈な私が心の中でつぶやいた。

 バスのドアが開き私は一番後ろの窓際に腰を下ろした。次々と乗り込んでくるけれど私の隣に座る人はいない。このまま誰も乗ってこなければいいのにと外の景色に視線を移した。遠く向こうで煌めく夜景は別世界のように感じられた。色とりどりの光が不規則に輝いて無機質なこことは違う。

 ――やめだやめだ。そんな事考えたって意味ないんだから。

 そっとイヤホンを取り出してお気に入りの曲を流す。落ち着いた重低音が夜の闇を心地良く塗り替えていく。思考を頭から追い出してただ変わりゆく景色を眺めているとバスが停まった。

 座りなおして前を見れば乗ったところから二つ先の停留所だと知る。一つ分何も意識せずに居られたのだと自分に驚いた。

「あの、隣良いですか?」

 曲と曲の合間、聞きなれた声がスッと入ってきて私は思わず見上げた。そこには黒に近い茶髪に黒縁眼鏡をかけた幸の薄そうな男が立っている。――栗原くんだ。

「となり座りますね」

「あ、うん……」

 先に帰ったはずの栗原くんが乗ってきたこと、わざわざ私の隣に座ったことに理解が追い付かずイヤホンを取りながら隣の彼を盗み見る。

 あらためて見ると栗原くんは本当に整った顔をしている。切れ長の目に虚ろな瞳を縁取る長い睫毛、桜色の薄い唇。身内の贔屓目なしに整った顔。だからこそ、素っ気無い物言いに冷たさを感じてしまうのだけど。いや、そもそも栗原くんは馴れ合いが嫌いなのかもしれない。

「あの、なんすか?」

「え?」

「いや、さっきから視線を感じるので」

「あ、ごめん……」

「いえ、別に」

「……」

 気まずい。一体どれだけ見つめてしまったのか、心なしか栗原くんの顔が赤い。栗原くんは怒ると顔が赤くなるタイプだろうか。

 これ以上刺激しないようにと、私は前に向き直った。

 やがてバスは駅に着く。栗原くんが立ち上がるまではと座っていると、突然声を掛けられた。

「あの、先輩」

「ん?」

 聞き返すと栗原くんは困ったような顔をする。意味が分からずに首を傾げる私に栗原くんが口を開きかけた時、前の席から「どうぞ」と声が掛けられた。私たちは立ち上がると会釈をして足早に降りていく。人の波に攫われないように少し離れたところで立ち止まると栗原くんも立ち止まって振り返った。

「あの、俺話があって」

「う、うん」

 改まってどうしたのだろう。もしかして転職の相談?だとしたら、理由はきっと職場に馴染めないから――ダメダメ!先輩である私の責任だ。私がもっと交流できるように積極的に行動しなきゃ――!

「早まっちゃだめだよ、栗原くん」

「は、え?」

「そりゃ確かに部長とか一見怖いけど根は優しくて家族思いだし、玉置たまおきさんは栗原くんの事結構気にかけてくれてるよ」

「そう、なんですか?」

「そう!そうなの!それに事務のマキちゃんも栗原くんは皆と違って紳士的だって言ってて……」

「それ、なんの話ですか?」

 熱く語る私とは対照的にどこまでも落ち着いた様子の彼に言葉を飲み込む。一度冷静になって見た栗原くんは落ち着いていて何かに悩んでいるようなそぶりは無い。

 ――もしかして私の早とちり?

 そう思うと途端に恥ずかしくなる。

「あの、俺の話を聞いてください」

「あ、はい」

 このままでは埒が明かないと思ったのか、栗原くんは真っすぐに私を見つめて口を開く。その時————一体、何が起こったのだろう?

