第58話 賢者になれない

 プーロの娼館『黒鳥』からギルドには寄らずに雉鳩亭へと戻った。

 風呂に入り、夕食を済ませ、ペタンとミルネにお話タイムを披露して部屋に戻ったら、どっと疲れが圧し掛かってきた。


 朝一番に『黒鳥』に出向いて、ナンバーワンのファニタと三回戦を戦い、娼館の掃除を終わらせ、プーロの連中も掃除してきたのだから疲れていても当然だ。

 余計な事までやってるから疲れるのだと思われるかもしれないが、俺の行動に無駄など無い。


「いいや、こいつを持って来たのは余計だったかな?」


 持ち前の貧乏性から、ただ消してしまうのも勿体ないと思って、金庫に入っていた革袋を持ち出して来たのだが、想定以上の金額が詰まっていた。

 革袋の中身は全部金貨で、ちょっと贅沢しても十年ぐらいは遊んで暮らせるぐらいの金額だ。


「ギルドに持ち込んだら足が付くよなぁ……いいや、いっそ持ち込んだ方がいいのか?」


 ギルドには明日の午前中に顔を出すつもりだが、おそらくギルドマスターから呼び出しを食らうことになるはずだ。

 プーロの大幹部が揃って姿を消せば、証拠は無くとも何があったかなんて明白だ。


 その状況で、持ち出してきた金をギルドマスターに渡して、俺の口座に積んでおいてくれと頼んだら、ギルドの俺に対するスタンスが分かるかもしれない。

 出所も聞かずに全額を俺の口座に積むならば、今後の付き合いも考えるが、根掘り葉掘り出所を追及した挙句、何割かよこせとか、全額没収なんてぬかすなら縁を切るべきだろう。


「うん、そうだな。この金はギルドを試すために使うとしよう」


 革袋は全部で八つ、そのうちの二つを部屋の箪笥に入れ、残りの六つは鞄に戻してから箪笥に仕舞った。

 靴を脱いでベッドに横たわり、目を閉じると今日の一件が頭に浮かんできた。


 平然を装ってはいるものの、今日だけで八人の命を奪ったのだ。

 声すら上げられず激痛にのたうち回っていた連中は、目で俺に訴えてきた。


 助けてくれと命乞いをし、自分の体が消えていく恐怖に怯え、そんな状況に追いやった俺を憎み、助からない運命に絶望し、中には明らかに正気を失っている者もいた。

 そもそも、あいつらは俺を始末するために待ち構えていた。


 例え協力すると言ったとしても、純血主義の裏組織では先行きどうなるかなど明らかだ。

 消されそうになったから、相手を消しただけだが、果たして俺にそこまでの権利があるのだろうか。


 誰かを消した時には、いつも突き当たる疑問だ。

 前回、プーロのチンピラ三人を消した時には、相手がリュシーを拉致ってレリシアを凌辱した連中だったし、こちらもボコられたから罪悪感は薄かった。


 だが、今日消したチンピラ四人はレリシアの一件には関わっていなかったと思うし、俺をボコった訳でもない。

 まぁ、あんな組織に属しているんだから、ロクな連中ではない……と思いたいが、実際には奴らについて何も知らない。


 既に消してしまったから元には戻せないのだが、後悔に近い思いが胸に渦巻いている。

 ダービッドは、憲兵隊が俺を捕らえることはないと言っていたが、書面に残してある訳でもないし、聞いていたのはギルドマスターを加えた三人だけだ。


 何の証拠も残してはいないが、罪に問われれば死罪になるのに十分な罪状だ。

 好き好んで憲兵隊と敵対するつもりは無いが、もし俺を逮捕するというなら、一戦交えて逃亡を図るしかないだろう。


「あー……駄目だな、どうもネガティブに思考が引っ張られちまう」


 まだ時間は早いが、このまま眠ってしまおうかと思っていたら、部屋のドアがノックされた。

 宿の女将のマリエさんかと思ってドアを開けると、廊下に立っていたのはリュシーだった。


「マサさん、無事だったんですね!」


 リュシーは俺の胸に顔を埋めるようにしがみ付き、肩を震わせ始めた。

 廊下にはニマニマと笑みを浮かべたマリエさんが立っていて、声を出さずに『ごゆっくり』と呟きながらドアを閉めて去っていった。


「カウンターを閉める時間になってもマサさんが来ないから……プーロの連中に捕まって酷い目に遭ってるのかと思って……」

「あー……ごめん、掃除をした挙句に嫌味を言われて、気分が悪かったからギルドに寄らずに戻って来たんだ」

「じゃあ、何もなかったんですね?」

「あー……」


 ナンバーワンのファニタと色々あったし、幹部連中を掃除してきたのだが、それは言えない。


「まぁ、あんな事があったばかりだし、嫌味も言われて、俺も文句は言ってきたけど……見ての通り何ともないよ」

「良かった……」


 瞳をウルウルさせて、緊張から解放されたように微笑むリュシーは破壊力抜群だ。

 リュシーが目を閉じて、すっと顎を上げる。


 包み込むように抱き締めながら、唇を重ねる。

 一度唇を離して見つめ合い、更に濃厚な口付けを交わす。


 今日、実習したばかりのキスの仕方だけれど、それはリュシーには内緒だ。

 部屋のドアに鍵を掛け、明かりを落としてリュシーをベッドに導く。


 ちょっと消耗しているぐらいの方が、暴発しないで済むかもしれない……なんて打算も頭から追い出して、リュシーを抱き締める。

 服を脱いだり脱がせたり、色々ぎこちない所はあったと思うし、途中から理性がぶっ飛んで獣みたいに求めてしまったが、まぁ……何とかなった。


 演技じゃなければ、リュシーも満足させられたと思う。

 俺は、今日一日頑張った。


 罪悪感とか倫理観とか面倒な事は考えず、今夜はリュシーを抱きしめて眠ろう。

 なるほど、小さくても小さいなりに趣があるものだ……。

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