猫人間
ひなたひより
第1話 お前は誰だ
朝起きてすぐ、ゴミを出しに急いで階段を駆け下りる。
そろそろ寒くなってきた十一月、安アパートの階段で部屋着のままゴミ袋を抱えている姿を、あまり他の住人には見られたくはなかった。
特に二つ隣に住んでるちょっと可愛い娘。
今年の四月から越して来た娘で、挨拶程度の付き合いだが、まあまあ気になっている。
なんでこんな築五十年のボロアパートに住もうと思ったのか理解しがたいが、絶対に今のいでたちで会いたくなかった。
「にゃーお」
何だまた野良猫か。
格子の柵が設けられているゴミ捨て場だったが、猫もカラスもイケイケだった。
先に山に積まれていたゴミ袋の一番高いところに、鋭い眼光のトラ猫がいてこちらを睨んでいる。
目つきの悪いやつだ。
眼を逸らせたら負けだからなと野良猫としばし睨み合う。
先に目を逸らしたのはトラ猫の方だった。
勝った。
そしてトラ猫がサッと飛んで逃げていったゴミ袋の上に、自分の持ち込んだ袋を乗せる。
これで良し。
また走って引き返そうとしたその時だった。
ドサドサドサ。
背後でゴミ袋が崩れ落ちる音。
積み過ぎた。
振り返って見るとおかしなものと目が合った。
は?
崩れ落ちたゴミ袋の奥から姿を現したのは……。
「お前誰だ!」
でかい猫の頭が載った男だった。
なかなか見事なキジトラの模様をしている。
「変態か!」
でかい猫の頭の下にはグレーのスゥエット。体つきからしてどう見ても男だが、何を考えてこんな所でこんな格好をしているのだろうと、あまりに奇妙な遭遇過ぎて頭が回らない。
分かった!
このおかしな被り物の男の目的はただ一つ。
痴漢行為だけだろ!
頭の中に、二つ隣のちょっと可愛いあの子が浮かんできた。
「ふてえ奴だ!」
頭の中で、あのちょっと可愛い子を目の前の奴に襲わせてから、猫男に掴みかかった。
意外とあっさり猫頭の男を取り押さえて羽交い絞めにした後、被り物を剥がしにかかった。
「いたたたた」
猫男の口から悲鳴が上がった。
なんだ?取れないけど?
もう一度思い切り引っ張る。
「痛たた、こら止めないか!」
引っ張った掌にキジトラの毛がごっそり抜けていた。
「やめろ馬鹿、禿げるだろ!」
猫男は執拗に引っ張ろうとする俺の手を振り払った。
「やめろ。俺はなんもしてないだろ」
「これからするんだろ!」
本気でもみ合ったので、二人とも肩で息をしていた。
「あの子は俺が守る」
妄想を盛り込んだ使命感をたぎらせて再び対峙する。
「ちょっと待て、あの子ってなんだ?」
「自分の胸に聞いてみろ!」
「誰を守るって?彼女とかか?」
「いや、そういうわけじゃないんだけど」
言ってから、赤面してしまった。
「好きなんだな」
「いや、好きっていうか、ちょっと気になってて……」
「そのぶんじゃ、まだ声もかけれてないって感じかな?」
「そんな、声をかけるなんて……たまたま二つ隣の部屋に住んでるだけだし挨拶ぐらいしかできないよ」
「そうか、純情なんだな」
「いや、まあ奥手な方かな。でもいつかはって思ってるんだ」
いつの間にか、どう見ても変質者に違いない男に色々打ち明けていた。
「て、言うかおい!」
おかしな雰囲気になっていたのに気が付いて、仕切り直そうとした時、猫男が俺の背後を指さした。
振り返ると何時からいたのか、あの二つ隣のちょっと可愛い子がゴミ袋を持って立っていた。
何だか少し恥ずかしそうに頬を染めている。
「お、おはようございます」
何と言っていいのか分からず普通に挨拶をした。しかし、そこそこ話を聞かれていたような気がする。
最悪の告白だった。
「おはようございます……」
猫の頭をした男と猛烈に恥ずかしい告白をした男、それに間が悪くゴミを出しに来たちょっと可愛い子。
早朝のゴミ捨て場で起こった小さな事件は、さてこの後どうなるのだろうか……。
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