 私の身体は突然宙へと投げ出された。

 驚き目を見張る栗原くんの顔、初めて見た。

 そんなに目開くんだね。

 じゃなくて、ああ、そうだ。

 突然何かが私の腕を引っ張ったんだ。

 その感覚が右腕に残っているもの。

 でも、じゃあ私はどうして――。


 ――どうして落ちているのよおおおおおおおおおおおおおおおおお‼


 夜のバスターミナルで、私は確かに後輩の栗原くんと一緒にいた。後ろには歩道があるだけ。もし仮に引っ張られたとしてもせいぜい尻もちを搗くだけだ。

 ――少なくとも落ちるなんてありえない。


「でも現に落ちてるううううあああああ」


 下を見ても上を見てもはるか遠くの景色しか存在しない。下は夜の闇に覆われ所々赤い線が見えるだけ。あれは川だろうか?もう随分長いこと落下を続けているせいか恐怖心もどこへやら。今思うのは上だろうと下だろうと早く“落下”をやめたいだけ。

 落下を初めて数十分、うんざりを通り越して無になった時、私の視界に突然街が映ったかと思うと立ち並ぶ家の中の一軒、一際大きな家の屋根に落ちた。痛みは無く、そのまま巨人が眠れそうなほど大きいベッドの上に勢いよく叩きつけられる。体はまるでトランポリンのように跳ね上がり何回か弾んでからようやくベッドの上に落ち着いた。

「誰だ!」

 屋根を突き破って落ちてきたほどだ、家人が気付かないわけがない。天蓋のカーテンを開けてこの家の主と思しき人物が私の前に現れた。

 ミルクティー色の髪の隙間からは同色の鋭い眼光が覗き、威嚇するように食いしばる口元には鋭い歯が二本、下顎から上あごに向かって鋭く伸びている。真っ白な軍服の腰元には剣が備えられその柄には真っ白な手袋に包まれた手が添えられている。

 まるで天使のような井出たちの彼はその声を聴かなければ少女と見間違う愛らしさだった。

 ――頭の中に巡る“不法侵入”、“器物破損”、“賠償”の文字。突然の事態にどうするべきかも分からず震えあがる私に、彼は私を警戒しながら「どこの者だ‼」と問いかける。

「あ、あの私、だから……えっと、はい、あの」

 そうは言ってもパニックを起こした頭では“正解”が分からない。しどろもどろながらも敵意が無いことは伝わったのか、男は剣から手を離し一歩私に歩み寄る。

「まずは落ち着きなさい」

 その声はとても優しくてどこか聞き覚えがあった。私の心は不思議と安定しはじめ、一度深呼吸すれば体の震えは収まった。

「わ、私、ごめんなさい!」

 まずは頭を下げた。不可抗力とはいえ天井を突き破ってしまったのは事実だ。私の謝罪に彼は頷くと「説明を」と言った。圧はあるけれどどこか柔らかい声だった。

「私は、家に帰る途中で誰かに引っ張られて落ちてしまったんです」

「落ちた?」

「はい。それで、不思議な事にとても長い時間をかけて落ちました」

「ふむ、それで?」

「それで……この家に落ちました」

 自分で考えても意味の分からない話だと気づき口ごもる。こんな話信じてもらえるわけない。それでも説明のしようがなくて、どうにか信じてもらえないかと彼を見ると彼は顎に手を当ててなにやら考え込んでいるみたいだった。

「ここに落ちたのは偶然だと?」

「へ?あ、はい、そうです!偶然です!」

 驚いた。私の話を信じてくれた。こんな突拍子もない話を。それだけで嬉しくて彼を見つめていると、彼は咳ばらいをして胸に手を当てる。

「私の名前はグリート。この炎國ダズールーで都市活性事業部の部長を任されています」

「私は安達あだちかえでと申します。生コン会社で新米コンクリート技士をやっています」

 とつぜん始まった自己紹介にこれでいいのかと首を傾げつつも応対する。と言うか、だずーるー?って、何?

