第五話:涙と涙
「お帰り。随分とのんびりしてたんだね。そろそろ夕食にしようと思うけど、いいかい?」
家に入ると、マリナさんが優しく声を掛けてくれたが、俺はそれに返事もせず、リビングを抜けると、そのままメリナの部屋に向かう。
そして部屋に入ると、部屋のランプを付け、そのまま奥の机の前に立った。
俺の視線の先にあるのは、夢で見た机と同じ物だ。ある一箇所を除いては。
俺はゆっくりと
「何してんだい!?」
続いて部屋に入ってきたマリナさんの焦った声を無視し、俺はそこに見える、最下段である二段目の引き出しの下に、
瞬間。
コツンという感触を感じたと同時に、そこにあった幻影がパリンと砕け散り、見えていなかった三段目の引き出しが姿を見せた。
……そう。
あいつが隠し事をしようとした袖の引き出しは三段目。だが、俺はこの目で三段目なんちゃ見ていなかった。
とはいえ、もう十年以上も前の、しかも決して訪れた回数も多くない場所。だからこそ、俺はその違いなんて気づけなかったんだ。
俺自身が幻惑に
だが、場所にかけられた幻影ってのは、別に俺に掛かったもんじゃねえ。だからこそ、直接幻影を祓わなきゃいけなかったのさ。
ったく。俺も頭が固くなったもんだ。
自身に呆れながら、俺がしゃがみ込もうとした瞬間。
「止めな!」
マリナさんが強く叫び、俺に駆け寄った。
あの人に顔を向けると、酷く悲愴感漂う、青ざめた顔で俺を見つめている。
「そこを開けるんじゃない」
「何故ですか?」
「……そこにある物を見れば、あんたはメリナの後を追うに決まってるからだよ!」
彼女の中で、堪えきれなくなったのか。
絶望感溢れる顔で、涙を流すと、俺に縋るように、震える手で俺の両腕を掴んだ。
「娘を失い、サルドが死に掛けてるってのに、今度はあの
……彼女はここにある物が何で、その鍵を使えばどうなるかを知っている。
それを察した俺は、少しだけ、唇を噛む。
マリナさんの優しさを強く感じ、マリナさんの寂しさを強く感じて。
……だが、それでも俺は譲れなかった。
メリナに応え、デルウェンを倒す。
俺にとって、それが全てだったから。
「マリナさん。すいません。俺は、今でもメリナを愛しています。だからこそ、あいつがこの国をデルウェンの恐怖から解放すると決めたなら、何としても成し遂げたい。あなたを哀しませる事になっても、彼女は娘として、あなたにも未来を遺そうとしたんだから」
「私はそんな事を望んじゃいない! 私はあんたに生きて欲しいんだよ! 娘の呪縛から解き放たれ、あんたに幸せになって欲しいんだよ! あんたはそんな未来を歩んでもいいんだ! だから止めな!」
涙ながらに訴えるマリナさん。
その言葉が痛く胸に刺さる。
……あいつはきっと、この人の優しさを受け継いだんだな。
俺はそんな事を思いながら、寂しげに笑う。
「……マリナさんが十年哀しんできたのと同じく、俺も十年耐えたんです。メリナを助けられなかった後悔と、メリナの仇を討ちたくてもできない苦悩に」
「そんなのはわかってる! だけど!」
強く言葉を否定する彼女を、俺は静かに抱きしめる。
潤んだ瞳を見られないように。
「マリナさん。俺はこの件で既に、仲間や信頼できる人達に奇跡の神言を口にしました。戦いを避けず、デルウェンを倒す為の道を。……俺はメリナに応えたいだけじゃない。共に戦う仲間達を死なせない。その為に戦いたいんです。ですから……どうか俺に、そこにある物を見せてください。そして、マリナさんの力を貸してください。俺もできる限り、未来を夢見て、戦い抜きますから」
……俺は、最後に嘘をついた。
きっとここにある物は、デルウェンを倒す為の鍵。そして、それが間違いなく、俺の命を奪うかもしれないと、彼女は知っているはず。
だからこそ、偽りしか感じねえ、未来なんて言葉が、慰めになるはずもねえ。
……が、それでも、俺は敢えてそう口にした。
半分は勝つ為の決意。もう半分は、勝つ為の覚悟の為。
「……すまないね。私の娘のせいで、あんたはずっと苦しんで。今度は命を懸けさせちまうなんて。ほんと、魔女の一族なんて碌なもんじゃない」
「そんな事はありません。俺は、メリナに出逢った事に後悔はしていませんから。あいつのお陰で、人の温かさを知り、マリナさんにも愛情をかけてもらえた。それだけで充分報われたんです」
「……ったく。あんたは優しすぎだ。娘にゃ勿体無いくらいにね」
