優しい邸宅

登坂けだま

―漆黒―

 ゆっくりと、そして深く沈んでいく意識。しかしなぜだか私は自らの意識が消えていく感覚を自認していた。その自意識は一体どこに存在しているのだろうか。まるでその闇は、海へ深く潜っていく毎に、徐々に海水に遮られて消えていく光のようだった。

 悠久の時間をその闇の海域の中で過ごしていた気がしていた所で、ふと床の冷たい温度を感じて目を醒ました。

 部屋だ。何の変哲もないリビングルームに見えた。しかしそれは暗闇に目が慣れ過ぎていたからそう思っただけであって、本当は異質な点がいくつもあった。

「ここは……」

 声を出した瞬間にまず思ったのは、自分の名前が分からないということだった。しかしそんな異常事態でありながらも自分は平静を保っていられた。どうしてだか、私はここにいるべき人間だと感じたのである。

 その理由こそ分からないが、自分の素性について少しだけ頭で理解できていることがあった。それは、自分が六歳ほどの少女であるということ。きっと成長すれば絶世の美女となるだろうと夢想できる端整な顔立ち。目や鼻がハッキリとしていて、どちらかと言えばアジア系の顔ではない。服はシンプルな白いワンピースを着ているようだった。

 自らの容姿について考えていたが、その部屋の異質な点に気づき始めてからハッとする。

 特筆すべき点のないごく一般的な家庭のリビングルーム。少なくとも構造や家具の位置だけを見ればそう思える。しかしこの部屋は、驚くほどに暗いのだ。カラフルな灯りが点いているのに、しかし暗いのだった。

 造形は分かる。この部屋は全ての壁や床が光を吸収し易い素材で出来ているのだ。だから、電気が点いていても明るく感じないのだろう。

 ここで燻っていても仕方がないと感じて部屋から出る扉へ向かう。扉も全て黒塗りされているようで気持ちが悪かったが、不思議と不安や孤独を感じることはなかった。

 廊下がある。しかしながらそこは、リビングと同じ黒の素材で出来た通路だった。しかもそれが、見渡す限り続いているのだ。

 特段の疑問を持たずに前へ進むことにした。自分が今ここにいる理由などどうでも良かった。自分はここにいるべきで、同時にここから出るべきなのだという直感を持っていた。

 気づけば、その廊下を十分ほどは歩いていただろうか。もう元いた部屋がどこだったかさえも覚えていない。

 扉はそこかしこにあるが窓があまりない。と言うよりも、これを窓と呼んで良いのかは些か疑問である。この漆黒の空間と比較してもより深い闇が広がっている様子を見る限り、外という概念が存在しない世界なのかも知れない。窓そのものの材質も、ほとんど光を反射しているようには見えない。一先ず常識を捨て、脱出の手掛かりを探ろう。

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