第15話 天使のシリーズ化は阻止!
翌日も俺と木掛さんは喫茶店に来ていた。しかし、今度は念のため店を変えた。二回連続で、『最低ですね』と言われた喫茶店は縁起が悪いと判断して、少しだけ離れた三ツ星ホテル併設のカフェ『ル・トレビアーノ・エクセレント』へと足を運んだ。
木掛さんとお茶する流れは、①六時起床➡④お、おう(上司)を経てサンサン薬局に直行し、
⑤教えてくださいっ!(おれ)
⑥は、はい(木掛さん)
以上、終了。という一連の様式美となっている。
まるで死にゲーの如く、ボス(木掛さん)に殺されて(最低ですね)は振り出しに戻り、何度も立ち上がる、不死の主人公を繰り返した。
もう、『最低ですね』から『教えてくださいっ』を通じて、彼女を外へ連れ出すのは容易になりつつあった。敷居の高かった受付嬢を何回もお茶に誘うなんて、随分と成長したものだ。
……。
まあ、人様から『最低ですね』なんて言われるのは不本意の極みであり、人として成長していない証なのだが、怪我の功名というやつだろうか。
ここではアイスコーヒーを注文するのはやめた。アイスティーもだめだ。カフェインが含有されていない飲み物がいい。カナコから「あなたアホでしょ」と呆れられてるのだが、少しでもリスクを回避するに越したことはない。そうなると自ずと選択肢はフレッシュオレンジジュースがベストになる。
「気が付けば、営治さんとは三日連続ですね」
言われてみればその通り。正直、担当件数も多く、いくらなんでも連続は少々きついのだが、それは残業でカバーした。彼女にアプローチするために業務を疎かにするのは本末転倒。正直、残業続きで目の隈がひどく、目つきも相当悪くなっている。だが、彼女から言われた『最低ですね①、②』の真意をどうしても確かめる必要があった。
「営治さん、忙しくないんですか? 営業さんって担当件数も多いですよね。うちにばっかり来るなんてどうしたんですか? やっぱり商品バイヤーにお伝えしましょうか? 今後はメールで情報提供しますって」
「いやっ――」
その優しいご提案は、ここに来る目的も無くなってしまうので正直困っちゃう。それに、仕事をさぼっていると思われるのも嫌なので、事細かに普段の仕事内容をお伝えした。
俺みたいな弱小メーカーの営業マンは担当企業も多いので、量販店傘下の店舗に訪問して販促を行うことはあまりなく、商談がメインだ。そのため企画書の作成、代理店との折衝が中心となり、案外外回りより事務作業が多い。モバイルを駆使して、移動中に売上データを把握、企画書の叩き台を打ち込む、メールの返信に充てる、などなどやり方はいくらでもある。
「――そんな感じなんで大丈夫ですから」
木掛さんは目を丸くして、へー営業さんって大変なんですねと、フレッシュオレンジジュースを一飲み。ストローで吸い込むと彼女のチャームポイントであるえくぼが表れた。
……守りたいその笑顔。
「私の顔になんかついてますか? なんか、じっと……」
「ああ、いえ、オレンジジュース美味しそうなだなって、ぼくも同じのにすればよかったなんて、ははは」
「でしたら飲みますか?」
「え?」
彼女が口をつけたストロー。
唾液にまみれた輝くぬめりが「いっぱい飲んで」と妖しく誘惑してくる。
ごくりと唾を飲み込み、いただきますとストローに手を伸ばすが、
「じゃあ、私、買ってきますね」
「あ、はい」
たたたとカウンターに小走りする木掛さん。
やばかった。彼氏でもないのに、素敵な勘違いをして舐め回すところだった。
カウンターに並ぶ小さな彼女に見惚れてしまう。そりゃあ受付嬢になるぐらいだから、可愛いって会社からも認められていることなんだが、こんな子と付き合えたらきっと楽しいだろうな。
妄想の限界に挑戦して、木掛さんと付き合った未来を思い描く――
――幸福。
以上、終了って感じだ。
木掛さんは時に優しく、時に激しく俺に接してくる…………と、思う。
わずか一分程の無駄な妄想に糖分を浪費させると、ふと思いつく。なぜ今までソレをしなかったんだろう。相手と距離を近づける初歩中の初歩。俺のオレンジジュースを手に持ち、にこりと微笑む天使に問い掛ける、それは――
「もしよかったらラインでも交換してくれませんか?」
連絡手段の交換。
これさえあれば、①六時起床➡⑥は、はい(木掛さん)を省略できるばかりか、最短距離で二人の関係を縮めることができる。
どうなんだ、「OK」なのか「もちろん」なのか。
今までの流れから、それほど違和感はないし、彼女から嫌われてもないはずだ。一抹の不安を抱えながら、ちらりと木掛さんを見つめた。その表情は黙して語らず。正直、何を考えているのか窺い知れない。
木掛さんはストローを指で摘まみつつ、フレッシュオレンジジュースを一気に飲み切る。そして、ぷるんとした唇からこぼれ落ちた、いつもの台詞。
「さい……」
だめです!
