都立西方浄土高校女子だらだら部部長にして華麗なるお嬢様崋山危懼子ならびにその他女子部員らの活動記録、あるいはなぜだらだらの日常はあっけなく崩壊したかということに関する簡潔な報告

ほいれんで・くー

第1話 唐突なるおしまい宣言

「沈黙にたえられない年頃ですので、そろそろ何か喋ろうと思いますわ」


 崋山かざん危懼子きくこが言った。部活開始からちょうど10分と32秒が経過していた。つまり、彼女の沈黙に対する受忍限度は10分そこそこということになる。


 そこは薄汚れた文化部棟の中でもさらに薄汚れている二階の一番東側の部室だった。そこは「女子だらだら部」の部屋だった。そこは都立西方浄土さいほうじょうど高校の中でも特にだらだらしている女子たちの溜まり場であり、昼寝場所であり、駄弁だべり場であった。風の噂によると学校のどこかに「男子だらだら部」もあるらしいが、その実態はどこまでも不明である。不明であって一向に問題はない。そもそも男子がだらだらしていてもなにも面白くはない。女子がだらだらしているからこそだらだらという言葉がいっそう麗しくなるというものだ。


 女子だらだら部には五人の部員がいた。都立西方浄土さいほうじょうど高校(それにしてもなんという名前だ、西方浄土とは)にはその五人の他にもだらだらしている女子生徒が大勢いたが、しかし信念を持った、いわば筋金入りのだらだら女子は全校中にその五人しかいなかった。いうなれば彼女たちはだらだらの精鋭、だらだらのエリートだった。そのため彼女たちは伝統と栄光ある女子だらだら部に入部できたというわけだった。いや正確には、「これから伝統と栄光を誇りにするであろう女子だらだら部」というべきであった。なぜなら女子だらだら部は今年になって初めて創設された部活動だからである。


 崋山かざん危懼子きくこはその筆頭だった。崋山の「崋」はやまかんむりである。くさかんむりではない。彼女は部長だった。彼女はお嬢様でもあった。しかしその言語は乱れていた。


 その日も部員五人は広さ十二畳ほどの畳敷きの部室のそれぞれの定位置に陣取り、各々が各々のだらだらをだらだらと追求していた。彼女たちはだらだらだったが、だらだらであるがゆえに女子だらだら部の活動には非常に熱心だった。彼女たちは思い思いのやり方でだらだらしていた。初期キリスト教の砂漠の苦行僧たちがそれぞれ独自の方法で神と対話しようとしたように、彼女たちはそれぞれ独自の方法でそれぞれのだらだらを探求していた。


「最近いちばん『ファック!』だったことはですね」と、だらだら新書版の本をめくっていた危懼子は誰に言うでもなく、わざとらしさ極まるお嬢様言葉で言った。ちなみにその本はあまりだらだらしていない神学に関する内容の本だった。


「本屋に行って『これだ!』と思う神学の本を見つけて、普段だったら人生とだらだらについて考えることに忙しくてあまり真剣にできていない読書に励んでいたのに、実はその本の著者が史実の捏造によって告発されていたと判明したことですわ。いったい誰なんですの、この『カール・レーフラー』とかいう十九世紀の神学者! この本、ほとんどがレーフラーの言説の紹介で成り立っているのに、報道によればそのレーフラーなる人物は実在しないって言うではありませんの! 今まで私が熱心に読んでたのはなんだったのかしら? ほんっとうに馬鹿馬鹿しいったらありゃしないわまったく。ていうかムカつきますわ。騙されていたんですもの! でも一番ムカつくのはそんな『誰かが言ったことを無批判に信じてなんとなくへぇ~ほぉ~ふぅ~んと従っていた』自分に対してですの! この本だけじゃない、たぶん私たちが気づいていないだけで、こういうことって世の中にめちゃくちゃありふれてるんだと思いますわ。そう考えるともう全身の血管が破裂するんじゃないかってくらい憤りの念が駆け巡りますの! 分かりますか、この気持ち! 分かりますか! これじゃちっともだらだらできないじゃありませんの!」