「なまこん?こんくりーと?それは、何ですか?」

“まさか兵器か?”と再び柄を握るグリートさんに私は弁解する。

「違います!ただの建材ですよ!……この国にはコンクリートって無いんですか?」

 服装や部屋の内装から言って十九世紀の西洋に見える。だと言うのにコンクリートを知らないのだろうか。それとも私はとんでもない世界に落ちてきてしまったのだろうか?と言うか世界に落ちるって何。

 混乱する私の隣でこれまた混乱するグリートさんと言う状況は控えめに言って混沌カオスだ。そしてそんな私たちのもとに足音を響かせて使用人と思われる人々が入ってきた。

「グリート様!大丈夫ですか?!」

「グリート様、何事ですか!」

「グリートたん僕とデート行こう!」

 わらわらと総勢二十人くらいが雪崩れ込んでくる。中にはおかしい人も混じっているけれど。グリートさんは彼らを見て短く息を吐くと「なんでも無い。それより天上人が来た。丁重にもてなせ」と命令を下す。

 天上人?そんな凄そうな人が来る大事な日に私はあろうことか天井に穴を開けたのか。今更ながらに自分がしでかした事に足が震える。弁償しようにも私は今手持ちがない。そもそも既に到着してしまっているならもう遅いじゃないか。

 いっそ、殺してくれ。

「天上人様でしたか!失礼いたしました。こちらへどうぞ。客間へ案内させていただきます」

 執事長と思しき彼は私のいる方に向かってそう声を掛ける。私は慌ててその天上人なる人物探さんとあたりを見回すが私の近くにいるのは執事長さんとグリートさんだけ。まさか天上人とやらは目に見えない特殊な存在なのか?と鈍感ムーブをかます私に執事長は物腰柔らかな笑みを浮かべると「どうぞこちらへ」と私に一礼した後部屋のドア横に控えた。

「カエデ、君の事です」

 にっこり微笑むグリートさんからはどう言うわけか「さっさと出ていけ」と副音声が聞こえてきた。私は「すいません」と会釈すると執事長さんのもとに駆け寄り「お願いします」と深く頭を下げた。

「そんなに畏まらないでください。私はこの家の執事長を任されております、リチャードと申します。お部屋はこちらです」

 無駄のない動きで、廊下に出る私のに合わせて扉を閉めるとスッと私の前を歩く。というかやっぱり執事長だったのか。前を歩くぴしっとした背中を見て私も背筋を伸ばした。


 …


「こちらの部屋をご自由にお使いください。何かあれば、こちらの紐を引いていただければと思います」

「なにからなにまでありがとうございます」

 案内された部屋は二十帖はあろうかと言う広さで大きな窓ガラスから差し込む柔らかな明かりが室内を照らす。グリートさんの部屋は全体的に暗い色でまとめられ俗に言うゴシック感の強い配色だったが、こちらの部屋はロココ的な調度品に埋め尽くされたヴェルサイユ宮殿のような華美な部屋だった。

「以前いらした天上人様がこのように明るい部屋をと申されまして、この屋敷のなかでは最も光を取り入れております」

 こんな部屋が好きなのは太陽王くらいしか思い浮かばないけれど。正直居心地が良いとは言えない。百歩譲って洋室なのは仕方ないし、天上人とやらは偉い存在らしいので良い部屋をあてがうのも当然なのだろうが、私が住んでいるのは家賃七万円の平凡なワンルームだった。そこからヴェルサイユはいくらなんでも落ち着けない。

 そんな私の微妙な空気を感じ取ってか、リチャードさんはとあるキューブを持ってきた。

「もしよろしければこちらのキューブを持って天上人様が居心地の良い部屋をイメージしてもらってもよろしいでしょうか?」

「え?はい……」

 私にとって居心地がいいのは……畳の小上がりがあってそこに布団を敷くでしょ。室内でも襖で仕切って降りたところはフローリングが良いかな。あ、でもここの人たちは土足だから、フローリングの上は土足でも使えるようにテーブルと椅子って形がベターだよね。

