ワンコイン

ラビットリップ

第1話 職員室内の陰湿さ

3月も半ばだというのに、最後の悪あがきのつもりなのか、外はまだ雪が無表情で降り続いていた。卒業式を終え、生徒たちは生徒玄関の前で友達や教師を捕まえて、写真撮影に夢中になっていた。

「先生、一緒に撮ろう!」

教科すら受け持ったことのない生徒から、また声をかけられた。これで六人目だ。

「あたし、あなたと勉強したことないのよ、いいの?」

「いいの、いいの。早く撮ろう!」

関係性の薄い生徒に腕を引っ張られ、正門の前に立つ。生徒の友人がスマートフォンを構えていた。

「いえーい!」

誰でもいいから写真を撮りたいという感情に、拍車をかけたのは携帯カメラやデジカメの登場が大きいと思う。昔はせいぜい、担任か部活の顧問か、友人同士での写真撮影しか見かけなかった。もちろん、フィルムという枚数の限られたものだったことも影響しているだろう。親が卒業式に、枚数制限があるようでない、デジカメやスマートフォンを持ち込むようになってからは、会話すらしたことすらない生徒からも、“写真を撮ろう”と声をかけられるようになった。

「いえーい。」

私も頭をからっぽにして、笑顔を作る。どうせ、後で写真をチェックしていたら、すぐ削除されるような一枚だ。3日と保存されることはないだろう。

 午後1時近くになって、ようやく校門前から卒業生が掃け、職員室に戻ることができた。雪の中、歓送から含めて最後のお別れを、1時間近くしていたもんだから、体内のありとあらゆる機能が杜絶してしまっている。

「森川先生、14時すぎから2回目の卒業式を執り行うので、早くお弁当を食べておいて下さいね。そのほかの3年所属の先生方も早めに食事を済ませておいて下さい。」

教頭からそう声はかけられたものの、このままじゃ箸も満足に持てそうにない。私はしばらく石油ストーブの場所で大人しくしていることにした。

 今の時代、卒業式は一回とは限らない。最後の儀式にすら参加できない不登校傾向の生徒のために、他の生徒が掃けた午後から2回目が催されることがある。その不登校の集団の中にも入ることができなかった生徒のために、3回目を催した中学校も過去にあった。ここまでしても学校に来ることができない生徒は、最終的に親が卒業証書を取りに来る。

 2回目の卒業式の参列者の中に私の生徒が含まれているもんだから、朝6時から向かった美容室でも、着くずれやヘアの乱れがないようにと、袴の着付けもヘアセットも、ややきつめにしてもらっていた。だから正直、腹回りがしんどいから、お弁当はパスしようかと考えていた。

「森川先生、遅くなってすみません。学年集金の最終請求書ができたので、お願いします。」

副担任の河田が、ストーブまで持ってきた。

「あぁ、いつもありがとうございます。」

 まだひんやりしている手で、私は請求書を受け取った。

「河田さん、いつも遅いって。卒業式当日に未納の取立てってありえないでしょ。親がお金を持ってきていなかったらどうするつもりなん?」

河田の背後から学年主任・鎌田の容赦ない無神経な声が飛ぶ。この人はいつも、どんな会話にも平気で割り込んでくる。

「申し訳ありません。」

河田はいつものように、視線を急降下させ、囁くように謝罪を向けた。

「鎌田先生、集金を未納状態にしている、うちの大倉さつきの親が悪いわけだから、河田先生を責めるのはお門違いです。」

「河田さんは担任も持ってないし、部活だって文化部担当なんだし、時間は腐るほどあったでしょ。処理能力が低いのよ。このままじゃ来年度も担任になれないよ。」

学年主任・鎌田の口には蝮の毒がある。この毒女に襲撃され、今まで何人の職員や講師が、体を壊し辞めていったか。

鎌田と少しでも関わった職員たちで形成されている、「被害者の会」の存在を管理職は知らないわけがない。それでも鎌田が人事異動でなかなか遠くに飛ばされないのは、親が元校長であるから、裏の力が働いているんだよ、という噂を耳にしたことがある。

裏の力がどれほど影響力があるか知らないけれど、異動先において引き取りたくないという上層部の意思も働いているのではないか、と私は真剣に思っている。


 教職員の世界は、本当に狭い。


人事異動の季節になると、次に赴任してくる教員の情報が、本人が次年度打合せのため来校する前に、たいていのものは職員室に届いている。

「今度来る理科の先生は、過去に部活で生徒を殴って軽傷を負わせてさ、戒告処分を言い渡されたんや。」

「ほらほら、この人、6年前に同じ中学校にいたんだけど、授業を崩壊させてね、同じ学年所属やったから、ちゃわちゃわになった生徒たちをまとめるのが大変やった。1つの科目が崩壊すると、もろ他科目も被害を受けるからね。一緒にはなりたくないわぁ。」

 良い評判はほとんど紛れていない。限りなく百%に近い割合でマイナスの噂ばかりだ。それを嬉々として、更年期障害と戦っている女性教員が、気の弱そうな若手を捕まえて、少し毒を盛りながら吹聴していく。春分の日を過ぎたころから給湯室で見られる景象だ。

 学納金を任されている河田も、悪い噂とともに、2年前赴任してきた。学級崩壊を起こし、責任を取るような形で前任校を追い出されたと聞いたが、本当のことはよく分からない。河田本人も話そうとしないし、何よりも噂を吹聴していたのが鎌田だったから、信憑性に乏しい噂だと感じている。

 2年前から鎌田と私で、次年度が始まる3月下旬から行われる、組織委員会に出席してきた。ここでは、どの人材をどの学年に回すかということが管理職と学年代表職員を交えて、話し合われる。比較的生徒が落ち着いているからという理由で、河田が自分たちと同じ所属学年に回されることが決定した時も、鎌田は最後まで悪態をついていた。

「なんで引き取らなきゃいけないの。今年は初任の先生も、うちらの学年に回されるわけだから、教科指導からいろいろ面倒を見なきゃならないわけですよ。河田さんまで面倒見きれんわ。」

そう平然と言い放つ鎌田を、面倒くさくなった管理職は、

「どのクラスを誰が担任にするかに関しては、あなたが中心となって決めてもらって構わないから。」

と突き放した。それから二年間、鎌田中心に学年が回ることになり、河田は一度も担任になることはなかった。

「副担任は担任と違って、精神的な苦労も少ないポジションなんだから、校務分掌や学年の仕事は進んでやってもらわないとね。」

 そう言って河田に赴任早々、学年便りの作成や学納金の担当を押し付けた。河田は文句ひとつこぼさず引き受け、授業と並行しながら、淡々と雑務をこなしていた。そんな河田の姿を面白くないと思ったのか、鎌田はいちいち学年便りを発行する際に、どうでもいい箇所に赤ペンを入れ、必ず河田につき返す嫌がらせをしてきた。そして、

「学級担任は、保護者との関係が悪化したら、進路指導とかやりにくくなるから、督促電話とかは河田先生が一人でやりなさいよ。」

と学年会で言い放ち、河田の孤立化をなお促した。

「河田先生、きつかったら言わなきゃだめですよ。副担任は確かに保護者からのクレームなど受けにくいから、精神的な負担が少なくて楽、なんてことを抜かす人もいるけど、担任の人よりも授業の持ちコマ数が多くて、体力的には大変なんですから。」

2年前の夏休み前、私は隣の席だった河田にそっと言ったことがあった。でも河田は微笑みを返すだけで、何も言わなかった。そして鎌田に押し付けられた、夏休みのスケジュール表作成を淡々と行っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る