 危懼子は勤勉なタイプのだらだらだった。いや、勤勉というより真面目なタイプのだらだらだった。真面目な故に彼女は常に憤怒していた。彼女は美しかった。女の子にしては長身で、長い黒髪は烏の濡羽そのもの、肌は白く、制服はちょうど今が六月ということもあって衣替えをしたばかりで、アイロンプレスのきいた半袖のシャツからはほどよく筋肉がついたしなやかな腕が出ている。スレンダーな見た目はまったくだらだらではない。顔つきもけっこう真剣だ。しかし危懼子はだらだらである。理想的だらだらを追究するために仕方なく本も読むし勉強もするし体も鍛えているが、これも彼女なりのだらだら道の実践であるから彼女をだらだらしていないとして非難するのはまったく不当である。


 活火山のように憤懣を噴出し続ける危懼子に対して「へーえ」と気のない返事をしたのは、危懼子からちょうど畳一枚離れた場所で寝そべりながらだらだらと競馬雑誌を読んでいた馬場ばば命賭めとであった。命賭めとは小柄だった。身長は145cmほどしかない。この肉体的条件では理想的なだらだらを遂行するのは難しいのだが、彼女はそれを補ってあまりあるだらだらの才能を有していた。命賭は美しいというよりも可愛らしかった。髪は肩まで届く亜麻色で、それに軽くパーマをかけているところがいかにもだらだらであった。才能豊かなだらだららしく、命賭の大きな人懐こそうな目はとろんと眠たげに濁っていた。


「神学っていったらさぁ」と命賭は言った。「やっぱり馬たちの神学の中だと神様は馬の姿をしてるのかなぁ。それとも、人間の姿をしてるのかなぁ。私はたぶん、馬たちの神様は馬の姿をしていて、ミドリムシの神様はミドリムシの姿をしていると思うの。でも人間は有史以来馬を酷使してるし、ミドリムシは最近ミドリムシクッキーにして食べてるから、私たちのあずかり知らないところで馬の神様とミドリムシの神様は私たち人間にキレてると思うんだよねぇ」


「は? ミドリムシクッキー? 気持ち悪っ!? なにそれ、どこ情報ですの?」と危懼子がきくと、命賭は気のない声で返事をした。「私のお母さんだよぉ。お母さんがこないだミドリムシクッキーを買ってきたんだよぉ。食糧危機の救世主なんだって、ミドリムシは。でも私には食べさせてくれなかったの。『ミドリムシの神様に恨まれるのは私だけで充分!』とかお母さんは言ってさぁ。私もミドリムシの神様に喧嘩売りたかったなぁ」


 危懼子はミドリムシクッキーについて想像を巡らせた。自分の舌の上で無数のミドリムシがのたうち回る光景を彼女は想像してしまった。うげっ。おそらくクッキーになる過程でミドリムシは乾燥され、粉砕され、バターと小麦粉と砂糖と渾然一体となっているのであろうが、危懼子の想像の上ではミドリムシはフラスコの中での姿そのままのフレッシュなものとしてイメージされたのだった。うげげっ。彼女は身を震わせた。


「……ミドリムシクッキーはさておき、神様の姿という問題は確かに興味深いですわ。命賭様の貴重なお言葉を手がかりにして考えられることは次の三つ。一つ、神は人間の姿をしている。二つ、神はそれぞれの生き物の姿をしており、人間には人間の、馬には馬の、ミドリムシにはミドリムシの姿で現れる。三つ、そもそも神は特定の姿形をしていない。さあ、命賭様、あなたはどれを選ばれますの?」


 危懼子はお嬢様らしく誰に対しても「様」という敬称をつけて呼ぶのが常であった。だが命賭は返事をしなかった。今、彼女は競馬雑誌を読んでいた。今、彼女はもっとも目当てにしていた記事を読み始めたところだった。彼女はレースだとか獲得賞金額だとか騎手の戦歴だとかに興味はなかった。だいいち彼女はまだ高校生であるから馬券を買えなかった。彼女にとって馬券は神聖なる馬の世界に跋扈する夾雑物きょうざつぶつの一つに過ぎなかった。彼女が本当に好きなのは馬そのものだった。先ほど命賭は、それぞれの生き物の神はそれぞれの生き物の姿をしていると危懼子に言ったが、彼女にとって神は疑いようもなく馬の姿をしていた。馬以外の情報もたくさん載っている競馬雑誌は、本来の彼女の嗜好からすればあまり面白いものでもない。だが手軽に入手できる馬の本はこれくらいしかないため、彼女は熱心に読んでいるのだった。