その先は言わせませんっ!
きっと、この後は『最低ですね』って冷たく言われて、すくっと、ちらりと、ぷいっと、すたすたと――って一連のコンポを決めて、俺の元を冷たく去っていくんだろうが、今日はそれをさせません!
『木掛優さんの最低ですね』シリーズは第②巻まで刊行され、何一つ伏線が回収されることなく続いているから、もういりません。てゆうか、廃刊絶版にしたいぐらい。
「あのっ! ぼくの話を聞いてくださいっ!」
「は、はい」
虚を突かれた木掛さん。焦った様子で、もう飲み切ったオレンジジュースをずずずと吸い込むが、溶けた氷で形成されたオレンジ水を無理して飲もうとするので、一気にむせて咳き込んだ。その拍子に、木掛さんの口から飛び出したオレンジの果肉が一粒、放物線を描き、あろうことか俺の口のなかに突入。
そして、そのままごくん。
その瞬間、頭のなかで、コーンとししおどしが鳴り響きこんな俳句が舞い降りた。
――古池や、果肉飛び込む、ビタミンC――(作
「げほっ、ごほっ、営治さん、すみ、うえっ、ませんっ!」
「いえいえ、ぼくは大丈夫ですから、木掛さんこそ」
慌てて身を乗り出すが、木掛さんは右手をかざして、こちらを制止。暫し、ごほごほ咳き込むが落ち着きを取り戻して、深く息を吸い込んだ。
「大丈夫……ですか?」
再び確認。
「や、すみません。ほんとに大丈夫ですから。この前もこんな感じでしたね。エイジさんのシャツをオレンジの果肉で汚しちゃって。クリーニング代払いますからっ」
「い、いえ、今回はシャツではなく口でした」
「ええええ――!!」
飲みましたけど。
「もしかして、この前のティラミスのかすもお口に……」
「いえ、かすはシャツです」
「よかった、かすはシャツで……って、全然よくないですよね、すみませんっ! あの、これ、クリーニング代、いえ、胃薬代です!」
「いえいえ、そんな大げさな」
「ですがっ。ティラミスのかすだけじゃなく、オレンジの果肉までっ」
何度かお札が往復したのち、ようやく説得に応じてお札をしまってくれた。
彼女はぺこぺこと頭を下げて、その度に垂れる前髪を耳にかける。
「いつも変な姿ばかり見せちゃって恥ずかしいですね」
いえいえ。その姿、可愛いです。
見せられて。
魅せられて。
木掛さんはダンゴムシのように背を丸くさせて、小さな声を絞り出した。
「それで……私になにか言おうとしてませんでしたか?」
「あのですね。木掛さんってもしかして……」
多分これしかないよな。今まで見てきた数々の言動とその仕草から導き出したその答え。
それは――。
「すごい心配性なんですか?」
とうとう俺は言ってしまった。
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