遼遠小説感想戦

あきかん

正義と蛮行

 遼遠小説大賞がだいぶ尾を引きずっている。というのも、文学について調べているうちに文学というものがわからなくなってきたからだ。

 カニバリズムについて書いたが、主催者であるところの辰井圭斗氏の自作に対する講評で「健康的」と評され、あまつさえ本当はカニバリズムを好きではないんじゃないか、と指摘された。

 まさにそれは真実であって、私は別段人が人を食べる行為に特別な感情は抱いておらず、何なら豚肉と同じ程度の物であると認識している。そこに性的な興奮は見出していないので、一般的に言うところの性癖とは合致しないだろう。

 しかしながら、何故それを性癖として、文学的関心事項として取り扱ったのかと言えば、肉食の道徳的な肯定を行う前段階としてカニバリズムの肯定が必要であり、その思考実験の産物の一つとして自作の『叉鬼』は生み出された。

 私は《さも当然の事として行われる目も当てられぬ蛮行》に対して、何とも言えぬ興奮を抱く。

 道徳心を刺激される事象に惹かれるのだ。墮胎でも良い。殺人でも良い。テロでも、レイプでも、人身売買でも、奴隷でも。

 その行為が正義であると示される。その可能性。それが行われていたという歴史に、それが現在も行われているという事実に、私は刺激されている。

 そして、最も身近に感じる蛮行は肉食である。知的生命、若しくは道徳的地位を持った生物を食べるという行為は、現段階でさほど問題ではない。肉食の本質的な問題点は畜産であり、それは奴隷制度である。

 狭く息苦しい環境で無理矢理生かされ続け、強制的妊娠出産される動物達を正しいと受け入れる道徳律を私は寡聞にして知らない。

 これを克服出来る道徳規範を見つけるのが私の文学的な挑戦と言えるのかもしれない、と遼遠小説大賞に挑んで以来引きずっている。

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