「目を開けていただけますか?」

「はい」

 考え込むとついつい目を閉じる癖のある私は言われるまで気づかなくて、慌てて目を開ける。すると、そこには私がイメージした通りの和洋折衷な部屋に変わっていた。

 眩い光が差し込んでいた窓は襖によって柔らかい光に変わり、ベッドがあった場所には四畳半の小さな小上がりができていた。家具は長崎で見たようなエスニックな木製のテーブルと椅子やタンスがセンス良く配置されている。そこまでイメージできていたわけでは無いのにこの箱、できる。

「おや、天上人様はニホンの出身でしたか」

「え、日本をご存じなんですか?」

「ええ、以前お越しになった天上人様がニホンのご出身でしたのであちらの畳には馴染みがございます」

 まさか日本から私以外にも来ていたとは。でも畳の日本人の後にあんなキラッキラな部屋になってるくらいだから私が考えるよりも頻繁にこの世界に落ちてくる人がいるのかもしれない。

「それではごゆっくりどうぞ」

 丁寧な深いお辞儀をするとリチャードさんは部屋を出て行った。

 私は合わせて頭を下げると扉が閉まる音に安堵して座り込む。

 頭の中ではこれからの事でいっぱいだった。あれだけ長い時間落ちてきたのだから、どうやったって登れる気がしない。むしろ戻ることはできるのか……でも私以外に訪問者がいたのなら戻る方法があるかもしれない。

「考えたって仕方ないよね」

 あまりにも広い部屋に私の呟きは吸い込まれてしまった。

 落ち着いて一人になってみると不安に押しつぶされそうになる。なんだってこんなことになってしまったのか。私は真面目に生きてきただけなのに。そもそも私の腕を引いたのは誰?あれが無ければ私は今頃ベッドの中で寝息を立てていたのに。

 結局結論の無い思考に囚われるばかりで時間は全く過ぎて行かない。

「あー‼」

 ベッドに倒れこんで枕に顔を押し当て叫ぶ。じっとしていると気が狂いそうだった。ただそれだけ。

 ――そうだ、あの紐を引いて誰か呼んで聞いてみようか

 いや、用も無いのに呼んで迷惑をかけるのも気が引ける

 ――お腹は空いているし何か軽食を頼んでみるのはどうだろうか

 でも、図々しいとか思われないかな

 ――ここは素直に私がどうなるのか家に帰れるのかを聞いてみた方が良いかもしれない

 そうだ、そうするしかない。

 自問自答を繰り返して私は覚悟を決めて紐をゆっくり引いた。

 何も起こらない。

 今度は強く引いた。

 すると確かに手ごたえがあった。

 ――少しして、扉の向こうで足音が響く。

「何か御用でしょうか!」

 ノックも無しに開かれた扉の向こう側には角の生えたメイド服の子供が興奮した様子で立っていた。

 突然の事にフリーズする私に対してその子供は肩で息をしたまま私を視界に捉える。そして次の瞬間——ゴンッという鈍い音を響かせておでこをふかふかのカーペットに押し付けた。

「な、なにしてるの?!」

「も、申し訳ありません‼ノックも無しにこんな、それにあの、本当に申し訳ございません!」

 涙声で謝罪する彼女に私の頭は瞬時に冷静さを取り戻す。

「良いから入って!」

 ――――こんな姿ここの人に見られたら私の立場が無くなっちゃう!


 …


「落ち着いた?」

 部屋に招き入れて椅子に座るよう促す事三分。ようやく目の前の子供は泣き止んでくれたらしい。子供の突然の号泣は心臓に悪すぎる。

「すいません、私ここに来て三年も経つのにダメダメで……一応わたくしコニーが天上人様付の侍女なのですが、こんな私なんて、イヤ……ですよね」

 こんな小さな子供に目を潤ませながら言われて嫌だと言える人間が果たしてどのくらいいると言うのか。少なくとも私にそこまで冷たいことはできない。そもそもどうしてこんな子供が働かされているのかわからないし、私に侍女なんて不要だと思う。

