第九話:降りし雨
稼いだ距離を詰められないよう、先に駆け出したエルは、そのままシャーミーとの戦いに入った。
とはいえ、方や傷だらけのエル。方やほぼ無傷のシャーミー。
鋭い矢を放つ射手と、柔軟ですばしっこい
が、苦手な近距離での戦いで傷を増やしながらも、エルは怯えなんぞ見せず、むしろ堂々と戦っていた。
……確かに、まだあいつは色々と隠している。そんな気はするが、それがシャーミーの疾さに抑え込まれているからか。はたまた秘めた実力を隠しているのか。それがはっきりしねえ。
その辺の魔獣相手ならエルも遅れを取りはしないが、そんな動きの相手に距離を詰められているってのは、相当にきついか。
『中々悲鳴を聞かせてくれないのね。ちょっと冷めてきちゃった』
相変わらず余裕綽々といった態度で、両手に
すると、突然パリパリっという独特な音と共に、あいつが持つ剣を氷が覆っていく。
『だらだら戦うのも飽きてきたし、そろそろ決めちゃおうかしら』
完全に剣が氷に覆われた所で、シャーミーが剣先でくるくるっと弧を描くと、軌道に沿って氷が弧を描き、
それを二度、三度繰り返すと、あいつの周囲にどんどんと氷の
しかし、エルはそれを見ても表情は変えない。
まるで何かを見定めるかのように、静かな視線を奴に向けている。
そんな事を考えていると、反応が薄いあいつに少しイラッとしたのか。
フンっと一瞬つまらなそうな顔をしたシャーミーは、またもとても低い姿勢で身構える。
『さて、こうしたら、避けられるかしら?』
瞬間、先に飛び出したのはシャーミーだった。鋭い踏み込みから横に薙ぎ払った
それを身を大きく逸らして避けたエルは、再び戦場を大きく使いながら、跳躍し距離を離そうとした。が、まるでそれを待っていたかのように、シャーミーを追い越した
鋭く振られる剣を弓で止めつつ、合間で素早く番えた矢を放ち
が、それは防戦一方。
そのせいで、あいつの身体にはまたも細かな傷が増えていった。
「エ、エル!」
未だその場から立ち上がる事もできないアイリが、そんな彼女に不安の声をあげる。が、その不安を払拭するような動きは生まれない。
時に
たまに放つ矢が
が、シャーミーには避けられてるし、
このままじゃジリ貧……な、はずなんだが。
俺はこの戦いに強い違和感を覚えていた。
さっき見せた接射もそうだが、あいつはこの戦いで大技を繰り出しちゃいねえ。
そして、あいつならもっと素早く矢を放てるはず。
確かにシャーミーの動きは相当なもんだ。
が、とはいえ、ここまで防戦一方になるほど、こいつが牽制できねえとは思えねえ。
実際これだけの猛攻を、擦り傷だけで済ませているんだ。シャーミーの本能的な動きで避けられはするかもしれねえが、もっと手数は増やせるはず……。
何か、狙ってやがるのか?
時に痛みに顔を歪めながらも、未だ落ち着いた顔をしているエルを見て、シャーミーが苛立ちを見せ始める。
『逃げるのだけは得意なのね』
「そりゃね。あなたの攻撃は温いし動きも鈍いもの。師匠の疾さを知った後じゃ、物足りないわ」
皮肉に皮肉を返されたシャーミーが、露骨に牙を見せイラっとする。
『そう。それなら……これでどうかしら!』
そして、次の瞬間。奴は仕掛けた。
それに気づいたアイリがはっとするも、身体を動かせない。
『ほう』
その動きに、感心した声をあげるデルウェン。
それが何故発せられたのか。俺にも分かる。
……エルの奴。これを狙ってやがったのか。
まったく。ルークもこれには驚いただろうな。
嬉々とした顔で、アイリに剣を突き刺そうとするシャーミー。だが、それは阻まれた。空から降ってきた雨のような矢に。
『なっ!?』
それは奴の動物の勘だったのか。
慌てて後方に退いたシャーミーは、それを回避した──かに見えた。
『ぎゃっ!』
だが、その跳躍を狙い澄ましたかのように、空から舞い降りた別の矢が、上からぐさりぐさりと奴の肩や腕に刺さる。
と同時に、エルを周囲から襲おうとした
「一応確認しておくのだけど。これでって、何を指していたのかしら?」
咄嗟に矢を避ける為、その位置から跳ね飛び横に転がった後、思わず振り返りエルを見たシャーミーは、相変わらず澄ました顔で立っているエルに、苦虫を噛み殺したような顔を見せた。
デルウェンが声を上げたのも、俺が感心したのも、たったひとつの理由だ。
エルはシャーミーが横をすり抜けた瞬間、目にも止まらぬ早業で、天に向け矢を放っていた。
しかも、矢は射れば風切り音がする。が、その音も、相手を狙う気配すらさせない。
降ってきた矢に殺意すらなく、さながら自然に降った雨と呼んでもいいくらいの技。
しかも、初手の矢群は避けられるのを理解し、その方向まで予測した追撃……いや。あれは間違いなくシャーミーを誘った一の矢か。
あれだけの読みを入れるのは、平然と見せている見た目以上に精神的負担は高い。
それでも何事もなく見せるエルの精神力にはお見それするな。
そして、ここまで粘ったのは、相手の視界に入っていちゃ、仕掛けても決め手にかけると踏んだから。
シャーミーのずる賢さなら、またアイリを狙う。
その一点こそ、エルがあいつに狙われず自由になる時。そんな時間を生み出すため、シャーミーを敢えてこうするよう誘いやがったんだ。
「……私も暇じゃないの。そろそろ終わらせようかしらね」
『ふざけ、ないで! それは、こっちの台詞よ!』
ぎりっと奥歯を噛んだシャーミーは、身体に刺さった矢を強引に抜くとエルに向き直り、がむしゃらに
そりゃ、エルに勝てるわけがない。
迷わず弓を構えたエルの、連続で放たれる鋭い矢。
それは的確に
横に避けたはずが、すぐさま二の矢を脚に受けその場に転がり。更なる追撃を身体を捻り避けても、次の矢が腕や腹に刺さっていく。
『何なの!? ありえない! ありえないありえな──』
身体に何本も矢を受け、その場から動けなくなったシャーミーが、顔を青ざめさせ、絶望に顔を歪めた瞬間。目をひん剥き固まったあいつの額を、無情な矢が貫いた。
そのまま反動でゆっくりと後ろに倒れたシャーミーは、仰向けのままさらさらと灰のように消えていく。
「……やっと、終わりね」
あいつが死んだのを見届けたエルは、そのまま力なく両膝を折りその場に崩れ落ちる。
今まで見せなかった荒い息。どれだけあいつが相手を騙すため耐え忍んだか。想像に難くねえ。
良くやったぜ。エル。
後は……。
俺は残ったザルベスとティアラの戦いに目を向けた。
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