 危懼子はそんな命賭を見ると軽く舌打ちをした。「このマイペース馬人間ウマヒューマン様め……」 しかし命賭のそれはけっこう理想的なだらだらだった。苛立ちと共に危懼子は心の中で命賭に向かって拍手を送った。そして彼女は視線を転ずると、入り口近くの畳で横になっている二人組に対して声をかけた。


「おい、コラ、双子! 桜子さくらこ様と薫子かおるこ様! あなたたちはどうお思いになられるかしら! 本当の神様の姿について、優秀なるツインドライブの頭脳から快刀乱麻を断つご見解を賜りたいですわ!」 


 危懼子は双子を改めて見た。石畳いしだたみ桜子さくらこ石畳いしだたみ薫子かおるこの双子は至極だらだらとしていた。二人は横になりつつ抱き合っていた。「こうしなければ死んでしまう」とは彼女たちの言である。一時間目の授業から放課後までそれぞれが離れ離れになって別々のクラスで別々の時間を過ごしているうちに、双子はかけがえのない双子生命力エネルゲイアを消費してしまうらしい。双子生命力エネルゲイアを消費し尽くすともう二度とだらだらできないので、双子は部室で抱き合って充電をおこなっているというわけだった。


 双子は一卵性双生児だったので、遺伝子レベルからしてそっくりだった。そっくりに美しかった。人類誕生以来一卵性双生児の発生確率が0.4%のまま据え置きであることを考えると、一卵性双生児として生まれ、なおかつ美しいということはまさに奇跡ともいえた。だらだらは奇跡とは多少趣を異とするが、幸いなことに双子は天性のだらだらの持ち主だった。二人とも豊満な体つきをしていた。大きな胸と大きな胸が正面衝突したセダンと軽ワゴン車のように形を変えて絡み合っていた。二人は髪型から髪留め、服装、ストッキングのデニール、中間考査の数学の点数に至るまでまったく同じだった。点数は95点だった。双子の母は「なぜあと5点がとれない!」と双子を難詰した。双子はますますだらだらするようになった。


 双子のうち、桜子さくらこの方が答えた。「現在充電中。邪魔しないで」 薫子かおるこが続けて答えた。「現在53%まで充電完了」 双子の目は虚ろだった。本当にエネルゲイアが枯渇しているようだった。「ついでに言うなら」と桜子が言った。「神様はきっと双子」と薫子が続けた。「一人は極めて優しくて善」と桜子が言い、「もう一人は極めて残忍で悪」と薫子が締めくくった。「それで釣り合いがとれる」 双子はそれきり何も話さなくなった。


 危懼子は首を左右に振った。「双子はだらだらしていてダメですわ……シスター! シスター・マルタ! あなたの見解はいかがですの?」 そのように危懼子が声をかけた人物は、部屋の隅にひっそりと座っていて、座卓の上に大きな聖書を広げていた。マルタ・ドマホフスカは金髪碧眼の美しいポーランド出身の少女であったが、その国威を示すのに充分な知性と美しさは現段階においてはこの女子だらだら部の部室に逼塞ひっそくせざるを得ない状況に追い込まれていた。マルタは重度のホームシックにかかっていたからである。彼女の目の下には大きなくまができていたが、それがまた彼女の美しさを引き立たせていた。


 いつも聖書を読んでいるためにシスターと呼ばれているマルタは絶望しきった声で危懼子に答えた。「答えは一でも二でも三でもなく、四。全部間違っている。神学だけではない、この世のありとあらゆるものが間違っているわ。『すべてのものは造物主の手から離れるその瞬間には善きものであったが、人間が全部台無しにしちまったので俺は絶望して尻と陰部を丸出しにした』ってジャン=ジャック・ルソーも『エミール』で言ってる。しかるに、この世でもっとも間違いのない存在は神で、この世でもっとも間違いだらけなのは神に関して人間がこしらえたすべての思想よ。神以外は全部ゴミだわ。お米のご飯に醤油をかけて食べようとするだけで犯罪者のように扱われる日本をとっとと脱出しておうちに帰りたい帰りたいと絶望しきっている私も神様の前ではゴミ同然というわけ。さっさとゴミ回収車が来ないかしら。そしたらだらだらしたまま処理してもらえるのに」 絶望しきっている割にマルタの声はけっこうビビッドだった。