「気にしないで、最初は誰だって上手くいかないものだよ。私は嫌だなんで思ってないからまずは深呼吸して落ち着いて」

「は、はいぃ」

「な、なんで泣くの?」

「そんなお優しい言葉をかけていただけるなんて思わなくて……」

「わかった、わかったから泣かなくていいよ」

 抱きしめて背中を叩いてあげると徐々に落ち着いて気づけば私の腕の中で眠りに落ちてしまったらしい。とりあえず布団に寝かせてあげようと抱き上げた時私はあまりの重さに片膝をついてしまった。円柱供試体えんちゅうきょうしたい五本分はあろうかと言う重さに私は驚いて固まる。

「も、申し訳ございません天上人様!」

 その言葉に入り口を見ればそこにはリチャードさんとグリートさんの部屋で見たメイドさんがいた。メイドさんは「失礼します」と一言声を掛けて私に駆け寄るとふわりとコニーの身体を持ち上げて一礼して私から離れる。あれほど重かったコニーをいとも簡単に、それもお姫様抱っこするなんてあのメイドさんの腕力はどうなっているのだろう。

「伝え忘れておりましたが、こちらの小さい方がコニー、コニーを抱えているのがシラギクです。ここではより天上人様に姿の近い角種の二人を付けようと思います」

「角種?」

「コニーを見ていただければわかります通りコニーやシラギクは角が生える種族なのです。角種は力が強い分体が非常に重い種族のため、角種以外の種族には持ち上げることはおろか支えることも難しいのです。先ほどは大変失礼いたしました」

 コニーは確かに前髪の生え際に三センチメートルほどの角が三本生えている。シラギクさんの方を見れば彼女は私が見やすいようにとこめかみにかかった髪を上げて一センチメートルくらいの小さな角を見せてくれた。

「角の大きさが大きいほど重く、角の本数が多いほど力強いのです。一つの目安だと考えてください」

 そう付け加えたシラギクさんはとても真面目な印象を受ける。夜のような濃紺の髪を一つに束ね、同色の瞳は黒縁眼鏡が覆っている。おそらく目が悪いのだろう。眼鏡のレンズの厚さは離れている私にもわかる。

「少しばかり席を外します。要件は差し支えなければリチャードにお願いいたします」

 リチャードさんがシラギクさんに耳打ちするとシラギクさんはそう言って腰を深く下げそのまま退出していった。おそらくコニーをどこかに寝かせるつもりなのだろう。

 ――そうだ、コニー!

「あの」

「はい、何でございましょう」

「っ……」

 穏やかな声で返されてしまうと言葉に詰まる。それでも、幼い子供を働かせるのは倫理に反する行為だと私は自分を奮い立たせた。

「コニーの事ですが」

「……やはり別の者をお付けした方がよろしいでしょうか」

「いえ、そうではなくて、」

 私の言葉に不思議そうな顔をするリチャード。本当におかしいと思っていないらしい。

「コニーはまだ子供ですよね?いくら力があったって、ここが別の世界だからって倫理的によくないと思います」

 ――言った!頑張った!

 心の中でガッツポーズをしているとリチャードさんは二、三度瞬きをしたあと柔らかく微笑みを浮かべる。

「ほっほっほ、いえ、失礼いたしました。その、コニーは子供ではありません」

 耐え切れずに笑ったリチャードさんは悪戯っ子のような顔で私を見る。私はと言えば思ってもみなかったカウンターに瞬きを繰り返してゆっくりと意味を咀嚼した。

 ――コニーが子供ではない?

 でも、だって見た目は本当に小学校にも上がっていないくらいの小さな子よ?メイド服だって制服と言うよりはテーマパークで子供たちがするコスプレみたいなもので、だから――。

「え?」

 一通り考えが頭の中を廻った後で私から出てきた言葉は非常にシンプルだった。

「ですから、コニーは子供では無いのです。あまり女性の年齢を語るものではありませんが、成人しているとだけ伝えておきましょう」

 ――コニーが成人している?

