第2話 何度も行われる卒業式

十四時からの二回目の卒業式に参加する、大倉さつきは、小学五年時から不登校の生徒だった。中学校にも数えるほどしか登校できなかった。一年時から担任が家庭訪問を行っても、本人に会えることはほとんどなく、顔を知らない職員も多い。

環境を変えたいという理由で彼女は、本来進学しなければならない自宅エリア内にある中学校ではなく、区域外の神楽中学校に通うことになった生徒だった。彼女のことを知らない生徒ばかりの環境でも、彼女はなかなか新たな一歩を踏み出そうとはしなかった。スクールカウンセラーが、市内にある不登校生徒対象の、“適応指導教室ひまわり”への登校も一年時の三学期に勧めてみたものの、通うことはできなかった。

一年次は保護者も、我が子を何とかしなければならない、という思いがあったのか、本人が登校していなくても、給食費などの学校集金や教材費などの学年集金を滞ることなく支払ってくれていた。しかしながら二年に進級した頃から、口座引き落ちがかからなくなっていた。そして五月には、

「うちの子は給食を一口も食べていないから、給食を止めてほしい。」

と父親から連絡があった。そして夏休み中に担任が家庭訪問した際、五教科のサマーワークと一緒に、技術科で使われた、キューブ型ラジオ作製キットを父親に渡したら、

「こんなワークやら教材、頼んだ覚えはない。」

と突き返されたという。

神楽中学校にお子さんの学籍がある以上、学習教材の注文の際、頭数に含まれてしまうため、お渡ししなければならない、と担任が説明しても

「いらん。持って帰ってくれ。」

の一点張りだったという。

「父親も心の糸が切れたんやろうねぇ。どんだけ声掛けしようが、腕を引っ張ろうが、子どもの不登校は治らないんだし。最近は家庭訪問に行っても母親の姿すら見なくなったよ。子どもだけじゃなく母親までおかしくなっちゃ、父親もやってらんないって。」

暑い中わざわざ思い教材を持っていって、突き返された、さつきの担任の渡辺は、麦茶を一気飲みしてから、さつきに上げるはずだった教材を、教材保管庫になっている、資料室に戻しに行った。

学校を変わったからといって不登校が治るかなんて全く保証はない。環境が変わり、気持ちが前向きになって良い風にすすむことも考えられるが、なじめない環境でもっと苦労する場合もある。

小学校からの申し送り事項には、さつきの不登校理由を、“容姿と母親が原因のからかいによるもの”と記されていた。

さつきの母親はフィリピン人だった。そして満足に日本語を話すことができなかった。連絡を取るのは必ず父親の携帯になっていた。

「文化の違いもあるだろうけど、あの家は、毎日お風呂に入る習慣がないんだって。で、小学生の時から臭いだの、宇宙人だのからかわれてさ、学校に行かなくなったんだって。」

二年時の担任だった渡辺から、大倉さつきを引き継いだ時、私は正直、気持ちが萎えた。

クラス編成の際、担任の負担を平等にするために、学力だけでなく、問題のある生徒も一つのクラスに固まらないように、バラバラに振り分ける。“M2”がつく、非行傾向のある生徒を受け持つのも嫌なもんだったが、この大倉さつきもできれば避けたい生徒だった。二年時からもう、集金は滞納していたし、こうしたら学校に来るという手立ては、皆無だったからだ。

親が原因で不登校児童になった場合、学校の働きかけだけではどうにもならない。家庭環境が変わらない限り、突破口は見えてこない。

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