「……いいえ。俺は結局、
互いに涙を流し、互いに震えた声で語りながら、俺はマリナさんの震えが落ち着くまで、そのまま慰め続けた。
彼女を独りにしてしまうかもしれない。そんな未来を憂いながら。
§ § § § §
あれから一週間後。
「身体は大丈夫かい?」
「はい。もうこの通り。心配要りません」
朝日が少し高くなった頃。
俺は荷物を背負うと、未だ心配そうなマリナさんに笑いかけると、メリナの墓碑に歩き出した。
「悪いね。本当なら、私も直々に手を貸せれば良かったんだけど」
「気にしないでください。幽閉されている以上仕方がない事ですし、有り難い土産もいただいてますから。あとは俺達に任せてください」
そう言いながら、墓までの短い距離を歩いていったんだが、その距離だけで、何時になく身体が重いのを実感する。
まあ、一週間前は歩けすらしなかったんだ。そう考えりゃ十分だ。あと二週間ありゃどうにかできる。
自分の体の変化を一歩一歩噛み締めつつ、俺はメリナの墓碑までやってくると、目を閉じ片膝を突き、両手を組んで祈りを捧げる。
暫くの沈黙。
そして、ゆっくり目を開けた俺は、墓碑の前にあるネックレスを手にすると、首からかけた。
「また戻る。だから、その時まで預かるぜ」
元々、互いにひとつずつ首にかけているはずだったネックレス。青白い宝石を手に取ると、太陽の光を浴びてキラリと光る。
まるで俺に答えたかのような光を見て、俺は自然と微笑んだ。
「……ヴァラード」
俺がゆっくりと立ち上がると、マリナが俺に真剣な目を向ける。
「いいかい? あんたは切り札かもしれない。だけど、できる限りそれなしで戦いな。それで倒せちまえば御の字さ。だから……できる限り、生きるんだよ」
「……ええ。お世話になりました」
俺が静かに頭を下げると、彼女はゆっくりと前に歩み寄り、俺の両手を取って目を閉じる。
「……あんたに、
涙声で、そんな祈りを捧げる彼女に、思わず目が潤む。
が、男はこんな所で泣けやしねえからな。俺もまた、何も言わずにぎゅっとマリナさんの手を握り返した。
春のような暖かい風がふっと通り過ぎる中、しんみりとした空気が俺達を支配していると。
「ヒヒィィィィン!」
突然、馬の嘶きが耳に届いた。
俺とメリナさんがはっとして顔を見合わせると、そのまま声に向き直る。
そこに立っている、白銀の
この間まで弱っていたはずのサルド。
やはり病気のせいか。その身体は張りがなく痩せている。だが、その眼光は昔と同じ、しっかりとした鋭さ。
「サルド。まさか、あんた……」
マリナさんがゆっくりと歩み寄ると、「ブルブル」っと声を上げたあいつは、名残惜しそうに頭を擦り寄せる。
「……そうかい。あんたも男だもんね」
寂しそうに、だが嬉しそうに、涙ぐんだマリナが、サルドと共に俺を見る。
「ヴァラード。こいつも連れて行ってくれるかい?」
「……ああ。行くか? サルド」
俺の言葉に、再び頭を上げ、大きく嘶くサルド。
……そうだな。
俺達の燻り続けた十年。せっかくだし、見せに行こうじゃねえか。
俺は、そんな相棒の首を撫でてやると、そのままあいつの背中に飛び乗った。
「マリナさん。お元気で」
「ふん。安心しな。私はそうそう死にゃしないよ」
久々に気丈に笑顔を見せたマリナさんを見て、ふとある事を思い出した俺もまた、笑みを浮かべながらこんな言葉を掛ける。
「わかりました。ついでに、あなたが元気だったこと、ブランディッシュ王にも伝えておきます」
「は? そんなのは気にしなくていいよ。あの人も当に私の事なんて──」
「忘れてないですよ。だから伝えておきます。寂しがってたんで、会いに行けって」
「まさか、そんなはずは……」
「恋い焦がれた相手を忘れられない。男らしいじゃないですか」
俺の言葉に目を瞠った彼女だったが、俺の意味深な笑みにそれが事実だと理解したんだろう。
「まったく。あの人は……」
呆れた顔をし肩を竦めてみせた。
「……ヴァラード。そんなお節介はいいから、しっかり気張って、ちゃんと生きて帰ってきな。サルドと一緒にね」
「……はい」
俺は、彼女の笑みを心に刻むと、サルドを促し、マリナさんに背を向け、山を下り始めた。
……この先に待つ戦い。
そこに立つ仲間達を、勝利に導くために。
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