 頭の中に浮かぶコニーは健気な小さい女の子で、泣き虫で泣きつかれて寝ちゃうような本当に幼い子供だった。あまりの衝撃についに言葉を失った私にリチャードさんは「たしかに角種は幼い見た目の方もいるので」とフォローしてくれたがそんな言葉も今の私には右から左だった。

「ともかく誤解が解けたようで安心しました」

 ――ぐきゅるるる

 リチャードさんが言い終わらないうちに私のお腹が限界を訴えた。恥ずかしくなって顔を赤くした私にリチャードさんは「食堂へご案内いたします」とだけ言うと扉を開けて私についてくるように促した。

 道中言葉を交わすことも無いまま長い廊下を進んでいく。中庭を右に見て突き当りを曲がったところに食堂があった。壁には絵がかかり、窓は高いところに横長のものがある。光を取り入れるためだけの窓なのだろう。

「少々お待ちください」

 リチャードさんが去ってから間もなく扉が開いてグリートさんが現れる。

「カエデ、ここにいたのですね」

 ミルクティー色の髪を靡かせて入室するグリートさんはとても美しい。美しいのだけれど、誰かに似ている気がする。

 グリートさんは私の向かいに腰かけると侍従に私と同じものを持ってくるように伝えて何か言いたげに私を見つめる。どこか探るようなニュアンスも混じっているようで内心落ち着かない。

「あの、何かご用でしょうか……?」

「ああ、すいません。その先ほど話していた“なまこん”と言うものが気になっておりまして、ですが突然尋ねるのも不躾ではと悩んでいたところです」

 こんな綺麗な人に尋ねられて迷惑な人間なんているのだろうか。

「そんな気にしなくてもいつでも聞いていただいて大丈夫ですよ」

「……貴方は優しい天上人様ですね」

「ありがとうございます」

 含みのある言い方に引っかかるけれど、まだ仲のいい相手でもないし踏み込んだ話をする間柄でもない、と私は気持ちを切り替える。

「生コンについてですよね。んーまず確認したいのですが、コンクリートと言うものはこの世界には無いのでしょうか?」

「そうですね、少なくとも私は聞いたことがありません」

「コンクリートとは建築資材の一種で私の世界では主に建物を作る時に用いています。石みたいに固くて地震にも強い建物が出来上がるので高い建物を建てる時によく利用されています」

 私が身振り手振りを交えて説明していると気の利く侍従さんがペンと紙をもってきてくれた。

「材料はセメントと水、砂、砂利が基本です状態に応じて減水材なども使いますがとりあえずはこんなところです」

「水、砂、砂利は分かりましたがとは何でしょうか?」

「セメントは石灰石を主原料としたもので実際に使うときは粉末状になっていますね。これらを練った後乾かして固めるととても頑丈な建物が作れます」

「乾かして固めると言うことは練っている間は液状なのでしょうか?」

「液状……とも言えますがドロドロしていますね。あまり水分を多くしてしまうと脆くなるのでダメなんです。少なすぎるのも良くありませんが」

「そうなんですね……ふむ、つまりケーキのように何か型に入れて乾くまで待つのでしょうか?」

「はい。型枠かたわくと呼んでいますが木などで作った枠の中に流し込むのが主流です。型に応じて様々な形のものを作ることが可能なので意匠性と言う意味でも好まれています」

 私の説明に素早く質問を返してくれるの面白い。グリートさんの仕事は元の世界で言うところの都市開発ってところなのかな。

「お仕事はそのくらいにして、どうぞこちらをお召し上がりください」

 そう言って運ばれてきたのは魚の塩焼きと炊き立てごはん、お漬物にお味噌汁。並べられていく和食に感動していると最後に出汁巻き卵が置かれ、メイドさんがお召し上がりくださいと一言残して下がった。

