宣伝効果

キザなRye

全編

 世の中は受験戦争が激化している。学校だけでの受験対策では事足りず、塾業界がどんどんと枝葉を伸ばしている。一つの駅の前には四から八もの塾が建ち並んでいる。東二見ひがしふたみ駅の周りにも塾がいくつもある。そのうちの一つが刈前塾かりさきじゅくである。

 刈前塾は規模感としてそんなに大きいわけではないが、地域では名前だけはそこそこ知られていた。塾は個別指導で小中高の生徒をすべて合わせておよそ五十人の生徒を抱えている。生徒のレベルはそこまで高くない子たちばかりで通知表に5があれば凄い方だった。講師は正社員として雇った人もいれば大学生をアルバイトとして雇った人もいる。大学生でも学力試験や面接をくぐり抜けてきた人たちなので十分な指導力を持つ。研修も正規・非正規問わず一律で行っているので指導方法を一定にしている。

 刈前塾の開校からおよそ四年、塾の経営が軌道に乗ってきて塾長である山田はより多くの人に塾に入ってもらおうと考えていた。そのために回せる金銭的な余裕も出てきている。現在は週に一件、二件の問い合わせが来るくらいだが、費用をかけてでも問い合わせの件数を増やしたかった。

 最初に山田が思いついたのはキャンペーンの実施だった。一定期間内での入塾への特典や友人紹介制度である。大手の塾でも行われている方法だ。内容を子細に決定することさえ出来ればすぐにも実施することが可能なものである。

 第一の施策として友人紹介制度を導入することにした。一人紹介するごとに千円分の某ファストフード店のギフト券またはQUOカードを紹介者・被紹介者に配布することとした。

 実施してから一から二ヶ月のうちは入塾している生徒の方に浸透せず、誰か友達を紹介するといったことはなかった。塾生と保護者にきちんと浸透すると急に紹介制度が使われ出し、問い合わせの件数が一気に増えた。誰々からの紹介で、と塾生全員の名前を聞いたのではないかくらい紹介を受けての問い合わせがあった。しかも問い合わせを受けた後に入塾するに至るまでの人が増えた。

 友人紹介制度によって刈前塾に所属する生徒が二から三倍増えた。元々いた講師の数では足りず、急いでアルバイトの募集をした。足りないときは普段教えることのない塾長の山田が教えて乗り切っていた。どうにか新たな講師を五人雇うことに成功し、塾も少し余裕を持って回すことが出来るようになった。

 友人紹介制度も軌道に乗り山田は次の施策を考えていた。塾生を経由しない形で刈前塾を売っていきたいと山田は考えていた。そこで思いついたのが広告配布である。山田も中学高校のときにあったが、学校の校門前に朝、塾の広告を配布された記憶があった。これが最も効率的に名前を売る方法だろうと山田は考えていた。

 この広告配布を正社員の講師にお願いすることは出来ず、山田は入ったばかりの新人講師にお願いすることにした。大学生の時間の関係があったりして朝に配ることは出来なかったので学校の帰りのタイミングに校門前で配ってもらうことにした。

 配布を依頼された講師たちの出身の塾では広告配布をせず、授業の質で勝負をしていたので広告を配布することに対して消極的だった。どちらかと言えば広告費をかけることは無駄だとまで思っていた。

 広告を配る側の人がきちんと広告を配る気がないので生徒側もあまりもらってもらえない。一時間くらい粘って五十枚程度しか受け取ってもらえなかった。まだ最初なので山田もどのくらいの部数を受け取ってもらえれば多いのかを理解出来ていなかった。

その後もちょこちょこ帰る時間を狙って校門前での広告配布を行っていった。広告を配り出してからしばらくの間は問い合わせに繋げることが出来ていたが、時が経つとそうも行かない。広告配布の効果が段々と薄れていってしまった。山田は継続的な広告配布で長期的に見て有益な方向に進めようと効果が今、目に見えなくても広告配布は続けることを決めた。

 山田は校門前での広告配布だけではなく、人の流れが多い時間帯に駅前で配布も実行した。こちらは子どもたちというよりも塾に通わせる年齢の子どもを持っていそうな年齢の大人に積極的に配るという方針で行われていた。

 駅前での広告を配り出してから最初の一・二ヶ月で問い合わせの件数が上がったが、その後は緩やかに下がっていった。それでも刈前塾にとっては広告による宣伝効果は十分にあった。

 あるところから急に塾生が退塾するようになってきた。塾長の山田からすれば理由は一切分からなかった。それらしい兆候もなく急に止めていくので打つ手なくいなくなってしまった。

一部の生徒は広告を配布していることに対して嫌悪感を抱いている。生徒集めを一生懸命している、という事実が生徒にとっては通うことをはばかる要因らしい。山田はその事実を理解してないが、それが急な退塾の理由である。

 刈前塾の広告配布が行われるほど退塾率が増えていった。しまいには友人紹介制度を導入する前の生徒数よりも少なくなってしまった。

 数年して刈前塾という名前を東二見駅の近辺で聞くことはなくなった。塾を畳んでしまったのかひっそりとした規模で運営されているのかは分からない。けれども広告が配られることはなかった。

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