第11.5話 第二章・正義と綴られた我儘
その黄緑色の髪が、葉っぱのような、木々のような色をしていると友達からは言われた。
「まーた昼寝してる」
頭上から、女の子の声。いつも通りの弾むような声音。視線の先にあったマリーゴールドが、黄色い花弁を揺らしている。その奥に、涼やかなスカートに身を包む彼女の姿が、薄く開いた瞼の隙間から滲んで浮かび上がる。
「ハルちゃん」
少女は友達の名を、二つ年上の女の子であるハルの名を呼んで身を起こす。背中をくすぐる雑草の感触が、衣服の布地から剥がれ落ちる。一面に広がる原っぱの中に佇む一本の巨木の下、眼下に広がる木陰の静けさに身を委ねて、少女は昼寝をしていた。
辺りから絶えず鳴り響く、草木のざわめきが少しずつ大きくなっていくような、さっきまで見ていた景色が夢であったことを物語るように膨れ上がる壮大な自然の威容が、視界の中に幾度も瞬いては、自分がそこに、その世界の中で生きていることを再認識させる。
「なんで私、生きてるんだろ...」
「え?」
気付いたら、そんな言葉を漏らしていた。
「どうしたの?大丈夫?」
ハルは、心配そうに少女の顔を覗き込んで、その両手で少女の頬を包み込んだ。
「私...食べる夢を見たの」
少女は、ハルの表情を視界の真ん中に収めながらも、未だ呆然とした凍り付いたような眼差しをただ真っ直ぐ向けながら声を発した。
「食べる...?」
「みんな、泣いてた。痛そうにしてた。苦しそうだった。どうして世界って、こんななんだろうって、なんでこんな辛い現実がこの世界にはあるんだろうって、そんなことばかり思った」
ハルは、そんな少女の言葉の羅列に眉を顰めるでもなく、笑うでもなく、ただ耳を傾けていた。
「お父さんもお母さんもみんな...あなたも、ハルちゃんもだった。そして最後に食べたのは、私自身だった。ずっと怖かった。痛いことなんてよりも遥かに、私の身体が私の言うことを聞いてくれなかったことが本当にずっと、怖かった。怖くて仕方がなかったの。なんでなんだろう...私はただ...」
「そう」
やがて、ハルは口を開いて。
「怖かったね。でも大丈夫。たぶん、だけどね。幸せになることを諦めなければ、きっとそんなことにはならないよ。あなたが誰かのことを大切に想っていれば、そのうち自然と誰かがあなたを守ってくれる。誰かがあなたのことを大切に想ってくれているはずだから。きっとその人が、どれだけあなたが残酷な現実に苦しめられても、あなたを助けてくれる」
―—ハルの掌が暖かいこと。そのとき、少女はそのときようやく気付いた。
「ハル...」
至極当たり前のことで、かけがえのないもの。
「だからさ」
少女の、ハルを呼ぶ声を遮って。
「一緒に村に戻ろう」
――それが少女にとって最後の、ハルとの思い出になることも知らずに。
「うん」
差し出されたハルの手を取って、少女は太陽の放つ光の色に染まった原っぱの上を、友人の隣で並び歩いた。
故郷の村の、いつも通りの風景。活気に満ちた、意気揚々とした村の住民らの喋り声。普段と全く同じはずの、見慣れた馴染み深いはずの日常。
―—少女の目には、それは今にも崩れそうなほど脆く見えて。
「あら。おはよう、ハルちゃん」
リリスおばさんだ。家の傍にあるニンジン畑は村の中でも一二を争う大きさで、毎年美味しそうなニンジンが育っている。日々、土の湿り気などの畑の様子を確かめに外に出ることが多く、丹精を込めて農作業を行うその姿が印象的な人物だった。人柄が良く、ハルと親しい。
「おはよっ。野菜、ちゃんと育ってる?」
「ええ。自慢のニンジンも美味しく育ってるわ。明日か明後日にでも収穫を始めるから、無事終わったらうちにいらっしゃい。得意のニンジン料理をご馳走してあげるから。そこのお友達も一緒にね」
「やったあー!」
ハルは、みんなに好かれている。ハルは、みんなが自分にどう振舞って欲しいのかが分かっている。人形みたいに、常に幸せそうな笑顔を浮かべていて。
「ねえ。それじゃ今度一緒に行こうよ」
「うん」
―—そんなハルが、羨ましい。
「あなたのお父さんって、この村の領主なんでしょ?」
「そうだけど」
見慣れた景色の中を、道の上を歩いて突き進む。少女の家は南西の方角にあるのに対し、ハルの居住地はここから東。そろそろ、道の分岐点に辿り着く。別れの時間だ。
「領主って、どういうお仕事してるの?普段からみんな話題にしてるけどさ、この村で育ったあたしすらもなんていうか、いまいち何やってるか分かんないんだよね」
ハルと比べて数センチ背の低い、隣を歩く少女に目線を合わせながらハルはそうやって、はにかんで尋ねる。
「ハルちゃんが想像しているよりも、たぶんもっと地味なものだと思うよ」
「というと?」
興味深そうな眼差しを向けながら、ハルは聞き返してくる。少女は口の中に残る唾を喉の奥に落とし込んでから少し考えて、言葉を切り出した。
「領主って、確かに村の住民たちに対して権限を行使する、みたいな場面は無くは無いけど、実際はそこまで偉い人ってわけでもないじゃん。小麦粉からパンを作るのに使う石臼を動かすための水車小屋の管理責任とか、確かにお父さんは色々と管理できるし色々なことを決められる。でも、それだけ大変だし、人からの目線もたぶんつらい」
足元を一心不乱に見つめながら、あやふやな滑舌で言葉を紡ぎながら。
「私、お父さんと似て気が弱い人間だから、気持ちは凄く分かるんだ。人と違う何か、人を動かす権利とか人に影響を与えられる素質を持っている人って、自分の知らないところからある日突然、急に悪意をぶつけられることがあるって。話したこともない赤の他人が、努力していない癖に偉そうだって、そう決めつけて」
少女とハルの歩く横を、数人の子供たちが追いかけっこをしながら通り過ぎる。数年前は自分もそうだったと思うと、どこか感慨深く思えるような気がした。
「お父さん、真面目で根の優しい人だから。泣き虫な私のことを良く、励ましてくれるの。だから、偶には恩返ししたいなっていつも思ってるんだけど、でもけっきょく、私はお父さんの手を焼いてばかりで、碌な手伝いもできない。お母さんの料理とか洗濯とかの家事を一緒にやったりはするんだけどね」
そこまで言って、少女は地面を向いていた視線を自分の隣へと弾かれるように勢いよく向けて、精一杯の笑みを浮かべながら。
「あっ、ごめん。変に無駄話しちゃったよね」
ぎこちなかっただろうか。滑稽な作り笑いだと思われただろうか。
「いや、全然いいよー!でもたぶんそれ、私も一緒だと思う!」
しかし存外、彼女はその様子を気にしてはいないようだった。何変わらず満面の笑みを浮かべて、ハルは少女の言葉にうんうんと頷いて。
「私も、そうやって人を大切にできるあなたが羨ましい」
ハルは唐突に告げて、少女に背を向けて。
「じゃあね、フィア」
やけに静かに、ハルは少女の名を呼んで別れを告げた。
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