第29話 【カナコ視点】あざとくて何がダメなの?

「大したタマよ。木掛さんっては」



 クワミさんは吐き捨てるように、目を妖しく光らせた。


 あの水族館で、わたしはエイジさんが木掛さんにフラれる一部終始を遠巻きに眺めていた。急に気絶した木掛さんをエイジさんが介抱して、意識を取り戻すなり、『さよなら』の一言。


 木掛さんはエイジさんに別れを告げると、伏し目がちに足早に去って行った。

 すれ違う時に、周りを見ていなかったのか、彼女とわたしは肩がぶつかった。


「す、すみません」

 木掛さんから先に謝ってきて、わたしも。

「だ、大丈夫だよ」と応えた。


 それが、わたしと木掛さんが初めて交わした会話だった。

 去り際の彼女の瞳は、どこか寂しそうに、とろんと溶けるような瞳をしていた。

 ひとり取り残されたエイジさんは放心状態となり、虚しく天を仰いでいた。

 残暑のぬるい風が恋の終わりを告げた。


 わたしは初めて見た。

 人が人にフラれる瞬間を。

 なんとなく気分がいいものじゃないなって思った。

 エイジさんが寂しそうにしている。

 本当は、彼が木掛さんにフラれてメシウマ状態なのにちっとも嬉しくない。


 一番いい結末なのに、なぜか心がもやもやする。自分の本音が口喧嘩して、それだけでは飽き足らず殴り合っている。でも、共通していることが一つある。

 それは、好きな人の悲しそうな顔は見たくない。

 それだけだった。


 あれから、エイジさんに声をかけづらく、わたしたちは別々に帰った。帰る途中、わたしとクワミさんも無言だった。電車に揺られて、代り映えのない窓の景色を眺めて、里山に帰って、テントに潜って。気が付くと、日は落ちて、辺りはすっかり暗くなった。


 色々あった一日が終わる。


「ちょっといいかしら」

 テントの中でぼんやりしていると、クワミさんから声をかけられた。

「あっ、はい。どうぞ入ってください」

 わたしが呼びかけに応じると、クワミさんが、ぬっとテントの中に入ってきた。

「黒糖水でも飲む? 美味しいわよ」

「ありがとうございます」

 クワミさんから差し出された黒糖水の甘味が不思議と体の隅々まで染み渡った。



「木掛さん。あの子、相当したたかな子ね。クソ手強い相手よ。カナコちゃんも心してかかったほうがいいわ」



 思わず、飲みかけの黒糖水を噴き出しそうになる。ゲホゲホしながら、「え! なんで、どうしてですか?」と畳み掛ける。


 クワミさんは記憶を呼び起こすように目を閉じた。「なかなか、あそこまでできる女はいないわ。結構、やるわね。カナコちゃんから聞いてる限りだと、ちょっと不思議系な女の子? ちょっと冴えないお子様ってイメージだったけど、今日の一連の言動を観察して分かったわ。彼女は……」


 わたしは再び黒糖水を喉に含んで、その答えをまつ。



「クソあざとい子。これね」



「あざとい? 木掛さんが?」


 わたしでもわかる、この『あざとい』ってイメージ。

 良い意味で使われない。

 計算高い、わざとやってる、そんな悪い女の子に使われる言葉。

 でも、木掛さんがそうかと言えば、どうもそんな感じがしない。わたしはその真意を前のめりになってクワミさんに尋ねた。


「なんとなく、木掛さんって悪女っていうの? あんまり悪いイメージがしないんですが……。どちらかといえば天然? そんな感じっていうか」


「ノンノンよ」と唇に指を寄せて左右に揺らす。「カナコちゃんに、そう見られてるってことは相当な策士よ。虫も殺さないような顔して、結構やるわね。木掛さん、恐るべし女よ。だてに殺虫剤を沢山売っている薬局本社の受付嬢やってないわ。何人も男を手玉に取って、口いっぱいにこんでるわ」


「えっと、くわえる……?」

「キープリストに加えるって意味よ。変な想像しちゃった? だめよ、うふふっ」


 クワミさんは「あー怖っ」と少しだけ肩をさすり身震いした。

 そ、そんなに?


「でも、どの辺から木掛さんが、そんな悪い女って思ったんですか? 正直、わたしにはさっぱり……」


「カナコちゃんは、エイジくんが好きよね?」


 ストレートな質問に、軽くむせて赤面してしまった。「どうなんですかね……?」と言ってみたら、


「いまさら戯言はいらないわ」と凄まれてシュンとなる。


「どうやったら、彼と結ばれると思う?」

「えっと……、お互いのことを理解して、仲良くなって、それから告白して、されて……」

「そう。告白ね」ぴしゃりと断言する。「告白しない限り、男女はお付き合いできないわよ。なし崩し的に体の関係になる、体の関係が先行して、いつしか愛へとかわるなんて、そんなもの一時で終わるわ。そうそう根本的な男女の関係なんて、いくら時代が変わっても変化しないものよ」


 これまた、クワミさんは、ものすごーく深いことを言ってるけど、わたしにはちんぷんかんぷんで。


「ストレートに相手に自分の気持ちをぶつける。これしかないわ。でも、相手の気持ちもわからないまま告白しても、うまくいくケースと、いかないケースがあるわよね? 例えば、カナコちゃんが今すぐエイジくんに『好きです、付き合ってください』なんて言っても、まだ難しいわよね」


 ずばり断言されると肩を落とすしかない。


「木掛さんはすごいわ。初めてのデートで、エイジくんにあんなに熱い愛の告白までさせるんだから」


 わたしはそれを聞いて「はっ」となった。

 もしかして――


「カナコちゃんも理解したかしら? 彼女、ぶっとんでるかと思ったけど、かなり巧妙ね。自分が傷つかないように、相手から熱い愛の告白までさせときながら、最後はその相手をふるんだから。もう、エイジくんの頭の中はぐちゃぐちゃよ。まるで、一か所の樹液に群がる昆虫たちのように、色々なものが混じり合ってるわ」


「すごい……」


 クワミさんが指摘する事はいちいち納得しちゃう。


「忘れられない存在にさせてるってことよ。つまり、エイジくんに恋の毒を感染させたわけね。女郎蜘蛛みたいな相手よ。なかなか手強いわ。なんか、一目見た時から、私たち種族とのシンパシーを感じたけど、こういうことね」


 木掛さんってヤバイ女じゃん!


 あんなに超天然で頭のおかしな性格なのに、そんな裏の裏まで罠を張り巡らせていたなんて!

 でも、クワミさんの言う通り、ほんとに彼女がここまで計算して動いていたのか、まだ納得し切れていない自分もいる。

 ああ、どっちなんだろう。

 それによって、相手を憎めるし、憎めないし、もどかしいったらありゃしない。


 そんな悶々と悶えるわたしの顔をみて、クワミさんは意味深に笑う。


「でも敵は墓穴を掘ったわ」


「墓穴?」


「そう、墓穴。だって結局のところ彼をふったんだから、これから堂々と彼に迫っても文句は言えないはずよ。策に溺れたわね」


 そう言うと、クワミさんはずいっと身を乗り出して、わたしの両頬を触った。その温もりに思わずどきっとしてしまう。

 ちろちろと舌なめずり。

 ごくりと唾を飲み込むわたし。


 クワミさんの瞳が目の前に迫り、こう訴えかけてくる。


 チャンスよ。エイジくんを誘いなさい。



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