「シスター・マルタ、日本のゴミ回収車は当然のことながら日本のゴミ捨て場にゴミを捨てますから、あなたはたとえゴミ回収車に回収されても祖国に帰ることはできず、どこかの太平洋沿いの埋立地の地層の一部になって永遠にだらだらすることしかできなくなりますわ。あなたが祖国に帰るのでしたらゴミ回収車ではなく、飛行機に乗るか、船に乗るかのいずれかしか方法はありませんわね」 危懼子は軽くスマホをいじったあと、画面を見つつ言葉を付け足した。「飛行機なら14時間半でワルシャワに着く。そう考えたらあまり大した距離でもありませんわね。是非とも『ホームシックなんするものぞ』という気合いをお持ちになったらいかがかしら」


 マルタは聖書の一節を読み上げた。「『ああ、あらゆる偽りと邪悪とでかたまっている悪魔の子よ、すべて正しいものの敵よ。主のまっすぐな道を曲げることを止めないのか。見よ、主のみ手がおまえの上に及んでいる。おまえは盲になって、当分、日の光が見えなくなるのだ』」


「『使徒行伝』」 桜子が言った。「第13章第10節」 薫子が付け足した。


 マルタは双子を無視した。


「ああ、私もしばらく目が見えなくなりたい。今の私にとって太陽はあまりにも陽キャキラキラ糞野郎すぎて無理。私だけじゃなくて、今この現代の世の中に溢れている悪魔の子の目も見えなくなってしまえば良いのに」


 危懼子は呆れた顔をしていった。「そんなこと言ったら祖国に帰るための飛行機が飛ばなくなりますわよ。飛行機のパイロットなんてみんな機械マニアで航空力学オタクでなおかつ空の悪魔みたいなものですし。あんなにうるせぇジェットの爆音を撒き散らすんですから、だらだらの敵ですわ、間違いなく。このあいだ私がだらだらと昼寝をしている時もジェットの爆音で叩き起こされましたわ。だからやつらは悪魔ですわね。悪魔。決定! 神の姿は判然としませんが悪魔はしっかり目に見える! 悪魔滅すべし!」


 憤然と言い放った危懼子であったが、咳払いをして彼女は訂正の言葉を述べた。「申し訳ありません、今のは失言でしたわ。パイロットはまったく悪くありません。パイロットはうるさくない。うるさいのはジェット機ですわ。どんな仕事にもリスペクトの念を持たねばなりません。そもそも私の大叔父様はパイロットでしたわ。まあ、私が超一流の科学者であるなら全然うるさくないジェット機を作るでしょうが……」


 この部室において現在最もうるさいのは間違いなく危懼子本人であったが、誰もそれは指摘しなかった。指摘しても詮無いことであった。命賭が言った。「でもうるさくないジェット機を作ったら怒る人も出ると思うよぉ。それに音も立てないでジェット機が発着する空港ってたぶんものすごく不気味だと思うし。すぅーっと音もなく飛行機が離陸してすぅーっと音もなく飛行機が着陸。あたかもバグったゲームのプレイ画面を見ているような……」


 危懼子の耳に命賭の言葉は入らなかった。彼女の聴覚はその時、ある異様な信号をキャッチしていた。


「なんか聞こえません?」


 違和感を覚えて危懼子は耳をすませた。他の四人も彼女の言葉に触発されたように、耳に手をやって何かを聞こうとしている。


「聞こえるねぇ、確かに何か聞こえる」と命賭が言った。

「聞こえる。感度、明度共に良好」と桜子が口にした。

「聞こえる。感度、明度共に上昇」と薫子が応じた。

「聞こえるわ。懐かしいポーランド語が、祖国の言葉がどこからともなくきこえてくるわ」とマルタがどこか嬉しそうに言った。

「は? ポーランド語? 馬鹿な、これは間違いなく日本語ですわ」 マルタに冷ややかな視線を向けながら危懼子が言うと、マルタは怒った口調で返した。「ちょっと、いくらホームシックで精神がズタボロになっていても日本語とポーランド語の区別くらいはつくわよ!」


 命賭が言った。「私は日本語が聞こえるよぉ」 桜子が続いた。「私には双子言語が聴こえる」 薫子が言った。「私も桜子と同様」 危懼子がツッコミを入れた。「いや、その双子言語ってなんですの?」


「双子言語とは……」 桜子か薫子かが深遠なる双子言語の世界について説明しようとしたその時、突然、微かに聞こえていた声は、セリフの時だけなぜか音のボリュームが爆増する日本映画のように、声量が大きくなった。それは確かに次のように叫んでいた。


「はい、おしまい! もう全部おしまいでーす!」


(つづく)

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