「天上人様にはこちらの方がよろしいでしょうか」

 リチャードさんが付け足してくれたのはお箸。サクラ模様の可愛いそれにいつもより元気のいいが出た。

「カエデの故郷ではいただきますと言うのですね」

「はい。命を戴きますと言う意味もありますし、作ってくれた方への感謝の気持ちでもあります。言わない人もいますが……私は気に入っているので言っちゃいますね」

「では、私も。いただきます。ふふっ素敵な文化ですね」

 ――笑った。幻覚だろうか、天使の羽が舞っているのが見える。

 見惚れていると「冷めちゃいますよ」と言われ慌ててお味噌汁に口を付けた。

「熱っ」

「大丈夫ですか?」

「あ、はい、大丈夫です」

 恥ずかしさから出汁巻き卵を口に放り込む。鼻に抜けるお出汁の香りやふわふわとした食感に、プロの料理だな、なんて感服しつつ魚に箸をつける。こちらも臭みは無くさっぱりとしていて塩味が良いアクセントになっている。まさにご飯が進む美味しさだ。

「ごちそうさまでした」

「こちらもどうぞ」

「わあ、煎茶もあるんですか!いただきます」

 ほっと一息吐けば、久しぶりの至れり尽くせり感に戻りたい気持ちなんて消えてしまった。お腹いっぱい食べるって大事だななんて思いながら目の前に座るグリートさんを見る。グリートさんはナイフとフォークで器用に食べ終え、同じく煎茶をティーカップで飲んでいた。

「湯呑は熱くて苦手なんです」

 そう言って両手を開いて見せるグリートさんに自分と同じ人間なのだと思えて笑みがこぼれる。いや、グリートさんは人間とは違うのか?

「コニーやシラギクさんが角種と仰いましたがグリートさんは何でしょう?」

「私は牙種です。そうでした。この世界についての説明を忘れていましたね」

 グリートさんが手を叩くとリチャードさんが即座に一冊の本を持ってきた。

「これは?」

「過去にここへ降臨された天上人様が記した本です。こちらはニホンからいらした天上人様が書き記したものでして、これを読めばおおよその事は分かると思いますよ。何か気になる点があればいつでもお尋ねください」

 渡された本を開いてみると歴史の教科書で見るようなぐにゃぐにゃの線みたいな文字が並んでいて、私は眩暈がした。本は文庫本サイズではあるものの辞書のように分厚い。まさか最後までこのままなのだろうか。

「ああ、ご安心ください。天上人様が降臨されるごとに書き足されておりますので途中まで飛ばして読まれても問題はありません」

 リチャードさんの言葉に捲って行けば、確かに終わりの方には汚くはあるものの私にも読める文字が並んでいた。

 そこに書かれていたのはその人がこの世界で何をしたのか、何に気をつけて生活をしていたのか、故郷に残してきた人々に対する思い――え?

「あの、私元の世界に戻れないんですか?」

 心臓が掴まれたような心地だった。喉が渇いてはりついて上手く言えないけれど不安や恐怖が襲ってきた。本のどのページを読んでも元の世界に帰るための記述はなく、どの人もこの世界で生きる道を選んでいた。中には、ただ一言“子供に会いたい”と書き残して終わっている人もいた。

 グリートさんを見てもリチャードさんを見ても目を伏せるばかりで答えてくれない。否、それが答えなのだ。急にここが現実なのだと突きつけられた気がした。どこか他人ごとに捉えていた自分に気づかされた。

「私、資格取ったんですよ。頑張って勉強して、それでようやくこれから私のキャリアが始まるって思って、それに好きな人だっていて……って、あれ、それ、もう叶わないってことですか?」

「カエデ……」

 グリートさんは立ち上がると私の隣にやってきて、そっと胸ポケットのハンカチで私の頬を伝う涙を拭ってくれた。とても言いにくそうに、それでも私のためを思ってくれたのか重い口を開いた。

「帰る方法は、おそらくあります。ですが、変に期待を持たせたばかりに、裏切る結果になってしまうかもしれません」

「帰る方法があるんですか?」

「おそらく、です。それを説明するためには王宮へ行くのが良いでしょう。リチャード、至急馬車を」

「かしこまりました」

 グリートさんは私の頭をそっと撫でて「私もできる限りの事をします。なのでカエデも力を貸してください」と祈るように呟いていた。

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